第9話:饅頭怖い
「落ち着いた?」
「うん……」
力なく答えると、差し出された湯気の立ち上るコップを受け取った。
確かに落ち着いてはいるが、その姿は普段とは違い、未だ弱々しいものであった。
「もう寝なさい。多少は気分が晴れると思うわ」
「でも……見張り」
「今のあんたに見張りはムリ。今晩は私が見張りをするわ。だから、今はただ眠りなさい」
それでも、もごもごと何かを言おうとするタクミだったが、ばふっと毛布を投げつけられ、しぶしぶ毛布に包まった。
「どーしても、眠くなったら叩き起こしてあげるし、明日は私の荷物も持ってもらうから気にしなくていいのよ」
「わかった」
うなずくタクミ。
なんで君の荷物まで持たなきゃいけないんだよ、という突っ込みを期待していたクックは、
(明日の朝までに、戻るかしら……)
と胸中でつぶき、ため息をついた。
会話が途切れた。
パチパチと穏やかに燃える焚き火の音、風に揺られ木々のざわめく音、水の流れる音、そしてなんだかわからない鳥の鳴き声など、様々な音が二人を包み込んだ。
静寂というより騒がしい。
だが、これぐらいの騒がしさが眠気を誘うにはちょうどいいだろう。
クックがそんなことを思っていると、タクミが口を開いた。
「笑わないの?」
「なんで?」
「だって……僕は鍛冶師なのに刃物が怖いんだよ?」
「そんなこと言ったら、私だって料理人の癖に味覚崩壊してるわよ」
その言葉に、タクミはクスリと笑った。
が、すぐにもとの暗い表情に戻ってしまう。
「あ……ごめん……」
「今だけは許してあげるわ。だから笑いたくなったら、笑えばいいし、ツッコミたくなったら、ツッコミなさい」
「ん……よくわからないけど、わかった」
小さく頷くタクミ。
なんだか従順な子犬みたいだった。
(こ、これはこれで、アリよね)
と、苦笑する。
「だいたい、誰にだって怖いものはあるもんよ。私だって料理人なのに、食材のクマは怖いし」
「いや、クマは誰でも――」
「甘いものだって怖いし」
「ん? 甘いもの?」
「あとは、金貨とか怖いわね」
「『饅頭怖い』かっ」
思わずズビシッ! とツッコミを入れてしまう。
「…………」
「…………」
「…………ぷっ」
「……くくっ…………あははは」
一瞬沈黙が訪れたが、すぐに顔を合わせてどちらともなく笑い出した。
「そう、その意気よ」
「そ、そうかな? それにしても、『饅頭怖い』なんてよく知ってるね」
「ほら、さっき言ってた旅人が話してくれたの。ジャパング人って変わってるわよねー、『怖い』って言ったものを何でもプレゼントしてくれるんでしょ?」
「い、いや、それはちがう」
(とゆーかクマ欲しいのか)
とクックの欲しいものに軽い戦慄を覚える。
「ホントのところ、怖いものはやっぱり先生ね」
「クックがいた養成所の?」
「ん、信じる気になった?」
「まあ、さ、さっきのこともあるしね」
すこし、声を震わせながら答えた。
震えがとまらず動けなかったが、クックの動きはちゃんと見ていたのだ。
だが、王室騎士団というのはさすがに信じてはいない。
「ちゃんと見てたみたいね。まあ、先生は養成所の教官であり、騎士団の隊長でもあったわ」
「隊長って……そんな暇あるの?」
「本当なら無いわ。でも、先生ったら面倒な仕事はぜーんぶ副隊長に押し付けてるし、チマチマした小さな仕事は候補生たちに押し付けてたわね」
「それって、隊長として大丈夫なの?」
「ちなみに、今タクミが言ったことと同じようなことを呟いた私の隣の席のガブリエル君は、次の日から王都から姿を消したわ」
「いや、いくらなんでもそれは」
嘘だろう?
そう言おうとしたタクミだったが、夜空を遠い目で見るクックの横顔に、タラリと冷や汗が流れているのが見え、口をつぐんだ。
「フィクションだったら、どれだけ救われたかしらね……」
「そっか」
「そうよ」
そう言って二人はまた笑った。
そうして夜はどんどん更けていく。
タクミはいつの間にか寝てしまった。
だが、その寝顔はとても安らかで、恐怖などは一切なかった。
そんなタクミの子供のような寝顔を見て、クックがクスクス笑っていたのは、彼女だけしか知らない。