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バーンニッシュ・ログニス  作者: 屋久堂義尊
第一話バトモンエストゥ
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第四話 バトモンエストゥ

 バトモンエストゥ城は王城である。これまで、代々の国王が国を治めて来た。決して大きな国では無いが、人々は皆、国王を中心に結束していた。

 バトモンエストゥ城の城主ダッシ・ログニスは城から外を眺めていた。今使っている城は、雨季専用の物で、風通しが良いようにか、吹き抜けが城の中に有った。ダッシュは、城の一番南の窓から外を眺めていた。雨が降りしきっていた。この雨の向こうに強大なスモールギルが有るのだ。

 スモールギルは恐しい国で、非常に好戦的だった。レグ大陸において恐らく最も凶暴な国であろう。

 そんな国に眼をつけられたのは、地下資源の問題だ。バトモンエストゥが有るマジャバ国は北の断崖絶壁にレアメタルの鉱山を持っていた。それが王城を支える大事な収入源だった。またマジャバ国は、首都バトモンエストゥが特にそうだが、魔法芸術も盛んだった。北の町シリシアでは今日も新しいレアメタルの鉱脈が見付かったと城の大臣は大喜びだった。

「陛下、ジャテナーイ国の元への貢物に成ります。ご確認下さい」

 ロイヤルガードがその小包を持って来た。マジャバ国中の都市から材料を集め、ここバトモンエストゥ城で工芸生産の魔導士によって最高の宝が作られた。

 包を開けた。

「レッサーリザードの角を宝石で散りばめたのか」

「は、以前ダッシュ王殿下が勝ち得た物の服飾品です」

 ダッシュはゆっくりとそれを眺めた。

「他には……、これは?」

「はい、ヘビトンボの鱗を散らばせた厨子です」

「中々の物だな」

 ダッシュは包の中身を一瞥すると、蓋をした。

「もう、宜しいので?」

「ああ、君達を信用しているからね」

 ダッシュ王は南の方を向いていた。

 この先には憎むべきスモールギルが有る。

 このマジャバ国は、事実上スモールギル国の属国に成っていた。そうしている事で、他国から攻められる事は無い。所がスモールギル国は、マジャバ国を完全に飲み込もうと考えているらしい。その為にこのバトモンエストゥを落とそうと考えているのだ。

 しかしながら、ダッシュはそう簡単に折れる男では無かった。ダッシュは生まれながら、優れた武芸を誇っていた。弓矢から火炎放射器まで卒なく扱えた。テイウーロゴスを使った魔法こそ使えないが、それをカバーするだけの剣術を身に着けていた。

「ジャテナーイ国には早速この宝を届けよう。スピード勝負だ、頼むぞ」

 ダッシュは部下に貢物を任せ、城のバルコニーから外を眺めた。美しい山谷が広がっていた。

「何を眺めていらっしゃるのです?」

 奥から女性の声が聞こえた。ダッシュの妃のマリー・ログルスだった。マリーの腹部は大きく膨らんでいた。妊娠していたのだった。

「いや、この国の自然を見ていたのだよマリー」

「自然をですか?」

「そうだ。お前も眺めないか?」

 ダッシュに誘われ、マリーが横に並ぶ。

「私がこの国に来て、もう十年は経ちましたか」

 マリーが腹をさすりながら、景色を見た。緑溢れる美しい山々が見えた。

 バトモンエストゥの北は、断崖絶壁に成っていて、ぎりぎりまで森林が広がっていた。それがこの国の美しさに繋がっていた。しかしマジャバ国は、緊張の中に有った。スモールギルの魔の手が忍び寄ろうとする気配が誰にも感じられていたのだった。いや、もう浸食し始めているかもしれない。

 南のナイトレイア河の国境に位置するセルゲイの町には、もうスモールギルの先遣小隊が到達したと言う報告も有った。しかし、そこから先に侵入していると言う知らせは無い。噂によればだが、撤退したとの事。何が有ったかは知らないが、これはチャンスだった。

「暫く、この景色から離れる事に成るのですね」

 マリーの眼は寂しげだった。その肩をダッシュは優しく抱き寄せた。

「大丈夫。無事子どもを産んで、スモールギルの嫌がらせを切り抜ければ、戻って来れるよ」

 マリーは、ふふ、と笑った。

「そうですね、一時の辛抱ですね」

 マリーは出産の為、マジャバ国の東のニル河を越えた生まれ故郷のジャテナーイ国ベトモンズに里帰りする予定だった。これは、出産の為に里帰りすると言う意味と、彼女の存在を隠すと言う二つの意味が有った。

 スモールギル国が狙っているのは、生まれて来る子どもだった。跡取りさえ確保すれば、ダッシュ王を黙らせ、スモールギルに服従させる事は赤子の手を捻るような物だった。今、スモールギル国がマジャバ国に攻め入っているのは、ダッシュとマリーの二人にストレスを与えて、願わくば生まれて来るであろう子どもの身柄を確保しようとそう考えていての事だった。

 だからダッシュとマリーは対抗策として、このきな臭い空気を作り上げているマジャバ国から離れて、ジャテナーイ国に雲隠れすると言う案を立てた。それが今回の里帰りだった。

 こうする事で、ダッシュは戦いに集中出来るし、しかもマリーと子どもは安全な場所にいられると、一石二鳥だった。

「そうだ、一時の辛抱だ」

 もう一度ダッシュはそう呟いた。



 ジャテナーイ国に向かう使節団の用意が出来たのは、それから数十分の事だった。貢物の宝を積めた箱を持ち、スモールギルの妨害も考えて自衛用の衛兵そ魔導士もつけた。

「それでは、行って参ります」

 使節団長を務める男が大臣に一礼した。大臣もそれに応えた。

 バトモンエストゥを後にした使節団は、雨天の中、ゆっくりとジャテナーイ国の首都カノッサスへ進んでいた。

 何の問題も無く事が済めば、一週間半程度の旅だった。貢物の関係上足を速められないのが難点だが、それでもまだ余裕は有った。使節団も、セルゲイ付近で、スモールギル軍の先遣小隊が謎の撤退をした事を知っていた。これはチャンスだった。彼等は時間を与えられたのだ。

 カノッサスまでは草原が広がっていた。途中谷を渡らなければならないが、それでも平野が続く楽な旅だった。問題は魔物だった。見通しが利く分戦いの備えがしやすいが、それは敵に見つかり易いと言う面も有った。キマイラやサンドワーム、グレーターデーモンなんかが目撃されて来た(サンドワームは乾季限定だったが)。

 魔物にも性格が有る。こちらを見かけるなり反射のように攻撃して来る物、反対に逃げ出す物、ちょっと考えて魔法を唱える物、様々だ。

 だから一概に、魔物が怖いとは言えなかった。

 それでも、遭遇して良いと思う事は無かった。

 彼等は周囲を、主に魔導士が警戒しながら進んでいた。魔導士は魔法の力である程度離れた相手を察知出来る能力が有った。ただ、それを永続的に出来るわけでは無かった。魔法は人間の体力では使う時間にかなり制限が有った。だから、使節団は彼等にばかり頼るのでは無く、一般の魔法が使えない戦士の眼や耳や鼻を使う事が多かった。特にこんな開けた場所では彼等の力の方が頼りにされていた。

 怖いのは、魔物だけでは無かった。山賊や盗賊と言った人間にも警戒せねばならなかった。特に今回のように宝を積んでいると、山賊や盗賊の格好の獲物にされ易かった。彼等は身分を明かす事は無いが、多くがフラニーだと考えられていた。勿論それが、差別的な意味合いが込められている事を多くの人間は感じていなかった。

 雨が強まって来た。貢物は、何重にも布で包まれていた。それが水を吸う事でどんどんと重たく成って行くのが分かった。壊れ物で無ければ、馬や象で運ぶのような物だが、今回の宝は一切の傷を付けては成らなかった。だから人間の足で動かなければ成らなかった。

 戦闘を歩くペースメーカーは時折後ろを気にしながら歩みを進めていた。あくあまでも焦らず、ゆっくりと進めていた。少し遅いような気もしたが、彼等の感覚ではこのスピードが丁度良かった。

「行きは良い良いだからな」

 ペースメーカーの先頭の男が語った。全くその通りだった。ただ、「帰りは恐い」かは分からないが。

 と、一人の戦士が鼻をひくつかせた。

「魔物か?」

 使節団に緊張が走る。

「この匂いは……アンフィスバエナか?」

 アンフィスバエナとは頭が二つ、本来の頭部としっぽにも頭が付いている大蛇だった。攻撃力防御力は然程酷い物では無いが、素早い動きが警戒の対象だった。今の、足が遅い使節団ではすぐに追いついてしまう。

「πραπειρα」

 魔導士が呪文を唱える。その力で敵を感知しようと言うのだった。

「どうか?」

 使節団長が、魔導士に問う。

「……確かに、何かがいる気配はします。でも……」

「でも……?」

「敵意は無いようです」

 それを聞いた先程の戦士が口を開いた。

「そうです、アンフィスバエナの臭いはしますが、どうもこちらを襲う匂いでは有りません」

 使節団長は頷いた。

「危険かもしれないが、敵意が無い内に通り過ぎてしまおう」

「了解です」

 ペースメーカーの男が本の少し躊躇したが、すぐに歩みを先程より僅かに速めた。



 ダッシュとマリーは食事にしていた。

 ナイトレイアシュリンプの巨大な鋏の肉を手で千切って食べていた。マリーも同じように食していた。

 他に、ローストビーフ、マジャバポテトを炊いたん、小麦粉で作られた平たいナンのような食べ物も有った。デザートには良く熟したドレベラが用意して行った。丸い果実はエメラルドグリーンに輝いていた。そのドレベラをダッシュは一つ取り出すと、器用に皮を剥きだした。中からやはりエメラルドグリーンの果肉が現れた。

「ジャテナーイ国に行ったら上質のドレベラを食べれるだろうな」

「ええ、そうですね」

 ジャテナーイ国は彼等のいるマジャバ国の東だが、農業に力を入れていた。ドレベラの栽培も盛んだった。

「使節団の方々、大丈夫でしょうか?」

 ドレベラを飲み込むと、ダッシュは笑った。

「大丈夫だ。私が隠れるとなると問題が有るが、お前の生まれ故郷に帰るぐらい問題は無いだろう。ただスモールギルがどこまで本気かという事だな、それが気にかかる」

「と、仰いますり?」

「スモールギルの国王フロイタ・バクタはかなり攻撃的だ。もしかすると、マリーが隠れているジャテナーイ国に攻め入る事も考えなければならないかもしれない」

「まぁ、そんな事……!!」

 マリーの眼に怯えが見えた。

「大丈夫だよ、だから使節団を送ったんだ。国賓として守って貰う為にね」

 ダッシュはそう言うと、おしぼりで手についた果汁を拭き取った。

「マリー、心配なの分かるが、しかしこのままここいるのはもっと危険だ。生まれ故郷に帰る方が安全だろう」

 ダッシュは口端を優しく上げた。

「良いかい? この国はきっと戦争に入る。私は勝つつもりだ。だがその際にお前がいると戦闘の邪魔に成りかねない。厳しい言い方をすればこうなる」

 ダッシュは出来るだけ、出来る限り彼女の心を傷付け無いように、彼女を国の外に向かわせようといていた。

「幸い、ジャテナーイ国はスモールギル国に狙われていない。産後暫く休むのも良かろう。ただ、この国にいては駄目だ。それは母子共に危険すぎる。より安全はジャテナーイ国に行った方が良いであろう」

 彼はそう言うと、もう一つのドレベラに手を伸ばした。これまた美しいエメラルドグリーンだった。ダッシュは再びその皮を剥いた。

「ほら、マリーもお食べ。美味しいよ」

 王族用の小さなプライベートテーブルはエメラルドグリーンの果実が良く映えていた。

「分かりました、頂きます」

 ダッシュには、今彼が述べた事に対してマリーが分かったと言ったのか、それともドレベラを食べる事を分かったと言ったのか区別がつかなかった。

 一方マリーは何事も無かったかのようにドレベラの皮を剥いていた。現れた果肉を一口食すると咀嚼していた。

「これ、柔らかくて美味しいですね」

 彼女はゆっくりと果肉を味わった。

「このドレベラはウチのモイスチャーファーマーが作った物だよ」

 モイスチャーファーマーは浄水を作る事だけが目的では無い。生成した水を使って農業に手を出す者が大半だった。勿論、中には浄水だけを作る事に専念した専業モイスチャーファーマーもいたが、それと同じ数だけ副業モイスチャーファーマーもいたのが事実だった。

 モイスチャーファーマーで栽培する最も大きな利点は水の美しさが有った。完全な純水を使うので、臭みやえぐみの無い自然な野菜や果物が作られた。しかも、農薬や魔法化学肥料を使わないで済むのでオーガニックな野菜や果物を提供出来た。

 モイスチャーファーマーにとって大切なのは季節に合わせて商品を変える事だととある評論家が語った事が有る。その故は、乾季でこそ純水を求めたニーズの為にモイスチャーファームによる純水だけを売り捌く事で生きていけたが、雨季に入り、水に恵まれだすと、モイスチャーファームによる純水確保だけで売るのは厳しい。その為に、モイスチャーファームで手に入れた水を使って、オーガニック栽培をする事で、経済を成り立たせていたのだった。

 そして、今は雨季。激しい雨はまだ降っていないが、モイスチャーファーマーにとっては凌ぎ時だった。

「ドレベラお土産に買って来ますね」

 マリーがまた一口口に入れると笑った。

「おお、そうしてくれ。ベトモンズのドレベラはとてつもなく美味しいからな」

 ダッシュはニンマリ笑うのだった。



 使節団は夜を迎え、宿営地を作り眠る事にした。

 戦士と魔導士が交代で見張りに立った。

 戦士の腰には剣が鞘に収まっており、一方魔導士は魔術書とディアフィトレウスを装備していた。

「その丸い筒が武器なんだよな?」

 見張りの戦士がディアフィトレウスを指して聞いた。

「そう、周囲のピュシスを集めて刃を作りだす武器さ」

 魔導士は、それを構えてみせた。

「ピュシス? 何だそれ?」

「この自然を構成する基本構造だよ。地風化水と言う奴に近いかな?」

 魔導士はディアフィトレウスを両手で交互の持った。ぽんぽんと音を立ててそれは手に収まった。

「どれくらい使えるのか?」

「魔力が続く限りは刃を構成出来るんだ。全てのどんな魔法よりも強いと言われていてね」

 戦士は、ほう、と呟いた。

「見てみる? ディアフィトレウスを」

「良いのか?」

「ええ、少しだけならば」

 戦士の胸に期待が高まった。

 魔導士はディアフィトレウスの筒状の本体を構えた。その一点に魔力を集中させる。

 バシュッと言う音と共に一メートルぐらいの黄色い光が伸びた。

「これは……」

「触れた物はどんな物でも破壊する。例えば人間に斬りつければ切断出来るし、物体を崩す事も可能だ」

「中々恐ろしい武器のようだな」

 黄色い刃をしまった魔導士は、ディアフィトレウスを再び腰に装着した。



 バトモンエストゥ城では、ダッシュとマリーの二人がテラスから国を眺めていた。闇が空を覆い、月夜が訪れようとしていた。

 今さっき入って来たニュースはダッシュを安堵に導いた。正式な情報として、スモールギル軍の先遣偵察隊が壊滅したとの旨が伝わったからだ。森から離れている所に陣を築いたが何故かヘビトンボにやられたらしい。ダッシュは時間が稼げた事に胸を撫で下ろすのだった。勿論、民草の為、そして妻である妃マリーの為を思っての事だった。

 ダッシュ自身は問題が無かった。彼は武芸に秀でている。自分の身を守る事は容易い事だった。しかし、妊娠中のマリーを守るとなると話は変わる。そんな事は無いと思うが、このバトモンエストゥ城にまで敵が押し寄せてきたら危ない。だから彼は、一刻も早くマリーをベトモンズに逃がしたかった。

 ベトモンズが有るジャテナーイ国とは長い間友好関係を築いていた。今もそれは変わらない。その証拠にかの国は、マリーを妃としてマジャバ国に差し出した。それは、単純な意味だと人質を送ったとも考えられる。そういう外交上のやり取りはダッシュも理解していた。その人質を返すと言うのだから、この二国の間の友好関係が伺える。即ちマジャバ国とジャテナーイ国にはそもそも人質等必要が無いのだ。

 所が、マジャバ国にしろジャテナーイ国にしろ、強国スモールギルに並んでいる。ナイトレイア河を挟んだ向かい側がスモールギルだ。もしも余計な刺激を与えれば、スモールギルに滅ぼされてしまうかもしれない。元々狙われていたマジャバ国に対してジャテナーイ国はまだ目を着けられていない。そこを余計な事をして戦争に巻き込ませるのはダッシュも気が引けた。だからまずは使節団を送って、向こうの顔色を伺うのだった。

「陛下」

 ダッシュがじっと西側の夕暮れを見ていると、マリーが傍らに寄った。

「この国はあまりにも小さい」

 ダッシュはマリーの方を振り向くと述べた。

「だが、例え小さいとしても不当に領土を侵害され、国民に危機感を与え続ける事が許されるはずが無い」

「陛下、その通りです」

 マリーもそんなダッシュに視線を向けた。

「スモールギルが幾ら大国だとしても私は戦うつもりだ。マリー、しかし、お前とその腹に宿る命は危険に晒すわけにはいかない。暫く辛抱してくれ。私は必ず勝つ」

「ええ、分かっています。陛下の足手まといには成りません」

「有難う、マリー、我が妃よ」

 ダッシュは笑うと、マリーの肩を抱き寄せた。マリーはそのままダッシュの肩に頭を乗せた。



 あれから一週間半が経とうとしていた。

 スモールギル軍の動きは遅かった。先遣小隊が全滅してからもう七日も経っていると言うのに、一向に偵察部隊を初め、動きを見せなかった。

 何事かとダッシュが調べさせに行った所、ナイトレイアシュリンプが大量発生していて船が出せないとの事だった。ダッシュは天に祈った。我が願い聞き入れて貰えたと。

 その間に、ジャテナーイ国に赴いていた使節団が帰って来た。

「どうだった?」

 ダッシュが問うと使節団長は笑顔を見せた。

「マリー様をベトモンズに迎え入れるとの事です」

 それを聞くと、ダッシュは次のステップに動いた。

「よし、すぐにマリーを向かわせる。侍女達に伝えよ」

 バトモンエストゥ城の中ではダッシュの指示で動く侍女達で溢れた。

「マリー様、どうかお気を付けて」

 侍女達がマリーを気遣い、ゆっくりと階段を降りて行った。マリーは腹を抱えると、一歩一歩階段を踏みしめた。

 一階に出ると、そこには籠が用意されていた。マリーはそれに乗り込むと、中に敷いてあった毛布をかぶった。籠がゆっくりと持ち上がるのが分かった。

「マリー、それでは暫くお別れだ」

 ダッシュが見えた。

「陛下も、お気を付けて。決して、決して死なないで下さいね」

 四人の従者に担がれた籠は、そのまま城の外へと出た。ダッシュは、その姿が小さく成るまでじっとそれを見ていた。籠の左右には戦士と魔術師が並んでいた。本当はもっと護衛をつけたかったが、それではこのバトモンエストゥ城の戦力が削がれてしまう。小国の小城では自分の身を守る事もままならないのだ。

 それでもバトモンエストゥ城はまだ兵士が多い方だった。

 それはダッシュとマリーのカリスマ性の影響が大きかった。

「よし、第二種戦闘配置だ。城に兵糧を運び入れろ。我々はスモールギルに屈しないぞ」

 ダッシュの叫び声と共に兵士達は雄叫びを上げた。

 ダラーを足軽とした部隊にログナーの隊長がそれぞれついた。部隊は整列すると、バトモンエストゥ城の前に集まった。マジャバ国の強みである火炎放射器部隊は雨期に入った今、騎馬隊に姿を変えていた。それでも彼等の士気には変わりは無かった。皆このマジャバ国を愛していたのだった。それは奴隷階級のダラーでもそうとは言えないのだが、だが国民の殆どがマジャバ国への愛国心に溢れていた。

 ダッシュは戦用の兜をかぶると、そのままバルコニーから整列する兵士達を見た。敵スモールギル軍の主力は戦車隊と象騎兵だ。戦車隊は素早い動きで撹乱してくる。象騎兵は家畜化した魔物であるヘルマンモスに乗り込んだ強敵だ。ヘルマンモスは、マンモスと名が付いているが、毛むくじゃらでは無く、額に鋭い角を持つ魔物だ。人に慣れやすい性格なので、簡単に育てる事が出来る。体力も有ればパワーも測り知れない。野生の物はレグ大陸の南部に生息している為、北部に有るマジャバ国にとっては縁の無い魔物だが、農業の為に何頭かスモールギルから買い付けた事も有った。だが養殖に成功した事は無い。その為、かなりの強敵である事は自明の事であろう。

 戦車隊には騎馬隊を向けて、象騎兵は足場の悪い地点で迎撃する。踏破性の弱い戦車兵には気を配る必要は無いが、やはりここでネックなのは象騎兵だろう。

 象騎兵の厄介な点は、例え象騎兵に乗り込む兵士を倒したとしても、ヘルマンモスが生き続ける限り被害は拡大し続けると言う点だ。飼い主を殺されたヘルマンモスは暴走するだろう。また、魔物であるヘルマンモスは例外無くテイウーロゴスを唱える事が出来る。その為、単体でかなりの脅威と成る。

 これを仕留めるには、ロングレンジからの弓隊の攻撃しかない。矢を確実に、ヘルマンモスの足に命中させれば、勝機を見出す事が出来る。ヘルマンモスと言えども、弓矢による攻撃を防ぐ事は安易では無い。また、象騎兵の最大の弱点は、折角テイウーロゴスを唱える事が出来るヘルマンモスを完全に支配出来ない所にある。守備呪文をかければ良い物を、そんなに効率的に動かす事は出来ないのだ。それ故、ヘルマンモスが自分の意思でテイウーロゴスを唱えない限り、あらゆる呪文を扱う事は出来ないのだ。

 更に、守備呪文にも限界が有る。攻撃の強さが強けれれば強い程守備呪文は破られる。その為、一見無敵な象騎兵でも敗れる事は有るのだ。勝機を見出した兵士達はその流れで一気にヘルマンモスを食らうだろう。それが勝利なのだ。

 バトモンエストゥ城の準備は整った。兵士達は南に向かい、ある者は騎馬に乗り、ある者は弓を引き、ある者は槍衾を構え、ある者は石を投げようと身構えて、そうして構えていた。



 そうして日が何日も経った。

 スモールギル軍の使者がバトモンエストゥ城にやって来た。

 何人もの兵士によって綿密なボディーチェックを受けたその男は、何人もの衛兵に囲まれてダッシュ王の前に担ぎ込まれた。

 ダッシュはドレベラを一つその敵兵に投げ寄越した。

「食うが良い。どうせダラーであろう? 身の丈に合わない食事かも知れないが、存分に召し上がると良い」

「有難うございます、頂きます」

 使いのダラーはそれを口に含むと、エメラルドグリーンの実を食べ始めた。まさに貪るように食い尽くした。

 ダッシュは、汚らしくドレベラを食べるダラーの使者から目を逸らせた。そして手近のボールを眼にすると、眼を洗い始めた。侍女がタオルを運んで来た。ダッシュはそれで水を拭き、再びドレベラを食している使者を見やった。

「それで、一体どんな要件か?」

 ダッシュに問いかけられて、その使者はドラベラを飲み込むと、懐の小箱から小さな書類を取り出した。

 ダッシュはそれを受け取ると、ゆっくり読み始めた。

 送り主は、フロイタ・バクタ、スモールギル軍の総司令にしてスモールギル国の王であった。

 そんな男から手紙を貰ったと言うのだからダッシュは驚いた。

「「昨今のナイトレイア河付近での国境線を改める為に、奴隷戦士における一騎打ちを願い出たい」だと?」

 それまでナイトレイア河自体が国境線であり、それを国際的な標準としていた。

 そのナイトレイア河の北側の岸も自国の領土だと主張するスモールギル国に対して、マジャバ国は断固として頷く事はしなかった。

 そんな中、使節はやって来た。スモールギル国の侵攻で、半ば領土侵犯も甚だしい相手からの、まさかの一騎打ち。しかも奴隷戦士による格闘。これは果たして大変な出来事だった。

 ダッシュは一人頷いた。そうだ、幾らスモールギル国とは言え国際上のルールは守るはずだ。要するに勝てば良いんだ。

「そちらの奴隷戦士はもう決めておられるのか?」

 ダッシュが鋭く話しかける。

「ええ、私の所では名前は明かせませんが、一人戦士がいます」

「そうか、我等に戦士を探す機会を与えてはくれないか?」

「主君に提案してみせます。ただあまり長くはかからないで頂きたい。それに、まず、陛下が、この決闘を認めるかどうかが関わって来るのではないでしょうか」

「分かった。許可しよう。一週間猶予をくれ。その後そちらから再び連絡を寄越してはくれないか?」

「分かりました、配慮して頂けるように頼みます」

「そうしてくれ」



 使者が発った後、ダッシュは国中の奴隷を集めた。

「この中に奴隷戦士として代理戦争に向かう者はいないか?」

 皆その声にきょとんとしていた。やはりそうか、とダッシュは思った。代理戦争だなんて中々上手く行かない。たった一人の戦いながら、その背に負う物は大きい。その事が分かっているから皆押し黙るのだ。

 誰もおらんのか。ダッシュが通りざかろうとした時に声がかかった。

「俺ならばやっても良いぜ?」

 嬉々したダッシュは笑みを浮かべてそちらを見た。三白眼にスカーフを巻いた上裸の男が嫌らしく笑みを浮かべて笑っていた。

「ジャコバ、お主か」

 ダッシュは呆れたように答えた。

 ジャコバ・タスクは有能なログナーだった。没落武家の出だったらしいが、血に飢えたその性格はダッシュには理解出来なかった。

「俺が奴隷の代わりに戦士として立てば良い話じゃないかね? 陛下はどうお考えで?」

 ジャコバの強さはダッシュが良く知っている。どのダラーよりも強い。だからこの結果に繋がる事は決して避けられる物では無かった。

「お前は人間として扱われなくなるぞ」

 ダッシュが言葉を選びながら口を開いた。

「それでも勝てばぼろ儲けだろう? やってみたいぜ」

 ダッシュは至極悩むのだった。

 背に腹は代えられないか。

「分かった、ジャコバよ、今度の代理戦争はお前に任せる」

「そう言ってくれると思ったぜ。じゃあ俺は一足先にスモールギルを見て回るぜ」

 ジャコバは、手をひらひらさせながらその場を後にした。

 ダッシュはゆっくり頷くと、自分も自室に籠るのだった。

 

 話は少し戻って。

 バトモンエストゥ城を後にしたマリー一行は、立ち往生していた。雨季に入り、渡らなければならないニル河が氾濫していたのだった。侍女が一人、依頼をしに船団に向かって行った。しかしどの船も動かせる状況では無いそうだった。

 マリーは籠の中から河の様子を見ていたが激しい濁流が大きく渦を巻いていた。

 きっと河の上流で大雨が降っているのだろう。と、マリーが考えているとぽとぽとと屋根を打つ音が聞こえて来た。こちら側も雨らしかった。マリーは腹をさすると、籠の中で毛布にくるまった。

 侍女が何か騒いでいた。

「このまま河が大人しく成るのを待ちますか? 或いは上流に行ってまだ河が細い所を突っ切りますか?」

 護衛の戦士だろうか、低い声が聞こえた。

「わざわざ上流に行ってスモールギルに近付くのは危険だ。ここで待とう」

「それもそうですね。しかし悔しいです。ここを渡ればベトモンズは目の前なのに……」

「仕方が無い、暫くはこのビアンノの町に隠れよう」

 ビアンノはニル河のほとりに有る小さな田舎町だ。ジャテナーイ国との交易の要所の一つだ。ベトモンズに向かう最短距離に位置する町だ。ここから東にニル河を越えればそこはもうジャテナーイ国だ。だがここが発展しないのは、度重なる洪水によって船や町に多大な被害が出るからである。その都度、町は西側に移動していた。

 そんな町に王族の煌びやかな籠がやって来たのだから、大騒ぎである。

「ああ、ビアンノの諸君、何事も無いように過ごしてはくれまいか? 河が治まり次第出発する。この任務は隠密に運びたいのだ、宜しく願いたい」

 隠密に運びたいと言いながら絢爛豪華な籠を使っているのが矛盾しているが、ビアンノの人々は喜んでそれを受け入れた。一番大きな宿屋に、籠を仕舞い込み、マリーを寝かせた。オラクルの主人が可能な限り籠を隠した。これで、スモールギルの眼を誤魔化せれば良いのだが……。

 マリーは籠から降りると用意された最高級の部屋に連れられた。そして、窓から外を眺めた。雨がざあざあ降っていた。河の様子は見れなかったが、船が出せないのは仕方の無い事だった。

「ダッシュ陛下……」

 マリーの眼には憂いの色が見えた。

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