第10話 二人の夜
この森を抜ける目途も立った。日が西に傾き始めているので、早めに野営の準備をすることにした。
軽トラに寝泊まりしてもよかったけれど、夜間に活動する危険な獣もいないようだし、この時期は雨も降らないとのことだったので、適当な場所に野宿することにした。念のため、倒木と立木を利用して腰の高さほどの簡単な囲いを作る。獣が来たとしても簡単には乗り越えられないだろう。この中なら安全に休めるはずだ。アカリの要望で、石組の焚火台も用意した。
アカリは、お昼に獲ったウサギを捌いていた。「丸焼きを御馳走してあげる」といって張り切っている。なんだか楽しそうな様子だったので、声をかけて動画を撮っておいた。
皮を剥いだあとのウサギの肉に荒粒の塩をふる。北の村――トミサン村というらしい――の近くで岩塩が採れるそうで、塩はまあ十分にあるとのことだ。
おれは胡椒挽をアカリに渡して、粗挽きの胡椒もたっぷりふってもらった。なんでそんなものを持っているのかといえば、単におれが好きだからだ。ご飯にかけても美味しいし、スープに一振りしてもいい。なんにでもよく合う。異論は認めない。
夕焼があたりを染めるころ、アカリの自信作ができあった。香ばしく焼けた肉の塊には、耳の形がそのまま残っていた。そこから、ウサギであったことがかろうじて分かる。
両足を一杯に開いて串刺しにされた形は、見ようによってはスルメイカのようにも見える。その姿は哀れさを誘う。
だけど、唾液腺は正直だ。こんがり焼けていてとても旨そう。ウサギは丸々と太っているので二人でも十分食べ応えがありそうだ。おれは、お湯にとくだけで簡単にできるコーンポタージュを提供した。
いただきます、と手を合わせたのをみて、アカリも倣ってくれた。アカリが丸焼きを切り分けてくれたので、さっそく大ぶりな身にかぶりつく。
「うん、うまい。初めて食べたけど、うまい。淡白だけど癖になる味わいだ」
「そうでしょ! 気に入ってくれてよかった。この汁も甘くて美味しいわね」
大きな丸焼きだったのに、あっさりと平らげてしまった。
「お腹いっぱいだ! ごちそうさま」
「ふふ、これで助けてもらった恩は少しでも返せたかしら?」
「ああ、十分だよ。 綺麗な娘に手料理をごちそうしてもらって幸せだ」
「……ばかね」
焚火の炎でよく分からないけど、アカリは恥ずかしいのかほほを赤く染めているようだ。
火にかけておいたコヘッルで紅茶を用意した。砂糖もたっぷりと投入するのが好み。柔らかですっきりとした香りが気を落ち着かせ、砂糖の甘さが疲れた体を癒す。野外で楽しむならコーヒーよりも断然、紅茶だ。異論は――認める。
アカリもお茶を楽しんでくれている。甘いものは蜂蜜か、乾燥果実くらいしかないそうで、甘さに驚いていたようだが。
西の空の残照も消え、満月の明かりが森を照らした。この世界の月は、地球を周回しているものと見た目は同じようだった。パチパチと焚火の爆ぜる音だけが響き渡る。静かな夜が始まろうとしている。昼間、ここで、鬼猿どもと命のやり取りをしたことがウソのようだ。
雲の切れ目から差し込んだ月の光がアカリの顔を照す。アカリは、少しいたずらっぽい笑みを唇に漂わせていた。
「シノ、ねぇ、わたしのこと鬼猿から守ってくれてありがとう」
「お礼はもう十分。気にしなくていいよ」
「ううん、ちゃんとお礼をしたいの。わたしにできることなら……」
「ん?」
アカリは、いつのまにかおれとの間を詰めて、肩が触れ合いそうになるくらいまで近づいている。
「少し寒いわ……」
アカリは体重をこちらにあずけ、鳶色の瞳でおれを見あげた。じっと見つめられると吸い込まれそうだ。普段の勝気な態度に隠れていた可愛らしいアカリの一面が現れた。
「……こっちを向いて」
昼間の鬼猿の印象が強すぎて、このときまでアカリをはっきりと意識することはなかったが、アカリは誰がみても綺麗でかわいい。そんな娘と、こんなに広い夜の森の中、たった二人でいることにいまさらながら気がついた。もう何をどうしたらよいのか分からなくなってしまった。時間にしたら何秒もたっていないかもしれない。アカリが静けさを破る。
「あははは!」
「えっ?」
「ねえ、何か期待した!?」
「いや、あ、ううん……」
揶揄われただけのようだ。残念な気もするが、ほっとする自分がいた。
「だれもいないからって、変なことしたらだめよ」
「わ、わかってる!」
「ほんとうに?」
「だ、だいじょうぶだ! 心配しなくていい」
「ふふ、信じるわ。でもお返しはまだ足りてない。何か困ることがあったら言って。できるだけ手を貸すから」
さっきの可愛らしい態度は引っ込み、普段通りの勝気なアカリの姿がそこにあった。今朝出会ったときから、この娘には振り回されてばかりだな。苦笑いしかでない。
そういえば、アカリは写真に興味をもっていたことを思い出した。スマホを取り出すと、夕方に撮った動画を再生してみた。画面にアカリが料理をしていた様子が映し出された。
「へえー、わたしが動いてる」
動き回る自分の全身を見るのは当然初めてなので、アカリはしきりに感心していた。次いで、アカリがウサギのさばき方を一生懸命に説明している場面に移った。アカリは不思議そうな表情を浮かべている。
「これ、わたし? 本当にわたしがしゃべっているの?」
「そうだよ」
「あなたにはわたしの声がこんな風に聞こえているの?」
「そう、こんな感じだよ」
「うっ…………」
アカリはなにやらがっくりしてしまった。自分の声を聞いてショックを受けたみたいだ。気持ちは分かる。おれも録音した自分の声を聞くと身もだえするからな。アカリの声は可愛らしいよと褒めると、なんとか持ち直してくれた。
気分転換にと、趣味で集めた動画投稿サイトの面白動画をいくつか見せてあげた。なかでも大うけしてくれたのが平衡錘投石機の動画だ。欧州のどこかの国の同好の士が巨大な投石機で物を投げ飛ばすことに興じているものだ。
普通は石を飛ばすのだけど、この動画では、投射腕の先に古いクルマを繋げていた。錘の重みで投射腕が跳ね上がると、クルマが空高く舞い上がって飛んで行った。
何の意味もないばかげた遊びだけど、おれはこういうのが嫌いじゃない。目的はどうあれ、ものづくりは楽しい。苦労して作った物が所定の機能を発揮するのは喜ばしいことだと思う。
そして、何がアカリの琴線に触れたのか分からないけど、彼女は「なにこれ、なにこれ!」と大はしゃぎだ。さらに、とんでもないことを言い始めた。
「ねぇ、シノ、あなたはこの仕掛け作れるの?」
「こんなに大きなのは無理だけど、小さめのだったら作れると思う」
「じゃあ、あなたのクルマも飛ばせる?」
「えっ!?」
「だって、あんなに大きなものが舞い上がるんだもの、素敵でしょ?」
やめてほしい。想像もしたくない。相棒が飛ばされ、地面に激突するなんて、恐ろしすぎる。
「……わざわざクルマを飛ばさなくても、本来の目的のとおり、石を飛ばせばいいと思うけど……」
「そうね、石でいいわね。ああ、楽しそう。わたしもやってみたいわ」
何が彼女を駆り立てるのか、どうしてこうも前のめりなのか、まったく分からない。でも、無邪気にはしゃぐアカリを見るのはなんだか楽しかった。
ずっとたわいもない話を続けていたかったけど、明朝の出発は早い。早めに休むことにした。焚火の間近に傾斜をつけた滑り台を組んで、太めの薪を五、六本そこに並べた。
こうしておけば、一番下の薪が燃え尽きたとき、その上の薪が火点に自然と転がり落ちる。うまくいけば、炎のリレーが成功し、順々に薪が燃え始めるはずだ。何時間か火は絶えないだろう。
おれは敷物を広げて予備の毛布をかぶった。アカリには寝袋を使ってもらっている。
焚火の向こうで横になっているアカリに「おやすみ」と声をかけた。
しばらくして、アカリがつぶやくように言う。
「……ねぇ、シノ」
「どうした? 眠れない?」
「……あのね」
「ん?」
「……なんでもない。おやすみ……」
何か心配ごとでもあるのだろうか。
多少気になったけど、昼間の疲れもあってか、おれはすぐに意識を手放し、深い眠りについた。




