第5話 この世界の害獣 その二
「鬼猿はね、猿に少し似ているけど、猿とは全く別の大きな牙と爪を持つ野獣よ。とても醜い姿をしているの。二足歩行で、体高はわたしの胸の高さくらい。性質はとても凶暴で残忍。知能は低い……」
アカリの説明が続く。それによれば、鬼猿は、普通は一定のなわばりの中で単独で行動しているそうだ。警戒心が強いので、めった人里に降りてくることはない。狩人でもそうそう遭遇しないらしい。
だけど、何かのきっかけで人を襲ったことのある鬼猿は、厄介なものになる。人の血を求めて、人を好んで襲う個体になるらしい。人の血や汗には鬼猿を興奮させる何かがある、とも言っていた。
そのような個体は、人の存在を認めると、激しく興奮し、周りの鬼猿を呼び寄せることがある。興奮は群れに伝播し、そうなると手が付けられない。群れ全体が集団的な興奮状態に陥り、人を見れば、見境なく襲い掛かってくるそうだ。
「……あのときもそうだった……」
ここから先はアカリにとってつらい話だった。
アカリの父は、アカリが八歳の頃、この森で帰らぬ人となったそうだ。幼いアカリと一緒に森を散策してとき、突然、十頭以上の鬼猿の群れに囲まれてしまったらしい。アカリの父は、興奮した鬼猿の群れからアカリを逃がすため、自らが囮となった。鬼猿どもに立ち向かい、その半数近くを討伐しながらも、力尽きてしまったそうだ。
アカリは父親のことをとても尊敬していたらしく、父親を奪った鬼猿を激しく憎んでいるようだ。その一方で鬼猿をとても恐れているようにもみえた。また、尊敬する父親のようにみんなを守れる人になりたいとも言っていた。
ここまで話したアカリの表情は暗く沈んだものとなった。
「つらいことを思い出させてしまってごめん」
「ううん、いいの。もう十年以上も前のことよ」
彼女のちょっとトゲトゲした部分は、こうした生い立ちによるものかもしれない。きっと、父を亡くした後、元気をなくしてしまった母親と幼い妹を守ろうと気を張って生きてきたにちがいない。
細い肩に大きな責任を負って生きてきたことを想像すると、気丈に振る舞う目の前の娘が健気に思えた。
「だいじょうぶ、鬼猿が来ても、おれが守るから!」
――ちょっと格好つけてみた。
「あなた、ほんとバカね!」
――また、バカと言われた。今日、何度目だ?
「丸腰なんでしょ? まっさきにやられるのはあなたの方よ」
――そのとおりです。
「役に立つか分からないけど、これ貸してあげる。大事に扱ってちょうだいね」
アカリは矢筒を吊っている腰の帯からナイフをはずすと、それをこちらに手渡した。
刃渡りが異様に長い古びたナイフを見て、一瞬、奇妙な感覚にとらわれた。なにかこの時代にそぐわないもののように思えた。だけど、アカリから大事なものを貸してもらったことが嬉しくて、その違和感もすぐに消えてしまった。
「すまない、ありがとう。これでアカリを守れるな、あはは」
「ふん、バカね……」
今の「バカね」は少しだけかわいかった。
……気を使ってくれてありがとう……
アカリの小さなつぶやきは、たしかにそう聞こえた。