愚神礼賛-1
今、手には拳銃一挺。
来たる相手は機関銃。
理性と恐怖は互角。
脂汗が止まらない。
奥歯が軋んでいる。
死がわかりやすく、人の形で歩いてくる。
逃走など許されない。
闘争しか許されない。
一、二、三、四。
二、二、三、四。
深呼吸。のち覚悟。
仕込みを起こす。扉を開ける。銃を構える。引き金を引く。
間違いなどなかった。
間違いなく正しかった。
反省を繰り返し、同じ間違いを二回もすることなく生きてきたはずなのに。
なのに何故、この体は機関銃で穴だらけになっているのだろう。
また間違えてしまった。
次があったら、決して間違えないはずなのに。
オレの命の灯は吹き消された。
しかしこの体は、気まぐれのような世界のバグで動いている。
なればこそ、残り火はあの人に捧げよう。死後に出会った魂の恩人に。
「今日の授業は終わり。このままホームルーム始めるよ」
授業終了による脱力感、今日最後の英語の授業の疲労感からか伸びをしたり、机に突っ伏したりする生徒たち。
近くの友達と話したり、さっさと帰宅や部活の準備を始める人もいる。
真面目に聞いてない生徒もテストや受験で後悔や自己嫌悪をするんだろうなあ、などと考えてそうな薄笑いをしながら、短い時間を読書にあてる人影が一つ。
彼は教壇からの連絡事項を聞き流しながら手に持つ『愚神礼賛』を数ページだけ読み進める。
勝手に抜け出すこともなく、しかして表立って邪魔することもなく。解散の号令と同時に本を机の中に戻し、カバンを引っ掴み二年生の教室がある図書館に向かう。
「日桜、いつも言ってるが読みながら歩くのは危ないぞ」
「先生、いつも返してますが周りは見えてるので大丈夫です」
これもいつもの光景。読書しながら廊下を歩く日桜千吉に注意する人はもはや珍しい。学年から腫れ物扱いされてる彼に注意するのは、生活指導の中年の先生だけ。
ひらりひらりと秋風に舞う木の葉の如く、あるいはゆらりゆらりと湯船に揺蕩う塵のように、帰宅する生徒でごった返す廊下を縫って歩く。
「気をつけなよ」
「あわわっ」
友達と話しながら教室から出てきた生徒を躱す。
そのまま通り過ぎようとしたが、リュックを掴まれれば立ち止まらざるを得ず。振り返れば、ヒステリックで有名な子の顔が。
「ちょっと」
「何か?」
「謝りなよ。怪我するところだったじゃん」
猫騙し。
目と鼻の先で手を叩き、動きと音で怯ませる相撲の技だ。
話しに付き合うだけ面倒だし、驚いて退いた手が戻らぬ内に退散する。彼女は熱するのも早いが冷めるのも早い、一週間もすれば忘れてしまうだろう。
まあ次の瞬間に教室から人が出ることなど想定済みだから衝突事故など起きるはずがないし、ぶつかったときは謝るだけだ。真摯に、紳士に。
……今のは微妙だな。妹に失笑される。
‘信じ’てと‘真摯’に……‘心身’の底の‘真意’から……。賢そうな兄の言葉回しに悩みながら図書室の隅に腰を落ち着ける。
さて、脳内をリセットして本棚からめぼしい背表紙を手に取り静かな読書を始めようとしていたのだが、今日はいつもと様子が異なる。
「はて、司書の方々が慌ただしいような気配をしているが」
アナウンスだ。近所で銃の乱射事件という国を間違えたのではないかと思しきことがあったらしい。普段と異なる面倒ごとに対する感情は立場年齢関係ないようで、いつもより眉間にしわが増えた図書館担当の教師によって勉強や内緒話をしていた生徒ら諸共に追い出される。寄り道せず早く帰宅するようにと指示がされれば、黙って従う他にない。
不満と諦めを傍らに、家で読書の続きを計画していると声をかけられる。ただ一人の友人、図書委員の南部櫛矢だ。
「センキチ。共に帰らんか」
「ああ櫛矢か。別にいいけど、まったく平和なこの日の本のお国で物騒な事件もあったもんだな」
「まったくじゃ。儂としては儂らに害がなければそれでよいが、お主としては気が気でないであろう」
「んーまあな。でもまあ、できることもなし。そういうのは大人のお仕事だな」
馬の尾のように後ろで一つにまとめた髪を揺らしながら、苦笑いで肯定する南部。
こうして並んで帰宅するのも中学から続く、よくある光景だった。
秋の日差しを受けながら帰宅していたその道中、ふと足を止めカバンを漁る。面倒ごとは家族連れとはよく言ったもので、苦虫をかみ潰したような表情からなかなか元の顔に戻せない。
「しまった、本回収しておけば良かったな。事件あったけどまだ間に合うかな」
「なんと。しかして明日でもよいのでは。というより本なら持っておったではないか」
「ああいや、他にも借りてるんだ。本当ならギリギリまで図書室で居座るつもりだったのに追い出されたからな。こんなに早く帰ったって、手持ち無沙汰になって気まずいんだよなあ。色々」
「さようか。お主の爺様苦手は以前よりだが、事件もある。急がれよ」
「わり。そっちは先帰っといてくれ」
「心得た」
早足で今来た道を折り返す。
坊主が多いので野球部だろうか、始めようとする直前で部活を中止させられたであろう面々とすれ違ったり、警備員の方に変な目で見られたりしたが気にしない、気にしない。
先生にはいい顔されなかったが急ぐようにと、ここでもまた念押しされた上で教室の鍵を預かり職員室から教室へ。
つい数十分前とは比べ物にならないほど静かな廊下は、神隠しにあったかのような不気味さすら感じる。
「あったあった」
オカルト程度、怖いわけではないのだが、沈黙を破りたくなるのは人の性。独り言は増える。
無事、自分の机の中から文庫本を回収できたし、さっさと内ポケットにしまい戻ろうとした矢先のこと。かつて聞いたことのあるあの音を耳を打つ。
忌まわしき始まりの号砲は長く長く鳴り響いた。