W・T・Fの影
楽しんで頂ければ幸いです。
八月二日、午前九時十二分。
東京第三居住区域の郊外にある東京第一三三環状石を取り囲む様に、第三特殊機動小隊が展開していた。
同時刻、東京第三六六環状石の方には偵察部隊が展開しており、環状石に不審な動きがあれば現場にいる狩夜敬吾が即座に連絡を入れるように指示してある。
不思議な事に環状石の周りには小型GEの一匹も存在しておらず、第三特殊機動小隊の隊員は完全に敵がいない環状石の支配区域内をまるで安全区域でも歩いて行くように進んでいた。
東京第一三三環状石は郊外にある元ショッピングセンターの駐車所の一角にあり、人が賑わっていた時には多分に漏れず破壊も移動も出来ない邪魔物扱いされていた。
そして運命のあの日、そこから沸き出した無数のGEは買い物客に襲い掛かり、ショッピングを楽しんでいた多くの人を瞬く間に石の彫刻に変え、周りに住んでいた人や、偶然通りかかっただけの人などに手当たり次第に襲い掛かり、最終的に環状石の支配区域内にいた二十万人を超える人を物言わぬ石の彫刻へと変えた。
「レベル一の環状石を囲ってお金儲けか。人間のする事じゃねえな」
第三特殊機動小隊の隊長である小柳長滋はそんな言葉を口にしながら瞳の奥に黒い炎を燃やし、百メートルほど先にある環状石を睨みつけていた。
「同感だ。あの屑のおかげで少なくとも石化から戻れる筈の人間が最低でも数千人死んだ。いずれこの罪は奴に償わせてやる」
この場所には戦闘部隊の第三特殊機動小隊だけでなく、防衛軍特別執行部の松奈賀大嗣が企業との交渉役として顔をだしている。
数年ほど前になるが、東京第一三三環状石で家族や親しい人を失った人達は孤立化が成功した時には救出を期待していたが、この時点で既に元に戻せる人の数は最大で一万人程だといわれていた。
この環状石からGEが無数に姿を現したのは一九九九年の第二次GE大侵攻時であり、直後に襲われた人の多くは石に変えられた後から既に十年以上経過し、殆どの人は既に完全な石の彫刻と化していた。
新日本特殊銃器開発工業会長棟方諦三は環状石を破壊しても犠牲者の多くが元に戻せない事を逆手に取り、この環状石を定期的に沸く小型GEや二週間ごとに再生する中型GEから生み出される魔滅晶を回収する為の鉱山とし、その利益の為に本来は助けられる筈だった多くの人を見殺しにした。
少しは罪悪感があったのか、棟方は魔滅晶の回収開始から一年ほど経った時、助けられる筈だった犠牲者の家族に対して十分とは言えない額であったが弔慰金を支払った。
同じ事をしている同業他社からは『余計な事をしてくれた』と蔑まれ、更に関係の無い第三者からいまだに『弔慰金を貰っていない』と訴え続けられている。
「十年……。希望であり、絶望でもある。期限が迫れば人の心まで簡単に壊す、悪夢のような時間だ」
「だが、まだ希望が残っているうちに、それを踏みにじる行為が許される訳がない」
竹中がもしここにいてその話を聞けば、棟方の顔を思い切りぶん殴っていただろう、竹中が凰樹や神坂であっても、おそらくは同じ結果だ。
そして棟方にとっては最悪な事に、凰樹は今東京第三居住区域にいる。
「まあ、早急に奪還計画に組み込んでいなかった俺達も悪いんだが」
「いや、優先されていた鉄道や高速道路の奪還がなければ、枯死する居住区域があってもおかしくは無い。あの奪還計画は間違っちゃいないさ」
一九八八年に発生した第一次GE大侵攻、そして一九九九年に発生した第二次GE大侵攻で世界中の大都市はほとんど壊滅し、日本も一時は首都東京や首都圏の殆どをGEに明け渡す結果となった。
当然各国は威信をかけて首都奪還作戦を何度も実行したが、現在の様な対GE用の武器がまだなかった事も災いしその悉くは失敗に終わっている。
その後も武器の改良が終わる度に奪還作戦は繰り返され、最終的に二〇〇一年に防衛軍のある下士官が様々な資料に目を通して考え出した首都圏奪還作戦により、二〇〇六年には首都圏にあるレベル四までの環状石の支配下に置かれていた区域はほぼすべて奪還された。
GEに壊滅させられ、環状石の支配下に置かれた各地方都市の奪還計画と並行して行われたのが再整備及び主要道路奪還作戦と路線奪還計画で、物資や人的資源の移動をスムーズに行う為に地方居住区域を犠牲にして大都市を結ぶ高速道路や鉄道が優先されて奪還されていた。
奪還された高速道路などで各地に防衛軍が効率的に展開しているのでこの作戦は間違いとは言い難い、しかし、家族や親しい者が石に変えられたまま元に戻れなかった者の中にはいまだに恨んでいる者もいるという……。
「あの時に今の装備があればな……、と、これは禁句だったか?」
「構わないさ。あの当時の特殊トイガンでGEと戦えって話自体が無茶だ。もっとも、もう少し進化しないと、そのブラックボックス内蔵型も兵器とはいえないが……」
小柳が手にしている帝都角井製89式小銃の新型ブラックボックス内蔵の特殊トイガンに視線を向け、松奈賀はそんな事を考えていた。
凰樹やランカーズのメンバーがそうであるように、全身に纏っている氣の量が一定値を超えていれば、次世代型ブラックボックスは特殊トイガンを特殊トイガンに変える。
しかし、誰が使っても一定以上の能力を発揮しない限り、それは兵器とは呼べない。
「隊長!! 展開中の部隊から報告です。高純度特殊ランチャーの準備完了、特殊トイガン及び特殊マチェットのチャージ完了とのことです」
「よし、相手は孤立させたレベル一だ。十分でカタを付けるぞ」
「了解です!!」
小柳も特殊マチェットを腰に下げていた鞘から抜き、チャージボタンを押して内部に微量ではあるが氣を送っていた。
しかし、小柳では同時にチャージされる生命力の消費の方が激しく、大型GEを倒せる程威力のある攻撃は一度きりしか行えない。
「すまんな、そこであの環状石が砕けるのを待っててくれ。第三特殊機動小隊、攻撃開始!!」
「了解、攻撃開始!!」
小柳の号令と共に、第三特殊機動小隊は環状石内部に侵入する為に一斉に突撃を開始した。
しかし、どの方向から環状石に体当たりをしても内部に進入する事は出来ず、隊員達はその異常事態に戸惑っている。
「どういう事だ?」
「内部で何か異変が起こっているのか?」
触っても、蹴っても、銃で撃ってみても環状石に変化は無く、まるで普通の岩の様に何の変化も起こらない。
しかしよく見れば環状石のあちこちに細かいヒビが入っており、一見すればそれは孵る直前のタマゴの様でもあった……。
そしてそれが何の前触れなのか、その場にいた者の中で即座に理解したのは松奈賀だけだった。
「全員すぐそこから離れろ!! W・T・Fだ!! W・T・Fが出て来るぞ!!」
「ヴァ……? ヴァンデルング・トーア・ファイント?! そんな事ある訳が……」
その時、環状石の壁の一部が大きく剥がれ落ち、そこから二本の角を持つ東洋風の龍の頭部が姿を現した。
松奈賀が最も危惧していたW・T・Fの出現が現実のものとなった。
「GEが一匹もいなかったのも、W・T・Fが出る前兆のひとつだったんだ。さ……最悪だ!! あれはもしかして、数億人の犠牲者を出した龍型W・T・Fか?」
「攻撃だ!! 完全に出て来る前に、そいつを倒せ!!」
「りょ……了解です!! 撃ち方はじめ!!」
出現した龍の頭部に向かって夥しい量の銃弾が浴びせられたが、そんな物でどうにかなる相手では無く、そして環状石内部からは次々と龍型W・T・Fの頭部が姿を現した。
「いったい何匹出て来るんだ?」
「一……二……、全部で八匹。この数が解き放たれ……、ん? 胴体?」
龍型W・T・Fの頭部は八つ存在した、しかしその全てがひとつの胴体に繋がっており、その先には同じ様に八本の長い尻尾が生えていた。
「W・T・Fではあるが、F型ヒュドラタイプか?」
九つの首を持つ蛇竜種というFが存在する。
蛇竜種はギリシャ、イギリス、アメリカなどで発生報告があり、高い再生能力が脅威で更に通常の攻撃能力も高く、その上特殊スキルとして持っている広範囲に撒き散らす毒の様な物で多くの人間を石の彫刻に変えてきた。
「いや……あれはおそらく…………」
「八岐大蛇……」
その姿を見て、松奈賀はそれの正体がなんであるかを見抜いた。
八岐大蛇は日本の神話に登場する架空の生物であり、W・T・Fに多く見られるF型のGEと考えて間違いはないが、飛行能力を有していない分、赤竜種や超巨大翼竜種よりはマシと言えなくはない。
「隊長、攻撃が……」
チャージ機能まで使えば多少はダメージを与えられるが、そんな物は数秒も経たずに完全に再生されていた。
しかし、チャージ機能を使う第三特殊機動小隊の生命力は確実に消費され、何人かはリングのリミッターに引っかかってチャージ機能を使えない状態に陥っている。
八岐大蛇W・T・Fは長い八本の尻尾で周りにいる隊員を次々と石像に変え、僅か数分後には隊員の数は僅か七名にまで減らされていた。
それでも隊長である小柳の口から撤退命令の出ていない第三特殊機動小隊の隊員は果敢に攻撃を続け、通常のGE用兵器の中では最高の攻撃力を誇る高純度特殊ランチャーを撃ち込んだりもしたが致命傷には至らず、爆発が収まるのと八岐大蛇W・T・Fの傷の再生が完了するのがほぼ同時だった。
「やはり無理か……。今の武器では攻撃は無駄だ小柳。部隊を撤退させろ」
「ふざけるな!! 敵を目の前にしながら尻尾を巻いて逃げだして、民間人に助けを乞うなど誇りある軍人のする事か!!」
松奈賀の言葉に、小柳は怒りを露わにして叫んだ。
彼らは全員、勇敢で骨惜しみせずに今までこの国の人間の為に戦ってきたのだ。
軍人としての矜持もあり、手もちの武器による攻撃が効かないからと言って、はいそうですかと言って素直に撤退できる筈も無かった。
「攻撃が効かん相手に、これ以上の攻撃は無意味だ!! それとも、何か策でもあるのか?」
「俺の持つこの特殊マチェットは七十九センチ、十束の剣と思えば、まだ希望もあるさ」
松奈賀の問い掛けに答えた小柳はトリガーを半分引き、全力で八岐大蛇W・T・Fに向かって突撃をかけた。
「一センチ足りてないだろうが!! 戻れ!!」
八岐大蛇W・T・Fに突撃した小柳は、石化した隊員に紛れてうまく懐に潜り込み、八岐大蛇の身体をハーフトリガー状態の特殊マチェットで切り付けた、しかし、身体を蔽う鱗に僅かな傷を残して刀身が粉々に砕け散った。
「ちくしょう!! 俺達じゃ届かねぇのか!!」
「隊長……」
最後に残った小柳ともう一人の隊員目掛けて八岐大蛇W・T・Fの尻尾が振り降ろされ、僅か十数分の戦闘で第三特殊機動小隊は全員が石像に変わって壊滅した。
「これまでか……、ん? 何故? 何故八岐大蛇はあそこから動かない?」
不思議な事に八岐大蛇W・T・Fは壊れかけた環状石の傍から離れず、そこで身を休めていた。
「そう言えば山口に出現した赤竜種も、後で調べた情報では同じ様な行動をしたそうだが、もしかして出現直後はあそこからそこまで動けないのか?」
卵から孵ったばかりの動物の様に、出現直後はまだ半分休眠状態なのかもしれなかった。
どういう事情かは分からないが、千載一遇のチャンスである事には間違いない。
「あの少年……、凰樹に頼る他ないか」
軍人としての矜持を胸に抱いたまま石像に変わり果てた小柳には悪いが、松奈賀は即座にその決断を下した。
「急いで連絡を……ん?」
坂城に事情を話し、凰樹をこちらに向かわせようと考えた時、丁度端末に連絡が入った。
画面には狩夜敬吾と表示されており、向こうでも何かあったと判断した松奈賀は覚悟を決めて画面に表示されている通話ボタンを押した。
「松奈賀さん、こちら東京第三六六環状石です。現状、周りにはGEがいませんので比較的安全なんですが、不思議な事に環状石内部への進入が出来ないらしくて、内部の確認が出来ない状況です」
その報告を聞いた瞬間、松奈賀の背中を冷たい汗が伝った。
東京第三六六環状石は此処から比較的近い場所にあり、最悪の場合、障害物の少ない関東平野であれば空を飛べない八岐大蛇W・T・Fであっても比較的短時間で合流される可能性すらある。
一匹でもこれだけの脅威なのだ、合流などされては本気で首都圏全域を壊滅させられかねない。
「いいか狩夜、今すぐそこにいる偵察部隊を下がらせろ!! 東京第三六六環状石からもW・T・Fが出現するぞ!!」
「え、ヴァ……W・T・Fですか? それじゃあこれが出現前兆なんですか!!」
「間違いない!! 遠隔操作のカメラか何かで撮影を続けて、後でそれを分析するぞ。今後の貴重な資料だ……」
◇◇◇
午前九時三十七分。
一刻の猶予も無い、そう判断した松奈賀は防衛軍特殊兵装開発部で坂城の講義を聞いている凰樹へ連絡を入れた。
壊れかけた環状石の傍から動かない八岐大蛇W・T・Fに心の中で『頼むから、そこを動くなよ……』と願いながら……。
読んで頂きましてありがとうございます。
この話からはW・T・Fの戦闘でした。
防衛軍が弱い訳では無く、W・T・Fが異常なだけです。
防衛軍の部隊の名称については現行の自衛隊などの物とは違う形になっています。
感想ありがとうございます。
今後とも楽しんで頂ければ幸いです。




