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バーンニッシュ・ログニス  作者: 屋久堂義尊
第一話バトモンエストゥ
4/7

第三話 ブランジ・シェマとの出会い

「子ども達は……?」

 カロリーナ・スランバはパイドラ・ナッタに聞いた。

「私の知る所では無いです。でも、どうやら、仕返しをするかもしれません」

「仕返し!? どうして止めて下さらなかったのですか!?」

 カロリーナは憤然と食ってかかった。

 パイドラは一瞬、ばつが悪そうな顔をしたが、すぐにそれを取り消した。

「酷い事を言うようですが、私にも使命が有るのです」

「構ってられないと言う事ですか?」

 カロリーナの眼には潤む物が有った。

 それを見て、パイドラは考えを改めた。

「……分かりました。止めに向かいましょう」

 パイドラは腹を括ったようにカロリーナを支えた。



 森林地帯で、エルとクロームは当ても無く歩いていた。エルの眼は、怒りに爛々と燃えていた。森の中は真っ暗だった。光も届かない世界で、クロームはエルの表情も見えなかった。クロームの考えている復讐とは少し異なるようだった。

 大体敵の数も分からない中、たった二人で何が出来ると言うのだ? クロームは冷静に成って、エルについて来た事を後悔していた。

「エル、どこへ向かっているんだ?」

 クロームが問いかけるが、エルは無言を貫いたままだった。それが、クロームの不安を煽っていた。エルは本気でやり返すつもりらしいが、だとしても、彼等の村を襲った連中の方向がこの方向にいるとは限らない。むしろ、もっと北に有るのではとクロームは考えていた。

 突然、エルが歩みを止めた。クロームもそれに倣う。

「なあ、エル、どうするつもりなんだ?」

 エルは上空を見上げていた。鬱蒼と生い茂る木々に遮られ、大空は見えなかった。

 見上げた空からクロームの頬に落ちる物が有った。ザーと言う音と共に大きな雨粒が降りしきって来た。

「……、見付けた」

 クロームの見上げた先には何かが大木に巻き付いていた。

 すると、エルは思い切り息を吸い込むと指笛を鳴らした。

 その瞬間、巨大なそれは動きを再開した。ガチガチと鳴き声を出している。魔物だ、ヘビトンボだった。

「おい、どうするつもりなんだ?」

 クロームは再度問う。

「このヘビトンボはおいらの友達なんだ」

「友達?」

 クロームが怪訝な声を上げた。

「そう、さあ行こう」

 エルはにべも無く言うと、ヘビトンボを呼び寄せた。ヘビトンボはとぐろを解き、地面に腹這いに成った。そして7そのまま大人しく動きを止めた。

「乗るよ」

 エルがクロームの手を取って、ヘビトンボの上にジャンプした。クロームもその背中に飛び乗った。

「良し、行こう」

 エルは指笛を吹いた。するとヘビトンボが翅を震わせた。

「クローム兄ちゃん振り落されないようにね」

 ヘビトンボは空に舞い上がると、上下に身体を揺らしながら、ゆっくりと森を抜けた。エルは器用に二本の足で立ち、頭の方へと歩いて行った。クロームも四つん這いになって、その後を追った。

 彼等が森を抜け、フラニーの村の上空に達した時、村から伸びる馬や人の足跡が分かった。

「この先に行けば……」

「ああ、村を焼いた連中がいるだろう」

 エルが握り拳を作るのが分かった。ヘビトンボは一気に加速した。



 パイドラは、森から出たヘビトンボを確認していた。

 そしてその背に二人の影を見た。

「エル君が力を使ったのか……?」

 パイドラはハッとした。

 もしかして、バジュラ仙人の言っていた存在は彼なのではないか? ただ、それはにわかには信じ難い物だった。何故信じられないのか。それは彼がフラニーだからだった。“人間以下”だからだ。パイドラはだからこの能力が“人間以下”が人間でない魔物と交信する為に発達した物だと感じていた。

 パイドラは、フラニーについて詳しくは知らない。彼は元々ログナーの身分に生まれた。それからバリヤであるバジュラ仙人の元に出家した。バジュラ仙人の門下には、バリヤ、ログナー、オラクルのまでの三つの身分しか存在していなかった。だから、ダラーも、そしてフラニーの事も、どちらも知る事が出来なかった。

 だから彼は、エルの力はエルだけが持つ物だと感じなかったのだ。それはフラニー全員が持ち合わせた能力なのだと。

 パイドラは自分の眼に霞がかかっている事に漸く気が付いたのだった。

 二人を乗せたヘビトンボは、緩やかに波打ちながら、北の方へ向かっていた。パイドラはそれを追おうと、魔術書を取り出し、中を見た。バジュラ仙人から賜ったその書物は、持ち主の魔力に適した魔法しか使えないのだった。加速呪文はまだ読む事が出来ない。パイドラは力不足に嘆く。

 しかし冷静に考えてみると、カロリーナを独り置いて行く事も難しい。パイドラは追う事を諦めた。

 彼は踵を返すと、カロリーナの元へ向かった。



「これは凄い……!!」

 クロームは自然と感嘆の声を上げていた。

 彼とエルを乗せたヘビトンボは、四枚の翅をゆっくり震わせて、大空を舞っていた。雨が少し気に成ったが、それでも大空の旅は素敵だった。

「……いた!!」

 エルはそれを見付けた。そこには三ツ星に円を描いた国旗が掲げられていた。間違いない、あれはスモールギルの国旗だ。近々スモールギル国がセルゲイを含む国、マジャバ国に攻め入ると言う話は聞いた事が有る。彼等の狙いは、首都バトモンエストゥ城だとはすぐに分かった。

 元々マジャバ国には魔法芸術と地下資源が有るという事でスモールギルから眼を着けられていた。今までも何度か戦争をしていた。これは弱小国のマジャバ国にとって厳しい事実だった。

 そんなマジャバ国が勝ち残って来た理由は、兵の練度の高さに有った。弱小国で有りながら、バトモンエストゥ城は愛国心溢れる人間が多く、国民は誇りを持って過ごしていた。また、現王であるダッシュ・ログルスが武芸に秀でた武将であった事もバトモンエストゥ城の強さに由来していた。

 しかし根本では、マジャバ国の国民達は戦争を嫌っていた。だから領地を増やそうだとかと言った欲望は無かった。

「どれくらいいるかな?」

 クロームが乗り出してざっと数を数える。先遣部隊らしく、数は二十人程だった。

「偵察部隊ってわけだ」

「あれぐらいの数ならば」

 エルは指笛を再度吹いた。

 その音を聞き、彼等を乗せたヘビトンボは急降下した。

「クローム兄ちゃん、降りるよ」

「ああ」

 スモールギル軍の陣地からおよそ距離三百。二人は茂みに隠れた。

「良し、やっちゃって!!」

 エルが合図を出すと、ヘビトンボが再び上昇し、スモールギル軍の陣地に向かった。

「おいら達も行くよ」

「あ、ああ……」

 エルは身軽に、一気に走り出した。その動きにクロームは付いて行くのがやっとだった。彼の身体能力には舌を巻くしかなかった。

 陣地に入り込むとそこは大混乱だった。森から離れた陣地に陣取っていたスモールギル軍は、よもや森の魔物であるヘビトンボに襲撃されるとは思っていなかったのだろう。また、雨天の為、火矢や火炎放射器が使えないのも彼等を苦しめている原因の一つだった。

 ヘビトンボは、口から強酸を吐き、陣地で混乱する兵を襲っていた。正気を取り戻した兵士が、槍を放り投げた。それがヘビトンボの肩に突き刺さった。しかしヘビトンボの硬い殻を貫通する事は出来なかった。ヘビトンボは刺さった槍を口で引き抜くと、そのまま噛み潰した。

 次にヘビトンボに向かったのは、軍に所属する魔法使いだった。

「πατεπαρητα μαονα」

 魔法使いが呪文を唱えると、岩槍が大地より湧き上がった。それが、ヘビトンボの翅を引き裂く。ヘビトンボが苦悶の声を上げる。

「くそ」

 エルが走り出すと、落ちていた槍を拾って、魔法使い目掛けて投げた。槍は真っ直ぐにその魔法使いの首に突き刺さった。魔法使いは大量の出血と共に倒れた。

 邪魔がいなくなったヘビトンボは再び攻撃を開始した。

「怯むな、相手は一体だ」

 突然怒声が聞こえた。この隊の司令だろう、小太りの男が剣を抜いて兵士達の前に立った。その姿を見て、一部の兵士達が彼の前に隊列を作った。

「火矢は使えない、槍隊、槍衾を組め!!」

 司令に促されるまま、兵士達が一列に並ぶ。

 ヘビトンボが迫る。

「かかれ!!」

 一斉に槍を突き出す。

 ヘビトンボは身体中を刺され、悲鳴を上げた。

「やられるぞ、エル」

 手近に落ちていた剣を拾ったクロームは逃げ惑う兵士達を切り捨てながら、エルに叫んだ。

「くそ、あいつらを皆殺しにするまで負けたら駄目だ!!」

 ヘビトンボが遂に倒れる。それを見て、エルは泣き出していた。

 生き残った兵は五名程。エル達の逆襲は上手く行ったと言いたい。しかしエルは不満だ。だから彼は退かなかった。

 エルは、再び槍を持つと、隊を指揮していた小太りの男目掛けて投げようとした。しかしその手はクロームによって止められた。

「何奴!?」

 司令が振り返った。そこには、槍を投げようとする少年を抑える青年の姿が見えた。

「お前達は……?」

「くそ、おっかさんのかたき……!!」

 エルは涙を湛えながら、キッと小太りの男の眼を睨んだ。

「貴様、人間では無いな。フラニーか!?」

「人間じゃ無い!? 寝ぼけた事言うな、おいらは人間だ!! 勝手に“人間以下”にしただけじゃないか」

「エル、逃げるんだ、勝てっこ無い」

 クロームが諭すように述べるがエルの耳には入らなかった。

「あいつを、あいつを殺してやる」

 小太りの男の前に再び槍兵が並んだ。

「『レグ神典』を聞かないと言うのか。それはこの世界を認めないと言う事だな。神に対する冒涜だ、この場で始末してやる」

 男は剣を抜いた。

「このブランジ・シェマの部隊の手にかかる事を名誉に思えよ、フラニー」

 エルは、いきなりクロームのみぞおちを蹴り上げた。

「ウッ!!」

 クロームは悶絶し、地に膝を着き、気を失った。

 その手から、強引に剣をはぎ取ったエルは、重たい剣をやっと持ち上げて、ブランジに向き直った。

「槍隊、かかれ!!」

 ブランジの指示の元、五人の槍兵が一斉にエルに飛びかかる。

 エルは剣に振り回される形で、ぶんと空を切った。

「卑怯者、堂々と自分で戦え!!」

 エルは悪態を吐く。

「ふ、指揮官が自ら剣を交える等それこそナンセンスだ。第一、貴様のようなフラニーに接触する等穢らわしい。見たこの眼も洗わねばならないな」

「ならば部下が穢れるのは構わないのか!?」

 ブランジは呵々と笑った。

「部下はその為にいるのだよ。こいつらもダラー、貴様程では無いが、穢れているのだ。辛うじて人間で有り続けているだけで有り難く思って貰わねばな」

「く、何て奴だ」

 エルは剣を握り締めた。その切っ先ががくがく震える。それは、エルの力が足りない事だけが理由では無かった。エルの眼から大粒の涙が一つ零れ落ちた。

「よし、かかれ!!」

 槍隊が一斉に槍をエル目掛けて突き出した。

 レグ大陸での戦争には一対一のチャンバラの流儀は無かった。卑怯だ何だと言われても、勝ってしまえばこちらの物だった。だから戦法は、相手を取り囲んだ方が有利だとされていた。丁度日本が蒙古襲来の時に苦戦したのと同じ理由だと言える。正々堂々とした戦いが求められるのは格闘場での戦ぐらいだった。

 エルは、剣の重さに上手く扱えず、切っ先を避け続けた。右肩に痛みが走った。肩の肉を、槍の先が貫いていた。

 苦々しくブランジを見たエルは、ブランジが眼を洗う事に夢中に成っているのが許せなかった。

「お前達も、あんな奴の命令に従うだけで良いのか!?」

 エルは、誰ともなく語り掛けた。

「フラニー風情が偉そうに抜かすな」

 槍が頬を掠める。出血したのだ分かった。

「いくらダラーだからって、こんな役で良いのかよ!?」

「『レグ神典』に従うまで。人ですら無いお前の指図は受けない」

「この分からず屋!!」

 エルは叫ぶと、剣を放した。



「この足跡を辿って行けば……」

 パイドラは二人を乗せたヘビトンボが向かった先も考慮して軍馬と歩兵達の跡を慎重に見極めていた。

 雨が激しく成って来たので、ローブをカロリーナへ渡していた。カロリーナはその大きなローブを着てフードを被っていた。

「宜しいのですか、私が被っても」

 カロリーナが恐る恐る聞いた。

「ご婦人が雨に濡れるのは、例えダラーであっても見たくない物です」

「すみません、あの……」

「良いんです、このパイドラ、身体は丈夫ですから」

「有難うございます。後で洗って返しますね」

 パイドラはうむと頷いた。このローブは彼が修行者である証だった。これを見て、人は彼に施しをしたり、或いは治療を求めたりした。

 ローブを脱いだパイドラは、ベトナムのアオザイと中国の漢服を足して二で割ったような恰好をしていた。腰の所にある帯に、ディアフィトレウスとヒョウタンをぶら下げていた。左手には魔術書を持っている。

 魔術書は相変わらず、パイドラには使いこなせなかった。それは彼の魔力がまだまだ高まっていない証だった。単純な魔法ならば使えるのだが、複雑な、魔導士同士が戦う場合は、少し不安が残った。

 もっとも、いざとなればディアフィトレウスを使えば良いし、それに相手の体力や気力を削ぐ魔法さえ使えれば特別困った事態に成る事も無かった。

 ただ、その立場上、傷を治す呪文だけは、しっかりと使いこなせねばならなかった。それが旅をする彼の生きる為に必須な作業だったからだ。魔力が上がれば上がる程、回復の効果が高まるそうだが、今のパイドラには自信は無かった。

「パイドラさん」

 考え事に夢中だったパイドラを、カロリーナが現実に引き戻した。

「私、あの子には――クロームには死なれたくないのです」

 パイドラは無言で頷いた。カロリーナは続けた。

「あの子の父、つまり私の夫が、あの子の食い扶持を稼ぐ為に、自ら奴隷戦士として志願したのです。後で領主様から聞いた話では、夫は、戦場で鉄砲玉扱いされて死んだと。その死体を取り返す事も出来なかったと、そう言っていました」

「そんなの、出鱈目かもしれないじゃないですか。ご主人はきっと生きていると、そう信じないでどうするのです」

「しかし、私達の領主様は、底意地の悪い方でしたが嘘は吐いた事が無かったのです。だから、きっと死んだことは事実なのでしょう」

 パイドラは迷った。どう切り返したら良いか分からなかった。パイドラにとってダラーの生活振りは理解出来る物では無かった。経済的にも精神的にも彼等は反抗の意思を示さなかった。もしパイドラがダラーならば、彼は自らの身分に反するだろう。なのにどうして彼等がそこまでこの身分に拘るのか、そしてその身分を決定づけている『レグ神典』に従うのかが分からなかった。

「あの、えっと……」

「あ、私カロリーナ・スランバです」

「失礼、カロリーナさんは何故享受するのです?」

「享受しているわけでは無いのです。ただ、私達は罰を受けているだけなのです」

「罰?」

「はい。生前、『レグ神典』に記された身分に課せられた使命を果たせなかったが為に、その罰を受けて、こんな身分に、そしてこんな境遇に生まれたのです。全て自業自得なのです」

 パイドラは聞いて驚いた。それは、彼の考えの及ばない世界の話だった。

 パイドラはログナーだ。その身分に生まれた理由等考える事無く暮らしていた。彼の家は小さく、決してログナーとして裕福では無かったが、それでも良かった。ただ、バジュラ仙人と出会い、そのカリスマ性に触れて、出家しただけの身だった。自分の生前の善悪で今の自分が決まってしまうなんぞ考えた事も無かった。

 カロリーナは続けた。

「でも、今生きている内に、『レグ神典』に忠実に生きていれば、来世でもっと位の高い、良い境遇の存在に生まれ変わる事が出来るのです。だから、私は、私達は、今を懸命に仕えるのです」

「そんなの迷信ではないのですか?」

「例え迷信でも、私達は立派にダラーとして生きねばなりません。ダラーはただダラーだと言う理由だけで、まともな扱いは受けません。私も誰か新しい雇い主を探して、そこに仕えるしか道は無いです。それで、クロームと離れ離れに成ってしまっても」

「それで良いのですか?」

「良いんです。でも、あの子の命を奪う事だけは、何としても止めたいのです」

 カロリーナの眼は煌々と燃えていた。

 パイドラはそんな彼女の熱意に押し流されていた。

「あれじゃないですか?」

 話題を変えたかったパイドラは丁度目の前に見えて来た布陣を指差した。

 何だか様子がおかしい。中から人が溢れている。

 一人の男がこちらに向かって走って来た。良く見ると、身体が焼けている。

 パイドラはその前に立ちはだかった。

「一体どうしたと言うのだ?」

「分からねぇ、森にしか出現しないはずのヘビトンボが襲撃して来たんだ。しかもいきなり強酸を吐いて来て……」

 男はカロリーナの方へ向いた。

「なぁ、修行者さんよ、この傷治してくれよ……。俺、こう見えてもログナーなんだ。報酬はちゃんと払うぜ」

 男に縋りつかれ、カロリーナは困惑した。

「ああ、すまん。修行者は私だ。このご婦人にローブを貸し出しているだけだ」

「すみません」

 カロリーナが謝る。

「あー、謝らなくて良い。頼む、治療してくれ。雨水がしみるんだ」

 パイドラは魔術書を取り出すと、男の焼けただれた肌に手を向けた。

「ταυταζητα」

 パイドラの手から光が湧き出し、ゆっくりと傷口にその光が集まる。火傷の痕を完全に消す事は不可能だが、痛みを取る事は可能だった。男の顔から苦痛の表情が消える。パイドラは魔力を振り絞り、ピュシスを動かして、男の傷に意識を集中していた。パイドラの魔力では、これが限界だった。

 パイドラが、最後の傷に光を当てた後、男は糸が切れた人形のようにへたり込んだ。

「何が有ったのですか?」

 カロリーナが、パイドラに問う。

「副作用です。少しばかり力を注ぎ過ぎて、眠ってしまったのでしょう。すぐに起きます」

 パイドラは肩で息をしていた。かなりの体力を消耗した。パイドラはがくりと膝をついた。泥水が、膝を濡らした。

「すみません、少し休ませてくれませんか?」

 パイドラは息も荒げにカロリーナに頼んだ。

「私は……」

 カロリーナは布陣の方を一瞥した。

「私は構いません」

「すみません。すぐに落ち着くはずです」

 パイドラは天を仰ぎ、腰の瓢箪を口に運んだ。水が、パイドラの中に染み渡っていった。



 エルは剣を放した。その意外な行動に、槍を構えた兵士達は一瞬戸惑った。

 しかしすぐに持ち直すと、槍を突いた。

 エルはぱっとジャンプすると、一本の槍の上に乗った。兵士は槍を振ってエルを振り払った。が、エルはそれよりも早く動いた。エルは、別の兵の槍の上に止まると、そのまま一気に駆け上がった。それを追った兵の槍が、エルの動きに着いて行けず、仲間の胸を刺した。エルは身軽に、兵士達の包囲網を飛び越えた。残った四人の兵士達は、槍を下段に構え、じわじわとエルに詰め寄った。痺れを切らした一人がエルに突進して行った。エルはそれをひょいと飛び越え、背後からその兵士を蹴飛ばした。兵士はもんどりうって、地面に倒れた。エルの身軽な動きに兵士達は撹乱された。

 最後にエルが着地した時には、全ての兵が、肩で息をしていた。エルは漸く剣を持つと、一人ずつ順番に切っていった。最初の兵は袈裟がけに、次の兵は腹を裂かれ、その次は胸部を貫通し、最後の兵士は唐竹割りに切り捨てられた。

 エルは、鼻をこすった。血が鼻の下に伸びていた。

「さあ、最後はお前だよ」

 エルが血が滴る剣をブランジへ向けた。

 ブランジは多少怯んだものの、豪快に笑い飛ばした。

「フラニーの小僧、良くやるわ。だがわしはそんな簡単に倒れるような男では無いぞ」

 ブランジは剣を上段に構えた。

「良いか小僧、優れた指揮官はな、武芸にも達している者なのだ」

 エルは、重い剣を、ゆっくりと垂直にした。

 ブランジが切りかかって来た。エルはそれを受け止めた。しかし力の差は明らかだった。またエルは負傷していた。エルは吹っ飛ばされた。陣を張る布に倒れ込み、一気に崩れた。

 勝利を確信したように、ブランジがエルの元へ歩み寄った。余裕綽々と言った様子だった。

 と、布が空を舞った。否、布をまとったエルが上空に飛び上がったのだ。そのジャンプ力は凄まじい物だった。

 エルは上空から剣を叩きつけた。しかしブランジはそれを読んでいた。ふんぬ、と力を込めると、エルを背後の布に吹き飛ばした。

 エルは剣を抱えたまま、倒れているヘビトンボの辺りまで転がった。

「どうした小僧、もう終わりか?」

 エルは剣を地面に刺し、それにもたれかかる形で再び立ち上がった。

「貴様も男だという事だな」

 ブランジは楽しんでいた。小賢しいケダモノの分際で、ここまで粘るとは。身分さえ良ければ将来良い戦士に成れたろうに。

「トドメだ!!」

 ブランジは一気にエルの元へ駆けた。剣が振りかざされる……!!

 しかしその時だった。

 それまで動きを止めていたヘビトンボが再び息を吹き返した。ヘビトンボは、首を伸ばし、エルを弾き飛ばすと、そのままこちら側に走ってきたブランジに噛み付いた。身体の半身を噛み裂かれ、ブランジは絶叫した。ブランジは、右半身を失って、そのまま倒れた。同時に、ヘビトンボの最後の足掻きも終わりを迎えた。ヘビトンボは地面にもう一度倒れるのだった。

 雨脚が強く成った。クロームは、意識を取り戻した。

 彼が見たのは、死体の山だった。その中に、エルの姿が有った。クロームは駆け寄った。

「エル、エル、しっかりしろ!!」

 エルは肩からの出血が酷かった。クロームは自分の巻きスカートを引き千切り、エルの右肩に結び付けた。

「うう……おのれ……」

 背後から呻き声が聞こえ、クロームは振り返った。血だるまに成ったブランジが横たわっていた。

 クロームは、一瞬迷ったが、すぐにブランジの方へ向かった。右腕、右足、そして右脇腹が食い破られていて、内臓が見えた。

 クロームは、手近の死体から巻きスカートを奪うと、ブランジの身体を包んだ。

「お……お前は……?」

 ブランジが息も絶え絶えに口を開いた。

「今は喋らない方が良いです。大丈夫です、助けます」

 クロームは、布で包んだブランジを抱えると、それを負ぶった。

 ブランジは気絶寸前のようだった。

「エル、エル」

 クロームはエルを呼んだ。エルの眼が微かに開く。

「僕はこの男をスモールギル国まで帰しに行ってくる。そうすれば、もし上手く行けば、母さんを買えるだけの報奨金を貰えるかもしれない。本当は、エルに魔物を召喚して貰いたいけれど、エルはきっとこの男を殺したいだろう? だから、今回は自分の足で行くよ」

「行っちゃうの……?」

 エルが弱々しく聞いて来た。

「うん、じゃあね。セルゲイで待っていてくれよ」

 自分と違い、小太りなブランジを背負うクロームははっきり言ってしんどかった。

 所が運が良い事に、戦車がまだ繋がれたままだった。

「有り難い、拝借しよう」

 ブランジを戦車の下部に固定すると、クロームは戦車に乗り込んだ。

 手綱を引き、森を避ける為、クロームは東の方へと戦車を進めるのだった。



 パイドルとカロリーナが陣地に到着したのはそのすぐ後だった。パイドルは魔力を回復させて、どうにか歩けるように成っていた。

 布陣は凄惨たる状況だった。そこら辺に死体が転がり、そして巨大なヘビトンボが息を絶やしていた。

「エル!!」

 その姿に気が付いたのはカロリーナだった。

「エル、大丈夫なの!? エル!!」

 カロリーナが身体を揺らす。エルの右肩には、布きれが巻き付けてあった。そこから赤い血が流れ出ていた。

「パイドラさん」

 カロリーナがフードを脱いでパイドラを見やる。

 パイドラは眉間を押さえた。

「すみません、今の私では直接回復魔法を使う事は難しいです。町に戻って、道具を揃えて薬剤魔法を使う方が良いです」

 パイドラはそう告げた。嫌な報告だった。

「そうですね、パイドラさんばかりに無茶を言うのは止めましょう。クロームの姿が見えないのですが、まさか……?」

 カロリーナの顔から血の気が引いた。そんな彼女のローブをエルが引っ張った。

「クローム兄ちゃんは、生きているよ……」

「え?」

「敵の大将を、国まで送り届けるんだって。そして報奨金を貰うんだって……」

 それを聞いて、カロリーナは安堵の溜め息を漏らした。

「良かった、生きているのね、良かった……」

「さあ、戻りましょう。クロームの無事も確認出来た事ですし。このままだとエルが持たない。セルゲイの町にまで戻って、私が魔法薬を調合します」

「分かりました」

 カロリーナはエルを抱きかかえると、そのままセルゲイの町の方へと歩き出した。

 パイドラもそれに従った。

 パイドラにとってエルは特別な存在だ。エルが――認めたくない部分は山ほど有るが――もしかすると、バジュラ仙人の予知した存在なのかもしれない。そう思うと、無碍には出来ないのだった。だから彼は、エルのこれからの行動を見る事にした。齢九十のバジュラ仙人に、急ぎ光の存在を伝えたかったが、果たしてバジュラ仙人が、“人間以下”のフラニーの事も見据えていたかも分からぬまま、早とちりで終わる事だけは避けたかった。だからこの先の、彼の行動で、フラニーの中からも光が生まれるかどうかが知りたかった。



 クロームとブランジを乗せた戦車はナイトレイア川の岸まで辿り着いていた。

「怪我人がいるんです。向こう岸までお願いします」

 クロームは必死に叫んでいた。船頭が、スモールギル軍の方に連絡をとっていた。

「ブランジ少将と承った。しかしこの傷は、お前の手にかかった物では無いのか?」

 気が付けば、クロームは刀を持った兵士達に囲まれていた。対してクロームは丸腰だった。

「貴様、身分は?」

 一人に問われ、クロームは正直に答えた。

「ダラーです」

「雇い主は?」

「いません」

「はぐれ奴隷と言う訳か。ならば貴様がブランジ少将をこんな目に遭わせたと言う可能性も否定出来ないわけだな」

 じりじりと迫る何本もの刃を前に、クロームは狼狽した。まさかこんな風に疑われるとは思っていなかった。

「ま……待て……」

 その時だった。戦車下部にこていされたままブランジが口を開いた、弱々しくか細い声ながら、誰もがそれに耳をすませた。

「この者はわしを助けてくれた……命の……恩人だ……殺してはならない」

「さようでございますか!?」

 クロームを取り囲んでいた輪が途切れた。

「名前は……何と言う? ダラーの青年よ……?」

「クローム・スランバです」

 クロームは答えた。

「彼に報奨金を……、それからクローム、私の元で働かないか?」

「え?」

 ブランジが眼を瞑った。

「わしには……息子がいない……お前を、立派な奴隷戦士にしたい……、勿論、金は払う……。どうか?」

「……、どれくらいですか?」

「お前が……、食うには困らない程は……」

「それでは足りないです」

「足りない……?」

「僕は、母を食わしてあげたいんです」

「……分かった、二人分を、用意しよう……頼む、わしに仕えてくれ」

 クロームは、頷くのだった。

「分かりました、応じましょう」

「……そうか、良かった」

 ブランジはそう言うと、深い溜め息を吐くと、再び気を失った。

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