第五話 クロームの野望
それはバトモンエストゥ城からジャテナーイ国に使節団が送られる前日にまでさかのぼる。バトモンエストゥより南下しナイトレイア河を渡った先、スモールギルの前線基地フェリペへクロームは立っていた。眼の前には、レッサーリザードがいた。クロームは、手に巨大なランスと盾を持ち、コロッセウムのような円状の格闘場でたった三人の観客の為に戦っていた。一人は今回のスモールギル軍を率いた将軍。もう一人は奴隷の親頭。そして最後に身体の半身を失ったブランジ・シェマだった。
レッサーリザードが跳躍した。クロームはすかさず、その攻撃を華麗なステップで避ける。レッサーリザードは勢い余って前のめりにつんのめった。その脇腹に、クロームは鉄のランスを突き出した。ランスはレッサーリザードの皮を容易く突き破り、肉に食らい付いた。脇腹を刺されたレッサーリザードが悲鳴を上げる。だがレッサーリザードは、ランスを掴むと自ら引き抜いた。そしてそのままランスを払い除けた。レッサーリザードは唱える。
「δοιαγνα」
火の玉がレッサーリザードを取り囲むように多数出現し、一気にクロームの方に飛んで来た。クロームはすかさず盾に身を隠した。火の玉は、盾を焦がしたが、それ以上のダメージは与えなかった。
クロームとレッサーリザードの戦いを見つめながら、将軍が重々しく口を開いた。
「彼には素質が有るな」
「将軍もそうお考えですか?」
奴隷頭が応じた。
「ああ、彼には並みの戦士を超える“動機”が有るのではないか? なぁ、ブランジ少将」
ブランジは右肩の傷をマントで隠すとクロームを凝視した。とても良い動きをしているのは確かだった。クロームは、突いては下がり、突いては下がりとし、見事なヒット&アウェイを見せていた。
「ブランジ少将の新しい奴隷として足軽に起用すれば良いではないか」
再び将軍に水を向けられたブランジは、鼻息を荒げると、自分の無くなった右足をさすった。勿論そこには何もないのだが。
あの日、彼を運んでくれた青年クローム・スランバを引き留めたブランジは、その後の大治療のおかげで何とか命を取り留める事が出来た。しかし、失われた身体のパーツを作る事は、例えテイウーロゴスを用いたとしても可能な事では無かった。そこで彼は、自分の果たせなかった事を、クロームにやらせようと考えた。ブランジの考えでは、クロームを奴隷軍の要職に就けるつもりだった。
また、自分の命を救ってくれたその行為にも感謝していた。詳しい事は聞かなかったが、どこか特定の自分より上層階級の人間に仕えているわけでは無さそうだった。そこで、感謝の意を込めて奴隷としては
最高級の扱いを与える事にした。普段決してこんな高く払わないだろう給料も与えるつもりだった。
ブランジを助けた事への報奨金を手に入れたクロームはそれをすかさず郵便に現金書留で送っていた。誰か待っている人間がいる証拠だった。
ブランジ達はフェリペでマジャバ国に再度攻め入る機会を伺っていた。まだ彼等はマジャバ国攻略を諦めたわけでは無いのだった。しかしナイトレイアシュリンプが突如大量発生し、兵士達を運ぶ大型船が動かせなくなっていた。これも大きなダメージだった。食用に成るとは言え、ナイトレイアシュリンプも魔物である事に変わりは無い。だから油断は出来ないのだ。
クロームの方に再び意識を戻したブランジは、彼の身のこなし方に舌を巻いていた。突いては下がりを繰り返したクロームはとうとう弱らせたレッサーリザードの背後に回り込むとトドメの一撃をお見舞いした。レッサーリザードは腹から胸にかけてランスを貫通させて、大量の出血と共に地面に倒れた。クロームが勝ったのだった。
「見事だ」
将軍が立ち上がると拍手を浴びせた。
クロームはレッサーリザードの死骸からランスを抜くと、三人の観客に向かって頭を下げた。
「もっと戦う姿を見てみたいですね」
奴隷頭が述べた。ブランジも頷いた。
「次の魔物を出す。クローム、行けるな?」
クロームは緩やかな笑みを浮かべた。
「よし、ヘルマンモスを出す」
コロッセウムの東側の扉が開き、巨大な象の魔物が姿を見せた。それは、クロームの姿を見つけるや否や、突進して来た。クロームは重たいランスを引き摺るようにして、横へ跳んだ。間一髪の所で回避に成功した。ヘルマンモスは、奥の方まで走ると急停止し、回頭した。この敵を仕留めるのにはどうすれば良いか、クロームは必死に考えた。
「彼ならば何かやってくれると思います。眼が違いますから」
奴隷頭が眼をクロームに向けたまま話した。
再び席に着いた将軍も満足そうにその戦いを見ていた。このままやられるようならばそれまでだ。だが
このクロームと言う青年は観客を楽しませる術を知っているかのようだった。
クロームは、ヘルマンモスの突進を何度もかわし、そしてそのままチャンスを待っていた。何とかして足を狙えないかと試してみた。しかしヘルマンモスのスタミナとスピードを考えれば、このままずっと逃げ続ける分不利に成る。起死回生の一撃を今クロームは試みようとした。
クロームはヘルマンモスの走行線上に仁王立ちをすると、ランスを投げた。ランスは弓なりに飛び、そのままヘルマンモスの右前足に突き刺さった。
ヘルマンモスが悲鳴を上げて倒れる。
クロームは一気に駆け寄ると、暴れるヘルマンモスの右足からランスを抜くと、眉間の角に目掛けて突き刺した。大量に流血し、その血飛沫がクロームにも降りかかる。その一撃は確実にヘルマンモスの急所を突いていた。ヘルマンモスの瞳が、ゆっくりと閉じた。
「それまでだ。クローム・スランバ、良く戦った。血を洗い流したらこちらへ来い」
奴隷頭が言うと、クロームは、ヘルマンモスからランスを引き抜いた。
クロームは、コロッセウム東側において水浴びをしていた。そして身に着けた防具を取り払うと、巻きスカートをはいた。
ブランジと出会ってからまだ二日しか経っていない。ブランジは命の恩人としてクロームを扱ってくれた。クロームはそこで奴隷戦士としての訓練を受ける事となった。それはクロームが望んでの事だった。幸いに、ブランジの容体は落ち着き、クロームは彼の専属奴隷戦士として働ける事に成った。クロームはそれで満足していた。母の死を見るよりも、自分に死が訪れる方が彼にとっては良い事だった。勿論、そんなのこのこ死ぬような真似はしないつもりだったが。とにかく母を“買える”だけの金が手に入れば良かった。その為ならば、彼は命も張れた。
貸し出されていたランスと盾を立て掛けておいて、クロームは観客席の方へ向かった。
「見事だった」
ブランジが左手に持ったタオルを渡した。
「有難うございます」
クロームは礼を言った。
奴隷頭が舐めるようにクロームの出で立ちを見た。とても戦が上手い人間には見え無かった。
ただ、そうは言いながらも、クロームは逃げ惑うスモールギル兵を何人か切り殺したのも事実だ。全くの戦下手では無いのだった。
「クロームよ、元々のそなたの仕事は何だったのだ?」
奴隷頭を押しのけて、将軍が前に出た。
「はい、僕は元々モイスチャーファーマーをしていました」
「水売りか?」
奴隷頭が問いを投げた。
「はい、水売り専門です」
「大量の水を売り捌いている内に筋肉が鍛えられたのだろう。こういうケースは珍しい事では有りません」
奴隷頭が将軍とブランジに説明する。
「成る程、鍛え方が違うのだな。確かに、あの重いランスを投げつけたのだ、並みの体力では無いな」
将軍はゆっくりと頷いた。
そう、クロームの身体は鍛えられていた。日頃の彼の労働が、彼に力を与えていたのだ。それは何とも皮肉な話だった。クロームは幼い内からモイスチャーファームで水を作り、そして売りに外へ出ていた。樽になみなみ水を入れて、棒の両側にぶら下げて、それを肩から吊るして売り捌く内に、腹筋や背筋等が自然と身に着いたのだった。
しかもクロームは戦のセンスを身に付けていた。それが一体いつ習得された物か分からなかったが、敵を眼で追い、その攻撃を見切り、そして受け流す事を平気でやってのけた。
それはもはや、才能と呼ばれる域に達していた。
「良い身体つきをしておる。ブランジよ、良い奴隷を持ったな」
将軍が、座り込んだまま立てないブランジの方を向いた。
「将軍、ブランジは嬉しゅうございます。しかしこれは失敗に他なりません。私は部隊を壊滅させました。偵察部隊の任務を果たしておりません。バトモンエストゥがどのような状態なのか全く分からないのです。これは私の責任です」
ブランジは悔しげに涙を見せた。
しかしそんなブランジに将軍は優しく答えた。
「いやブランジよ、私はそう言うお前に何も責める言葉を吐けないのだ。ブランジは九死に一生を得て帰って来た。それだけで意味が有る。もうお前は戦えないだろう。しかし同時にお前の手足と成って働く存在を手にしたではないか。それは本当に貴重な事なのだ」
奴隷頭が続いて発言する。
「奴隷の兵士達は皆今回の任務失敗で動揺しています。彼等には愛国心が足りません。クロームは一体どうなのか?」
「僕は……」
クロームが意を決したように述べた。
「僕は母の為に忠誠を誓います。母は、僕を唯一愛してくれました。その母を、“買う”為にお金が必要なのです。だから、今は母の為、この国に忠誠を誓います」
「金だと?」
奴隷頭が眉をひくつかせた。
「奴隷の分際で金を要求する等と、何と罰当たりな!!」
奴隷頭は憤慨していた。
しかし将軍は呵々と声を上げ、笑った。
「面白いじゃないか。ブランジよ、お前が給料を払うのだな?」
「勿論です。この青年には命を救って貰いました。私はクロームを金で雇います」
クロームはその発言を聞き逃さなかった。ブランジの言葉には嘘や偽りは無いのだろう。だからクロームは信頼していた。そしてお金を溜めて、いつか母を買って二人で一緒に住むんだ。
ふと、クロームの顔に水がぶつかった。上を見上げると灰色の雲で覆われていた。やがて大粒の雨雲がザーッと言う音と共に降って来た。クロームは自力では動けないブランジに肩を貸すとコロッセウムの屋根がついている所に避難した。雨は本降りに成り、そのままスコールへ変わった。
「弱りましたね、この雨」
ブランジが床に座り込む。
「僕、傘を取ってきます」
「私もそうしよう」
クロームと奴隷頭が大雨の中走って行った。
「ブランジよ」
「はっ、何でございましょう?」
「奴隷は所詮奴隷なのだ。あまり可愛がるのは構わないが気を付けるのだぞ」
「しかしクロームは、自分が奴隷で有る事を忘れてはいません。現にこうして嫌な仕事もやってくれています」
「無論だ、しかし“今は”で有る事を忘れるな。いつ付け上がって来るか分からないぞ」
ブランジは少し悲しい気分になった。自分の眼に狂いは無いと信じたかった。
「将軍は、クロームをどうなさるおつもりですか?」
今度はブランジから話しかけた。
「あの青年は素質が有る。鍛えればきっと屈強な戦士に生まれ変わるだろう。だが奴隷は奴隷だ、身の周りの手伝いをさせるのが奴隷に課せられた最も基本的なルールだ。奴隷戦士と言えども、戦に出ない日は格闘場にいるか、自身の主人の命令に従うのが原則だ。彼に才能が有るからと言った所で所詮は奴隷なんだよ」
ブランジは首を捻った。
「仰れる意味が良く理解出来ません」
「要するに、奴隷には奴隷なりの身の丈に合った生活をさせるべきだと言うんだよ。このままクロームが大人しく言う事を聞いている内に彼を躾けた方が良くないかね?」
将軍はそう述べると、天に折り重なる雲を眺めた。
クロームは傘を片手にコロッセウムまで駆けた。もう一本の傘は奴隷頭が持っていた。ダラーである彼等は、傘を使う権限は無かったので自分達の分の傘は用意されていなかった。
「クローム・スランバ」
突然声をかけられてクロームは思わず立ち止まる。
「いや、走りながらで結構だ。お前はダラーとしての自覚に欠けているのではないか?」
言われた通り、クロームは足を速めた。
「どういう意味ですか?」
クロームは無表情だった。
「つまりだ、ダラーの分際で大金を貰うわけだろう? そこは辞退するべきではないのか?」
クロームは、ふっと鼻で笑った。
「それは僕では無くてブランジ少将を責めるべき問題ではないのですか?」
「どういう意味だ?」
クロームは雨水が眼に入るのを気にしながら答えた。
「僕のような存在をブランジ少将は命の恩人だと仰られている。そこを、「そんなのダラーの当たり前の行為だ」と言ってしまえば良いのです」
奴隷頭は怯んだ。しかしクロームは止まらない。
「本来咎められるべき人間には文句を言わず、その下の弱い人間に文句を言う。これはただの弱い者苛めですよ」
「小僧!!」
奴隷頭は怒りに任せてクロームに飛び付こうとした。しかし足元のぬかるみにすくわれて叶わなかった。
「まあまあ、同じダラー同士で喧嘩しても何も始まりません」
「同じダラー同士だと? お前はモイスチャーファーマー、俺はこの地域の奴隷頭、身分が違うんだよ」
勝ち誇ったように語る奴隷頭に、クロームは舌打ちをした。
「弱い犬ほど良く吠えるって奴ですね」
クロームはそう述べると、スピードを上げて奴隷頭を振り切った。
翌日。
ブランジの豪邸の横に建てられた小屋の中でクロームは目覚めた。周りには、ブランジの豪邸で働いている多数のダラーが寝ていた。自分で歩く事もままならないブランジを支える為に何人か、ダラーが加わった上に、クロームまで入って、小屋はいっぱいいっぱいだった。
クロームは起き上がると、寝ている仲間達を起こさないように、外へ出た。ブランジは今日、義手と義足を着ける手術に向かう予定だった。
と、クロームはポストに手紙が入っているのを見た。
自分に宛てられた物だった。差出人はブランジだ。こんな近い距離だと言うのに、直接渡さない所に身分の壁を感じた。
「西の森で暴れるコアトルを退治して来て貰いたい。それが上手く行けば、もっと給与をはずもう。武器は武器庫から持っていくと良い。戦車の使用も許可する」
クロームは母に感謝した。彼女のお陰で彼は文字を読み書き出来るのだった。
クロームはランスと盾を背中に背負うと、甲冑に身を包み、戦車に乗り込んでフェリペを後にした。西の森はすぐ近くに有った。戦車を飛ばして二十分程度進んだ所、鬱蒼とした草木に覆われたジャングル地帯が広がっていた。今日もレグ大陸は雨だった。視界を邪魔する雨は、クロームにとって邪魔以外の何ものでも無かった。
クロームは森の手前に戦車を置くと、単身、森へと入って行った。
コアトルがどんな魔物かはクロームでも知っていた。下級の龍の一種で、蛇のような胴体に鋭い爪を持つ小さな前足が備わっている。頭には後頭部へ伸びる二本の角が生えている。頭から背中、そしてしっぽの先にかけてヒレが付いているのも特徴の一つだ。ただ、その姿は滅多に見かけられないらしい。クロームもその姿を実際に目の当たりにした事は無かった。
森の奥地へと進むにつれ、ランスが根や蔦に絡まるようになった。それを舌打ちしながらクロームは解いていった。やがてクロームは、巨木を中心にした開けた空間に辿り着いた。樹齢百年を超えているだろうその巨木には蔦や苔が生い茂っていた。
クロームは高い所からコアトルを探そうと、ランスと盾を置いて、その大木に登り始めた、苔で滑り易かったがクロームは何とか一番上まで登った。遠くに城が二つ見える。一つはマジャバ国の首都バトモンエストゥ。もう一つはスモールギル国の首都ビルドだろう。
クロームはビルド城の事を詳しくは知らなかった。訪れた事も無かった。
バトモンエストゥ城には、水売りをしに行った事が有る。小さいながらも綺麗な城だった事を覚えている。
クロームは眼を細めてコアトルの姿を探したが、どこにもいないように思えた。
と、衝撃が走った。大木が揺れている。クロームが下を見ると、それがいた。全長十メートルはあろう巨大な蛇のような龍が、大木に体当たりをしていた。
コアトルだ。
クロームは焦った。武器は下に置いたままだ。再度衝撃が走る。一気に敵が身体をぶつけて来ていた。
困った。狂える野獣の攻撃を掻い潜りランスと盾を回収せねばなるまい。
コアトルは敵のそんな様子を気にも留めずそのまま攻撃を加えた。
クロームは、一か八かの賭けに出た。コアトルが突進する先を狙って、彼は飛び降りた。丁度、コアトルの頭部に、クロームは降り立った。しっかりとコアトルのヒレを掴む。
コアトルが奇声を上げて、身をよじる。クロームは放さない。コアトルは、先程までクロームが登っていた大木に、身体をぶつけだした。
クロームはタイミングを見計らって、コアトルの頭から飛び降りた。地面に転がり込み、ランスと盾を掴む。
怒りに溢れたコアトルが、牙を剥く。太いしっぽがクロームに叩きつけられた。クロームは、大木に周り込んで、それを避ける。大木が衝撃に揺れる。
「さあ、来い、僕が相手だ」
クロームはランスを構えた。
コアトルが、吠えた。大きな顎を広げて、噛り付いて来る。
クロームは盾を前に突き出した。コアトルがそれを噛む。バキっと音がして、盾に亀裂が走った。
「守ればやられる」
クロームは、ランスをコアトルの腹部に突き立てた。が、硬い鱗に弾かれてしまった。
「ランスでは無理なのか?」
クロームは突進してきたコアトルを、横っ飛びでかわした。際どい所だった。
コアトルが鎌首をもたげる。眼が爛々と光っていた。
「もう逃げようが無いな」
コアトルの眼に、獲物を見付けたハンターの物を感じたクロームは、改めて腹を括った。
コアトルが再び口を開けた。大蛇のそれを表す二本の巨大な牙が見えた。そのままクロームへと飛びかかった。クロームの盾が欠けた。
しかしそれは逆にチャンスでもあった。クロームはコアトルの左眼にランスを突き出した。コアトルが悲鳴を上げる。赤黒い血が、どくどくとランスを伝わり、クロームの足元に零れた。
クロームがもう一撃加えようと、ランスを引き抜こうとした。しかし、それをするよりも、敵は甘く無かった。コアトルは、左眼にランスが突き刺さったまま、頭を仰け反らせた。クロームの手からランスが放れる。油断した。
「何と言う事だ!!」
ランスを失ったクロームは一気にピンチに陥った。このままだとやられる……!! クロームは盾を構えて防御の体勢に入った。
コアトルは、眼から鮮血を流しながらも、クロームを捉えていた。再びクロームに躍りかかる。クロームはその攻撃を左側に跳んで間一髪の所でかわした。だが、次の攻撃には備えられなかった。コアトルは、しっぽを思い切りクロームへ叩き付けた。
「ぬう!!」
クロームの盾に直接それが当たった。クロームは大きく弾き飛ばされ、地面をごろごろと転がった。その際、盾を放してしまった。
クロームは頭がくらくらするのを感じた。ゆっくりと立ち上がると、そのままぼやける視界を頭を叩いて治した。
戻って来た頭が見た物は、先程クロームが手放した盾を、コアトルが両手に抱えている姿だった。このままやられてしまうのか……? クロームは嫌な考えを頭から追い出した。
「僕は勝って、母さんを買うんだ……!! こんな所で負けられないんだ……!!」
クロームの眼に火が点った。彼は、コアトルの次の一手を伺った。
コアトルはクロームに止めを刺そうとした。大きく仰け反り、バネを使ってクロームへ飛びかかった。だがクロームは、その動きすら見切っていた。クロームは右側へ飛び、その攻撃をかわした。そのまま、コアトルの左眼に突き刺さったままのランスに飛び付いた。両足をコアトルの頭に着けて、一気にこれを引き抜く。赤黒い血が、どっと溢れる。クロームの身体にもそれがかかった。
コアトルは頭を振った。そうしてクロームを振り落そうと試みたのだ。だがそれは逆行為だった。クロームは、その勢いに乗って、ランスごと、吹き飛んでいった。
クロームは地面をゴロゴロと転がっていく――しかし今度はランスを手放さなかった。すぐさま起き上がると、コアトルを睨む。コアトルは、両腕に持っていた盾を投げ捨てると、クロームに向かい驀進した。クロームは、重たいランスを持ったまま横っ飛びにジャンプした。
ランスをコアトルの脇腹に突き立てる。が、やはり弾かれてしまう。このままだと勝てない……。クロームは策を練った。
コアトルが回頭し、クロームの方を向く。クロームはランスを構えると、コアトル目掛けて走り出した。コアトルが鎌首をもたげる。クロームはその頭目掛けてランスを棒高跳びの要領で地面に突き立てて跳んだ。丁度クロームは、コアトルの眉間にのしかかった。右手でランスを掴んだまま、左手でコアトルの角を掴んだ。クロームはランスを短く握ると、コアトルの頭に突き立てた。一回突けば弾かれ、二度目も弾かれ、クロームは何度もランスを突き立てた。コアトルが頭を振って、クロームを振り落そうとする。しかしクロームは放さなかった。何度もランスを突き立てている内に、クロームはコアトルの鱗がめくれて、僅かながら出血しているのを確認した。動き回るコアトルの上で足を踏ん張ると、クロームは雄叫びを上げてランスをコアトルのめくれ上がった鱗の間に捻じ込んだ。大流血がクロームを襲った。
クロームのランスはコアトルの眉間に突き刺さった。コアトルは仰け反り叫ぶ。だがクロームは、まだ手を放さなかった。
「ここが急所だな」
クロームはぐりぐりとランスを捻じ込んだ。やがてコアトルは、断末魔の悲鳴を上げ、そのまま地面に倒れ伏すのだった。クロームもその衝撃で地面に投げ出され、頭をぶつけた。
顔に冷たい物を感じてクロームは眼を開けた。どうやら気を失っていたらしい。
クロームが身体を起こすと巨大な蛇龍の死体が転がっていた。良く見ると、身体の所々にクロームが付けたのでは無い傷が見えた。今まで何人もの戦士が戦って来た痕であろう。
「これを持ち帰るのは何とも出来ないな」
クロームは、コアトルからランスを引き抜くと、弱った。
「この頭の角を持ち帰れば良いかな?」
クロームはひしゃげた盾を回収すると、それをぶつける事で、コアトルの両角を圧し折った。
それを巻きスカートに差し込むと、クロームは、ゆっくりその場を後にした。
雨がますます強く成った。
戦車に乗ったクロームがフェリペに到着したのはそれから暫く経っての事だった。
その頃にはブランジの豪邸に、手術の終わったブランジ、それからスモールギル軍将軍、そして例の奴隷頭が待っていた。
奴隷頭はその角を見て、それは角だけ持ち帰ったと因縁を吐けてきたが、ブランジと将軍は、その因縁を退けた。特にブランジは、クロームの事を信頼しているようだった。クロームはそれが嬉しかった。だが奴隷頭はそれが気に入らなかったらしい。
「あれだけの戦士を送って来ました。それでもあのコアトルは倒せなかったのです。それがぽっと出のこんな水売りに倒せるなんておかしいです。何か裏が有るに違いありません」
奴隷頭は抗議する。今まで送られた戦士や魔導士達は、殆どがログナーだった。それをダラーであるあのクロームが倒したと言うからおかしいのだ。
しかし、そんな奴隷頭と違って、将軍の態度は変わらなかった。
「例え水売りだったとしても、ダラーはダラー。生き物を殺す事に何ら疑問は無い」
将軍の言葉が持つ残酷性は、恐らくブランジにも分からなかったろう。分かったのは、クロームと奴隷頭だけだったろう。奴隷頭も渋い顔をしていた。それがダラーの宿命なのだろう。ダラーは生き物を殺して、その穢れを受けていると言われて来た。いや、逆なのかもしれない。ダラーだからこそ生き物を殺す事を当たり前にしていると思われているのであろう。実際に生き物を殺しているのはログナーの方が多いと言われているが、何故かログナーが生き物を殺す事は神聖な事だとされた。ダラーとログナーに差なんか無いと言えるのは、バリヤやログナー、オラクルでは無く、レグ大陸では最下層で過ごすダラーとフラニーぐらいな物だった。
それでも、中にはこの奴隷頭のように、ある程度実力を買われて人並みの扱いをされるダラーもいた。ただ彼が焦っているのは、自分が「お気に入り」から外されて、再び惨めな奴隷生活に戻される可能性を危惧しての事だった。だから彼は、クロームが邪魔だったのだ。
「今回の働きは見事だった。クローム・スランバ、君が力強い戦士で有る事は認めよう。ブランジ少将、良い部下を持ったな。あのコアトルは、とても厄介な奴だった。あの森の主のような存在で、その強さはかなりの物だった。生きて帰って来ただけでも奇跡だ。我々はあれを討伐する為に、何人もの戦士を送ったのだが、どれも森の中で各個に撃破されてしまった。君が一人で勝ち得た物は大きい。自信を持ちたまえ。私は君を、スモールギル軍の一奴隷戦士として認めよう。では、後は任せるぞブランジ少将」
将軍はそう述べると、どこか満足そうに、後にした。
奴隷頭も、ブランジに敬礼をすると、その後に続いた。
「ランスも盾もボロボロだな」
ブランジがクロームの背中に装備されたそれを指した。
「あんな強敵相手に良く勝って来たもんだ。私の眼に狂いは無かった。お前は立派な奴隷戦士だ。報酬は払う。これからも、ずっと私の右腕でいてくれ」
ブランジはそう言うと、クロームに何かを投げて寄越した。エメラルドグリーンの果実、ドラベラだった。
「今回は特別だぞ」
ブランジはニンマリ笑うと、屋敷に引っこんで行った。
クロームは嬉しそうにその果実を持つと、皮を剥いて果肉にしゃぶりついた。今まで他人が食べているのを見た事は有ったが、自分で食べるのは初めての事だった。頭の中に、ドラベラを食べる上流階級の人間の姿を想像しながら、それを見よう見真似で食べた。果汁が手に零れた。
その後クロームは、ランスと盾を降ろすと、そのまま雨の中にいてコアトルの血を洗い流すのだった。
それから数日経った頃だった。
クロームの元に、スモールギル軍代表の奴隷戦士として起用されると言う通達が来たのは。