第2話 狩人の娘 その一
見知らぬ森で出会った狩人の娘にいきなり射たれた。
痛みの走った部分に目を向ければ、放たれた矢は上着の左袖を裂いていた。
「おいっ、なんだよ! いきなり射つなんてヒドイだろ、かすった――いや当たったぞ!」
わずかだが、左上腕の肉が抉られていた。皮膚の下の白い脂肪が露わになり、薄い脂肪の層の裂け目からつぶつぶと血が滲みだした。それがけっこうな早さであふれ出すと、ジンジンとした激しい痛みが伝わってきた。
「残念ね、妖術使い! あなたはここで土に還るの! 森の養分になりなさい!!」
娘は二射目の矢をつがえて弓を構えた。
「妖術使い!? ま、待ってくれ! いったい何のことだ?」
「とぼけないで、わたしはあなたの後をずっとつけていたのよ!」
「い、いつから?」
「あなたが黒い妖の中から出てきたときからよ」
「黒い妖!? ああ、クルマのことか……そこから出てきたのは事実だけど……」
おれは、自分がごく普通の人間であり、あの黒いものは妖なんかじゃなく、クルマというただの乗り物だということを説明した。狩人の娘は何やら思案顔だ。
「はじめに爆ぜるような大きな音があって、つむじ風のようなものが勢いよくわたしの方に向かってきた。そうしたら、風の塊りが急に止まって、黒い妖が姿を現したのよ。」
「それ、ほんとうか?」
「ほんとうよ。しばらく隠れて見ていたら、あなたが黒い妖から出てきたのよ。はっきりと見たわ!」
「…………」
娘は追及を続ける。
「それで? 結局、あなたはどこから来たの!?」
「頭を打ったせいか、記憶がはっきりしない部分もあるんだ。目が覚めたらこの森にいた。どこから来たのかと聞かれても、『遠く』からとしか言えない」
「…………」
狩人の娘の表情に変化があった。ジィーっと見つめられた。頭巾に隠れていて顔立ち全体は分からないけど、やや吊り目の勝気そうな雰囲気がする。
――かなりの美人さんだな、二十歳前後かな?
そんなことを考えながら、敵意のないことを示すため、とっておきの営業スマイル。沈黙がしばらく続き見つめ合うことひととき、娘は構えを解いた。
「ふんっ、妖術使いではなさそうね。なんだか抜けてるし、あまりパッとしないもの」
狩人の娘はいろいろと疑問があるようだが、とりあえず害意のないことは信じてもらえたみたいだ。
それにしてもズケズケとひどい言われようだ。自覚があるので余計に腹が立った。さっき美人だと褒めたのは撤回する。何か文句の一つでもいってやろうとしたが、左腕から流れる血と焼けるような痛みで大事なことを思い出した。
「……あ、あの、さっき、鏃に毒を塗ったっていってたよね?」
「うん」
「……その矢がおれに当たったんだよね?」
「そうね」
――うんそうね?? なんだよその軽い応え!?
この娘に対して怒りが込み上げてきたが、大きく息を吸って無理やり気を落ち着かせた。カルシウムをたっぷり摂っておいてよかった。ちなみにおれは小魚のスナック菓子を持ち歩いている。
今のところ痛いだけでどうともない。もう遅いかもしれないけど、傷口から少しでも多くの血を吸い出してみた。そして、なるべく下手になって聞いてみた。
「……あ、あの、つかぬことお聞きしますが、この毒はどのように効いてくるのですか?」
「そうね、半刻も経てば体が痺れ始め、一刻もすれば高熱がでて、運が悪ければ二度と目覚めないわね」
「……そ、その、半刻とは、どれくらいでしょうか?」
「そんなことも知らないの? 無知ね」
侮蔑の言葉を何度か受けながらも、やりとりしたところによると、一刻がだいたい二時間、半刻がその半分で一時間くらいになるらしいことが分かった。
――毒が回るまでおおよそ一時間か……。
自分でも顔から血の気が引くのが分かった。望みをかけて一応聞いてみる。
「……ど、毒消し草などはお持ちでしょうか?」
「そんな都合のいいものないわよ。だから初めに言ったでしょ。あきらめて土に還りなさい」
「……そんなぁ……」
残りわずかかもしれない命を知り絶望の淵に沈む。膝から力が抜けて崩れ落ちた。
狩人の娘は気の毒に思ったのか、近づいてくると、屈んでおれの顔を覗き込んできた。少し笑ったようにみえた。そして、おれの側を通り抜けるとそのまま進み、一射目の矢を拾い上げた。
「あ~あ、鏃がつぶれてしまったわね。残念……」
その矢はおれの腕を過ぎたあと、かたわらの岩に当たり、跳ね返ったようだった。
娘がいたずらっぽくつぶやく。
「……ウソよ」
「えっ? いま何て? ……本当は毒消し草を持っているってこと?」
娘がこちらをみて、いたずらな笑みを浮かべた。
「いいえ、毒なんてはじめから塗ってないわ。わたしは心優しいのよ。そんなひどいことするわけないでしょ」
「…………」
「あなたが間抜けそうだったから、ちょっとからかってみただけよ」
――な、なんだよ! この娘!!
「……悪かったわね。単なる脅しのつもりだったのよ。ホントはあなたに当てるつもりもなかったの。急に動くから……」
思ったより素直なそのしおらしい態度をみれば、本当に故意ではなかったようだ。狩人の娘は布切れを取り出して応急的な処置をしてくれた。
おれは一応「ありがとう」と礼をいった。目の前の娘に聞きたいことは山ほどあったけど、その前に――壊れかけたモノを見るととても気になる。
「その矢、ちょっと見せて」
質の悪い鉄らしき金属でできた鏃の先端はつぶれていた。矢の幹の部分となる矢柄自体も割れかけている。
狩人の娘の恰好や持ち物からすると、文明の程度はそれほど高くないように思えた。日本の時代区分で言えば、飛鳥時代か奈良時代といったところだろうか。
「じゃあ、その矢筒ごと貸してみて」
娘から矢筒を受け取り、全部で十五本ほどある矢を取り出してみると、傷みが激しく補修が必要なものも少なくなかった。それに――。
「なー、この矢羽根、だいぶ不格好だし、付け方もなんか雑じゃないか? 鏃も微妙に曲がって付いてるし……」
仕事でも趣味でも、モノづくりが大好きなので、他人の作品ではあるけれど、雑な細工をみてちょっとイラっとしてしまった。
「わ、悪かったわね。わたしはあまり器用じゃないの――父さんはなんでも上手だったのにね」
狩人の娘は、さびしそうにそう言うと、急に元気がなくなり、うつむいてしまった。何か事情があるのだろうか。気まずくなってしまった。
「あ、あの、おれは、犬塚篠」
「……イヌヅカシノー?」
「変なところ伸ばさないで。呼びにくいだろうから『シノ』でいいよ。そっちは?」
「アカリ。アラメ村の村長の孫娘、アカリよ」
狩人の娘はそう名乗った。