18話:頑張ってみるよ
「なんで、自分も恥ずかしい事をいうかな」
太めの木の陰に隠れると、呆れながらタクミはささやいた。
「いいじゃない。女の子の憧れみたいなもんよ」
「ふつー女の子は、こんな山奥に戦いに来て、こんな怪我しないけどね」
再び顔を赤くしたクックを半眼を向ける。
クックはとにかくボロボロだった。
右腕はちぎったコートの袖を包帯代わりにして止血を施してるし、それもどうやら止まっていない。
裾も靴もとにかく砂と泥にまみれて、鮮やかなはずの深紅のコートはみすぼらしくなってしまっている。
よく見ると、頬や手のひらにも小さな傷がいくつもついていた。
タクミの視線に気づいたクックは、苦笑しながら右腕を上げ、
「この程度なんとも無い……とはいえないわね」
「見せて。……なんてめちゃくちゃな巻き方を……養成所で習わなかったの?」
手袋を脱ぐと、手際よく処置をし始める。
だが、その手は微かに震えているのが見て取れた。
「やっぱり、刃物恐怖症は治ってないみたいね」
「あ、当たり前だろ。一時間やそこらで治るなら、苦労しないよ」
「そうね……でもね、タクミ」
左手を、そっと震える手に重ねた。
驚いてタクミは顔を上げると、クックがじっとこちらを見つめてきていた。
その顔はとても優しくて暖かい微笑みを浮かべていた。
「あんたは、ちょっとだけ前に進んだ。ちょっとだけ強くなったのよ」
「え……」
「震えるほど怖くても、タクミは私を助けに来てくれた。助けてくれた。前は剣を見ただけで動けなくなったあんたがよ? だから――」
「だから?」
クックがニッコリと微笑んだ。
柔らかくて優しくて、そしていやな予感を感じさせる微笑だった。
「だから、もうちょっと強くなってみましょう。第一ステップは《妖刀》退治からねっ♪」
「えええぇぇぇぇぇぇえええええっ!? ――むぐっ!」
「ばかっ! そんな大声出したら見つかっちゃうじゃないっ!」
慌ててクックは口を押さえた。
釈然としない物を感じながらも、コクコクと頷くタクミ。
《妖刀》をこのまま放っておくわけにはいかないのも事実なのだ。
さっき様子だと、あのキリカとか鍛冶師は人斬りになりつつある。
放っておけば村を襲いかねない。
「私を助けたときと同じ方法を取るって言うのはどうかしら? さっきの石でできた柱みたいなのってあんたがやったんでしょ?」
クックの提案に、タクミは首を横に振った。
「無理。あれぐらいの大きさの物質に魔精加工を施すのは時間がかかるし、なにより向こうは僕という鍛冶師の存在を知ってしまった。たぶん、当たらない」
「じゃあ、どうやって倒すのよ」
クックの中ではこれ以上と無い最上の案だったらしく、彼女は口を尖らせて詰め寄った。
「『とにかく強い奴を何人も雇って物量に頼る』『魔法使いを雇って遠距離攻撃』『思いっきり不意打ちしよう』、あとは『魔剣をぶつける』っていうのが国から教わった主なセオリーだね。あいにく僕たちはどの手段も持っていない」
「目には目をってやつね」
「そういうこと」
クックは顔をあげた。
「じゃあ、この包丁をぶつければ」
「その包丁じゃ無理」
ぴしゃりと言い放つタクミ。
「な、なんでよっ!」
「そんなボロボロの包丁じゃ強度が足りないし――クック!」
「きゃっ」
木の枝を踏む音を耳にし、クックを抱き寄せた。
おそらくキリカが来たのだろう。
戦慄すると同時に、安堵した。
村には行かず、こちらをターゲットにしてくれたらしい。
タクミは、胸元で顔を真っ赤にしているクックにささやいた。
「どっちにしても、ここは逃げるしかない」
「そんなの……だめよ」
「どうして? まさか、負けたままじゃ悔しい、なんて言うつもりじゃないよね?」
クックは小さく首を振った。
「たしかに、それもあるわ……でもね。やっぱり今はあんたにとって転機なのよ」
「転機……」
「どうせここで逃げれば、あんたは自分を責める。だったら戦えばいいの。負ければ死んでお終い。勝てばあんたは強くなれる。シンプルでいいじゃない」
そういうクックのその額には、腕の傷がうずくのか、無数の脂汗が光っていた。
それでも彼女は、ニッコリと笑った。
「それに勝ち目が無いわけじゃないわ。ほら、見て」
クックの指差すほうを追った。
十数メートルほど先にキリカが動いているのが見えた。
キリカは、左手に携えた《妖刀》をぶんぶんと振り回し、
「どこだっ! しっかり殺してやるから出て来い!」
絶対に出て行きたくなくなるようなことを叫んでいた。
「ね?」
「いや、ね? と言われても……」
「気づかないの? あいつの右腕動いてないのよ?」
「――――!」
言われてタクミは、はっとした。
もう一度、キリカのほうに目を移すと、たしかに右腕がぷらぷらと振り子のように力なく垂れ下がっている。
「たぶん、あんたの一撃で腕が折れたか、肩が外れたか……とにかく右腕が使えなくなったのよ。これなら…………まだ勝ち目はある」
ぎゅっと包丁を握り締め、タクミを見据えた。
燃え滾る赤い炎のように輝く双眸には、彼女の闘志がありありと浮かんでいた。
「あんたがなんと言おうと私は戦う。だから逃げたいならあんた一人で逃げなさい。でも――」
そこでクックは笑った。
再びニンマリと意地の悪い笑いだ。
タクミはすごくいやな予感がした。
そして、その予感は見事に的中することになった。
「でも、私一人じゃ勝てないかもねー。ああ、このままじゃ私殺されちゃうわ! 誰か一緒に戦ってくれる人――おもに鍛冶師さんはいないかしら?」
タクミの目から一切視線を外さず、芝居がかった口調で言ったその言葉は、タクミの良心をチクチクと攻撃してきた。
タクミがこういうのを断るのが苦手という事を知っているから出た言葉だ。
つまり
――――一緒に頑張ろうねっ! タクミっ!
ということなのだろう。
(ホントいい性格してるよ……)
呆れてため息が漏れる。
だが、同時に彼女には感謝していた。
たぶん彼女がこういう性格でなければ、自分は逃げただろう。
そして、また自分を責める。
やり方はともあれ、彼女は僕を前へと押してくれる。
ここで踏み出さなければ、いつ踏み出すというのか。
前に進まない限り、いつまで経っても自分の罪は重いままだ。
だから――
「わかった。頑張ってみるよ」
胸の中のクックが、今度こそ屈託のない笑顔を見せた。
その笑顔にすこしだけ見惚れながら、タクミは勝てるかもしれない方法を模索した。