#3 時空の亀裂
「これさぁ、聞いてどう思った?」
「うーん。最後まで聞いて思ったのは『聞いて損した』・・、かな?」
「そっかぁー、やっぱそうなるかぁー。」
翌日、アキラに昨夜の出来事をありのままに話してみた。
予想はしていたが、この反応である。
「警察の人に聞かれた時もさ、まじめに答えなさいって本気で怒られたんだよね。冷静に考えたらまぁ、そうなんだけどさ。その時はつじつまの合いそうなことを取り繕って話したら、逆に怪しまれるんじゃないかとか色々考えちゃってさぁ。」
「ごめん、ちょっと何言ってるかわかんない。」
「そうだよなぁー、そうなるよなぁー、自分でもわかってんだよなぁー・・。」
俺は教室の窓から外を眺めた。今日も外は快晴で、澄み渡った空がどこまでも続いている。まだうちの裏山には霧がかかっているのだろうか。
『変なことしたら、殺すから。』
あの子に囁かれた声が、頭の中に何度も甦る。突然キスされて、殺すと言われて、興奮したのか?変態だったのか俺は?昨日からずっとこの混乱は続いていて、おかしくなってしまいそうだ。
「母さんからユーリんちのじいちゃんが熊に襲われて救急車で運ばれたって聞いてさ、心配してたんだぜ。それなのに、なんだよそれ。思春期が暴走してんじゃねーよ。」
アキラの言葉が心に刺さる。
「言ってくれるなよー。おかしなこと言ってる自覚はあるんだからさー。はぁ、マジつらたん・・。」
俺は机に突っ伏した。
起こったことを言葉にするほど、そのすべてにリアリティが全くないのは理解していた。もしも俺がアキラの立場だったとしても、きっと同じようなリアクションをしただろう。
しかし、このままではあまりに納得がいかない。意地でも昨日の少女に会って一連の不可解な出来事をはっきりさせたくなってきた。
ちょうど期末テスト前で部活もないし、昨日よりも明るいうちに済ませてしまおう。
俺はその日の授業が終わると同時に、全力で学校を出た。こんなにも帰り道を急いだのは、初めてかもしれない。
今日も昨日と同じように西日が裏山に差し込んでいた。霧が山全体を包んでいるのは相変わらずだが、人の気配は無い。昨夜あんなことがあったので、警察や消防の人がいたら面倒で嫌だなぁ、と考えていたのに拍子抜けである。
一応、山の入り口には立ち入り禁止のビニールテープが張ってあった。あの少女からも、もう来るなと言われたが俺はこのまま引き下がるのが納得いかないのだ。
もたもたしてはいられない、昨日よりは明るいがすぐに日が暮れて真っ暗になる。木々の生い茂った山ではなおのことだ。
俺は速足で道を進んだ。
昨日も思ったが、霧の中に入ると視界が悪いにもかかわらず周りの状況がまるで見えてるかのように感じる。霧の外に出てからは感じなくなったが、今一度霧の中に入ってみると、またあの感覚が蘇ってきた。
「気のせいじゃなかった。なんだろうこの感覚・・。」
次の瞬間、あの時の少女の気配を感じた。この道の先、じいちゃんのリンゴ畑だ。ほかにも何か気味の悪い気配がする。
なんだろうか、この気配に感じる嫌悪感は…。
思わず俺は走り始めた。今の俺なら霧が濃かろうが、多少薄暗かろうが走っていける。そんな確信があったのだ。
『グゴガァァァ!グァオオオオオ!!』
リンゴ畑まで駆け付けたところで、嫌な気配が消えていくのを感じた。なにかはわからないが、きっと脅威が去ったのだろう。本能がそう言っているような気がした。
俺は気配のしていた方向へと、そうっと近づいてみた。あの少女の気配もそこにあったからだ。
「こそこそしたって意味ないよ。君だってボクのこと視えてるだろ?」
昨日の少女だ。穏やかで落ち着いた口調で俺に話かけてくる彼女は、相も変わらず全裸である。俺はあまりにもいたたまれなくなり、自分の来ていたウィンドブレーカーを脱いで彼女に渡した。
「ごめん。とりあえずこれ着てくれないかな。ちょっと目のやり場に困る。」
彼女は俺とウィンドブレーカーを交互に眺めた後、ゆっくりと袖に腕を通した。まるで初めて服を着るかのように、動きがぎこちない。ジッパーに至っては、まったく上手くいきそうにない手つきだったので、俺が上まで上げてやった。
これでとりあえず、見えてはいけないものは一通り隠れた。
「あぁ、そうか。キミも昨日のおじいちゃんも、この体が人族の少女の姿をしているから、助けようとしているのかぁ。かわいいなぁ。」
そういうと、彼女は微笑んだ。その無邪気そうな笑顔は、あんたのほうがよっぽどかわいいよ、と言ってやりたかった。だが俺は、彼女の後ろに見えた光景に言葉を失った。
彼女がさっきまでいた場所からさらに先のほう。青白い光に縁どられた裂け目のようなものが見えた。裂け目の向こう側には、明らかにリンゴ畑とは異なる景色が広がっている。
「な、なんだあれ。空間に裂け目がある・・。」
俺のつぶやきを聞いた少女は、空間の裂け目に向かって歩き始めた。
「心配はいらないよ、キミは村におかえり。ボクは人族じゃないから心配はしなくても大丈夫。この亀裂ももうすぐ閉じる。それまでの辛抱だしね。」
そう言って彼女は振り返ると、手をひらひらとさせた。とっとと帰れということだろうか。
「君はその後、どうする気なんだ?元の世界に帰れなくなるんじゃないのか?」
俺はふと沸いた疑問を問いかけてみた。
彼女が宇宙人なのか、異世界人なのか、はたまた未来人なのか…。さっぱり見当もつかないが、とにかくあの空間の裂け目のようなものを通って『別の世界』から来たのだろう。それなのに彼女はその後、いったいどうするつもりなのだろうか。
「え?」
と、彼女は眉間にしわを寄せて固まった。そして空を見上げ、ぐるーっと頭を回して一言。
「・・・あ、そういうこと?」
そうつぶやき、また固まった。どうやら考え込んでいるらしい。もしかして彼女にとっても想定外の事態が起きていて、その結果ここにいるのかも知れない。
「んー、まずいなぁ。だから回復しなかったのかぁ。ちょっと魔力足んないかも。」
ぶつぶつとなにか呟きながら、彼女は空間の裂け目に向かって再び歩き始めた。
亀裂の前に立った彼女は少し前かがみになる。長い髪がぶわっと舞い上がったかと思った次の瞬間、彼女の周りから風のような何かが広がった。
それと同時に、亀裂の向こう側の情景が頭の中に浮かんできた。目で見ている感覚とは違う、視えているという不思議な感覚だ。
「なんだこれ。頭の中にレーダーがあるみたいだ…。」
イルカは超音波で獲物や地形を把握するという話を聞いたことがあるが、こういう感覚なのだろうか…。
右の前方に3つ、さらにもっと奥に3つの嫌な気配を感じる。それが一体なんなのかは分からないが、とにかく背中がゾクゾクするのだ。本能が、コイツは危険だから近付くなと警告している。
そして、このまま行かせたら彼女は間違いなく襲われる。
「ちょっと待って!」
そう叫んだ俺は、彼女を止めようと全力で飛び出した。
すると、俺の体はものすごい跳躍力で、歩いていた彼女の背中に衝突し、そのまま一緒に裂け目の向こう側に文字通り飛び出してしまった。
「ちょ!ぅわっ!?」
出会ってから初めて、彼女の慌てた声を聞いたかもしれない。自分でも何がなんだか分からなかった。
「な…、なんなんだ?今、俺メチャクチャ跳ばなかったか?どーなってんだよ!?」
振り返ると、空間に空いた穴が見えた。そこで俺はやっと事の重大さに気付く。
おいおい。止めるつもりが危ない側に突き飛ばすとか、なにやってんだ俺は。
自分の失態を悔やむ間もなく、前方からあの嫌な気配が近寄ってくる。
気配の主は、どうやらこちらに気づいたようだ。
『グァオオォォォォー!』
聞き覚えのある雄たけびだ。あの時は熊かなにかだと思っていたが、こいつらだったのか。
目の前には4メートルくらいはある巨大な狼男のような怪物が、紅い目をギラつかせてこちらを睨んでいた。