長くて短い休暇の終わり
この話でこの章は終わります。
楽しんで頂ければ幸いです。
七月二十五日、午後七時三十分。
凰樹輝達が海水浴に訪れていた場所にある温泉旅館癒泉郷の大広間『大鳥の間』。
そこにはランカーズのメンバーである凰樹輝、神坂蒼雲、窪内龍耶、霧養敦志、伊藤聖華、楠木夕菜、竹中紫、荒城佳津美、宮桜姫香凛と、妹の宮桜姫鈴音が集められていた。
そして、この居住区域の対GE民間防衛組織の所長である藪名嘉啓輔と、県知事である浮谷彩恵子、市長である亜麻弧弥咲、それと他にも県のお偉方数名が集まっていた。
「では、世界初となるヴァンデルング・トーア・ファイント討伐という偉業を成し遂げた凰樹輝さんの功績を称え、乾杯をしたいと思います。かんぱ~い!!」
「かんぱ~い!!」
そこで行われたのは、W・T・Fのデータとにらめっこして今後の対策を練る事では無く、単にランカーズのメンバーを集めてその労をねぎらう為に用意された宴会を行う為だった。
用意されているおおきな御膳には船盛された新鮮な刺身の数々、牛肉の冷製、茶わん蒸し、伊勢海老を半分に割って作られたグラタン風、若鶏の香草焼きなど様々な料理が所狭しと並べられていた。
宴席の一番上座には県知事である浮谷を押しのけて凰樹の席が用意されており、ランカーズのメンバー全員にも同じメニューが用意されていた。
飲み物はソフトドリンクから酒類まで様々な種類の物が用意されており、部屋の隅には寿司職人が注文を受けたらすぐに握り寿司を提供できるようにスタンバってもいる。
今この時間も対GE民間防衛組織の職員や役場の人間などはいつも通りに急激に増えた仕事を処理している最中だが、この居住区域の県知事たちは今回の偉業を祝福する為に何とか出席させられる最高のメンバーを集めていた。
◇◇◇
宴会が始まるとビール瓶を持った藪名嘉がいの一番に酌に訪れてきた。
「いやー、数々の功績は聞き及んでおりましたが、これほどの力を御持ちとは……」
単に労をねぎらうという目的もあるが、ここに集まったお偉方の狙いはただ一つ、凰樹輝の引き抜きだ。
既に色々噂は流れては来ていたし、環状石を二つも破壊してレジェンドランカーという特殊枠まで作らせた凰樹の事を知ってはいた。
しかし、はっきりといえば此処までの存在とは考えてもいなかった。
昨日、半日近くかけて、更に言えばこの居住区域のAGE八百名以上を犠牲としてサービスエリアの一角に押し込む事に成功したW・T・Fの赤竜種。
ダメージを与えて何処かに逃げ出せば御の字と思っていたそれを、僅か十五分で討伐するとは考えてもいなかったのだ。
W・T・Fの赤竜種討伐完了の報告を受けた時、藪名嘉は誤報だと信じて疑わなかった。
誤報だと思い込んでいたそれが間違いではないと理解したのは、ある環状石の支配区域が突然奪還状態に変わり、その時刻がW・T・F討伐完了の時間とピッタリ一致したからだった。
この稀有な人材をこのまま帰す訳にはいかない。
県知事である浮谷をはじめ、この居住区域の上層部の人間は満場一致で凰樹輝の引き抜きという選択をした。
「俺一人の力じゃない。武器もそうだが、アレを十分に活用できる仲間がいればこそですよ」
「それもそうですが……」
藪名嘉をはじめとする権力者たちは困惑していた。
通常であればこの年齢でここまで上り詰めた人間はプライドの塊で我が強く、謙遜して『仲間がいれば』などと口にする事は殆どないからだ。
事実、現在のトップランカー十人は全員我が強く、共に戦う部隊の仲間すら駒のひとつ程度にしか考えていない。
この場で凰樹を持ち上げるだけ持ち上げ、あわよくばこの居住区域への移住を承諾させる。
それだけの目的で、高速道路を一時的に封鎖したままにし、ランカーズのメンバーをこの場に引き留めたのだから。
「もし仮に、同じ装備があってもW・T・Fと戦える部隊なんてありませんよ。武器自体もこれから進化していくと思いますが、今少し時間が必要でしょうし」
凰樹のそのひと言に反応したのは宮桜姫香凛の妹の鈴音だった。
鈴音は隣で食事をしている姉の香凛に、小さな声である事を聞いた。
「お姉ちゃん、少しの時間って何年位だと思う?」
「ん…? 何年経っても凰樹君の真似は無理なんじゃないかな?」
香凛は口の中の物を全てのみ込んだ後で、少し考えてそう答えた。
「だよね……。同じ弾を使って、同じ武器を使ってもあれだけ威力に差があるし……」
通常、防衛軍が持つ一発五万円ほどする最高純度の弾を使うのがGEに対して最も効果があると考えられており、それは間違えでは無いが、それを誰が使うかによって凰樹達に限ればかなり差が生じている。
一発五千円ほどの高純度弾を常用する凰樹達ランカーズも異常といえば異常だが、それを次世代型のブラックボックスを搭載したトイガンで使用した場合を例にしてみれば、竹中辺りが一発五千円の高純度弾を使って攻撃した場合と、凰樹が一発十円の低純度弾を使用した場合でほぼ威力は変わらない。
この状態はチャージ機能を使わない状態でコレであり、チャージ機能を使用した場合この差はさらに開く結果となる。
凰樹に一番近い威力で次世代型のブラックボックスを搭載したトイガンを使えるのは霧養で、神坂、窪内と続く。
シールドの技術に長けた者がチャージ機能を上手く使える事がハッキリと浮き彫りとなった為に、今後の課題としてシールド技術の向上があげられている。
なお、ランカーズのメンバーが一発5千円の特殊弾を使った場合と、その他の部隊が一発五万円の特殊弾を使った場合では今現在でもランカーズの方が高い攻撃力を持っていた。
この時、既に御膳の上の食べ物を粗方食い尽くした神坂や窪内達は寿司職人の前に行って好きなネタを注文している。
「ん~、エビとブリ、それに烏賊を炙りで」
「俺はウニとアワビを二貫ずつ」
「マグロの赤身とトロを二貫ずつ、よろしゅう」
特にこの日は既に回復しているとはいえW・T・Fとの戦闘で生命力を消費していた為に、普段より三割増し以上に腹が減っていただけに、食べる速度も速かった。
こういった宴会の料理は色々楽しむ為にそれぞれの量が少ないのも問題のひとつだったが……。
キャンプで余った食材はこのまま放置すれば腐る事が確実だった為にこの日の宴会の料理の一部で使用されたほか、燻製など保存の効く状態にして持ち帰られる様に加工されたりしている。
普通はこう言った事は絶対にしないのだが、残った食材の処理を気にかけていた凰樹に気が付いた亜麻弧がこの旅館の女将に頼み込んだ結果でもあった。
宴席は滞りなく終わったが、県知事を含めてすべてのお偉方は残念ながら凰樹にこの居住区域に移住してもらうという話を切りだす事も出来ずにいる。
凰樹達はそれぞれ部屋に案内され、休暇の続きという名目での軟禁が始まっていた……。
◇◇◇
七月二十七日、午後三時二十分。
旅館の部屋でくつろいでいた凰樹は、手持ち無沙汰な状況で暇に飽いでいた。
「流石に二日も経つと飽きて来るな」
「そうですわね、海水浴場の方はあの時とは比べものにならない状態ですけど」
あの海水浴場を含めるこの辺りを支配下に置いていた環状石から誕生したと思われるヴァンデルング・トーア・ファイントが消滅した為に、この辺り一帯も平和で安全な奪還区域に移行していた。
もうGEが出現する事の無くなった海水浴場には、多くの家族やカップルなどが訪れ、あのサザエの壺焼きなどを売っていた海の家にも長蛇の列が出来ている。
「これが本来の姿なんだろう、来年は予約を取るのが難しそうだな」
「どうしてもって事なら、他を探せばいい。日本海側の海水浴場は何ヶ所かあるしな」
島根県や鳥取県にも此処と同じ規模のキャンプ場を備えた海水浴場は幾つか存在する。
ただ、温泉などの施設を備えた場所となると限られてはくるが。
「ここまで人が多いと、安心してキャンプなんてできませんわ」
「確かにな。輝だけじゃなく、俺達も有名になり過ぎちまってるし……」
「こんな高級旅館の売店に顔を出しただけで、ああなるとは思っても無かったっス」
無謀にも霧養はサングラスもかけずに旅館の売店に向かい、ショッピングモールの時と同じ様に他の宿泊客に取り囲まれて握手などを求められていた。
その辺りを弁えていた凰樹や神坂達はサングラスをはじめとする自然な変装を心得ており、困惑する霧養を横目に買い物を済ませ、部屋に戻ってきている。
凰樹の報告と戦闘データの分析により、W・T・Fは独立して行動する要石内蔵型の門番GEである事が確定した。
あの赤竜種はレベル三の環状石破壊以上の評価がされ、討伐の要でありトドメを刺した凰樹には二百億ポイントという莫大な量のポイントが付与されている。
支配区域の奪還や救出などの部隊ボーナスは総額百五十億ポイントで、これを分配した事で宮桜姫香凛の妹の鈴音も中学生でありながらレジェンドランカーへと昇進した。
「鈴音、今度からショッピングモールに出かける時は、ちゃんと変装をしていくのよ」
「は~い」
「話半分に聞いてると、苦労しまっせ」
「そうっスね……」
以前、話半分に聞いていて苦労した霧養は、ようやく自分の立ち位置を理解していた。
超が幾つも付く有名人で下手をすると護衛が付くレベル。
ただ、霧養などは現在の立ち位置の殆どすべてが凰樹と同じ部隊で活動しているから与えられたもので、自らの実力では無いと考えてはいるが……。
W・T・Fから産出した異常な純度の超高純度魔滅晶は、防衛軍特殊兵装開発部の坂城厳蔵が興味を示した為に、防衛軍の研究所へ輸送された。
なお、今回も武器一式と戦闘データを坂城に送った為に、凰樹の手元には予備の兵装しか残されてはいなかった。
◇◇◇
七月二十八日、午後二時。
事態が大きく動いたのはこの日、居住区域の対GE民間防衛組織事務所所長である影於幾之滋が、県知事の黒佐季基成を引き連れてこの旅館を訪れて来たからだった。
「いや~、まさか勝手に凰樹さんの居住区域移住許可証の申請が出されているとは思いもしませんでしたよ」
「危ない所でした」
凰樹を何としてでも自らの居住区域に取り込みたい県知事である浮谷達は無断で居住区域移住許可証を申請し、住居は居住区域内の大きな邸宅を用意して、転校先の学校まで準備を始めて後は自らが発行する居住区域永住許可証を出すだけの状態にしていた。
石化から復帰した人への対応に追われる役場や学校関係者に浮谷達は恨まれもしたが、「もし彼がこの居住区域に移住すれば、この居住区域全体が完全安全区域に指定される事も夢じゃないだろう」などと言い、不満の声を強引に押し殺している。
「なんにせよ、これでようやく休暇は終りだな。楽しくはあったが、ここまで暇だと持て余すな」
「わーかーほりっく~♪」
「鈴音の言う通り、働きすぎですよね」
「四日も戦闘してないのに、この言われよう……」
「も? もなの?」
まともな感覚の残っている鈴音が驚きの声を上げていたが、GEと戦っている時間の方が長いんじゃないか? などと言われている凰樹にとっては、朝から晩までGEとの戦闘が無い日が四日も続いたのは珍しい事だった。
手元に武器があって、ここが自分の住んでいる居住区域であれば、とっくの昔にバイクに跨って拠点晶の破壊に出かけていた事だろう。
「楽しい時間だったのは間違いないし、冬休み辺りにまた部隊で旅行をしてもいいかもしれないな」
「そうっスね、雪が降る季節は行動も制限される分、動きにくいっスからね」
凰樹も視界が悪くなる降雪時の戦闘は得意ではないし、足場の問題からも冬季の戦闘はあまり行っていない。
現地への移動時も、早朝は道路の凍結で思う様に車が進まずに苦労し、目的の戦闘区域へ向かうのもいらぬ手間がかかる為に、降雪量の多い地域の攻略は雪が降る前に済ませたいと考えている。
「その事は冬が近づいてから決めればいいさ。さて、居住区域へ帰還するぞ!!」
「りょうか~い!!」
その日の内に旅館を引き払い、影於幾達守備隊の護衛付きで居住区域にある学生寮へと向かった。
夏休み本番はまだまだこれからだったが、凰樹達ランカーズの夏休みの始まりは人類初のヴァンデルング・トーア・ファイント討伐という前人未到の偉業から始まった。
読んで頂きましてありがとうございます。
感想等もいただければ励みになります。
この話でこの章は終わりますが、次の章は今月末にはじめられればと思っています。




