黒いおたまじゃくし
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
わー、でっかいおたまじゃくしだなあ、これ。
これって、確かウシガエルのものでしょ? こうしてバケツに溜まっているのを見ると、もうおたまじゃくしじゃない、別の生き物のように思えてくるよ。
ウシガエルって、駆除の対象になっていなかったっけ? 生態系を破壊する恐れがあるとかなんとかで。
ウシガエル本人としては、普通に生活しているだけだろうに、それが度を過ぎているから周りより制裁を受ける。全体の調和のためとはいえ、たまったものじゃないよね。
これら、自然に存在するもの。たまたまそこにいる、このときにあるってだけで、影響を心配しなきゃいけないことがしばしば。
そのケースのひとつなんだけど、聞いてみないかい?
でっかいおたまじゃくしが、宙に浮かんでいた。
そんな話が僕たちの学校で広まったのは、小学校3年生くらいの時だったと思う。
おたまじゃくしがカエルの子供で、水の中にいるというのは、すでに知っていた。何かの見間違いだろうと考えたけど、話を持ってきた子は、確かに見たと話してゆずらない。
どうやら昨日の学区内にある神社で、たそがれどきに視認したらしいとのこと。
彼の家は、例の神社の近くにあるんだが、境内へ続く長い階段の下を通りかかったときだ。
10段ほどあがったところの空中に、ふと黒い点が現れた。
目をやると、その点らしきものの大きさは、テニスボールほど。そして一部から、尾っぽらしきものが生えていた。
黒点は宙にとどまったまま動かず。その代わり、尾っぽらしき部分は風もないのに、波のように上下へ、絶え間なく揺れ続けていたんだ。こいのぼりのはためきに近かったが、黒い点を支える竿の部分などは、もちろん見当たらない。
彼は怖くなってその場から逃げ出し、今朝の登校も神社を遠回りするルートで来たらしかった。
このことは、すぐに休み時間で取りざたされた。
おたまじゃくしとはいっていても、言葉通りに受け取った奴など、全然いなかったね。
目の錯覚から、生首が浮かんでいた。黒い人魂のせいだと、おもいおもいの意見を出し、そしてそれは次の日には、すっかり下火になっている。
放課後、ずっと神社の下で見張っていた勢の話だと、そのおたまじゃくしは姿を見せなかったそうなのさ。
次の日も、その次の日も。
結局、見間違い説が一番有力ということで、もうみんなの話題はゲームや映画へと移っていたんだ。
ただ、僕はこのとき、すでに兄から妙な話を聞いていた。
彼が黒いおたまじゃくしについて教えてくれた、その晩のこと。まだ同じ部屋で寝ていた兄に、この話を振ったんだ。軽い怪談話のつもりだった。
けれども、兄はたいていの話のように鼻で笑ったり、流したりはしてくれなかったよ。
「そっか。だいぶ遅い時期だから、もうないかと思ったんだけど……きちゃったか」
そうつぶやいて、僕の方を見てきます。
「そのおたまじゃくし、どれくらいの大きさだったって言ってたっけ?」
「黒い部分がテニスボールほど」
「じゃあ、形は整っているな。あと6日後くらいか……どうだ? そのおたまじゃくしの正体、知っておきたくないか?」
その兄の言葉につられて、6日後のたそがれどき。僕たちは件の神社の近くまで来ていたんだ。
もとより人通り、車通りの多くない近辺だけど、そのときは輪にかけて気配が感じられなかった。
兄が口元へ人差し指を立てて、音を出さないように制してくる。僕たちは履いていた靴を脱いで、未舗装の砂利道をそうっとそうっと歩いていく。
僕たちのそれぞれの手は、握ったもので塞がれていた。僕たちが握っているのは、ポテトチップスの袋。厳密にはそれを、ゲンコツの大きさにまで丸めたものだ。
最近、僕たちが触れた食べ物関連のものというと、これがおあつらえ向きだという兄からの指示でもあった。
ようやくたどり着いた、階段の一番下。その影に隠れたまま、兄は背後にいる僕に、目だけで階段をのぞくようにいってくる。
見上げてみて、驚いたよ。
確かに階段の上の方に、テニスボールほどの大きさの頭を持つ、おたまじゃくしらしきものが浮かんでいたんだ。
けれど、一匹じゃなかった。
てっぺんの15段目から5段目あたりにかけて、何匹も浮かんでいた。四方へその頭を向け、尾っぽをくゆらせて。たぶん数十匹はくだらなかったと思う。
ふと、上の境内でボールを転がす音が聞こえた。
遊んでいる子でもいるのかと、身を乗り出しかける僕を、兄が横に腕を広げて通せんぼしてくる。「手はずにないことを、しない方がいい」とも言い添えて。
それから何度か跳ねる音がすると、階段のてっぺんから姿を見せたのは、ドッジボールほどの大きさの玉だった。
でも、僕にはそれが遊具に思えなかった。
玉は僕たちと同じような、肌の色をまとっていたからだ。それが階段から身を乗り出し、転げ落ちてくる。
途中には、いくつものおたまじゃくしたちがある。それらは降ってくる玉をよける様子なく、轢かれていく。
いや、むしろ自分から飛び込んでいるようにも思えた。明らかにボールに触れない位置にいるおたまじゃくしたちも、自ら玉へ近づき、飛び込んでいく。
見た目に肉の塊かと思ったボールは、予想に反して、すり抜けるようにそれらを受け入れていく。
「いまだ。放れ」
階段を降り切ったボールが、僕たちの前を通過する直前、兄が口を開いた。
言いつけ通り、投げつけたポテチの袋。
先に入ったおたまじゃくしたちと同様、あっさり玉は袋を吸い込んだけれど、そのまま砂利道を通りすぎる勢いだったそれが、いきなりピタリと動きを止めた。
慣性さえ感じさせない、急激な停止。すると玉の肌がみるみるうちに、銀色になるとともに、溶けていくじゃないか。
ものの数秒も経たないうちに、地面へ水たまりを作った玉は、やがて土に吸い込まれて消えてしまったよ。
兄がじいちゃんから、聞いたことがあるらしい。
この世にはときどき、別の世界から「卵」がやってくる。この世にある「精子」を求めてね。それらが一緒になると新しい世界が、どこかで生まれるんだ。
あの神社の近辺は、いつのころからか世界の交尾に好まれる場所となったらしいけれど、じいちゃんたちは世界を増やしたくないらしいんだ。
プラスに振れるとは限らないから。だから兄は、じいちゃんたちが来られないとき、代わりに世界を産ませない手をとっているのだとか。