第7話 合戦
※[注意]本話の末尾に嘔吐を示唆する表現があります。苦手な方はご注意ください。
おれには、ある程度勝算があった。
一つ目の理由。やつらは猿を名乗るくせに、見た限り、素早さ、跳躍力などはそれほどでもない。人間より若干高いくらいか? 野生動物にしてはやや鈍重な方だ。それに体もさほど大きくない。
二つ目の理由。この異世界で、おれの身体能力はほんの少しだけ向上している。なぜか分からないけど、体が軽く、よく動いてくれるのだ。原因はあとで考えてみる。
三つ目の理由。相棒のところには武器になりそうなものが積んである。そこまでたどり着ければ何とかなる。それに、この程度の群れなど車両で押しつぶしてしまえばいいのだ。
おれは、走りながら、手ごろな石を拾い集めると、止まって、反転し、そして、次々と石弾を投擲した。
石弾は狙ったところにはいかなかったけど、鬼猿は馬鹿みたいにかたまっているので、何頭かに命中した。鈍い音が伝わり、鬼猿がよろめく。一投ごとに確実に損傷を与えている。
投げ終われば、走って距離をとり、石を拾って、再び投擲する。この一連の動作を幾度か繰り返した。投擲戦術は効果があった。二、三頭は再起不能になり、十頭くらいは損傷を受けて群れから遅れ始めた。逆に、無傷の鬼猿どもとは距離がつまってきてしまった。
おれは、半ばやけくそ気味に、棒切れも含めてその辺にあるものなら何でも手当たり次第に投擲した。投擲が間に合わなくなると、太目の枝を棍棒代わりに振り回した。何頭かは打撃をもろに受けて昏倒した。
数を減らすことに成功していると感じ、気が緩んだのがよくなかった。大柄な一頭の鬼猿が接近するのを許してしまった。鋭い爪が繰り出された。が、なんとか交わし、思い切り腹を蹴り上げる。大柄な一頭が血反吐を散らした。強化樹脂の先芯が入った安全靴は威力抜群だ。
だが危機は続く。死角から突進してきた別の一頭を避けようと、おれは体勢を崩してしまった。鬼猿は、腕を振りかぶって爪を叩き込もうしたが、おれに届く前に悲鳴をあげた。アカリに貸してもらったナイフが鬼猿の腹に突き刺さった。おれの手の方が長かった分、こちらの攻撃が早く届いた。
立ち上がって再び駆け出すと、頼もしい声が届く。
「シノー! もう少し、あと少し!」
クルマまで間近となった。アカリは先に指示したとおり、軽トラに備えたルーフキャリアの上に登っており、愛用の弓を構えていた。
「アカリ! 援護してくれ! 少しだけ時間を稼いで!」
「了解!」
アカリの放った矢は鬼猿の急所を確実に捉えていく。致命傷を負った何頭かが倒れた。頼りになる。
クルマの扉に手が届いた。素早く開錠して運転者席の扉を開けた。それから、荷台の方に回って武器になりそうなもの探す。迷っている暇はない。ちょうどいい工具が少し奥に位置にあった。なんとか取り出せそうだ。
――よしこれに決めた。
「シノー! もう矢が残り少ない!」
アカリは五頭ほど倒したようだ。
「ありがとう! よく頑張った。扉が開いているから急いで乗り込んで!」
アカリは最後の矢を射りながら、ルーフキャリアから飛び降り、室内に乗り込んだ。
「シノー! 乗ったわ。囲まれる! 早く!」
「アカリ! 丸い操舵輪があるだろ、その真ん中を強く押すんだ!」
「これかな? えぃ!」
「ビィーー」
けたたましい警音が鳴り、包囲を縮めつつあった鬼猿どもの動きが一瞬止まった。ついでにアカリも驚かせてしまったみたいだ。ごめん。
おれは、探し当てた工具のケースを抱えて運転者席に滑り込み、急いで扉を閉めた。アカリは何も言わなくても助手席の方へ詰めてくれていた。ほとんど間をおかないで鬼猿どもがクルマに群がり、車体を殴り始めた。
「ボコッ」「ベコッ」
――このやろう! 汚い手で相棒に触れるな!!
大切な相棒の体に傷をつけられ、自分の血が沸騰した気がした。生身で対峙したときはあれほど恐ろしかった鬼猿も、相棒と組んだおれにとってはもう排除の対象でしかなかった。
「覚悟しろ! 機関始動!」
鍵を回すと軽く高い調子の回転音が響いた。
「前進!」
「きゃっ」
「アカリ、しっかりつかまってて!」
前方に群がっていた鬼猿を「だんっ」「どんっ」と弾き飛ばし、大質量でもって押しつぶす。骨格が壊れ、関節が潰れる生々しい感触がタイヤを介して伝わった。
――うへぇ、お気の毒。だが、しかし――
「後進!」「回頭しながらまた前進!」「さらに後進!」
「わっ、えっ、うっ」
アカリが呻いているが、いまは気にしていられない。こんな運動を何度か繰り返すと、二十頭程度が再起不能となった。残りは十五頭くらい。さきほど投石で痛めつけたのが十頭くらいなので、無傷の鬼猿はせいぜい五頭だ。どんなに怪我を負っても、動けなくなるまで向かってくるその闘争心だけは見習いたい。
軽トラによるローラー戦術の効果は顕著だった。でも、地面の余白が少なくなってきたので、クルマを動かしづらくなってきてしまった。相棒をこれ以上傷つけたくない。絶命した鬼猿を車輪に巻き込めば、相棒に不具合が出るかもしれない。それに、鬼猿も多少は頭を使うのか、クルマの前後を避け、側方に回り込もうとするものも現れ始めた。
だから、次の戦術に移る。
危険を冒して荷台から引っ張り出しきた工具ケースには、充電式の釘打機が入っていた。バネでピストンを押し出して釘を打ち付ける工具だ。空気式より釘の打ち出し力は弱いけど、圧縮器も、圧縮空気を送るホースもいらない。取り回しが楽なので、個人的にはお気に入り。いま手にしている釘打機は、一秒間に一打付けを実現する結構な優れものだ。
おれは、運転者席の窓を半開にし、外に向けて釘打ち機を構えた。さっそく無傷の鬼猿どもが元気に刃向かってくる。本来好ましくはないけど、安全装置を強制的に解除し、狙いを定め、次いで釘を打ち出す。
「バスゥン!」「バスゥン!」「バスゥン!」
至近距離で次々と命中。少し離れると釘は突き刺さりにくくなるけど、一、二メートル程度ならそれなりの損傷を与えることができているようだ。
「ええー、なにそれ!?」
アカリは訳が分からないみたいだけど、構っていられない。片手がふさがり、運転がしづらかったので、釘打機による攻撃をアカリにまかせることにした。
「アカリ! この道具を受け取って! いいと言うまで絶対にその引き金に手をかけないで!」
「わかった!」
「じゃあ、ちょっとごめん」
「きゃ!?」
おれは、助手席のドアに手を伸ばし、窓ハンドルを回して窓を半開状態にした。
「その道具は引き金を引くと短い鉄の矢みたいのが飛び出る。窓のすき間から鬼猿を狙って!」
「うん!」
「おれがクルマの向きを適当に変える。あまり離れていると効果がない。鬼猿を十分に引き付けて撃つんだ! できそう?」
「わかった! やってみる」
アカリは、襲い掛かってくる鬼猿を仕留め続けた。しばらくすると、なんだか、隣りから高笑いが聞こえてきた。気のせいだと思いたい。そうして、ついには瀕死の状態の一頭がやや離れたところに残った。もうほとんど抵抗できない。アカリはその姿を認めると釘打機の構えを解いた。
「アカリ、アイツはおれが仕留める。もうそれは離していいよ」
「う、うん」
アカリはもう落ちついたようだ。なんだか弱々しく答えると、釘打機を車内に収め、あとは下を向いて俯いてしまった。
――どうしたのかな?
ただ、この機に確かめたいことがあったので、車を降りた。荷台の鳥居から外した大型の万能スコップを持ち、最後の一頭の前に立ちふさがった。
目の前のヤツはもうほとんど動けない。だけど、依然として闘志を失っていない。気の毒だが、実験台になってもらう。
おれは鬼猿の正面に対峙した。肩幅より広めに足を開いて、腰を落とす。そして、万能スコップを構えた。そして、こんなこともあろうかと、かねてから用意していたとっておきのセリフを放つ。
「抜けば玉散る氷の刃、露よ雫よ霧となれ――切り裂け、村雨丸!」
手にしているのはただのスコップだけどな。こういうのは気分が大事だ。そして、体をひねり、スコップを腰の回転に乗せて思い切り真横に薙いだ。
最後の一頭の首があっけなく落ちた。
自分でも驚くくらいの斬撃が繰り出された。やっぱり、腕力が強くなっている? なお、セリフに大した意味はない。言ってみたかっただけだ。恥ずかしいからもうやらない。
念のため、倒れている鬼猿すべてにとどめを刺して回った。こうして、ひとまず、合戦は終わった。一応周囲の安全も確認したのでアカリに声を掛けた。
「アカリ! 全部倒した! もう出てきても安全」
アカリから返事がない。安心して力が抜けたのか、ぐったりしている。助手席の扉を開けると、ヨロヨロと出てきた。足元がおぼつかないようだ。アカリがよろめいたので、慌てて支えた。アカリはおれの胸に寄りかかる恰好となった。血色の悪い青白い顔している。
「大丈夫か? どこか怪我でも?」
「……$%〇△&*」
「えっ、なに?」
「……¥×●@$▼」
「ん?」
「……キモチワルイ」
◇村雨または村雨丸は、南総里見八犬伝に登場する八犬士の一人、犬塚信乃戍孝(いぬづか しの もりたか)が振る架空の刀です。
◇作中で釘打ち機の誤った使い方をしていますが、釘打ち機に限らず、電動工具は取説のとおりに正しく扱ってください。生き物に向けるのもだめです。大変危険です。本作は単なる創作物で、作中の描写は単なる演出です。ご理解ください。なお、実際に釘を打ち出しても、射出方向を安定させるガイドがないので真直ぐ飛ぶことはないようです。