白雪姫-1
その後の話。
警察に一度捕まれば一気に面倒になる。これは誰でも容易に想像できるだろう。そも、センキチも神輿も銃を持っているし、何処かに隠そうにも万が一を警戒すればどうにもできない。
日も暮れてしまったということもあり神輿の銃を使って教室に残した弾丸を回収した後、学校から二駅遠い鉄道の駅近くまで移動し解散ということにした。
電話番号も交換したし、わざわざ顔を付き合わせる必要はない。無駄なリスクを避けようというセンキチからの提案だった。
「じゃあ、また後で連絡するよ。時間はどのあたりがいい?」
「では、九時頃で。大丈夫ですか」
「それでいいよ。銃で跳べるとは言え一応気をつけてな。じゃ」
センキチはさっさと歩き出し、神輿も次の瞬間には居なくなっていた。
切符を買い普段は利用しない列車に乗り込む。ここまでくれば何も問題はないと考えるセンキチ。
普通に考えて学校からここまで来るのに30分はかかる。一般的な移動方法を使ったという前提なら自分は今の今まで学校にいるはずもなく、南部の証言と合わせても、乱射魔と入れ違うような時間に学校を出た存在ということになるわけだ。
完全な証拠隠滅だ、と一息つく。
「ああ、もうこんな時間か。帰宅ルート調べて、それと夕飯は簡単なものになっちゃうな。何か適当に夕飯のレシピとかでも調べておくか」
この地域は帰宅ラッシュの時間でも人は多くない、都会と田舎の中間点。座るだけの余裕は残っており、それに感謝してスマホを取り出す。少し遅れると家族に連絡してから調べ物を始める。
最寄駅についたら、バスは待たずに走り出した。一時間一本のは流石に待っていられないようだ。
息を切らしながら家に到着。
居間で本を読む爺さんを横目に見ながら荷物を置きに二階の自室へ駆け込む。もちろん一番奥の妹の部屋の近くに来たら足音を抑えて、だ。
「よし。飯作るか」
制服から動きやすい部屋着に着替え、小学生の家庭科の時間に作ったエプロンを身につける。手を洗って冷蔵庫から食材を並べる。米は爺さんが炊いてくれている。ありがとう。
まず生姜焼き用の豚肉に醤油やみりんを中心としたたれに漬け込んでおく。
次にキャベツときゅうりと大根を千切り、大根の一部は銀杏切りにする。
適当な量のお湯に粉末の出汁の素を入れ、沸かせている間に豆腐をさいの目切りにして、銀杏切りにした大根と一緒にお湯へ。
キャベツを大皿に盛り付け、鯖缶を開封しきゅうりと大根に乗せ、ドレッシングと一緒に軽く混ぜる。
お湯が沸騰する前に火を一旦止め、もう一つのコンロに火を点けフライパンを火にかける。
量を細かく調整しながら味噌を入れ、いい感じになったら温まったフライパンに油を敷き、豚肉を投入。
肉に付いたタレがジュワジュワと蒸発する。ひっくり返し、もう一ラウンド。そしてここに余ったタレを投入!
いい色になったタイミングで千切りキャベツに乗せる。
最後に白米を用意し、味噌汁に乾物の具を加える。
来客に出せるような代物ではないが家族に振る舞うには十分。というより町道場の師範である彼の祖父もセンキチ本人も味や見てくれより栄養を重視する人種。肉と野菜と米があれば十分という思想である。
唯一まともな味覚の彼の妹も決して不味いというほどではないため口を出さない。
日桜家の食卓が改善される日は来客が来るか、引きこもりの妹が心開くときだろう。予定帳は白紙。
「今日の晩飯は豚の生姜焼き。鯖のサラダ。味噌汁とお米と合わせて食ってくれ」
「ああ」
「じゃ」
「ああ」
小さいお盆にこれまた一回り小さい茶碗たちを乗せて二階に登り、家で唯一何も看板がない妹の部屋をノックする。
扉から少し離れてお盆を置き今度は足音を大きく鳴らしながら居間に戻る。センキチも、もそもそと静かに食べる爺さんの正面に座り食べ始める。
テレビには今日の乱射事件のことが映っていた。
救急車やパトカーが学校の前で群れていたようだが今はもうまばらだ。
「あれ?」
センキチは首を傾げた。
パトカー?呼んだっけ?救急車しか呼んでないはずだが。
さらに、アナウンサーは幸いなことに死者は居ませんでした、とも言う。
確かにあの時は死傷者に気を使ってる暇はなかったし、よく観察したわけじゃないけど大怪我をした人はいたはずだ。怪我人が出てから救急車が到着するまでの時間は定かではないが、それでも死人がいないというのは幸運がすぎる。
乱射魔に殺意がないと考えるとは考えにくい。となると、誰かがいたはずだ。
死者が出にくいよう手を打ち、応急処置を施し、警察を呼んだ何者かが。
敵?
誰だ?
何者だ?
「ごちそうさん」
「ごちそうさまでした」
答えの出ない問いは後に回すに限る。これも短いながらの人生で彼が学んだことだ。
センキチは早々に自室に戻る。
ちなみに、彼と彼の祖父の間に基本的に会話はない。両親が死去している以上、一応保護者だから必要な時は話しかけるし、要件があれば答えるがそれ以外は一切ない。かつては恐怖心から、今は単純に不要だから。
時間が来るまで本を読んで待つことにしたようだ。
『愚神礼賛』を読み終えて一息ついたところでふと本棚の一冊が目に入る。
『白雪姫』だ。
センキチの趣味は読書だが本を買うことは少なく、本棚には昔からの本が未だに残っている。これもその一冊だ。
ふと懐かしさを覚え童話集に手を伸ばす。当時はまだ元気で忙しかった母親が寂しくないようにとたくさんの本を与えてくれた日を思い出す。
「おっと」
光陰矢の如し。
昔を懐かしんでいれば、あっという間に時間は過ぎて携帯電話の着信音で本の世界から現実に帰ってくる。慌てて電話を取ると上ずった声が出てしまう。
「は、はい!日桜千吉でございます」
「あれ、ん?どうしたの?」
本当に今更だが、センキチの心臓が強く鳴り出した。当然である。
学校では緊急時なので気にならなかったが、よくよく考えてみれば好きな女の子と二人だけの秘密を作り、電話番号も教えた。握った手の感触を詳しく覚えていないことを心の底から後悔している。
彼も恋多き青春を歩んでいるのだ。
椅子に正座しているセンキチに神輿が語りかける。
「会って欲しい人がいるの」
緊張が別の意味になる。
浮かれたふわふわとしていた所に冷水を浴びた気分だろう。
「……どんな人だ?」
「えっとリンジって人で、私の協力者なの。とにかく会えば分かると思うんだけど……」
「いや、いいよ会おう。場所と時間は?」
「明日の夜十時くらいに。場所は、町外れにお墓があるでしょ?そこでいつも会ってるから、今回もそこで。詳しい場所はメールで送るね」
「わかった。じゃあまた明日」
「ええ。また明日」
センキチは今日の出来事を思い出して興奮冷めやらぬのか快諾してしまう。
障害を乗り越え成長した気になっているのか、武器を手に入れて強くなった気になっているのか。どちらにせよ早めに気付いて欲しい限りだ。
彼はそう願うばかりである。