最終話 渚の誓い
一年後。
この世界は再び春を迎えていた。ここに飛ばされてきたのは、ちょうど去年の今頃の時期だったと思う。
おれはいま、ゼイゼイとあらい息づかいをしながら、荷車を引いている。登り坂になってしまい、ちょっと辛い。アカリも息を弾ませて荷車を押すのを手伝ってくれていた。
「ねえ、シノ! 海は陸を下りきったところにあるんでしょう?」
「そうだよ」
「なんで、また登り坂になるのよ! 川もなくなっちゃったじゃない!!」
「平野の形状が複雑なんだと思う」
「はぁ……」
春の麦の種まきが終わり、村の農作業もひと段落ついた。おれとアカリはかねてから希望していた南方の探索に出かけることを許された。
アラメ村を出発したのは、もう三週間も前のことだ。草原をひたすら南下し続けている。
いま曳いている荷車には、野営道具のほか、食料、水、狩りの道具なども積んでいる。まあ、当面は行動不能になることはないだろう。
ときどきアカリが荷車に上がり込む。おれは一馬力もないのだからやめてほしいのだけど……。
この荷車は、ボロボロになった軽トラックの一部を再利用して作ったものだ。クルマから取り外した車輪や車軸などを使っていて、金属ベアリングを備えたものだ。それにゴムタイヤも履いている。だから、村の木製荷車とちがい、車輪の回転は滑らかだし、振動も少ない。
そういうわけで、おれの相棒だった軽トラックは、いまはもうバラバラだ。すでに元のかたちはない。部材は、村の道具作りに使われている。
結局、相棒の体で、手元に残ったのは、この荷車のほか、いま腰に吊っている少し長めの小刀だけになった。サスペンションとして取り付けられていた板バネから作ってもらったものだ。
鍛冶屋の親父さんは「かっこよく鍛えなおしてやる」と言ってくれたけど、おれは元の形をなるべく残したかった。だから、刃身はほぼ直線形状だ。斜めに尖った刃先だけが若干の曲線を帯びている。片刃の仕上げで手入れしやすいようにもした。見ようによっては、巨大な彫刻刀だ。
銘は、桐一文字! 鞘はおれの手作りだ。ちなみに、アカリの持っている村雨丸の鞘もおれが作った物でお揃いにしてある。
おれはときどき桐一文字を抜いて声を掛けている。その度、アカリには「ばかね」と言われる。たしかに刃物を見てほほ笑む姿はあぶない人そのものだ。だけど、相棒の一部だったものに対面できるのはうれしい。
海はまだ見えない。
「なあ、アカリ、少し休憩しよう」
「なによ、だらしないわね。最近怠けているんじゃない? 鬼猿の大群を退けたあのときのあなたはもっと力強かったわよ。もう少し頑張りなさいよ!」
「そういうなよ……この登り坂ちょっときついぞ」
確かにアカリのいうとおりだ。体の芯から込み上げてくるような力はもう感じなくなった。この世界の重力に慣れきってしまったのかもしれない。もうこの世界の普通の人になったのだと思う。
おれはへろへろになりながら、登り坂が終わることを信じて、一歩一歩、足を前に出す。
もう限界だと思い始めた頃、坂の上にたどり着いた。風の感触が変わった気がした。
そしてとうとう遠くに見えたのだ。
「アカリ、みてごらん。海だ! 海が見えた!!」
「えー、どれー? 見えないわよ」
目はいいはずなのに、アカリは、遠くに見えている青い水面が海だとは気がつかないようだ。
さらに近づくと、アカリもやっと海を認めた。
「あれ!? あれがそうなの? 端っこがみえないわよ」
「そうだよ。あれが全部海だよ」
坂を上り続けていたときの疲労はすっかり忘れ、足取りも軽やかにどんどんと海に近づく。アカリも興奮している様子だ。
おれは、その横顔を見ながら、この一年のことを思い返した。
アカリは、出会ったときから無茶苦茶だった。
いきなり矢を射ち込んできたり、おれを動揺させたり、揶揄ったり、それから、蹴とばしたりと本当に好き放題だ。
鬼猿の撃退に成功した後も、おれに対するぞんざいな扱いは変わらず、何度かひどい目にあった。
だけど、おれは、そんなアカリにいつのまにか惹かれていたんだ。
フッとひとりでに笑みがこぼれた。
「なにを笑っているの? あと少しよ、頑張りなさい!」
「はいはい」
やがて、草原が途絶え、白っぽい広い砂浜となった。荷車の車輪が砂地にとられたので、ここにおいていく。
砂浜をさらに進んで、とうとう海はもう目の前のところまできた。
遠浅の海から波が静かに押し寄せ、また引いていく。久しぶりの潮風だ。
「ほんとうにあった……」
「これで信じただろ?」
「ええ、きれいね」
「全部、塩水のはずだよ」
「そう、不思議ね」
二人で砂浜に腰を下ろし、しばらく、ぼうっと海を眺めていた。海面からのキラキラとした反射を受けてアカリがまぶしそうにしている。
「ところで……さ。おれがアラメ村に来た時の歓迎の宴のこと、覚えてる?」
「……忘れたわよ」
「もし海を見つけたなら、なんでも言うことを聞くとアカリは言った!」
「だから、知らないわよ!」
――覚えているけど、とぼけてるな。
「あの……アカリ、」
「だから、そんな賭け事のこと、知らないわよ」
「ほら、賭けをしたこと、ちゃんと覚えてるじゃないか」
「…………」
おれは前からずっと考えていたことを思い切って伝えることにした。
「あのさ、アカリ、おれは秋までに家を建てたいと思っている」
「へえ、すごいじゃない」
「おれの持っている技術のすべてを使う。村で一番住みやすい家にすると約束する」
のどがカラカラになりながら、その先の言葉を繋いだ。
「だから……」
「だから?」
「おれと一緒に暮らそう」
「…………」
アカリは急に黙り込んでしまった。アカリからはそれなりの好意を持たれていると思っていた。でも、その反応を見て急に不安になった。
――恥ずかしいな。勘違いだったか?
直後、アカリが立ち上がり、大声が響いた。
「あなた本物のばかね!」
「えっ!?」
予想外の言葉を受けて、おれも慌てて立ち上がり、アカリにことをまじまじと見つめてしまった。
「いまごろになってやっとそれ言うの!? 遅いのよ! わたしがどれだけ待ったと思っているの!?」
「…………?」
とても混乱した。わけがわからない。首をかしげる。
「なによ」
「あ、あの、返事を聞かせてもらえる?」
「はぁ……」
アカリは大きくため息をついた。心底信じられないものをみているような表情だ。
「ほんとにバカね……答えならもう一年前に伝えてあるはずよ」
「一年前?」
「そう、あなたのそばにいさせてほしいと確かに伝えたわ」
「えっ? 一年前のいつ頃?」
「あなたがこの村に来て、歓迎の宴があった日よ」
そんなことがあったなどまったく覚えていない。どれだけ考えても記憶にない。
「ほんとにバカ! 一年前の宴のときにした賭け事を覚えているのに、どうしてわたしの告白は覚えていないのよ」
おれが怪訝な顔をしているのか、アカリが当時の状況を事細かに説明し始めた。
「宴の後、二人で洗い場で後片付けをして、それから、水路のそばでわたしは言ったでしょう!?」
「はっ! あれか? あんなにぼやっとした言葉が……」
「男でしょ!? 察しなさいよ!!」
「だいたい、あの宴の日は確か、おれたちが出会ってまだ二日目だぞ! あれがそんなに大切な言葉だなんて分かるわけがない。おれは悪くな――」
言い終わらないうちにアカリが切れた。
「なにをー!」
「えっ」
『ドスッ』
アカリの肘鉄がみぞを抉った。きれいに決まってしまった。これ以上抵抗すればもっとまずいことになると思い、おれは潔く深々と謝る。あまりにも痛がっているので、アカリも我に返ったのか、若干態度が柔らかくなった。
「そうよ、分かればいいのよ」
アカリが手を差し出したので、そのまま手を繋ぎ、二人で波打ち際に近づいた。
アカリは最近髪を伸ばしている。まえにカグヤちゃんに「長い髪が綺麗だね」と褒めたことがあった。それをどこかで聞きつけたのかもしれない。
春先のあたたかい風が、肩まで届いたアカリの髪をなびかせた。淡い茶色の髪が日差しを受けてキラキラ光る。濃い橙色にも見えた。
――きれいだな。そういえば……
こんな色をどこかでみた気がする。カキイロドリの羽根もたしかこんな色だった。ふと、前から気になっていたことを思い出した。
「疑問に思っていたことがあるんだけど、聞いてもいいか?」
「な、なによ」
「いつだったか、アカリは一生懸命カキイロドリを探していたようだけど、なんでだ?」
「お、美味しいからよ」
「それだけ?」
「…………」
アカリが真っ赤になってしまった。いいたくないことなのだろうか? 黙ったまま固まってしまっている。
じっと見つめていると、観念したらしく、しぶしぶ口を開いた。
「カキイロドリはね、婚礼のときに振る舞われる御馳走。とても縁起がいいものなの」
「へえ、そうだったんだ」
「そ、それでね、一つのお皿を分け合って食べた二人はずっと一緒に幸せに暮らせるという言い伝えがあるのよ」
「そ、そんな話、一度も聞いたことないけど……」
「村娘だけに伝わるものだから、村の男たちはこのことを知らないのよ」
「…………」
アカリは、それだけいうと、頬を染め、耳の先まで赤くしながら、もじもじとしてしまった。
――それでその鳥を捕まえようとしてたのか……
そんなことを考えていたなんて全く想像もできなかった。そういえば、アカリは出会った当初から、わりかしはっきりと好意を示していてくれていたのかもしれない。思い当たることがいくつかあった。自分の馬鹿さ加減にようやく気が付いた。
アカリはおれが口を開くのを待っているようだ。おれはアカリの真正面に立った。
肩をそっと抱き寄せ、さっきは言えなかったことを伝える。
「待たせてごめん。きみのことが好きだ。村に戻ったら、結婚しよう」
アカリは顔をあげ、少し小さめの声で「うん。」と答えた。
その目にはうっすらと涙がにじんでいる。
それから、声には出さず、唇だけを動かして何かを伝えてきた。
恥ずかしくて言葉に出せないらしい。何を言っているのかはだいたい分かった。
風で広がるアカリの髪をそっとすき、その長い耳を撫でてみる。
「ずっと触ってみたかったんだ……」
「ばかね……」
二人は顔を近づけ――そっと唇を合わせる。
ほんのわずかな間だったけれど、アカリの温もりが伝わった。
「「ずっと一緒だ(よ)」」と二人の声が重なる。
ぎこちなく笑う二人のそばを風が駆け抜けた。
そんなに強くはないはずなのに、腰に吊った桐一文字が「カタカタカタ」と鳴る。
ああ、そうか――――祝福してくれるのか……
……ありがとう、相棒!
潮風が暖かい渚を吹き抜ける。
もう夏の気配が近づいていた。
~おわり~




