プロローグ
――ついに手に入れた。
険しい山道を歩くその青年は、一人ほくそ笑んだ。
左手に携えたソレに目を落とす。
追い求めていたシリーズの中ではあまり上等なものではないが、それでも人間が作り上げたものの中では最高レベルのものだ。
これで目標に近づける。
そう思っただけで、笑いが漏れ出るのを止められなくなってしまう。
だが、
「まずは、実験が必要だ……」
青年はつぶやく。
まずはこの作品に近づく事が肝要だ。
そのためには、複製品を作り出し、経過を見る必要がある。
そして複製品を持たせる被験体も最低でも十人は必要だ。
「子供を誘拐するか……?」
しかし、すぐにかぶりを振る。
子供を誘拐するのは簡単だが、被験体としては肉体がもろすぎる。
それに、リスクが高い。
自警団ぐらいなら難なく追い返せるが、騎士団に動かれたらこちらも無事ではすまないだろう。
浮浪者を誘拐するという手もあるが、それだと街に行く必要がある。浮浪者とはいえ、誘拐の現場を押さえられてはやはり面倒だ。
つまり誘拐するなら、居なくなっても本当に困らない人間でなければならないのだ。
そこまで考えた瞬間、男は立ち止まった。
「俺は……なにを考えているんだ……」
駆け巡っていた邪悪な思想に、吐き気がした。
胃の中からあふれ出そうになるのを感じ、右手で口を押さえる。
べしゃっ。
吐き出してもいないのに、口元に生暖かい液体の感触がした。
あわてて手を離すと、手が赤黒く染まっていた。
血だ。
だがそれは、自分の口から出たものではなかった。
「あ……ああ……」
この血が誰のものか思い出し、青年はこみあげていたものをすべてぶちまけた。
喉が痛みを訴え、今度こそ自分の血が混ざり始めても、吐き続ける。
胃の中をすべてもどすと、おぼつかない足取りで小川を探し出し、血と吐しゃ物を洗いながした。
手を擦り合わせるたびに、透明だった清流が、まるで赤の顔料を流し込んだかのように帯を引いて流れていく。
「なんでだ……っ! なんで俺は……!」
血がなくなっても青年は手と顔を洗い続けた。
ちらりと傍らに横たわる刀に目を落とす。
自分が旅立つきっかけであり、何年も探していたもの。
それを手に入れるために、絶対にやってはいけない事をしてしまった。
「俺はっ! 人を……っ!」
嗚咽が漏れる。
良心の呵責に押しつぶれそうになる。
青年は肩をぶるぶると震わせ、うつむき何度も後悔した。
何度も、何度も、何度も。
数十分もの間、心の中で謝り続けた。
そして、
「まあ、こんなもんでいいだろ」
にっこりと笑いながら顔を上げた。
その顔には、今までの後悔の色など微塵もなく、子供が見せる無邪気な笑顔のように晴れ晴れとしている。
――くよくよしても仕方がない。俺が殺したあの男のためにも、俺は目標を果たそう。
なんの疑いもなく、そう心に決めると、刀を抱え軽い足取りで山道へと向けて歩き始めた。
と、そのとき。
シュカカッ!
青年の眼前を、銀色の光が駆け抜け、乾いた音が響く。
目を向けると、太い木の幹に二本の矢が突き刺さっているのが見えた。
「ちっ、外したか」
「こりゃ、賭けは引き分けだな」
そうぼやきながら、少し離れた木の陰から二人の男が姿を現した。
無精ひげの生えた顎に、鋭く濁った目。
頭にバンダナを巻き、厚ぼったい服に身を包み、腰には剣を下げている。
典型的な盗賊だ。
「ちょうどいいな」
思わず笑みをこぼす。
今日はツイている。
この刀だけでなく、被験体まで手に入るのだ。
この盗賊共なら、それなりに人数はいるだろうし、何より居なくなっても問題が起こる可能性はかなり低い。
「てめぇ、何笑ってんだ?」
盗賊の一人が弓から剣に武器を持ち替え、青年の鼻先に切っ先を突きつける。
「恐怖で頭がおかしくなったのか?」
「安心しな。命までは盗らねえよ。ま、金目のもんは全部頂くがな。とゆーわけで、その手の刀ぁ下に放りな」
不快な笑みを浮かべながら、盗賊は青年の左手に納まっている刀を指差す。
青年は笑みを絶やさず、
「わかった」
と短く答えると、言われたとおり刀を地面に落とす。
へへっと、盗賊の一人が笑い急いで刀に手を伸ばす。
「わかりゃあいいん――」
言葉を続ける前に、青年の膝が、屈んだ男の顔にめり込んだ。
そして青年は流れるような動作で、突きつけられた剣の刃を右手で握る。
「何を――」
「魔精加工」
反応する前に、青年はつぶやいた。
瞬間。
刃から太い針が飛び出し、盗賊たちの肩や足を貫いた。
「あ、あああぁぁぁぁああああぁああぁぁあああぁぁぁぁぁあああああぁぁぁっ!!」
あまりの激痛に、醜い悲鳴を上げる。
「黙ってくれ」
あまりに耳触りな悲鳴に、嫌悪の表情を浮かべる。
盗賊の一人の腹を思いっきり蹴りつけると、左手で頭をつかんだ。
盗賊の顔は、痛みと恐怖にゆがみ、醜さに拍車が掛かっていた。
「た、たす……」
「ああ。助けてやるよ」
当たり前じゃないか、と青年は声を掛ける。
なぜなら大事な被験体であり、道案内を頼まなければならないのだから。
「ただし条件がある」
「じょ、条件……?」
「ああ、簡単なことだ。とってもね…………」
そういうや否や、右手に握った剣の刃から再び針を生み出し、もう一人の盗賊の右手を串刺しにする。
青年の刀に手を伸ばしていたのだ。
再び響く叫び声に青年は顔をしかめる。
「全く……何も学ばないな。いいか? 次は無いからな」
「は、はひっ!」
コクコクと首を動かす。
従順な態度に青年は満足し、針を引っ込め、二人を解放した。
地面に転がった刀を拾い上げ、二人が立ちあがるのを見届けると、まるで世間話でもするかのような陽気な声で、
「お前らのアジトに案内してくれ」
と告げたのだった。