第28話 カピバラさん
アカリと北の岳の森に散策に出掛けることになった。
四、五日ぶりの相棒の出番だ。クルマの足回りを簡単に点検していると、アカリが当然のように運転者席に乗り込んだ。
「わたしが運転するわ。いいでしょ?」
「アカリ、分かっていると思うけど慎重にな」
「わかってるわよ!」
「暴走するなら、代わってもらうぞ」
「わ、わかったわよ。いつまでも昔の失敗蒸し返さないで!」
――昔って、ほんの二週間くらい前のことだけどな。
アカリの運転は思ったより丁寧で、クルマは北の岳の谷沿いを順調に進んだ。この世界に飛ばされてきた日にアカリと野営した場所の麓まで来た。森をクルマで脱出したときに伐採した木もすでに回収してあり、以前の野営場所までは歩きやすい山道ができあがっていた。いまではこの麓のあたりは北の岳への進入口となり、野営場所は北の岳で狩りをする者たちの拠点となっている。
クルマを降りて、狩りの道具を携える。おれが狩りの練習にいくと言うと、サギリは弓を貸してくれた。自分の父親のものらしい。
アカリを真似て、弦を張る。弓を片足の腿の下に入れ、弓の上端の弦輪をかける末弭の辺りを握り、体重をかけて前に押し倒す。弓が十分に反ったら弦をかけることができる。十分に反らせば――
――な、なんだと……この弓、思ったより強い。
「どう? かかりそう?」
「ぐぐぐ……、か、かかった!」
なんとか弦を張れた。アカリに射法の基本を教わる。試しに矢をつがえ、引いてみる。
「な、なんて強い……引ききれない……」
「サギリのお父さん、弓の名手だからね。強弓のはずよ」
「うぐぐ……」
――引けない……
「なによ、なさけないわね! ちょっと貸してみて」
アカリが弓弦を引こうとしたが……
「あ、あれ? おかしいわね。サギリ、間違えたのかしら? これ、多分、祭事用の弓よ」
「祭事用?」
村祭りの力比べの催しで使われるものらしかった。
「そうよ。これまでこの弓を引き絞れたのは、たしか二、三人くらいしかいないはずよ」
「よし、そういうことならもう一度挑戦!」
再び矢を番えて弓を引く……
「やめときなさいよ。怪我するわよ。それを引けたのは大男ばかりと聞いているわ。あなたでは無理よ」
「ぎぎぐぐ……」
おれは奥歯を噛みしめ、ありったけの力でキリキリと弓を引き絞った。気分は源為朝だ。強弓が大きくしなる。なんとか引ききった。
「ど、どうだ? 少しは見直した?」
アカリはぽかんとしていた。けど声をかけられてすぐに正気づいた。
「ま、まあまあね」
アカリから承認の言葉を引き出したけど、いつまでもこの姿勢を維持できない。おれは、倒木を的に定めて、矢を射た――
「ビュン!」「ぎゃっ!」
弓柄を握る左手に痛みが走る。親指のつけ根のところが浅く裂けた。
――な、なんでこんなところが切れるんだ?
「あはは、シノは下手ね」
矢が放たれるとき、手に当たったらしい。アカリは別にどうともないので、おれの射ち方が悪いようだ。弓が嫌いになった。
しばらく歩き続け、森の奥にどんどん入っていく。
アカリが獲物を見つけ、射撃の機会を何度か譲ってくれた。けれど、おれが放った矢はかすりもしない。どうやら弓の才能はないらしい……。練習しても当たる気がしなかった。結局、おれの成果はなかった。
アカリはけっこうな大きさの猪を一頭仕留めた。四十キロ以上あるかもしれない。普段は大型の獣は狙わないそうだ。けど、今日はおれが一緒にいるし、クルマもあるので狩ってみたそうだ。アカリは、それはもう鬱陶しいくらいの得意顔をしている。
太陽が南中したので、拠点に陣取り、お弁当を広げた。パンに燻製肉と葉野菜を挟んだものだった。あまり見た目がよろしくないところがアカリらしかった。けれど、塩味が効いていて旨かった。
「美味しいよ、アカリ」
「そ、そう。なら、よかったわ」
「それにしても……はあ、がっかりだ。疲れた」
「初心者ならこんなものよ。まあ、苦手なことはだれにでもあるわ」
この世界では狩りの下手な男など蔑視の対象でしかないのかもしれない。けれど、幸いにもアカリはそんな風には思っていないようだ。
「アカリはすごいんだな。あんな遠くからよく当てられるもんだ」
「そうよ、もっと褒めなさい。狩りのことはわたしに任せておけばいいのよ」
アカリの機嫌がいい。射撃で負けるのはなんだか悔しい感じがする。でも、アカリが嬉しそうにしているのを見ると、おれのちっぽけな誇りが傷つこうが別にどうでもいいことだと思った。
お弁当を食べ終わるころ、アカリが近くを指さして声を上げた。
「あっ、あそこ!」
ずっとまえにおれが嵌り込んだ穴をつくった張本人がそばに寄ってきた。いや、同一の個体かどうかは分からないけど……。
「あー 久しぶりだな。おまえ、元気にしてたか?」
カピバラさんが「スンスン」と鼻を鳴らしている。おれは袋から飴玉を取り出し、目の前に放ってやった。カピバラさんは舌で器用に掬い取り、美味しそうに食べていた。
アカリがジッとこちらを見ているので、アカリの口にもひと粒放りこんだ。何か言いたそうな含みのある顔に見えた。が、何も言ってこないところをみると、飴玉を隠し持っていたことは見逃してくれるようだ。
「おっ!」
カピバラさんが、突然、後ろ脚で立ち上がった。けっこうでかい。ざっとおれの胸の高さまである。
カピバラさんは辺りを見回すと、かわいい鳴き声をあげた。
周りに仲間がいた。呼んだらしい。大きいのが一頭、小さいのが二頭、こちらに近づいてきた。血縁か、家族なのかもしれない。同じように飴玉をあげてみると、喜んでいるように見えた。
カピバラさん一家とのひとときのふれあいの後、おれたちは拠点をあとにし、麓のクルマのもとへと向かった。が、カピバラ一家がおれたちのあとをついてくる。意外にも俊敏だ。少し足を速めてもなんなくついてきた。
とうとう、麓のクルマのところまでついてきてしまった。
「あなたが餌付けなんかするからよ。さっさと森に戻してきなさいよ!」
「そんなぁ……」
一番大きなカピバラさんがつぶらな瞳でおれを見つめる。仲間に入れてほしそうだった。
「なあ、アカリ。この爪モグラの一家、村に連れ帰ったらだめかな?」
「何を言っているの? だめに決まってるでしょう! 村を穴だらけにされたらたまらないわよ」
アカリのいうことはもっともだった。でも、可愛らしいこの生き物と離れたくなかった。
「いや、ちゃんとしつければ、こちらの言うこと聞いてくれそうだけど……ほら、賢そうな顔してるじゃないか」
「自分のこと落ち着いて見てみたら?」
「どういう意味?」
「まえにこのモグラはあなたと雰囲気が似てるって言ったでしょう」
「…………」
アカリの口の悪さは相変わらずだった。ひとこと言い返したかったけれど、いまは、アカリを説得することが先だ。
おれはカピバラさんたちの愛らしさを熱心に語った。辛抱強く説得を続けると、アカリは、半分あきれながらも、とうとう折れた。なんとか、カピバラさんたちを連れ帰ることを了承してもらえた。
――勝った! 初めてかもしれない。
ちょっと嬉しかった。アカリの気が変わらないうちに、おれは軽トラの荷台に歩み板を架け渡した。カピバラさんたちは少し躊躇っていたけど、おれが上って見せると、一家もおそるおそる続いた。おれはそのまま荷台に残ることにする。カピバラさんたちは床にちょこんと座った。座った姿がなんとも愛らしい。アカリの不満をよそに、おれは満足だった。
「アカリ、出発して! 村へ帰ろう」
アカリは運転者席から手を振って応える。クルマはゆっくりと走り出した。
その後の数日間はとても忙しかった。
連れてきたカピバラさんたちは、特に反対されることもなく村の中に入れた。この生き物は普段は水辺に住むものらしい。取水場などよりも下手側なら問題ないだろうということで、南の湖のほとりに住まいが決まった。鍛冶屋の親父さんのところに近い。
それで、シナツさんの発案で飼育小屋を作ろうということになった。この小屋の建築が大工寮の初の仕事になった。シナツさんの差配で、いままでおれの一人配置だった大工寮にも青年団から数人が加わっているのだ。
シナツさんは、この村に新しい技術をどんどん導入しようとしている。
おれは「通し貫工法」という少し凝った建て方を選んだ。ただ、コンクリートなんてものはないので、基礎部分は、従来どおり、自然石を用いた束石を置いて独立基礎とした。
通し貫工法は、日本の伝統的な木造軸組工法の一つで、柱間に水平の貫材を通し、楔で固定させるというものだ。貫材を通す柱の穴には、その下端に凸部が設けられ、貫材には凹部が施される。柱の中で凹凸が組み合わせた状態で穴の隙間の両方から楔が打ち込まれると、柱と貫材ががっちりと固定される。手間がかかるけれど、筋違という斜材を入れる方法よりもずっと揺れに強い。
屋根はシンプルに切妻にし、軒を長めに張り出させた。
日本古来の屋根葺手法の一つに、檜皮葺という檜の樹皮を用いた施工法がある。この世界にも檜に似た木があったので、それから剥ぎ取った樹皮を屋根に葺いた。
もちろん、おれはこんな施工法を経験したことはないのだけれど、近所のお宮の屋根を思い浮かべながら作業を進めた。屋根の傾斜に沿って並べた垂木の上に桟を打つ。その桟に檜皮を少しずつずらしながら重ねて、竹釘で止めた。
――なんとか様になった!
檜皮には油分がたっぷり含まれているので、村で主流の草葺の屋根よりはずっと耐久性が高いだろうと思った。
みんなの協力もあって、小屋は二日ほどでできあがった。なかなか立派なものができたとおれは喜んでいたのだけど、みんなの反応は思ったより微妙だった。感想を聞いてみると、普段見慣れた家とあまりにも見た目が違っているため、戸惑っているようだった。
なかには「おれの家より立派だ」と唖然としている人もいた。そういえば、見ようによってはお社のような雰囲気がある。
小屋が完成すると、カピバラさんたちがさっそく中に入った。床には草が敷いてあり、そのうえで満足そうに寝そべる。喜んでくれているようでよかった。
彼らが何を食べるのか心配したけど、そこらへんの雑草を勝手に食べていた。モグラと呼ばれているから、ミミズでも食べているのかと思ったけど、基本的に草食みたいだ。ただ、ときどき湖に入って魚を獲っているようだった。草食傾向の強い雑食といったところだろうか。
鍛冶屋の親父さんは、この新しい住人に気に掛けてくれている。ときどきめんどうをみてくれているのでありがたい。
親父さんには以前、鏃のことを相談していた。鍛冶場を訪ねてみると、鏃が何本もできていた。五寸釘を打ち直したもので、先端側は、鋭い四角錐になっていてシンプルなものだ。後端側は、矢柄の先の箆口に差し込むための茎子が伸びていた。これなら、あまり手間をかけず量産できるかもしれないと思った。
それから、アカリたちの強い希望だった平衡錘投石機の作製が始まった。設計図はできあがっていたので、まずは、おれが1/10の模型を作った。加工方法と組み上げ方は細かくカグヤちゃんに教えた。実物の作製はカグヤちゃんが中心になるそうだ。
「カグヤちゃん、とても大きなものになるから、気をつけるんだよ。大工寮のみんなと助け合ってね」
「はい! わたし、がんばります!」
シナツさんから大抜擢されたのがよほど嬉しいのか、カグヤちゃんはとてもはりきっている。
「カグヤ、頑張るのよ! シノのクルマを飛ばせるくらい大きなのを作るのよ!」
アカリが妙な声援を送る。
「……アカリ、よしてくれよ」
「ただのたとえよ」
「冗談に聞こえないんだけど……それにそこまで大きなものじゃないよ」
カグヤちゃんも、姉を諫める。
「お姉ちゃん、無茶言わないで。大人二人分くらいの重さの石を飛ばすのが限度だよ」
「それじゃつまらないわ。もっと大きくならないの?」
「い、いや、もう設計も試作も済んでるし……」
アカリはなおも設計を変更しろと食い下がってきたけど、無理なものは無理だ。投射腕の強度にも限界がある。アカリはしぶしぶ引き下がった。
「そう、仕方ないわね。じゃあ、飛ばす石はわたしが探してきてあげる!」
アカリはそういうと川の上流の方へと駆け出していた。まだできあがってもいないのに……。




