変態の証明
『愛ってナニ?』
彼女は。岡崎千尋は体育の授業をよく休む。
今日も三限目にある体育を休んだ。
男子は別室で、女子は自分達の教室で体操着に着替えてグラウンドへ向かう。
見学でも体操着には着替えなければならなく、誰もいなくなって物静かな教室で千尋も着替えを終えた。
だが彼女はすぐには教室を出ず、誘われるようにある女子生徒の机に向かう。
几帳面な性格なのか、他の生徒と違いキレイに折り畳まれたその制服を千尋は手に取り。
……匂いを嗅いだ。
大きく吸い込み、ゆっくりと最小限に息を吐く。
それを数回繰り返す。
目を細め瞳が少しずつ虚ろむ。
にじんだ汗と火照る身体。
彼女は酔いしれるように、時を忘れて口を開く。
「……清水さん」
嗅ぐ対象をプリーツスカートに変えた時。千尋の視線は教室の前、黒板側の扉に向けられた。
「岡崎さん」
「……あ」
迂闊にも一人の女子生徒に目撃される。
容姿端麗で学年問わず男女に人気があり成績優秀。それでいて気取る事もなく常にクールな立ち振舞い。
同じクラス。今まさに嗅いでいたその制服の持ち主…清水涼子が千尋のその姿を凝視する。
黒のショートカットに赤いヘアピン。赤いフレームの眼鏡が窓から射した太陽の逆光で光りだした。
その場で動けなくなる千尋に涼子はあくまでクールに話しかけた。
「なにをしているの…岡崎さん?」
「え……あっ……」
「アタシの制服で何をしているのかを聞いてるのよ岡崎千尋さん」
軽く歯を食いしばり溢れはじめた涙を流れ落とす前に、千尋は制服を彼女の机の上に置き走り出した。
「ごめんなさいっ!」
教室の後ろ側の扉を開けて走り去る千尋の背中をジッと見つめる涼子。
千尋はその日…体育の授業中に早退届を提出して帰宅した。
『愛って…ナニ?』
――次の日。
やはりと言うべきか、千尋の姿は教室にはなかった。
中学生になって三年目。彼女は初めて朝から学校を休んだ。
「誰か今日休んでいる岡崎さんにプリントを渡しに行ってくれる人はいないかしら?」
帰りのホームルームで、普段と変わらず化粧が濃いめの大杉先生がプリントを片手に生徒達に呼びかける。
一人の女子生徒が手をあげた。
「あら清水さん。よかったわ…お願いできる?」
「ハイ」
「岡崎さんの家の住所だけど…」
「知っています」
「……あら、そう」
先生は涼子にプリントを渡してホームルームを終了した。
涼子は千尋の住むマンションへ向かい玄関のチャイムを鳴らす。
生徒会長である涼子は学校での仕事を片付けてから来たため、空は少し茜色に染まっていた。
戸を開けて涼子を出迎えたのは千尋の母親だった。
涼子が事情を説明すると母親は大きな声で千尋を呼ぶ。
「ちひろ~! 清水さんが学校のプリントを持って来てくれたわよ~!」
しかし部屋からは千尋の返事はない。さらに大きな声を出す母親…涼子の耳には微かに廊下の奥から『お願い帰ってもらって』という千尋の声を聞き取った。
「ごめんなさいね。遠慮せず入って入って…今お茶持ってくから」
「…お構い無く」
母親の案内で涼子は千尋の部屋に入る。
電気は消されていて、女の子の部屋にしては少々殺風景。アイドルのポスターやマンガは見当たらない。
かろうじてピンク色の可愛いクッションがあるくらいで、机の上も教科書やノートが置かれているだけ。
親には風邪と言ってあるのだろう。布団を被り部屋に入った涼子と目を合わさないし声もかけない千尋。
音はしていないハズだが、ベッドの側に寄りだした涼子にビクッとした千尋は警戒し怯えるように布団を身体にくるみながらベッドの上に座り込む。
「清水さん……学校から家、私の家と方向逆だよ…ね?」
涼子は先生から渡されたプリントを千尋の机の上に置いた。
「……」
「清水さん……あの…」
「変態」
その一言に千尋は目一杯に瞳孔を開かせて怯えた。
「最低。汚らわしい。昨日あのとき泣いていたわね、泣きたいのはアタシの方よ」
鋭い眼差し、相変わらず落ち着いた物言い。千尋は自分を抱きしめるように体を丸くした。
「ご、ごめ…」
「クラスの皆に言ってあげようか? 岡崎さんはアタシの制服の匂いを嗅いでいた変態だって」
「ゆるして!」
「生きていて辛くない? ホント。いっぺん死んでみたら?」
声のトーンは変わらない。
次々と罵声を浴びせる涼子。たまらず茶色のポニーテールをなびかせ、布団から出て身を乗り出す千尋。
涙を流し、目の下には少し隈が出来ている。
しかし涼子はもちろん臆することも手加減することもない。
「なに? ののしられて嬉し涙?」
「ち、違う!」
「変態だものね。罵倒されて感じたんだ? 気持ち悪い」
「ひっ…うっ……」
しばらく沈黙が続く。
もはや何も言えずに顔を両手で覆い隠しながら泣き出す千尋。
そんな千尋にも涼子は視線を逸らさずにいる。
「ねぇ」
「……」
「私の制服。今まで何回嗅いだの?」
「……え?」
「回数。当ててあげようか?」
二人は至近距離で目を合わす。涼子は千尋の右手首を指さした。
そこには薄くではあるがカッターで傷つけたような切り傷があった。
死ぬほどでも、まして病院へ行くほどでもない軽い傷跡。罪滅ぼしの自傷行為。
「七回でしょ。その度に傷つけるなんてバカね…恐くて全然ちから入ってないじゃない」
「ごめん…なさい。でも私ヤメなきゃって」
「どんな香りだった? どんな気分になったの?」
「……清水さん?」
涼子はゆっくりと千尋に近づき、ベッドはギシッと軋む音をたてた。
「ねぇ感想を聞かせてよ。具体的に」
「どうしたの? 清水さん怖い…よ」
「いいから」
涼子はベッドの上に乗り、そして二人の距離を縮めていった。千尋は壁を背にして追い詰められていく。
「……イイ香り。香水とか、清水さんの…その…とても。暖かくて」
「ふ~ん」
おもむろに千尋の片腕を掴む涼子だったが、抵抗の反応を見せたがため次に千尋の両肩を掴み押さえつける。
こわばった体を更に硬直させる千尋。
「ぃやっ!」
「逃げないでよ。あんな事したのに岡崎さんってメンタル面が弱いのね…ド変態女のくせに」
涼子の吐息が千尋の頬にかかる。次第にその頬は赤く染まりだし、肌も少しずつ汗ばんでいく。
肩を優しく撫で、涼子は千尋の首をまるで壊れやすいガラス細工を扱うようにユックリと絞めはじめた。それは決して苦しむほどではない力加減。
「変態変態変態変態変態変態変態……」
「やめてっ!」
千尋の声に今まで表情が崩れなかった涼子の口元が微かにゆるみ笑みを浮かべたように見えた。
静まる部屋の中。
「私は。私…小学生の…五年生の時に仲良くしていた友達が転校して。
その女の子が別れの日に、突然キ…キスしようとしてきて。その時は私その子のこと拒んだの。
でもその後で避けちゃった事に後悔して。しばらくしたら私」
千尋は自分の女性に対しての性への目覚め、その経緯を無我夢中で話し出した。
軽いパニック状態の千尋に対し涼子は清ました顔で言う。
「成り立ちとか、そういうの聞くつもりとかなかったのだけれど」
「…へ? あっ…あの」
涼子の手は首から彼女の手に向かい小刻みに震える彼女を落ち着かせるように握る。
「でもソレ。転校した宮下さんが今のアナタの気持ちを知ったら喜ぶんじゃないかしら?」
「そうかな…でも。って……え? 何で宮下さんのこと知ってるの清水さん?」
意表をつかれたような顔で千尋は肩をすくめた。
待ちかねたと言わんばかりに涼子は千尋を抱きしめる。そして耳元で囁くように語りはじめた。
「あの頃のアタシ髪が長かったし、眼鏡もかけてなかったし声も…今より少し高かった。
五年生でこの町から引っ越したけど、しばらくして親が離婚したの。だから今は母方の清水を名乗ってる。
中学二年の春にコッチの学校に移ってから、アナタの事ばかり見てた。家の住所も変わってなかった。異性になんか見向きもせず…考えるのはアナタのことばかり。
このマンションの近くの公園でよく遊んだよね。
今だってアナタの部屋にいるだけで興奮して狂いそうになっている私がいるの」
「清水さん」
「昨日のアレ。偶然アタシが教室に忘れ物でも取りにいって鉢合わせたとでも思った?
アナタの窮地にたたされた表情を見るためにワザとよ…スゴく良かった。スゴく興奮した」
「ヒドイ…清水さん。てか変だよ。本当にヒドイよ」
「ヒドイのはどっちよ。アナタが悪いのよ…アナタがそんなに魅力的だから」
二人は再び顔を見合わせる。さっきまでの険悪な空気、険しい顔つきは消えた。
今にもキスをするかのよう。体を密着させ、互いに荒かった呼吸も落ち着かせる。
「恋するの? 私たち‘付き合うの?’」
「アタシのこと好きなんだよね岡崎さん……アタシは小四から恋してたけど」
そうなんだ、と千尋は思い照れる姿をみせる。
涼子は聞いた。
「ねぇ。じゃあキスする?」
それに対して千尋は戸惑う。
あまりに今日は色んな事があり、そして自分の想いが伝わり、このまま二人の関係が…どこまで堕ちていくのか少し不安になる。
そう思うと。引けなくなった後の…今後の事も脳裏に浮かぶ。
「昔の呼び方で言おうか?」
比べて涼子には迷いが無かった。まっすぐに。その瞳は真剣そのもの。
正直…千尋も本当は答えが出ていた。後悔のない答えが。
涼子は眼鏡を外す。
「ちーちゃん。キスしよ」 涼子のその言葉に千尋は首を縦に振った。
『愛って……ナニ?』
今後の二人は。
自分は鬱な展開。
バットエンドやトゥルーエンドなどが……あまり好きな方ではないので『それなり』にやっていくのではないかと思います。