平穏な日常 一話
様々な用語が出てきますが、楽しんで頂ければ幸いです。
日付は変わって六月十三日、月曜日。
居住区域にある学生寮の一室で、凰樹輝はいつも通りに目を覚ました。
……昨日の曇天から一転、快晴の朝ではあったが凰樹の寝覚めの気分は最悪。
原因は昨日GEに奪れた生命力と、拠点晶を破壊する時までに失った生命力を回復させる為に飲んだ薬の影響だ。
AGEに所属する先輩の話では【この薬と比べれば、二日酔いの方がマシ】らしいが、二日酔いを体験した事の無い凰樹にはそれがどんなものかは分からない。
飲酒に関してだけではないが、AGE制度が始まった事により幾つか年齢制限が引き下げられた物があり、現在では飲酒は十五歳以上で認められるようになっていた。
車の免許など割と多くの物の免許取得制限が引き下げられ、人材の発掘や育成が早められている。
凰樹が左手のリングを確認すると、緑色のゲージは最高の百本まで回復している。
これだけ酷い目にあってゲージが回復して無ければ回復剤を使う者など居ないに違いない。
「あ~、まだ胃がムカムカする……。何度も改良されてる筈なのにいつもながら不味い薬だ。まあ、回復手段があるだけでも感謝しないといけないんだけど……」
この生命力回復剤が開発されるまで、受けたダメージは長い時間をかけて自然回復を待つしかなかった。
しかし今は回復剤を使えば格段に短い時間で生命力を回復させる事ができる。初期型の回復剤は効果がかなり低い割に高価で、それに今よりもさらに副作用が大きい。現在の回復剤は様々な種類が存在するが、一般にAGE隊員が戦場や自宅などで使用ができる錠剤や、ドリンクタイプの飲み薬はその効果が低く、最高の回復力を持つ薬でもせいぜい二十本程のゲージを回復させるのが精一杯だ。
しかも一度に何錠飲んでも、様々な種類を複数使用しても最高で二十本程のゲージしか回復する事は無く、それ以上回復させるにはある程度時間を置いて薬を飲み直す他無かった。
凰樹は重い頭を無造作にボリボリと掻きながら時計を確認する。
時刻は六時半、そろそろ登校する準備を整えなければいけない時間だった。
「起きるか……」
洗顔や着替えを済ませて、護身用である最低限の装備とAGEの資格証、財布兼用の住民カードをポケットに詰め込み、鞄をさげて学校へ向かって歩き始めた。
学生寮の玄関を出るとアスファルトで舗装された道路が目に映った。
昨日見たひび割れ雑草が生い茂った物と違って整備が行き届き、路面の状態は綺麗な状態を維持していた。
毎日稼動している清掃車両のおかげで掃除も行き届いており、道路脇の排水用の溝にも空き缶一つ落ちてはいない。
昨日の戦闘の時とは違う、平穏な空気が其処には流れていた。
早朝ジョギングをする近くの爺さん。
学生寮に住みついた野良猫に餌をやる近所の女子高生。
眠たそうな顔で歩く数人の学生。
穏やかで安らぎのある空間と時間。
それを目にする事で昨日の疲れなど吹き飛ぶ勢いだ。
「平和だ……」
凰樹は少し頬を緩め、緩やかな日常に浸っていた。
◇◇◇
凰樹達の住む学生寮があるこの場所は【居住区域】。
結界地区や安全区域とも呼ばれ対GE用の特殊結界とバリケード、そしてAGEの組織する守備隊に守られた街だ。
居住区域は環状石から一定以上の距離があり、尚且つ、中型GE以上のGEが比較的少ない地区を中心に地方自治体を統合させた街の事で、逆にGEに壊滅させられて人の住めなくなった街を【廃棄地区】と呼ぶ。
とはいえ、たとえ居住区域と言えどもその安全が永遠に保障されている訳ではなく、隣接区域の状況次第ではいつGEの大群が押し寄せてくるか分からない危険性が常にある。
現にこの特殊結界自体は一九九四年には開発されていたにも拘らず、その後も多くの都市がGEによって壊滅させられていた。
しかし、ゲートとGEの出現によって大幅に人口が減り、大規模な地方自治体統廃合が行われてもこの国の人々は復興に向かう気力を失っていなかった。
【魔滅晶】を利用した、より強力な対GE用結界を開発して居住区域や生産区域の安全化を行い、電気やガス、水道などのライフラインを復旧させて国道や鉄道そして一部の航路を再整備して流通を正常な状態に戻した。
市民の生活に欠かせないスーパーマーケットやコンビニエンスストア、家電の量販店等の生活必需品を扱う店舗だけでなく、一時は営業を自粛していた市民の憩いの場であるカラオケボックスやボウリング場、映画館等の娯楽施設までも復活させた。
安全な居住区域に住む人は一時的とはいえ平和な日常を過ごし、GEとの戦闘とは無縁で居られる。
その事実はGEと戦い仮初の平和を維持し続けるAGEに所属する者すべての誇りであり、厳しい戦いに身を投じる者達の心の支えでもあった。
学生寮を出て、徒歩で二十分ほど歩いた所に凰樹の通う永遠見台高校がある。
一学年八クラス三学年、総生徒数が千人近い大規模な学校だ。
隣には永遠見台付属中学があり、そこにもほぼ同数の生徒が存在していた。
この永遠見台高校の前には一軒のコンビニが存在する。
永遠見台高校の生徒御用達のこのコンビニは品揃えが豊富で、学食を利用しない生徒や朝食をコンビニの弁当や惣菜パンなどで済ませる生徒が非常に重宝していた。
また、昼休憩に購買で繰り広げられるパン争奪戦や、学食戦争とまで言われる学食での戦いに疲れ、「学食と違って冷めてて割高だけどあれに参戦するくらいなら」と、懐に若干余裕のある生徒が登校時間に昼飯を既に買っていく事も多い。
このコンビニには通常の商品が並ぶ棚の他に、新作商品が並ぶ棚と見切り処分の商品が並ぶワゴンが存在した。
新作コーナーは文字通り、今週発売されたばかりの新作商品が並んでいる。
値段は通常の商品と同じかやや割高。
その分比較的に味の良い商品が多く、学生達にとても人気がある。
見切り処分コーナーの商品は半額から九割引まで存在するお得感溢れるワゴンで、あまりにも不味……、もとい、人気が無かった商品が多く混ざっている為に近づく猛者は少ない。
凰樹がワゴンの中を覗くと、怪しい商品名のカップ麺やスナック菓子が幾つも目に入った。
「グレートカップ麺、具大増量、ただし増えたのはワカメともやしとニンニク、シーフードカレー味……。確か塩っ辛いカレー味の日本蕎麦だったか? 以前これに手を出した霧養が泣きながら食べてた記憶が……」
このコーナーに並ぶカップ麺の麺はラーメンでは無く、豚骨ラーメンの出汁や塩ラーメンの出汁を使っておきながら麺が日本蕎麦やうどんである事も多い。
たまにミスマッチなその味を好む者もいるが、多くの生徒はなけなしの小遣いで購入した商品を食べずに捨てる事が出来ずに涙を流しながら完食するという……。
と、言う訳でこのワゴンに手を出す生徒はかなり商品に詳しいか、小遣いが少なくなって選択の余地が無い生徒のどちらかと言われている。
凰樹はいつも通り通常商品の並ぶ棚に行き、ペットボトルに入ったスポーツ飲料と朝食代わりのいくつかの惣菜パンを手に取り、会計を済ませてまだ誰も居ないであろう教室に向かった。
◇◇◇
凰樹が一年A組の教室に入ったのは七時十五分。
教室には当然誰も居ない。
ゆっくりとした足取りで自分のロッカーに向かい、午前中の授業で使わない教科書やノートを無造作に放り込んだ。
窓際中央の自分の席に腰掛け、コンビニで買ってきた朝食代わりの惣菜パンを袋からだして一口齧ると、ジャガイモで作られたコロッケと甘酸っぱいソースの味が口いっぱいに満たされた。
「もうすこし安くなれば文句は無いんだけどな」
GEの出現による農作物の生産量の減少や食料品の輸入が困難になり小麦粉が値上りした事もあって、多くのパンは大幅に値上げされていた。
同じく小麦を使っているうどんなど麺類はそこまで値上げされなかった事に、何かしら作為的なものは感じられるが、下手にそこを抗議して麺類まで値上げされてはたまらないのでそこに突っ込む者はいない。
長さ五センチ程のコッペパンに、半分に切られたコロッケが入った惣菜パン1個の値段は百八十円。
教師に聞いた話によると、同じパンが以前は九十円ほどで売られていたらしい。
やや小ぶりとはいえ、2個のおにぎりが入ったおにぎり弁当が二百円という事を考えると、パン類に手を出す生徒は凰樹も含めて少数派ともいえる。
そんな理由もあり、昼飯時でもない限り総菜パンは売切れる事が殆ど無く、また、寮住いの一般生徒と比べればAGEで結構な額の報酬を得ている凰樹はあえて安いおにぎり系を避け割高な惣菜パンを買うようにしていた。
「あ、凰樹君おはようございます、いつも早いですね」
「おはよう、宮桜姫さん。いつも早いな」
朝食を済ませて一時間目の授業の準備をしていた時に、クラスメイトの宮桜姫香凛が教室に入ってきた。
生来の性格か、それとも生まれ育った環境が良かったのか、この荒廃した状況の中で誰にでもやさしく接し、礼儀正しい宮桜姫はクラスのみならず校内でも人気が高い。
美人と言っても何ら差しさわりの無い容姿の為、特に男子生徒に人気で、「この街で暮らす彼女を守る為に俺はAGE隊員になったんだ!」と公言するものまで存在する。
「私は足が遅いから、ギリギリの時間に走ってくると、遅刻してしまいそうなので……」
「に、しても早いとは思うが」
黒板の上に掛かっている時計の針は七時二十七分を指している。HRの開始が八時二十分なのでギリギリと言う時間までには一時間近く余裕がある。
何か部活に入っている訳ではなく、朝練等の理由も無しにこの時間に登校して来る生徒は、このクラスでは宮桜姫位だった。
凰樹のように学生寮に入っていないので家から学校までの距離は遠いが、もう少し遅い時間のバスはいくらでもある。
AGEに登録している者は非常招集や防衛任務の要請があった時にすぐに行動できるように、装備を置いている場所の近くにいる事が望ましいので、凰樹の様に学校にAGE用の装備を保管している者は早い時間に登校する事が半ば強制されている。
「あ…、あの、凰樹君……」
「おっはよ~、輝!! AGE登録者の義務とはいえ、いつも早いんだね」
「輝さん、おはよう~ございま~す、昨日はお疲れ様でした~。あ、宮桜姫さんもおはようございま~す」
少し遅れて楠木と伊藤が揃って顔を出した。
控えめな声で何かを言いかけていた宮桜姫はそのまま席に戻り、手にしていた小さな包みを誰にも気付かれない様にそっと鞄の中に押し込んだ。
「輝、昨日の戦果、もう発表されてるよ!! 部隊の方にも特別報酬が入ってるし、広報の【今注目の部隊】にもあげられてたよ」
「皆のおかげさ。個人戦果以外の報酬の分配と、特殊装備の申請は放課後の部活で行う。何か欲しい物があればそれまでに決めておいてくれ」
「分かりました。消耗品の在庫の確認と補給もお願いしま~す。最近は輝さんの名前でないと申請が通らない事も多くなりましたし……」
特殊弾や装備の一部は長年AGEとして活躍していればすぐに申請が通るが、AGEに登録したての駆け出しの新人では【申請されていた装備の発注が却下されました】というメールと共に、却下と大きなハンコが押された申請書が返ってくる事もある。
年々申請は通りにくくなり、最近では特殊弾の補給も正規のルート以外の方法で入手する者も増えていた……。
正規ルート以外で入手する特殊弾の品質は悪く、しかも正規品と比べて割高である。
それでも、戦場において命綱ともいえる弾が入手できなければAGEとして活動する事も出来ず、裏ルートで売られている粗悪な特殊弾に手を出す部隊も多い。
◇◇◇
「おはよ~ございます、皆の衆。気分が落ち込む月曜日~、今週もたのしゅう行きましょう」
現在時刻は七時五十二分。
先に登校していた凰樹とクラスメイトに、窪内龍耶がゆっくりと手を振りながら陽気な挨拶をした。
身長百五十五センチにして体重百二十キロの巨体は離れていても存在感十分だった。
窪内もそうだが、多くの生徒は色々な居住区域を転々としている為、様々な方言が混ざり、結果何処の言葉とも判別が付かない話し方をする。
特に、影響力の強い方言は多くの廃棄地区出身者にうつり、ミックスされて独自の方言へと進化する傾向があった。
そんな窪内が手にしているのは、高校前のコンビニで買ってきたと思われる朝食などの入ったビニール袋だ。
一人分の朝食とは思えないその袋の大きさに宮桜姫は目を丸くしていたが、いつも見慣れている凰樹達は特別な反応を示す事も無かった。
「凰さん、昨日はお疲れさんです、またよろしゅう頼んます」
窪内は凰樹の向いの席に腰掛け、コンビニの袋から缶ジュースをひとつ取り出して凰樹の前に置いた。
「今週の新作らしいです。毒見役お願いします」
その缶ジュースには、【夢のコラボレーション小豆と抹茶練乳】と何処にでもありそうな組み合わせの下に、スカッと爽快、強炭酸&健康志向の乳酸菌飲料と小さく表示されていた。
夢は夢でも悪夢に違いない……。
「龍、こいつは明らかにいつもの過剰コラボ商品だろ?」
凰樹は危険な気配のするジュースを窪内に返し、自分で買ってきたペットボトルのスポーツ飲料を口にした。
「ちょっとしたジョークですって。やっぱり凰さんもそう思いまっか? いや~その小さい文字見落としてまして、誰かに試して貰おうと思ってたんですわ。誰かコレ、せめて冷たいうちに喜んで飲んでくれんですかね?」
お詫びのつもりか、窪内はチョコスナックの小袋を幾つもテーブルにぶちまけて、そのうちの三つほどを凰樹の前に差し出した。
窪内は素早い動きで他のクラスメイト達にもチョコスナックの小袋を配り、自らも袋をひとつ選んで、食べ始めた。
「おはよ、輝さん、龍耶。相変わらず早いっスね。こっちは走ってきたから喉が渇いてしかたが……」
昨日のメンバーの一人、霧養敦志が少し呼吸を荒くして更に遅れて教室に入ってきた。
よほど喉が渇いていたのかその視線は机の上の缶ジュースに向いていた。
「たっち、ソレ新作? 貰っていい? 貰って良いよね?」
霧養は窪内の了承を待たずに強引に缶ジュースの蓋を開けて、一気に咽喉を鳴らして飲み下し、そして凰樹達の予想通り、数秒後、噴水の様に盛大にジュースを噴きだした。
手にした缶からも信じられない位に中身が溢れ出し、流れ出る泡とジュースで缶を握っている手までべっとべとに汚していた。
その光景を目にしたクラスメイトは全員、あの缶ジュースには手を出すまいと心に誓った。
「やっぱり地雷でしたか~。口直しにコレあげますんで、ちゃんとそれ、拭いといて下さいな」
窪内は納得の表情で定番のパックのコーヒー牛乳を取り出して、ゲホゲホとむせ返る霧養の前に置いてそそくさと自分の席に避難した。
霧養が周囲の机の雑巾がけと床のモップがけを終わらせた数分後、八時二十分になった所で担任の山形蒼子が現れてHRが始まった。
「よし、全員席に着け! 出席を取るぞ~。新井、井上、江藤……」
谷峨まで呼ばれ、三十五名の出席が確認できた。
どうやらこの週末でGEに襲われたり、AGEに所属する者がGEと戦って敗れたりしていない様だ。
「なんとか今日も全員無事に登校してきたな。最近はGEの目撃情報も多くなってきた。いいか、AGEに所属していない者は絶対に危険区域に近付かない事! また、今まで安全とされていた区域でもGEが目撃される事がある。登下校はなるべく二人以上で行うように」
HRの連絡事項で、先週増えた戦闘区域と危険区域などGE関係の報告が行われ、いつも通りに一日が始まった。
◇◇◇
「新作と思って油断した……。地雷なら地雷と先に言ってくれても良かったのに」
昼休みに入り、学食で定番の唐揚げ定食を突付きながら霧養がブツブツと文句を言っていた。
承諾するより早く人の物に手を付けたコイツに文句を言う筋合いは無いが、新作と言う響きは何処か人を引き付けるのも確かだった。
「この資源不足の折、少しでも美味しい物を提供しようとメーカーさんが努力した結果ですからな。たま~に出る失敗作も愛嬌でんな~♪」
その失敗作を買ってきた張本人はそんな事を言いながら、澄ました顔で唐揚げ丼を頬張っていた。
基本的に改良された材料が優先的に使われる新作商品のうち九割以上は美味しく、残り一割のうちの三十パーセント程が試作実験品の地雷と言われていた。
つまり地雷率は僅かに三パーセントだ。
新作商品であると言う事で過分に期待して、一気に飲み下した霧養の心情も分からなくはない。
とはいえ、朝のジュースはおそらく一週間も経たないうちにワゴンに叩き込まれるか、店頭から消える運命だろう。
せめて乳酸菌飲料と強炭酸を外してくれたら……、と思うが、どうやらあそこの開発部門に乳酸菌飲料万能説と学生炭酸系愛好説を盲信する者が居るらしく、毎回何かしら若い者向けの商品にその二つをコラボしようとしてくる。
何度も商品として出来上がって来るのだから、開発室内でそこそこ権力を持つ猛者がいる事は間違いない。
読んで頂きましてありがとうございます。




