リリティエの師匠
リリティエとの生活が一か月を過ぎた頃。
クロスはリリティエの小屋から出て活動を開始した。
怪我の具合が後遺症を含めて修復に一週間。完治に二週間。リハビリに一週間を費やしたのだ。その間、小屋の中にある本やリリティエとの会話から現在の状況を把握することに努めた。
リリティエの家は森林地帯の中でも小高い丘の上に存在し、僅かに潮騒の香りがすることから海が比較的近いことがわかった。見えないだけで木々を抜けた先に海があるのかもしれない。
小高い丘から森にはいると野草や果実が豊富に生っており、森の動物の気配を濃厚に感じた。
重力の強さは想定した重さとほぼ同力で問題はない。空気中に混ざっている物に有害なものは無く、酸素濃度も若干濃い目に感じるが健康に問題ないレベルだった。
「それで」
クロスは体の調子を確かめるようにストレッチをしながら傍らのリリティエを見下ろす。
「この辺で危ない存在とかいる?」
そう聞くとリリティエは困ったような顔をして「たくさん」と答えた。
「この辺、魔物は一杯だよ。ゴブリンやオーク、オーガもいる。スライムなんかもいるし」
なんだかゲームみたいなネーミングセンスだな、と思いつつナノマシンの翻訳機能に苦情を入れる。「では、ゴブリンをユータリラ星人と改名しますか?」と返してきたので質が悪い。
それではユータリラ星人を魔物と呼んでるみたいじゃないか。彼らは気のいい商人気質の小人星人だ。「では、ゴブリンで」とナノマシンに締めくくられれば問答の無意味さにため息もでる。
「やっぱりあれか? 緑色とか茶色で角があって牙があって小柄なのがゴブリンなのか?」
「うん、それ以外のゴブリンっている?」
と不思議そうな顔をして返されれば「ますますユータリラ星人じゃねぇか」というツッコミしかない。
とはいえ、ユータリラ星系のユータリラ星人と初接触時に移民船団の中で「あれゴブリンじゃね!?」という声が上がったのも事実なのだが。
「んじゃ、そういうのに気をつけながら散歩してくるわ」
散歩という名の調査なのだが。気軽に行けばいいか、と歩き出したクロスの背中にリリティエの心配そうな視線が突き刺さる。
「大丈夫? 危なかったらちゃんと逃げるんだよ?」
見た目10代半ばの少女に心配されるクロス。
そういうクロスと言えば20代半ばの黒目黒髪の中肉中背の普通の体格をしているのだが。
大丈夫大丈夫、と手をひらひらと振ってクロスは森の中に一歩踏み出した。
リリティエの家から少しばかり離れると、ナノマシンから「簡易シールドを検出」という報告が上がる。半透明の膜で作られたそれはどうやらリリティエの言うところの「魔物避け」らしい。
人体に無害であることをナノマシンの検査で確認した後、クロスは一歩外に踏み出した。
とはいえ、別段変わったことを感じるわけではない。しばらく歩いたところで土を軽く弄って土質を確かめ、木々の成長具合から大まかな森の年齢を測定し、ナノマシンによる調査を継続する。
......検出。未知の成分。
というナノマシンの報告に若干眉根を寄せたが、
......同成分をリリティエの小屋にて検出していますが、そちらに対して空間内に満ちる量120%の違いがあります。
推定。
有機物によるナノマシンと同等物質であることが確認されました。
「つまり、この惑星由来のナノマシンが存在しているってことか?」
......不明。
ナノマシンとの類似点は見られますが自然発生の為差異あり。
粒子状思考機械群体というよりは粒子状思考通達群体の特性と高エネルギー粒子体の複合産物である可能性が78%。
ふむ、とクロスは顎に手をやって考える。
「つまり、それがリリティエの言うところのマナっていう奴じゃないのか?」
無論、それはリリティエの言葉を借りればということだが。もしくはナノマシンの言葉を借りれば、ということでもある。
彼女が指先に「灯り」を灯すのを何度か目にしており、それについて聞くと「マナを使った簡易魔術だよ?」となんで当たり前のことを聞くの? という顔で返答されて曖昧な顔をして逃げたのを思い出す。
代替え呼称を算出。『フォース』。『魔力』。『不思議パワー』。『魔女娘パワー』。『キラキラ物質X』。etc
「わかったわかった。マナでいいよ」
ますますゲームやらの呼称で統一しようとしてるな、と思いつつナノマシンに『マナ』という単語で登録。
「隊長やキース、ミリアとの粒子通信を試してくれ」
了解、というナノマシンからの返答から待つこと一分。
申し訳ございませんが、電波の届かないところにいるか、電源がはいっていない為繋がりません。
という返答にナノマシンの強制初期化シークエンスを実行しようと命令を飛ばそうとしたところで若干慌てた(?)ような気配の後生体ナノマシンから返答があった。
マナとの相互干渉の為、現状体外におけるナノマシン活動が大きく阻害されています。
その為、以下の機能が使えない事を確認しました。
隊員との粒子通信。
本船への粒子通信。
光学迷彩の使用。
ネットワーク機能を使っての広範囲情報収集。
ナノマシンを使用しての物質精製。
ふむ、とクロスは少し唸ると頭を掻きながらナノマシンとの対話を再開する。
「ナノマシンによるメタマテリアル制御を使用しての光波制御に問題が?」
透過率に問題があります、との答え。「使えない事は無い」ということらしい。
他に調べることはあるだろうか、と考えるも十全にナノマシンが機能しないのでは地道なサンプル採取と実験器具による数値化が必要な為断念し、リリティエの家に戻ることにする。
人体修復作業には問題ありませんが、使用すればその分だけナノマシンを使用するため絶対数が低下します。過度の使用は注意されたし。
帰路についたところでナノマシンから再び報告があがる。
基本的にナノマシンは体内にある簡易プラントにて精製することは可能だが、一番手っ取り早いのは口径摂取か注射による補充が一般的なクロスにとっては回復機能に問題があるのは頭が痛い。
身体を義体化するに当たってナノマシンの使用は必須条件であった環境で育ってきたクロスにとっては、自分の中のナノマシンが目減りしていく一方だという現状はなんだか「日に日に酸素が足りなくなっていく」というような不安を駆り立てるものだった。
リリティエの家に帰ると、リビングに青いローブを着た男が紅茶を片手に本を読んでいた。
リリティエの家に厄介になってから初めての来客である。
訝し気な顔をして玄関に立っていると、リリティエが玄関口のベルの音で気づいたのかキッチンからぱたぱたと慌ててやってくる音がした。
「師匠! クロスさんが帰ってきましたよ!」
「ああ、そうか」
どうやらリリティエの師にあたる人物らしい。なんの師匠だろうか。狩人とか? と猪を嬉しそうに仕留めて帰ってきたリリティエの姿を思い出しながらクロスは首を傾げた。
「初めまして、クロス君。僕はリリティエの師をしていた者で『ブルー』という」
「それが自己紹介なのか? 思いっきり偽名じゃないか。俺の自己紹介はいるか?」
と、クロスが警戒するのも当然のことである。クロス自身は外宇宙から来訪者であるという背景があるし、自己紹介から偽名と思われる色が名前だと言われれば警戒指数は天井知らずに上がりっぱなしになる。そんな師匠の後ろで「ししょ~!」と右往左往している金髪少女リリティエのことなど構わずにブルーと名乗った男はローブのフードを下ろして気まずそうに笑った。端正な顔立ちをしている。名前に合わせているからなのかわからないが、服装は青を基調としたもので髪の色は群青のような色合いの青であり、瞳の色も青だ。目は興味深げな色合いで黒髪黒目のクロスの事を映し、形はまるで悪戯をばらす悪童のように楽し気に細められていた。
「いや、失礼。僕の名前は本当にブルーなんだ。もちろん、君には自己紹介をしてほしいし君のことを教えてほしい。こんな封鎖――というより隔離された封印森林にどうやって迷い込んだのか、ということだったり。今では廃れた古代エルフ語をなぜ一週間で話せるようになったとか、一般的に忌子として蔑まされているハーフエルフに普通に対応している事とか、人間にとって毒だと信じられているサラダに使われたハーブ類を平然と口にしているのか、とか」
そういってブルーは余裕の態度で紅茶を一口啜りながらリリティエとクロスに着席を促した。
苦虫を噛み潰したような表情のクロスに、「師匠! なんでそういきなり言うんですか! クロスさんが気を悪くしたらどうするんですか!」と憤慨しているリリティエ。
「僕は君の後見人だよ。君に近づく悪い虫を調査するのも僕の役目だ。それに――ハーブとか入れたり、変装魔法を使わないで接したりしたのは君じゃないか」
「そうですけど! だって一目見ただけでも怖がりませんでしたし! これはいけるかなー? とか思ったんですよ!」
どうやらリリティエは怒りが収まらないらしく、頭の上から煙を吐き出しそうなほど師匠ブルーに食って掛かっている。まあ、短い期間接してきただけのクロスからしてもそれは「可愛らしい」という表現に当てはまるのと同時に二人の距離の近さを再認識した。
これは、リリティエにも嵌められたかな、と心の中で予防線を張っておく。裏切られたり罠に嵌められたりするのは日常茶飯事な異文化コミュニケーションの調査員である。
対してリリティエからすれば「これは食べられないんだろう?」と聞いてくるクロスに対して「いいえ! 実はおいしく食べられるんですよ!」と自慢げに説明したかったという思いがあっただけの行動である。結果としてクロスは抵抗なくばりばりとサラダを食べてしまっていたわけだが。
「わかったわかった。できる限りで説明するが、俺も全部を説明できない。守秘義務ってやつがあるからな」
と、リリティエから紅茶を受け取ってからクロスが口にすると、ブルーはそこで再び意地の悪いにやりとした笑みを浮かべて言った。
「ああ、そうだろうね。君たちの母船がどこかとかは聞かないよ。ただ、現状の説明ぐらいは僕からしたいな。君たちを招いたのは僕らなんだから」