第4話 この世界の害獣 その一
おれは、今、この時まで、ここは地球のどこかだと考えていた。時間と空間を飛び越えて、古い時代のどこかに飛ばされた可能性を疑っていた。森を探索してみて、植生が似通っていると感じたからだ。でも……
「……地球じゃなかったんだ。ここは異世界……」
アカリには自分のことをどこまで話そうか迷った。
元の世界に戻れるか分からないし、この見知らぬ土地で生活基盤を単独で築くのはほとんど不可能だ。目の前の狩人の娘に頼り、アラメ村というところに身を寄せるしかないだろう。
出会ってからわずかなやりとりしかないけど、直感的に、彼女は信頼できる人柄だと思えた。多少変わったところがあるけど、心根は優しく面倒見が良さそうだ。だから、結局のところ、自分のことを率直にありのままに話すことにした。
「あのさ、アカリ」
「なに?」
「考えがまとまったので聞いてほしいんだ」
「なにか思い出したの?」
「まあ、そうだね。たぶん、ここはおれの故郷からは遠く離れたところだと思う。帰れないほど遠い。今朝、クルマに乗っているとき、どういうわけか、乗り物ごとここに飛ばされてきたみたいなんだ……。気づいたら森の中にいた。飛ばされる少し前までのことはまだ思い出せないけど……おそらくそうだと思う」
アカリの表情に変化があった。
「……そう、災難だったわね。」
「いまの話、疑わないのか?」
「奇妙だとは思うけど、出鱈目を言ってるわけではなさそうだから……」
何か思い当たることでもあるのだろうか。
「それで、おれは狩人ではないよ。アカリが黒い妖と呼んだクルマは、簡単に言えば、油を燃やすことで動くただの乗り物。妖や化け物ではないから安心して」
アカリはクルマについて色々と疑問に思っているようだけど、災いをもたらすものではないと一応は理解してくれたみたいだ。
「狩人でないなら、あなたは普段何をしているの?」
「ああ、おれは工務店というところに勤めていて、家づくりの現場監督を任されている」
アカリはきょとんとしている。だけど、勢いにまかせて、仕事の具体的な内容を説明した。
工事を進める手順なんかを決める工程表や図面を作成すること。
家を作るのに必要な材料を発注、管理すること。
施主と打ち合わせして希望を聞き、仕様の変更に対応すること。
家づくりがきちんと行われているか確認すること、などだ。
何年か前までは、内装工事、たまに外構工事もしていたし、構造材の刻みをしたこともある。小さな工務店なので、できることは何でもした。遅れ気味な工程があれば、応援に入らざるを得ないのだ。だから、全部のことを熟練の職人さんほど上手くできるわけではないけれど、家づくりに関係することはまあ大体分かることも伝えた。
調子に乗ってしゃべり過ぎたとも思ったけれど、今朝ここに来るまでのこともついでに話した。
自宅を朝早く出発した後、勤め先の工務店に寄ったこと。
クルマで、電気が供給されていない山あいの現場に向かっていたこと。
家づくりのためのいろいろな道具と資材を運んでいたこと。
発電機や大型蓄電池なんかも積んでいること。
施主の急な依頼があって、古い家屋を壊すための道具を急遽揃えたこと、などなどだ。
アカリはちょっと困り顔だ。
「……あなたのいっていること、半分も分からないけど、要するにあなたはどこか遠い都で働く大工さんってこと?」
「あぁ、うん、まあ、だいたいそんなところ」
微妙に話が通じていないけど、いちいち訂正するのもおっくうなので、肯定しておくことにした。
「ふうん、あなたの着ている服、なんだか変わっているけど、それも仕事の服?」
「そう、仕事に使っている作業着だよ。この辺の人たちからみれば珍しいのかな」
おれは、作業の応援に入ることもあるので、普段から作業服を着ている。でも、ちょっとしたこだわりがあって、いかにも作業服といったものではなく、割とかっこいいものだ。ポケットがたくさん付いていて、ミリタリー風に見えなくもない。それに、施主に会うこともあるので、いつもアイロンをかけている。容姿がパッとしない分、身だしなみには気を使っているのだ。
おれの話を聞いているアカリは、忙しそうに表情を変えた。初見ではクールそうに見えたけど、意外と感情が豊かなようだ。
それにしてもさらさらした髪からのぞく長い耳が興味深い。だから思い切って聞いてみた。
「あの、アカリはもしかしてエルフ?」
アカリがきょとんとする。何を言われているのか、分からないみたいだ。
「はぁ? エルフって何?」
「……ええと、エルフっていうのは、聞くところによると、尖った長い耳をもち、精霊の力を借りて魔法を使うことができ、何百年も生きることができるという森に住まう見目麗しい妖精種のこと」
アカリの目に哀れみと少しばかりの嗜虐心がこもった気がした。
「バカね。あなたはわたしが妖精に見えるの? あなたの故郷には妖精が住んでるの?」
「い、いや、そういうわけじゃないけど……」
「ほんとバカね! ここにも妖精なんていないわよ。さっきもいったけど、わたしは長耳族というヒト種よ。まあ、見目麗しいってところはわたしに当てはまるけど」
さりげない自慢が少々うざい。
「……そ、そうなんだ。じゃあ、この世界に暮らすヒト種はアカリのような長耳族が多いということ?」
「違うわ。ヒト種の中で最も数が多いのは短耳族よ。北の山脈のさらに向こうの都に大勢で住んでいると聞いたことがあるわ。そのほかに、少数派だけど、八重歯が鋭い犬歯族とか、瞳が紅玉のように赤い赤目族とかいろいろいるらしいわ。一度も見たことないけど」
どうも、人の姿をしたものは、外形に多少の違いがあっても、同じヒト種にざっくりまとめられているらしい。
――エルフはいないのか。残念。でも、ファンタジーの定番はまだあるのだ。
「ええと、アカリはもしかして魔法とか使えたりする?」
「……ほんとうにバカね。魔法なんておとぎ話の中にしかでてこないでしょう? そんなのを信じているの? ずいぶん子供っぽいのね」
エルフも魔法もここには存在しないという事実を突き付けられて、がっくりとうなだれる。
――せっかく異世界に来たのに魔法使えないのか……。魔法の使えない魔法使いの道だけはなんとか避けなくては……。
「何ブツブツ言っているの? 気持ち悪いわね!」
それにしても、この娘、口が悪い。悪すぎるぞ。
「『悪かったね、子供みたいで』と言ったんだよ。そっちこそ、さっきまで『妖術使い』とか、『黒い妖』とか、大真面目にいってたな。妖精や魔法は否定するのに、化け物や妖術の類は信じるのか?」
「あ、あれは言葉の綾よ、そう誤解されるほどあなたが怪しかったということよ」
「そうですか。ちなみにおれは二十四歳だけど、そっちは?」
「いきなり失礼ね。二、二十よ」
「歳の割には振舞いが幼いんだね。これだけ口が悪いと周りの男も敬遠するでしょ。行き遅れないように頑張ってね」
さっき、ひどい目に合わされたことを思いだした。血のにじむ腕が目に入る。だから、ちょっとした意趣返しをしてみた。我ながら器が小さいと思うが……。
――あれ? アカリの様子がおかしい。無反応?
「…………」
――もしかして地雷ふんだ?
アカリは真っ赤になってプルプルと震えだした。何も言わず、うつ向きながらゆっくりとこちらに近づいてくる。
――え? もしかして泣いてる?
次いで、体重をのせた見事な蹴りが放たれた。腹のあたりに鈍い痛みが走る。うずくまりそうになりながら、かろうじて言葉を発することができた。
「…………申し訳ありませんでした」
暴力を受けたのはこちらなのに、なぜかあやまったのはおれの方だった。
このあとアカリの機嫌が直るまで、しばらくなだめる必要があった。
「……それで、さっきの丘から見えた湖のほとりにあったのがアカリの村?」
「そうよ、アラメ村というの。わたしは母さんと妹の三人で暮らしているの。わたしの仕事は麦づくりとときどき猟をすること」
アラメ村は、半農半猟で、基本的には自給自足の生活をしているそうだ。貨幣もあるにはあるらしいのだけど、物々交換で足りるらしい。住んでいるのはだいたい二百人くらい。結構多い。
川や湖から用水路を引いているので水に困ることはないし、土地も肥沃なので作物の収穫は十分だそうだ。また、ここから北の方にアラメ村と協力関係にある別の村があるらしい。歩いて三日くらいかかるみたいだけど。
「なあ、この森には何がいるんだ?」
「シカ、イノシシ、キツネにウサギね、たまに鳥も狙うわ。わたしは村の中でも腕がいいのよ」
「そうか、すごいんだね。」
「そうよ、わたしは優秀なのよ」
この娘、ちょいちょい自慢を挟む。誇らしげに胸をはるアカリは、なんだか子供っぽく微笑ましかった。
――今日は手ぶらみたいだけど……。
そう指摘しようとしたけど、やめておいた。さきほどの華麗な蹴り技が思い返されたからだ。
「でもね、ここ最近、獲物があまり採れなくて……。森の様子が変なのよ。鬼猿のせいかもしれないわ」
「丘の頂にいたとき、遠くの方から気味悪い唸り声が届いたけど、あの声は鬼猿のもの?」
「たぶん、そうね」
鬼猿、何だか嫌な響きのする言葉だ。アカリはうつむいてしまった。
この言葉を口にするとき、アカリの瞳には憎悪の炎がこもる。さっきは詮索しないようにしたけど、安全のため、情報を得る必要があった。
「……さっきは聞けなかったけど、差し支えなければ、鬼猿のこと詳しく教えてくれる?」
アカリは、意を決するように顔を上げ、口を開いた。