#5 精霊の祝福
ガタゴトとなる音と揺れで俺は目を覚ます。木箱や樽に囲まれ、硬い荷馬車の床で迎える朝はすこぶる気分が悪い。
昨日のことは全部、悪い夢でした。目が覚めたらベッドの上でした。…というのを期待していたんだけどなぁ…。
どうやらこの集団のリーダーはあの赤毛の男で、名前を『キース』というらしい。
「大人しくしていろ。この娘に危害は加えない。だが、お前の態度次第ではどうなるかは保証しない。おかしな真似はするな。」
これがヤツの捨て台詞。それから俺はここで、ただの荷物と化している。そうは言っても俺、なんにも出来ないけどね。縛られてるし。
別に俺はいいんだ。問題は彼女だ。キースの言葉を信じられる保証のほうがむしろ無いんじゃないのか?
彼女…、まぁ本人の意向だから一応、名前をりんごと呼ぼう。りんごは裸にウィンドブレーカーを着ているだけの美少女だ。あまり考えたくはないが、イケナイコトされてしまう可能性だってある。
と、ここまで妄想したところで、ふと思い出した。
『発情しないでね。変なことしたら、殺すから。』
これは彼女と初めて会った時に言われたセリフだ。
ちょっと待てよ?よくよく考えたら、魔物を素手でぶちのめす彼女にとって、人間は驚異になりうるのだろうか…?
『人族をちょっと嫌いになってたんだ。』
とも言っていた。そもそも最初から服着てなかったし、もしかしてすでに何かされそうになったことでもあるのか?と、考えた時、背筋が凍りつくような悪寒と共に、最悪な光景が頭に浮かんだ。
彼女に群がる男たち。瞬く間に次々と蹴り砕かれる脳天。血の海となった部屋。死屍累々の上に立つ彼女…。
「いやいやいや、エグいて。それは、さすがにナイって…。」
俺はいったい何の心配をしているんだろう。どちらにしても俺はヒロインを助けに現れる勇者なんかにはなれないのだ。せいぜい、成り行きを見守る事くらいしかできない村人A…。
なんだか虚しくなってきた。
どうかあいつらの中に、変なこと考える奴がいませんように…。
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「おい、キース。あの娘よく見たら上玉じねーか、町に着いたら俺に一晩貸せよ。ひひっ。」
卑しい笑みを浮かべた、小太りな商人風の男がキースに語りかける。
「道中は俺の指示に従ってもらう約束です。変な気は起こさねーでもらえますかね?」
「わーってるって。だから、調べたいこととやらが全部済んだらってことだよ。な?ひひっ。」
そう言うと男はキースの背中をポンポンと叩き、馬車の幌の中へ顔を引っ込めた。キースの隣では、小柄だが眼光鋭い黒髪の少年が馬の手綱を握っていた。商人が顔を引っ込めた幌を冷ややかな目で一瞥すると、舌打ちをした。
「キース、なんであの二人を連れてきたの?まさか人助けとか言わないよね。」
「まぁ、そう言うな、ニケ。ちょっと引っ掛かるんだよ。勘だがな。」
「勘?」
「そうだ。気付いたか?あいつらの着ているもん。縫い目が正確で一定。汚れちゃいたが、身なりは整ってた。」
「そうだね。」
「それに、女の方。あの髪の色は、精霊の祝福だ。俺も実物を見たことある訳じゃねぇが、恐らく間違いねぇ。」
「貴族?」
「かもな。もしそうだったら、あいつらは金になる。それに、俺の思い違いだったら、奴隷商にでも売ればいいだけさ。」
「ふぅん。でも、仕事の邪魔になったら殺すよ?貴族は好きじゃない。」
「まぁ、そうならねぇように、ヴィーが上手くやるさ…。」
そう言ってキースは前を走行している馬車に目をやると、不適な笑みを浮かべた。
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「へぇ~、あんたリンゴっていうんだ。変わった名だねぇ。」
「えー?そうかなぁ、ボクは気に入ってるんだけど。キミは?」
「あたしは『ヴィクトリア』。みんなには『ヴィー』って呼ばれてる。」
そう言うとヴィクトリアはバゲットをひとつ、袋から取り出してりんごに渡した。2人の乗る馬車にはキャンプ用の道具や武器、食料が積んであった。その一角に休憩用スペースが設けられており、絨毯が敷かれランプが吊るされている。
「やっぱりあたしの服じゃ、ちょっと大きいみたいね。」
「ううん、そんなことないよ。ありがとう。」
りんごはバゲットを口一杯に頬張っている。まるで頬袋を膨らませたシマリスのようだ。よほどお腹が減っていたのだろう。
「ユーリ、本当に無事なんだよね。」
「あぁ、あの子なら別の馬車に乗ってるから心配いらないよ。同じ馬車にいたらあんたが着替えられないだろ?」
りんごはそれを聞いて不思議そうな表情をして首を捻ったが、再びバゲットを頬張り始めた。今はそんなことよりも、パンが旨いようだ…。
最後の一口を飲み込むと、りんごは身を乗り出してヴィクトリアの手を握り、潤んだ瞳で見つめた。
「ねぇ、ヴィー。お願いがあるんだけど。」
まるで馴染みの友達のような態度をとるりんごの距離感に少し戸惑ったが、その願い事の内容を聞いたヴィクトリアは、それを快諾したのだった。
馬車はすでに森を抜け、原野を進んでいた。その遥か先にうっすらと見えてきたのは、高い石造りの壁に囲まれた『城塞都市ストゥルベルグ』だ。ケイオスの東の国境を守る要の都市である。
キースたちは運び屋を生業としている。運び屋といってもただ荷物を運ぶだけではない。町から町へと移動する際の安全を確保する役割を担う。単純に言うと、馬車に荷物を載せ、必要とあれば魔物や盗賊と戦い、依頼人を目的地へ届ける仕事である。
キース達は最近頭角を表し始めた新興企業で、その高い戦闘能力で信頼を獲得し、一目おかれる存在となっていた。
「おぉ、キース。今回は遅かったじゃねーか。寄り道でもしてきたのか?」
門番らしき男がキースに話しかけた。
「そんなわけねーだろ。今回はやけに魔物に遭遇しちまって予定どおりに行かなかったんだよ。」
キースは門番に書類と通行手形を渡すついでに、腕を回して肩を組んだ。
「そんなわけで正直ちょっと急いでんだ、よろしく頼むぜ。」
キースはそう一言付け加えると、何かが中に入った袋をコッソリと門番の胸元へ忍ばせた。
「荷物は書類の通りだな?」
「あぁ、もちろん。」
門番は詰め所に戻ると、すぐに処理を終わらせて通行を許可した。審査待ちの数々の集団を尻目に、キースたち一行は速やかに城門を通り、町へと向かった。
向かう先は今回の依頼主である大手の商家だ。大通りの一等地に店を抱え、定期的に東方の隣国より買い付けてくる珍しい品はとても人気があった。
馬車は店の裏手の倉庫に横付けされ、荷物の積み降ろしが始まった。
「ユーリー!」
俺の名を呼ぶりんごの声が、どこからか聞こえてきた。
俺は荷物の積み降ろしの邪魔になるので近くの木に適当に結ばれていた。頑張ればロープをほどいて逃げれちゃうんじゃないかと思うほど、すごく雑な扱いをされている。
そんな俺のもとへ、りんごが駆け寄ってきたがその姿に俺はぎょっとした。
「それ、お前、どうしたんだ。その髪!?」
「うん、邪魔だったからヴィーにやってもらったんだ。」
腰まで伸びていた長い髪はツインテールになり、前髪はキレイに揃えられていた。それに、ヴィーって誰だ?後ろにいる綺麗なお姉さんの事か?
「ユーリ、何してるの?」
「見て分かるだろ。縛られてるんだよ。」
「なんで?なにか悪い事したの?」
「逆になんでお前はそんな自由なんだよ!?」
俺はあまりにも違う待遇に、不満を露にした。そこへ、キースがニケを連れてやってきた。手には何やら輪のような物を持っている。
「悪く思うなよ。俺達には本来、素性の分からないお前らを助ける義理はねぇんだ。ある程度、行動は制限させてもらう。いいな?」
そう言ってキースは俺を睨み付ける。最初に怒鳴られた時にも思ったがこの人の声はドスが効いていて、威圧感がある。蛇に睨まれた蛙とはまさにこういうことを指すのだ。俺の返事は声にならなかったので、ただ頷くしかなかった。
その反応を見たキースは手に持っていた輪のようなものを俺の首にかけた。同じように、りんごの首にもかけようとしたが、どうやら捕らえた時と髪型が変わっている事に気付いたらしく、手が止まった。
「は?どういうことだ?ヴィー、お前がやったのか!?」
普段クールで強面な人間がビックリしている姿はおもしろい。もちろん声に出しては笑えないが。
「そ、可愛いだろ?」
とヴィーは得意気だったが、キースはため息をを付くと頭をクシャクシャと掻いた。
「服を着せろとは言ったが、ここまで面倒見る必要はねぇ。」
そう言うと、りんごの首にもその輪をかけた。
「まぁ、いい。お前らには魔封帯を付けてもらう。お前らがおかしな真似できねぇようにな。」
『封印』
キースが呪文らしき言葉を唱えると、首にかけた輪は淡く光り、黒いチョーカーのような形に姿を変えた。すると、りんごの髪がみるみる光を失っていき、色が銀色から黒色へと変化した。いや、髪の毛が細いから黒色というよりは栗色っぽいか。
どういう理屈かは知らんが、これほど分かりやすく『チカラを封じられました感』を出されると、もはや説明は不要である。
ん?よく見てみると、このチョーカー。喉元に小さな鈴のようなものがぶら下がっている。
俺はまさかな、と思い体を揺らしてみると「チリン」と音が鳴った。やっぱり鈴だった。猫が付けてるやつだコレ。
それから俺は縄をほどかれ、荷物の積み降ろしを手伝わされた。働かざる者は食うべからず、だそうだ。異世界になぜ同じことわざがあるのか疑問に思ったが、逆にいうと働きさえすれば飯が食えるということだ。
とりあえず、今出来ることをやるだけやって、それからどうするかを決めよう。少なくともモンスターのいる森で遭難していた時よりはマシになっているのだ。
そう心に言い聞かせて俺は仕事に励んだが、りんごの姿が見えない。
もしかして働いてんの俺だけじゃねぇか…?
なんか腑に落ちないと思いつつ、荷物の搬入は夕方まで続いた。