第六話 パイドラの試練
クロームがカロリーナの元から姿を消して、幾日が過ぎただろうか? その日も雨だった。パイドラはカロリーナについて行っていた。と、言うより、カロリーナについて行ったエルに従うのだった。奴隷と人間以下の二人を連れていると言うだけで、パイドラの世間からの眼は厳しかった。
ただパイドラは施業活動により食料を得る事には成功していた。小麦をこねたパンや、果実、そして水だ。パイドラは経験を積んで、魔術の腕を上げていた。バジュラ仙人から賜った魔術書も以前に比べればかなり読めるようになった。しかし使う機会は殆ど無かったが。
パイドラは、確信のような物を持っていた。バジュラ仙人の言っていた存在は、エルなのではという確信だった。しかし同時に疑惑の念も忘れていなかった。人間以下とされているエルが、果たしてバジュラ仙人の言う所の光なのだろうか、と。
クロームがいなくなった事を、エルから聞いたカロリーナは、クロームが帰って来る事を暫く待っていた。だがクロームは一向に姿を見せなかった。カロリーナはついに痺れを切らしたのだった。クロームが殺されたのではないかと疑っていた。誰かの所有物で無いダラーには人権なんて物は全く無い。運良く新しい主が見付かるまでは、誰に何をされても文句は言えないのだ。カロリーナは最悪の事態をも想像していた。
カロリーナも、主を失くした――と言うより主の元から逃げ去った身だったが、彼女について来たパイドラを主の代わりにして何とかカムフラージュしていた。
カロリーナ達を妨げたのはやはりナイトレイア河だった。ナイトレイアシュリンプの大量発生はカロリーナ一行を妨害した。ただでさえ、「ダラーお断り」だと言うのに、フラニーまで連れているパイドラは、言い訳に困っていた。身分とは隠しても分かる者には分かるらしく、カロリーナは勿論、エルは完全に相手にされなかった。そんな状況下でも、カロリーナは粘っていた。その根性にパイドラは苦笑していた。
「駄目だ、エビがうじゃうじゃいやがる。船は出せない。それに出せたとしても、そちらのフラニーは乗せられないね。後で何て言われるか分かった物じゃない」
「そうですか。ナイトレイアシュリンプに対しては何とか対応出来ると思うのですが……」
パイドラは肩を落とした。
「だとしても、フラニーは乗せられない。あんた、修行者らしいが、物好きにも程が有るぜ? ダラーは仕方が無いとして、フラニーなんて相手にして。それでまともな扱いを受けるなんて思う方が馬鹿げている」
パイドラはカロリーナを一瞥した。カロリーナは仕方なくかぶりを振るのだった。
「もしかして、邪魔になっている、おいら?」
エルが自分を指差して言った。
「仕方が無いさ。別の船頭を当たろう」
この問題は深刻だった。仮に、パイドラがカロリーナに従わず真っ直ぐバジュラ仙人の元へ向かおうとしても、このナイトレイア河が難所になったであろう。エルを荷物に見立てて輸送する手段も考えたのだが、輸送料や税金を払う事は今のパイドラには無理だった。勿論、カロリーナにはもっと無理な話だったが。
パイドラは次の船頭に当たる事にした。これまた気難しそうな男だった。
「すみません、スモールギルに渡りたいのですが……」
「今は駄目ですね、ナイトレイアシュリンプが大量発生していて」
「エビだけが問題ならば私が魔術で何とか出来ると思うのですが」
その船頭は、値踏みするようにパイドラ一行を見た。
「ダラーにフラニーですか。一体どういうご一行で?」
パイドラはやはり駄目かと落胆した。
「ある人物を追っているのです。どうかお願い出来ませんか?」
船頭はうーんと唸った。
「……でしたら、こちらも注文が有るのですが」
「注文?」
パイドラは怪訝な顔をした。一体どんな注文なのか、無理難題を吹っ掛けられないか、それが心配だった。
「……言ってみて下さい」
パイドラは後方に控えていたカロリーナとエルを一瞥した。まさか、彼等の命と引き換えになんて言われないだろうか? そんな事を言われた際は、エルだけは死守せねばならないとパイドラは身構えた。
しかしその船頭の注文は、パイドラが恐れる程の物では無かった。
「いやですね、ナイトレイアシュリンプが折角大量に現れているので、今の内に食用に捕獲したいのですが、相手は魔物、簡単に捕まる相手では無いのです。そこで、修行者さん、魔術が使えるのですよね? ナイトレイアシュリンプを捕まえる手伝いをして貰いたいのです」
「え? そんな事で良いのですか?」
パイドラは拍子抜けした。そんな事朝飯前だった。
「でも、ダラーにフラニーもいるんですよ?」
念には念を。パイドラは確認した。
「ええ、構いませんよ。だって僕は、船頭ですから」
「宜しくお願いします」
パイドラは頭を下げた。それを見て、カロリーナとエルも倣った。
「では、船に乗り込んで下さい」
「はい。ほら、二人共乗り込んで下さい」
パイドラはカロリーナとエルを促した。
「お願いします」
カロリーナが頭を下げた。
船頭は、三人を大きな帆船に乗り込ませた。そのまますぐに船は発進した。
「どうすれば良いですか?」
パイドラは船頭に聞いた。
「殺す事は無いです、弱らせてくれたらこちらで捕獲します」
「分かりました」
パイドラは、河を飛び跳ねるナイトレイアシュリンプを睨んだ。
「φιγαλον」
パイドラが唱えると、ナイトレイアシュリンプの動きが遅くなった。
「ζοθηλεγω」
続け様に呪文を唱える。紫色の霧が、次々とナイトレイアシュリンプを包み込む。そのナイトレイアシュリンプは、一旦水中に消えると、意識を失って浮かび上がった。それを船頭が次々と網を投げて捕獲していた。
船体に衝撃が走った。ナイトレイアシュリンプの量は、パイドラが想像していたよりも遥かに多かった。しかし、今のパイドラならば切り抜けられる。パイドラはそう信じていた。
「καλωσιμε」
稲妻が水中に突き刺さる。グロッキーに成ったナイトレイアシュリンプがやはり浮かび上がった。
船頭はそれをも捕まえていた。河の中腹まで来た所で、船の上は体長一メートル程のエビで埋め尽くされた。
「こんな物で良いです。向こう岸までお願いします」
船頭が叫んだ。
「向こう岸……」
パイドラは、遠く離れた陸地を見た。ナイトレイア河は上流だというのに、幅広かった。パイドラは集中した。
再び船体に衝撃が走る。ナイトレイアシュリンプの大群が体当たりして来たのだ。
「やったな。συγγοφι」
魔法の盾が、ナイトレイアシュリンプと船の間に現れた。だがそれでも防ぎきれる量では無かった。
「攻撃に転じないと駄目か……!! πατεπαρητα!!」
岩槍が、水中から天に向かって突き出した。ナイトレイアシュリンプ達の流れが、船から遠ざかる。その一匹が、甲板に乗り込んだ。
「危ない!!」
甲板に乗り上げたその個体は、奥で隠れているカロリーナとエルの方へ向かった。
パイドラは、腰に装備してあったディアフィトレウスを掴んだ。青白い魔力の刃が唸りをあげて現れた。振りかざした次の瞬間、ナイトレイアシュリンプは真っ二つに成っていた。
「大丈夫ですか!?」
パイドラはカロリーナに呼びかけた。
「ええ、私は……」
「おいらも大丈夫だよ」
パイドラは笑顔をを向けた。
「良かった、もう少し隠れていて下さい」
パイドラは再度船首に向かった。ディアフィトレウスを再度腰に装着するのだった。
「πατεπαρητα μαονα!!」
先程よりも巨大な岩槍がナイトレイアシュリンプの群れを直撃した。ナイトレイアシュリンプ達は、次々と力尽きて水上に亡骸を晒していた。それを見て、船頭が「勿体無い」と呟くのがパイドラに聞こえた。
「もっとスピードを上げられませんか!?」
「やってみます」
パイドラは防御呪文をピンポイントに用いて、ナイトレイアシュリンプの攻撃を防いでいた。だが船体が大きく全てをカバーしきれなかった。そこで、防御呪文を掻い潜って来た敵を攻撃呪文で応戦していた。
パイドラが疲労の色を表し始めた頃、漸く船はスモールギル側に辿り着いた。
彼等が通った後には、ナイトレイアシュリンプの死体が浮かんでいた。船には甲板に溢れる程大量のナイトレイアシュリンプが積まれていた。船頭はそれを一体一体順番に神経の塊を突いて動けなくしていた。
「有難うございます修行者さん。お陰様で大量です」
パイドラは額の汗を拭うと溜め息を吐いた。
「こちらこそ有難うございます。無事スモールギルに辿り着けました。貴方のお陰です。それに――」
パイドラは船体を一瞥した。船の上流側はだいぶダメージを受けていた。
「――船体に傷を付けてしまいました。私の力不足が原因です」
「そんな事は無いです。これだけ取れれば、船の傷なんか、直してもお釣りが出るくらいです。ただ……」
船頭は船の奥から恐る恐る顔を覗かせているカロリーナとエルを眼で指した。
「彼等を連れて行くのはこの先も苦労なされると思います。一体どんな用事が有ってスモールギルにやって来たかは聞きませんが、あまり賢い旅とは思えません。老婆心ながら言わせて頂くと、せめてどちらか片方だけにした方が、食料や水の確保にも役立つと思います」
雨が更に強まって来た。雲が厚く空を覆う。
パイドラは船頭に顔を見た。気難しそうに見えたが、意外とパイドラを思いやってくれているようだ。
「有難うございます。私も本音を言えば、片方だけにしたいのですが、そう上手く行かないのが現実です。ひとまずは、この旅を何とか終わらせたいですね」
船頭はそれを聞くと、首を傾げた。“そこまで言うならば止めません”といった所か?
「分かりました。貴方がたに、神の息吹の有る事を」
パイドラはカロリーナとエルを連れて、船頭に頭を下げると、内陸に向かい進み始めた。
パイドラ達はフェリペの町に入っていた。フェリペは雨の中、静まり返っていた。コロッセウムが見えた。
「パイドラさん、どうするつもりなの?」
エルが不安気に聞いて来た。パイドラはカロリーナを見た。カロリーナに何か計画が有るのかと思えなかったが、パイドラは“何か”を求めていた。カロリーナは、辺りをきょろきょろと見ていたが、肩を落とした。それはパイドラだって同じだった。
天気が悪い為、良く空が分からないが、もう黄昏時のはずだ。そろそろ限界だろう。
「とにかく、眠る場所を探しましょう。じき夜が来ます」
パイドラは、魔術書を袖に入れると、お椀を二つ取り出した。
「さあ、取り敢えずは食料を確保せねばなりません。手分けして仕入れて来ましょう」
そう言うと、欠けたお椀をカロリーナに渡した。
「エル君には、少し隠れていて貰いましょうか」
「え? でもパイドラさん、おいらも手伝うよ」
エルは腕をぶんぶんと振り回すと、武者震いをしてみせた。
だがパイドラは、そんなエルを制した。
「駄目です、エル君は隠れていて下さい」
「どうしてさ? おいらだけお荷物は嫌だよ。やらせてくれよ!!」
パイドラは憐れむようにエルを見た。
「良いですか? 貴方はフラニーなのです。人として扱われません。それは自覚していますね?」
「う……。でも……」
「それに――」
パイドラはエルの機先を制した。
「――この町は軍隊の匂いがします」
「え?」
エルは、周りを見やった。どこか今までと違いは見られなかった。
しかしパイドラの眼には油断ならない物が有った。
「私も……」
今度はカロリーナだった。
「この町は少し怖いです。エル、待っていなさい。私達が何か食べる物を貰って来るわ」
「良いですかエル君。君は下手をすれば殺されてしまうのです。セルゲイ近くで起きた悲惨な出来事を思い出して下さい。軍人が、君達の事を虫けら同然だと思っている事を忘れては成りません。この町は危険です。マジャバ国に攻め入りたくとも、ナイトレイアシュリンプの大量発生が影響して大型船が出せないのでしょう、ここに兵達が溜まり込んでいます。その捌け口にされてはいけません。今、エル君を失うのは、本意では有りません。どこか安全な町外れにでもいて下さい」
「あのさ、パイドラさんは何でおいら達に構うんだい?」
「それは、今は言えません。エル君の周りの諸問題が片付いたら、お話しします」
「そうなの? まぁおいら達は助かっているから良いんだけどね。分かった。危険の無い所にいるね。」
「そうして下さい。ではカロリーナさん、向かいましょう」
パイドラはカロリーナを促した。カロリーナはエルに微笑むと、お椀を持って、町の方へ向かった。
「私は、あちらの奴隷屋敷の所へ向かいます」
パイドラは了解した。
「分かりました。では、私は、あのコロッセウム周りの住宅街を周りましょう」
パイドラはカロリーナと別れた。
エルはフェリペの西、フラニーの同志達が住まうスラム街へと落ち着いていた。
「あのナイトレイアを越えて来たのか?」
齢七十は超えたであろう、腰の曲がった老人が聞いて来た。
「そうだよ。マジャバ国から河を越えてね」
「そうか、何かもてなしたい所だが生憎食材を切らしていてね」
若い男が申し訳無さそうに述べた。
「食料無いの? それで大丈夫なのか?」
エルは一人一人の顔を見た。確かに皆、とても血色が良いとは言えない。眼はどこか虚ろで、良く見ればあばらが浮き上がっている。
「大丈夫よ、水は有るから」
「そんな問題じゃ無いよ!! 付いて来て、食料を確保するよ」
エルは何人かに声をかけ、スラム街を後にするのだった。
エル達は、町外れの森に出ていた。
「良い? 何が有っても逃げちゃ駄目だからね。ここで待っていて」
エルはそう述べると森へ消えた。
エルに従ったフラニー達は眼をきょろきょろさせていた。
森の奥から、何かの音がした。
フラニー達が一斉にそちらを見ると、一匹のレッサーリザードが現れた。
「嘘でしょ? 魔物!?」
不測の事態に、フラニー達は驚きを隠せなかった次には身の危険を感じた。
「食い殺されるぞ……!!」
一人の若者が叫んだ。
「待って!!」
その時だった。森の奥、レッサーリザードの横にエルがくっついていた。
「一体どうなっているんだ?」
先程の若者が問う。
「おいら、魔物と友達なんだ」
エルは屈託の無い笑顔を浮かべると真実を話した。
「魔物と友達?」
少女が恐る恐る聞いた。そうしている間にレッサーリザードは彼等の目の前に迫った。体高二メートル程度の魔物だった。確かにレッサーリザードからは殺気が感じられなかった。
「ほら、皆感心していないで。モイスチャーファームを襲うよ」
エルはフラニー達とレッサーリザードの先頭に立つと、フェリペの南の方へ向かうのだった。
パイドラは、コロッセウムの近辺で、施業活動を行った。傷の有る者を癒し、薬を分け与える。一軒一軒家々を回った。その結果、パン、米、煮魚、かぼちゃの炊いたの、キュウリを手に入れていた。パイドラはお椀に入りきらなくなったそれ等を、袋に入れると、エルの元へ行く事にした。フラニーである彼の行き場所は限られていた。路地裏等の暗い場所か、同じ仲間達のいる場所だ。パイドラは迷わず後者を選んだ。エルの一番安全な隠れ場所は、同じく差別を受けている仲間の所だった。
途中パイドラは奴隷屋敷の周りに向かった。カロリーナと合流する為だ。カロリーナはすぐに見つかった。手には僅かばかりの布に包まれた串焼きが乗せられたいた。
「あ、パイドラさん」
カロリーナがパイドラに気が付き、寄って来る。
「カロリーナさん、どうですか、首尾の方は?」
パイドラが問う。
「駄目でした。それはそうですよね、私、パイドラさんみたいに魔術が使えるわけでは無いですから。ただ肉売りの子からこの串焼きを頂戴しました。有難い事ですね」
カロリーナは欠けたお椀に入っている布に包まれた串焼きを指して述べた。
「収穫がゼロで無かったのが良かったです。危険な眼にはあっていませんね?」
「私は大丈夫でした。しかしエルはどうか分かりません。彼の居場所は分かりますか?」
パイドラは魔術書を開いた。追跡呪文を探していた。
「すぐに突き止められます。大丈夫です」
パイドラはそう言うと、目的の呪文を見付けた。
「πραπειρα」
魔術書の文字が輝きエルの足取りが脳裏に浮かぶ。エルは今……。
「彼は今、町の南側から西の方へ向かっています。そこで待ってみましょう」
パイドラはそう言うと、魔術書を袖に入れて、足早にそこを後にした。カロリーナもそれに続くのだった。
エルは、レッサーリザードをそのモイスチャーファームに差し向けていた。何事かと家の外に出たモイスチャーファーマーはいきなり現れた魔物に驚いた。
「レッサーリザード!? 何でこんな所に……!?」
レッサーリザードは、角を突き立てると、モイスチャーファームのサイロを破壊した。破壊された所から、水が溢れ出た。同時に果物や野菜も見えた。
「くそ、取られる。ダラーに何とかさせろ!!」
農夫が現れて喚き散らした。
「はい、ただいま」
槍を持った奴隷達が現れた。しかしその相手は、レッサーリザードでは無かった。フラニーの集団が顔を隠して手に棍棒や刀を持ち、奴隷達を蹴散らした。奴隷兵は囲まれるように攻撃を受けて、次の瞬間には皆横たわっていた。
そして山程の水と食べ物を担ぐと、一気にその場を後にした。レッサーリザードが最後まで残り、建物を破壊していく。
「悪く思わないでくれよ」
呆然とした状態の農夫は、置き去りにされる事となった。
パイドラは、魔術の指し示す先に向かって行った。
「エル君は動いているようです」
パイドラはカロリーナに語った。
「一つの場所に安定するよりも危険が少なくて良いのではないですか?」
カロリーナが焼いた肉を抱えてパイドラに尋ねた。
「何かに追われている様子では無いみたいです。先回りしましょう」
パイドラはフェリペの町の周りを歩くエルの進行先に向かった。雨ばかりが強く成っていった。
町の西側から出ると、人ごみがてんやわんやの大騒ぎだった。一体何が起こったと言うのか?
「エル!!」
カロリーナがその姿を見付けて叫んだ。この集団はフラニーだった。そのフラニー達の中心にはエルがいた。エルははしゃぎながら、果物を振り回していた。
まさか……。
パイドラはエルの方へ駆け寄った。
「エル君!!」
エルはパイドラに気が付いた。群の中心を抜け、彼の方に近付いて来た。
「パイドラさん、食料と水を確保したよ」
「エル君、それはどうやって手に入れたのですか……?」
パイドラは静かに聞いた。
「ちょっとね。大丈夫、誰も殺していないよ」
「そう言う問題では無くて」
その時パイドラは、蹄の音が近付いて来るのを聞いた。
「いたぞ、あのフラニー共だ!!」
スモールギル軍の警察組織だった。
「相手はフラニーだ、皆殺しにしろ!!」
その瞬間、エル達は地獄を見た。矢が大量に放たれると、次々とフラニー達を貫いていった。フラニー達はどんどん倒れていき、食料や水が地面に撒き散らかされた。
「止めろ、殺す事は無いじゃないか!!」
エルが叫ぶ。
「貴様も殺してやる」
警察組織の男が、エルに向かって剣を振りかざした。
「危ない!! σιγγοφι!!」
パイドラが叫ぶと、魔法の盾が、エルの前に現れた。警察組織の男は、剣を弾かれ、その反動で大きく後ろに仰け反った。
「貴様、何故邪魔をする!?」
男はパイドラに剣を向けた。
「その少年を殺してしまうのは駄目です」
パイドラはあくまでも冷静に語った。しかしその男には逆効果だった。
「皆、あの修行者を片付けるぞ」
「殺すのですか?」
「殺すと厄介だ。痛めつけてやれ」
警察組織の男達は、馬に乗ったまま、パイドラを囲った。
パイドラは身構える。しかし彼は迷っていた。人間相手にテイウーロゴスを使うのは矢張り抵抗が有ったからだ。ディアフィトレウスなんかもっての外だった。
一人の男が、馬を突進させて、横からパイドラを蹴飛ばした。パイドラは地面に倒れ伏す。そこを馬が後ろ足で蹴る。パイドラは地面を転がった。ローブと着物が泥だらけに成った。
「パイドラさん!!」
カロリーナが悲鳴を上げる。
「この修行者、ダラーまで持っているよ。何様なんだか」
男が一人、馬から降りると、パイドラを投げ飛ばした。パイドラは呻き声を上げて、動かなくなった。
「さあ、残りはお前達だ」
警察組織の男は、フラニーの生き残り――エルも含め、殺しにかかろうとした。
弓矢が再び雨霰と降り注がれる。多くのフラニー達が、その攻撃にどんどんと倒れていく。エルも肩を射抜かれていた。
「止めて下さい!!」
カロリーナが止めに入ろうとした。
「ダラーだと言うのにフラニーの味方をする者がいるとはな。人間以下の為にここで命を落とすのか?」
カロリーナは言われて躊躇した。クロームに会う前に死んでしまって良いのだろうか?
「クロームのおっかさん、おいらに構ったら駄目だ」
エルが叫んだ。肩からは真っ赤な鮮血が滴っていた。
「良い度胸だ、小僧。だが死んで貰う」
男が剣を掲げた。エルが眼を瞑る。
「σιγγοφι」
魔法の鉄壁がエルを守った。
「また貴様か、修行者!!」
男が頭に血管を浮き上がらせながら吠えた。
だがパイドラは次のアクションをした。
「これでどうだ、φαιριγεν」
パイドラは喘ぎ喘ぎ魔術書を開いて唱えていた。ショックが男を襲うと同時に、男は白目を剥いて馬から落ち地面に倒れた。
他の警察組織の男達が息を飲み、カロリーナが悲鳴を上げた。
「大丈夫です、気絶しているだけです」
パイドラはゆっくりと立ち上がった。青痣が出来ていた。
「あの野郎、殺せ!!」
他の警察組織の人間が、一斉に攻撃を仕掛けて来た。
パイドラは守備呪文でそれを防いだ。
一人が突貫して来た。その男は剣では無くランスを持っていた。馬に乗ったまま、突っ込んで来る。
最初の一撃は、守備呪文で防いだ。
しかしその攻撃で、魔法の盾が、ひび割れていた。
男は回頭すると、再度突進して来た。魔法が間に合わない……。
パイドラは腰に手をやると、ディアフィトレウスを引き抜いた。ぶうんと唸って、青白い光の刃が現れた。パイドラは、それを相手のランスに叩き付けた。ピュシスの塊が、莫大なエネルギーとなり、ランスを切り落とした。
この攻撃には、その男だけでは無く、他の軍人達の戦意も削いだかに見えた。しかしそれは一瞬の出来事だった。
「くそ、あいつ武器を持ってやがる。囲むぞ!!」
軍の警察組織の人間は、パイドラを包囲した。
「良して下さい。私は誰も傷付けたく無いのです」
パイドラは必死に叫んだ。
「そんな必要は無い。フラニー共々お前を殺す」
男達は一気にパイドラに向かって突撃した。
パイドラは痛む身体を引き摺って、ディアフィトレウスを振り回した。
風切り音がして、一人の剣が叩き折られ、フルーレも真っ二つにされた。だが、一回に対処出来るのはその程度だった。
パイドラは蹴られ、体当たりされ、ズタボロに成っていた。
「次で最後だ」
再度男達が突進して来た。
「やむを得ない」
パイドラは、ディアフィトレウスを大きく振った。その攻撃が一人の男の右腕を切り落とした。
「ぎゃああああああああああ!!」
男が悲鳴を上げて、馬から転げ落ちた。
そうして初めて、パイドラを攻める男達は戦意を削がれた。
「あんな武器反則じゃないか」
右腕を失い、痛みに転げまわる男を支えながら、一人の男が叫んだ。
「ディアフィトレウスだな。くそ、厄介な物を持っているんだ。伊達に修行者では無いと言うわけか」
その男は馬から降りると、最初に気を失った首領格の男を担いだ。
「元々はこいつ等が悪いんだ。レッサーリザードの攻撃に便乗して、モイスチャーファームから食料と水を奪ったから。自分達の身分をわきまえない愚か者ではないか」
パイドラは言われて納得した。エルの能力だ。それに周りのフラニー達が同乗したのだろう。それを警察組織に告げたのだろう。だから彼等が動いたのだ。そして、そんな愚かな行為をするフラニーには死しか有りえないのだ。それがこのレグ大陸のしきたりだ。
パイドラは、カロリーナに抱かれているエルを見た。そしてボロボロの自分の姿を見た。
秩序に反しているのはパイドラの方だった。
やられてしまうのが、普通なのだ。
「話は分かっただろう? さぁ、ここを去るんだ。俺達は、このフラニー達を罰せねばならない」
パイドラは再びエルを見た、エルの眼には憎悪の色が見えた。
「パイドラさん。皆を見捨てるの?」
エルが呟いた。
「……すみませんが、今回の件は手を退いて貰えないでしょうか?」
「何?」
「ですから、私に免じてこの場は治めて頂きたいのです」
「修行者よ、本気で言っているのか?」
「ええ」
パイドラは一歩前に出て、ディアフィトレウスを構えた。青い刃が現れた。これは脅迫だった。
「く……。分かった、ここは退こう。しかし忠告して置く。そんな事をしてはこの先酷い目に遭うぞ。力だけで押し切っている内は、必ずどこかで齟齬が出る。その事は分かっているな」
「百も承知です」
パイドラは痛む身体に鞭を打って、二本の足で立っていた。
「分かった、貴様の覚悟には勝てまい。残ったフラニー達は免除してやろう」
「有難うございます」
パイドラがディアフィトレウスを収めると、スモールギル軍の警察組織の人間達もその場から去るのだった。
「エル君、大丈夫ですか?」
パイドラは身体の節々を庇いながら、エルの肩に刺さった矢を抜き、治癒呪文をかけた。
「おいらとした事が、へましちゃったみたいだね」
パイドラは溜め息を吐いた。
「エル君、隠れていろと言ったではないですか」
「そうは言っても、おいらもパイドラさん達みたく役に立ちたかったんだ」
「それが今回のような悲劇を呼んだのですよ」
パイドラは冷たく刺すように言葉を選んだ。
「必要の無い犠牲を出した事は、例えフラニーの命であっても気持ちの良い物では無いです、良いですか? 君の同士が死んだのですよ」
エルはカロリーナの腕の中から、倒れているフラニー達を見た。
「パイドラさん、治してあげられないの?」
エルが懇願した。
「分かりました、私に出来る限りの事をしましょう」
パイドラは、全身の痛みを我慢しながら、死体と、怪我をしているフラニー達の元に向かうのだった。