19話:力押し
「いくわよ」
「うん」
二人は飛び出した。
そしてキリカに背を向けるように走る。
「待てっ!」
枝を踏む音に気づいたキリカが、すぐに二人の背中を追いかける。
キリカが追いかけてくるのを感じたタクミは横を走るクックに、
「いいかい? チャンスは一回だ。それ以上は――」
「わかってるわ。必ず一回でしとめるっ!」
力強く答えると、クックはぎゅっと包丁を握り締めた。
刃こぼれしてボロボロになったその刀身が、すこしずつ熱を帯び始め、ゆっくりと紅い輝きを増していく。
それを見届けると、タクミもすぐさま懐から拳大の鉄塊を取り出し魔精加工を開始する。
逃げながら、しかもこんな緊張感のある状態での魔精加工は初めてだったが、驚異的な集中力でショートソードほどの長さの鉄パイプを作り出す。
さすがに量が少ないので、中身がスカスカの見せ掛けだけの物だが無いよりマシだ。
だが、
「刃物……しかも《妖刀》と戦うのかー」
そう考えた瞬間、心臓がバクバクと鼓動を加速させる。
一緒に戦うと決めたが、やはり怖いものは怖い。
そんなタクミの恐怖心を感じたのか、
「落ち着きなさい。あんたの仕事は私が仕事をした後。しかも、あんたの仕事があるかどうかも怪しいんだから、どーんと構えてればいいの」
そう言って、親指を立てた。
不思議と少しだけ恐怖がなくなった気がした。
そして二人、いや三人は森を飛び出し――再びアジト入口へとキリカをおびき出した。。
「観念したかい?」
肩で息をするキリカは静かに言った。
「まさか。広いほうが戦いやすいじゃない」
すこし挑発的な笑みを見せながら、クックは答えると包丁を構えた。
タクミもそれに習って鉄パイプを構える。
が、
「なるほど。そいつがお嬢さんの言ってた鍛冶師か。た、たしかにお嬢さんの言うとおりヘタレだ」
クククッと殺しきれない笑いが、キリカの口から漏れ出す。
キリカの言うとおり、タクミはガクガクと足やら手やらを小刻みに震わせ、恐怖を隠しきれていなかった。
「う、うるさい! 確かにクックの言った通り今の僕はヘタレだけど……余計なお世話だっ!」
「そーよ。余計なお世話よ」
タクミと一緒に非難しするクック。
目の前の敵であるキリカと、包丁のマナ制御に集中する。
大切なのはタイミング。
ほかの事に気を取られて、一度しかないチャンスを逃すわけにはいかない。
マナの制御に意識を向ける。
毎度の事ながらこの精密なコントロール、というかイメージは疲れる作業だった。
しかも今日は何度も能力を使っているので頭が痛くて仕方がない。
そんなクックに気づいたキリカは、
「なんだ? 顔が青いぞ。体調が悪いのかい?」
そうせせら笑うと、ゆっくりと体を沈めた。
いい加減カタをつけようということだ。
(まずいな)
(まずいわね)
顔には出さず、二人は内心焦った。
まだこちらの準備が完了していない。
今踏み込まれたら、勝てる可能性はゼロ。
絶対に負けてしまうだろう。
慌ててタクミは、
「あ、あんた、その服どうしたんだ?」
そんなことを口にした。
そのあまりに唐突な言葉に、クックとキリカはいぶかしんだ。
だが、すぐさまクックは彼が時間稼ぎをしようとしていることに気づいた。
あまりにも、雑な手段だったが……。
タクミは言葉を続ける。
「黒の皮服は僕みたいなジャパング鍛冶師の仕事服だ。あんたは見たところジャパング人じゃない。それなのに、黒服を着ているなんておかしいじゃないか」
「いや……ただ、黒い服が好きなだけだが……というか、仕事服に気にしているのはジャパング鍛冶師だけだと思うぞ?」
困ったようにつぶやいたキリカの言葉に、「そ、そうですか」とタクミの時間稼ぎは失敗に終わった。
「タクミ……」
横からクックの声がした。
その声には、時間稼ぎに見事に失敗したタクミに失望する色はなく、むしろ希望の色が混じっていた。
チラリと視線を向けると、クックはパチッとウィンクする。
――準備完了。
その合図だ。
合図に気づいているのかいないのか、キリカは呆れたようにため息を吐くと、
「もう行くぞ」
そう言って、こちらに向かって疾走した。
その視線の先に捉えているのはタクミ。
まずは、一番簡単に倒せて、能力を発揮されては面倒なタクミを倒してしまおうというつもりのようだ。
驚嘆すべきスピードで接近するキリカ。
あと五メートルほどでタクミに届く。
その瞬間だった。
黒服の少年だけを映していたはずのブラウンの瞳に、紅い、真紅の人影が映りこんだかと思うと、
「炎よっ!」
凛とした声と同時に、暗い闇を照らす紅蓮の光が、視界いっぱいに広がった。
クックが《妖刀》を侮っていたように、キリカもクックの包丁を侮っていた。
熱を操れるとは思っていたが、まさか炎まで出すとは思っていなかったのだ。
「な、に――ッ!?」
慌ててその場に踏ん張るも、勢いを殺しきれず、半身を炎の壁へと突っ込ませてしまう。
幸か不幸か、焼かれたのは折れた右腕だが、それでも自分の肌が焼かれる痛みに苦悶の表情を浮かべた。
それでも体勢を立て直す。
が、さらに予想外の展開がキリカを襲った。
炎の壁が盛り上がったかと思うと、その中から、炎を纏った人影が飛び出してきた。
否、炎を纏っていたのではない。
真紅の髪と真紅の瞳、そして真紅のコートを纏ったクックがまるで火の玉のように現れたのだ。
驚愕の顔を浮かべるキリカを見て、クックは最初の策が成功したと確信した。
炎の壁を作り出し、キリカの突進を防ぐだけでなく、相手を混乱させる。
さらに、前方だけに壁を作ることで、前方からの攻撃の可能性を無くし左右に注意を向けさせることで、正面の隙を生み出させるというのがクックとタクミの最初の策だった。
マナの制御で自分自身へのダメージを軽減させるとはいえ、この策はクックにとっても危険だ、とタクミは言った。
だが、これぐらいの事をしなければ勝つのは無理だとクックはタクミの反対を押し切り、その結果、この策は見事に成功した。
「そして、これで決めるっ!」
懐にもぐりこんだクックは叫ぶと、包丁を思いっきり握り締めた。
この一撃は精密なマナの制御など必要ない。ちょっと出力を制御するだけでいい。
奇策もいらない。
ただ包丁の能力を引き出して、今自分に出せる渾身の力でぶつかるだけ。
ただの力押し。
それが二つ目の策だった。
そして包丁が、ウウウゥゥンッと低い音をたてながら紅く輝き始めた。
そして、
「はあぁぁぁぁっ!」
燃え盛る火炎よりも輝きを放つ包丁を全力で切り上げた。
「やられたよ。まさか、こんな手段で来るとは思ってなかった」
そう言うキリカの手には相変わらず《妖刀》が収まっており、紅く輝き続ける包丁とがっちりと刃を交えていた。
つまり、力比べはキリカに軍配が上がったのだ。
「くっ……タクミっ!」
もし、二つ目の策で《妖刀》を溶かせないようなら、二人で出した「クックがそのまま《妖刀》を押さえ、タクミがキリカを叩く」という最後の策が実行される手筈だった。
だが、タクミが来る気配が一向に無い。
「そいつなら、後ろで立ちすくんでるぞ」
キリカの言葉に、チラリと視線を後ろに向けた。
たしかに、タクミは鉄パイプをカタカタと小刻みに揺らしながら、ただ呆然と立っているだけだった。
そんなタクミの様子に、クックは落胆するわけでもなく、「ああ、やっぱりね」と納得した。
実際、タクミが向かってこれる確率なんて一割も無いと推測していた。
《妖刀》がいるとわかっていながらここまで助けに来てくれただけでも上出来だったのだ。
だからこそ、二つ目の策で勝負を決めようと思っていた。
「仕方ないわね……」
タクミには話していなかった奥の手がある。
クックは力いっぱい包丁を押し上げると、ただ力を出すという事だけに集中する。
マナの制御なんて考えない。
包丁に存在する全てのマナを放出するイメージを思い浮かべると、途端に刃の輝きが増した。
「お、お前……っ!?」
先ほどまで余裕いっぱいだったキリカの声色に、焦りが見え始めた。
輝きが増すということは、同時に熱量も増していくという事。
そのことに気づくと、キリカは力を込めて包丁を弾き返した。
ピシッ……
辺りで鳴き続ける虫たちよりも小さな音が、聞こえた。
「ごめんね」
小さくつぶやくと、クックはもう一度包丁を振るった。