表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
PR

時空神の知らない祝福

作者: 苦痛禍無理
掲載日:2026/05/29

十七歳の誕生日は、驚くほど平和だった。

エヴァンズ公爵家の屋敷には朝から客が集まり、庭園では楽団が演奏していた。春の終わりの陽光は柔らかく、白いテーブルクロスの上には焼き菓子と果実酒が並ぶ。

「お嬢様、おめでとうございます」

「十七ですって。早いわねえ」

親族たちが口々に言う。

リディアは曖昧に笑いながらグラスを受け取った。

こういう場は嫌いではない。疲れるだけで。

夜になる頃には、大人たちはだいぶ酒が回っていた。

「リディアは昔から手のかからない子でしたから」

母が微笑む。

「そうだな、一度だけ家出したこともあったか?あの時は本当に心配したよ」

父が笑った。

「森まで探しに行ったんですよ」

執事まで苦笑している。

リディアは少し眉を寄せた。

「……その話、もういいでしょう」

「近くの廃墟神殿で寝てたんだったか」

「朝になったら普通に出てきて驚いたわ」

「泣いてもいなかったな」

「妙に落ち着いた子だったから」

大人たちは懐かしそうに笑う。

リディアは肩をすくめた。

神殿の水の匂い、冷たい石、静かな空気。子どものほんの小さな冒険だ。静かで、とても心地よかったことを今でも覚えている。

「でも本当に、大きく育ったわね」

母は嬉しそうに言った。

「勉強も真面目にしてくれたし」

「そろそろ婚約の話も増える頃ですね」

叔母が面白がるように言う。

「王家から声がかかるかもしれませんよ」

「やめてください」

リディアは即座に返した。

周囲が笑う。

「照れてる」

「まだ十七だものねえ」

「でも放っておいたら本ばかり読んでそうだ」

父の言葉に、また笑い声が起きる。

楽団が曲を変える。グラスが触れ合う音がする。

幸福な誕生日だった。

少なくとも、その時はそう思っていた。

翌朝。

水の匂い、冷たい石、静かな空気。

リディアは白い神殿で目を覚ました。

七歳の時、家出して眠った廃墟神殿だった。

柱の向こうに、人影が見えた。

異様に背が高く、長い髪だけが白く揺れている。

気味が悪くなって、リディアは屋敷へ戻らなかった。

森で迷い、崖から落ちて死んだ。

次も、神殿で目を覚ました。

今度は街へ逃げた。夜、路地で刺された。

三度目は馬車に轢かれた。四度目は川で溺れた。

そして五度目。

リディアは諦めて、最初と同じように過ごした。

誕生日会。親族たちの笑い声。夜更け。自室。

そして翌朝。

また、神殿だった。

「待って」

初めて、リディアは柱の向こうの影を呼び止めた。

「私、何回もここに来てるの。死んで、戻って、また死んでる」

長い沈黙。

やがて影は静かに近づいてきた。

見上げないと顔が見えないほど大きかった。

濡れたみたいな長い銀髪が肩に落ちる。視界が半分隠れる。

近い。

人間の距離感ではなかった。

『……なるほど』

低い声が、すぐ頭上から落ちる。

『ならば、観測してみよう』

その日、影は初めて神殿の外へ出た。

誰にも見えていないようだった。

長い黒衣を引きずりながら、リディアのすぐ後ろを歩く。

食事中も。廊下でも。眠る直前まで。

気づくと背後にいる。

上を向いても天井が見えない。

たまに髪のような影が視界を遮る。

「近いんだけど」

『観測している』

「もっと離れて観測して」

『精度が落ちる』

意味が分からなかった。

その夜、リディアは妙に寝付きが悪かった。

翌朝。

水の匂い。冷たい石。静かな空気。

また神殿だった。

「……もう嫌」

声がした。

『覚えている』

リディアが顔を上げる。

白い柱の前に、あの影が立っていた。

「覚えてるの」

『断片的に』

影はゆっくり近づいてくる。

以前より迷いがない。

『君の存在に触れ、思い出した』

「何したの」

『観測しやすくした』

嫌な言い方だった。

リディアはしばらく黙ってから、小さく息を吐く。

「……名前は?」

長い沈黙。

『忘れた』

「そんなことある?」

『昔はあった』

「じゃあ何て呼べばいいの」

影は少し考え込む。

『好きに決めろ』

「適当ね……」

リディアは濡れた床を見下ろした。

「私はリディア」

『知っている』

「どうせ観測したからでしょう」

『そうだ』

即答だった。

「あなたって何者なの?」

『かつては時空の権能を持つ神だった』

「今は?」

影は静かにリディアを見下ろす。

『各世界に分割された残骸だ』

その言い方だけ、人間の感情のようなものが見えた。

「君が移動している先は、全て同一条件の世界だ」

神は水面を眺めながら言った。

『完全に同じ歴史。同じ人間。同じ配置』

「じゃあ何で変わるの」

『君が前回を記憶しているからだ』

リディアは黙る。

『知識は選択を変える。選択は世界を変える』

「……それを観測したいの?」

『そうだ』

神は静かにこちらを見る。

『どの程度の差異で、どこまで世界が変質するのか』

それからリディアは、様々な行動を試した。

会話を変える。予定を変える。誰かを助ける。逆に見捨てる。

小さな差異は、時に何も変えず。

些細な一言が、別の誰かの運命を大きく変えた。

神は、世界そのものより法則に興味を示した。

『王が誰かは重要ではない』

白い神殿で、水面を見ながら神は言う。

『重力、魔術、信仰。世界を成立させる規則の方が、私の権能を取り戻すのに役に立つだろう。』

それからリディアは、各地の図書館を巡るようになった。

王立書庫。魔術院。修道院。禁書庫。

死ぬたびに別の本を読む。

同じ世界へ戻るから、本の位置も内容も変わらない。だがリディアだけが続きを覚えていた。

神性学という学問があった。

古い宗教体系を分析する、半ば禁忌の分野。

その中には、“世界外存在”についての記述もあった。

『神は世界を渡る』『上位権限による修正』『観測による分岐固定』

リディアは眉を寄せる。

「……これ、あなたのこと?」

『一部は』

神は本を覗き込みながら答える。

長い銀髪が肩に落ちる。

相変わらず距離が近かった。

『正確ではないが』

「じゃあ本当は?」

神は少し黙る。

『昔は、私が調整していた』

「調整?」

『世界を撹拌する』

意味は分からなかった。

だがその声は、少しだけ遠かった。

百周を超えた頃。

リディアは軽率になっていた。

未来を知っている。死んでも戻る。その感覚に慣れてしまった。

だから、つい口を滑らせた。

来年の飢饉。数年後の疫病。没落する貴族。

最初は冗談として扱われた。

だが当たり始める。

人が集まる。

予言者。聖女。神託。

勝手にそう呼ばれた。

「最悪……」

『興味深い』

神だけは楽しそうだった。

二百回目のループで。

リディアは階段から飛び降りようとして、腕を掴まれた。

「……え」

止められた。

神の手だった。

以前なら、触れられなかったはずなのに。

長い指が、リディアの手首を強く握っている。

神はしばらく無言だった。

『……最近、躊躇がないな』

「戻るだけでしょう」

『君は毎回死んでいる』

「でも次の私が続く」

神はリディアを見下ろす。

長い沈黙。

『理解はしている』

低い声だった。

『だから止める資格もない』

三百回目を過ぎる頃には、人から見えないこと以外は神はほとんど人間と変わらなくなっていた。

足音が鳴る。椅子へ座る。本をめくる。水を飲む。

侍女が遠くから悲鳴を上げた時は、さすがに笑った。

「お化けみたいな反応されてるわよ」

『実際かなり近い』

十六歳の冬。

暖炉の前で本を読んでいた時、神が静かに言う。

『もう長くない』

「何が」

『君へ与えられた権能だ』

神は火を見つめたまま続ける。

『摩耗している』

「……タイムリープが?」

『本来、人間へ長期使用を想定したものではない』

部屋が静かになる。

薪の爆ぜる音だけが響いた。

『十七歳を越えれば、完全に固定される可能性が高い』

「固定」

『もう移動しない』

神は少しだけ視線を伏せる。

『この世界で終わる』

リディアはしばらく黙っていた。

やがて、小さく息を吐く。

「……確認したいことがあるわ」

『何だ』

リディアは立ち上がる。

窓へ向かう。

神が僅かに眉を寄せた。

『リディア』

「誕生日の固定が消えるだけなら、死ではまだ移動するのかしら」

神の表情が止まる。

「ねえ」

『待て』

その声は珍しく早かった。

だがリディアの方が早い。

窓枠へ足をかける。

「リディア!」

神が手を伸ばす。

以前なら届かなかった距離。

今は掴める。

掴めてしまう。

その指先が、リディアの腕へ触れる寸前。

リディアは笑った。

「じゃあ、また明日」

飛び降りる。

翌朝。

水の匂い。冷たい石。静かな空気。

リディアは白い神殿で目を覚ます。

そして。

祭壇の前で、神が立ち尽くしていた。

まるで本当に理解できないものを見る顔で。

「……戻れた」

リディアが起き上がる。

神はしばらく何も言わなかった。

『君は』

声が妙に低い。

『なぜ躊躇なく死ぬ』

「今さら?」

『今までとは違う』

リディアは少し黙り込む。

それから早口で言った。

「だって前のループ、最悪だったもの」

神が眉を寄せる。

「生き残ることばっかり考えてたせいで周り放置してたし、未来知識を適当に使ったせいで戦争早まるし、疫病広がるし、貴族同士の勢力図もぐちゃぐちゃだったし」

一息にまくしたてる。

「ループが終わるなら、あの世界の続きで生きたくない」

神は黙って聞いている。

「もっとちゃんとした世界で終わりたいの」

『……理解はできる』

「できてない」

即答だった。

リディアは神を指差す。

「神様、人間のこと何も分かってないもの」

『否定はしない』

リディアは神を見上げた。

「ちゃんとした世界っていうのはね、あなたもいる世界よ」

神の視線が止まる。

「だから調整するの。分かる?」

長い沈黙。

「そもそもこんなになるまで観測させたのあなたでしょう」

『君が自発的に――』

「責任とって」

神が言葉を止める。

本当に予想外のことを言われた顔だった。

『権能を取り戻せば、各世界の私同士を接続できる』

神は当然みたいに続ける。

『そうなれば、君が死んだ世界の私も、再び君へ会える』

それから、ループ回数は急激に増えた。

神性学。世界法則。古代権能。失われた神代語。

リディアは以前よりずっと無茶をした。

本を読み終えた瞬間、毒を飲む。

目的地へ着けないと分かれば崖から飛び降りる。

情報が足りないと判断すれば躊躇なく首を切る。

「次」

「次のループ」

「もっと早く」

六百回目を超えた頃。

神はほとんど完全に世界へ干渉できるようになっていた。

扉を開ける。物を運ぶ。人とすれ違う。

まだ“認識”はされない。

視界の端を何かが通った、と感じる程度。

だが、確実に世界へ存在し始めていた。

リディアは高い塔の窓から身を乗り出している。

「だって、会えるんでしょう」

その瞬間。

神の表情が止まった。

「全部終わったあと、どの世界のあなたも私に会える」

神は何も言わない。

「だったら急いだ方がいいじゃない」

沈黙。

伸ばされた神の手に、僅かに力が入る。

その時だった。

空気が揺れる。

世界そのものが軋むみたいな音。

神の銀髪がふわりと浮く。

神の輪郭が、一瞬ぶれる。

そして。

背後に、“別の神”が重なった。

無数の世界。無数の神。断片化された残骸。

それらが、一瞬だけ繋がる。

神が息を止めた。

『……死んでも、何も変わっていないな』

低い声だった。

同時に。

リディアの足元が崩れる。

「あ」

窓枠から体が傾く。

神が反射的に腕を引く。

だが勢いを殺しきれない。

二人まとめて、塔の外へ落ちた。

翌朝。

水の匂い。冷たい石。静かな空気。

白い神殿で目を覚ましたリディアは、隣を見て固まった。

神が倒れている。

ちゃんと床へ沈まず、普通に転がっていた。

長い銀髪が床へ広がっている。

「……本当に人間になってる」

『訂正しろ』

神は眉を寄せたまま起き上がる。

『神としての権能を取り戻したんだ』

リディアは呆然と立ちすくんでいる。

『何をしているんだ。屋敷に戻るところからだぞ』

「え?」

『責任を取れと言ったのはお前だろう。“ちゃんとした世界”とやらにいくぞ』

神は上機嫌だった。なにしろいきなり毒を飲んだり、馬車に轢かれたり、首を切ったり、飛び降りたりした恩人と思っていたよりも早く再会できたからだ。

だからだろうか。完全に油断していた。0周目とはもう何もかもが違うのだ。

「お名前は」

使用人が恐る恐る尋ねる。

銀髪の少年は少し考え込み。

『ない』

と答えた。

その瞬間、空気が変わった。

素性不明。家名なし。後ろ盾なし。

エヴァンズ公爵家で、それは致命的だった。

次のループ。

「お名前は」

再び同じ質問が飛ぶ。

今度は神は少し考えてから答えた。

『神が辞書だとするならば、私は言葉である』

使用人が固まる。

リディアも固まる。

「……は?」

『個別化された記述単位という意味だ』

「もっと分かりやすく」

長い沈黙。

やがて神は静かに言った。

『ワーズ』

使用人たちは「なるほど」という顔で頷いた。

たぶん誰も理解していない。

リディアは深くため息を吐く。

「変な名前」

『お前が説明を省略しろと言った』

「そうだけどそうじゃないのよ」

神――ワーズは少し考え込む。

『人間社会は難しいな』

「今さら?」


「素性不明の居候」は、公爵家では思った以上に立場が弱い。

使用人たちは表向き丁寧だったが、目を離すと露骨に扱いが雑になる。食事が遅れる。部屋の用意が後回しになる。子ども扱いしたかと思えば、次は得体の知れないものを見る目になる。

ワーズ本人は全く気にしていなかった。

『人間社会において、所属不明個体への警戒は合理的だ』

「私は気にするの」

リディアは即答した。

『なぜだ』

「私が腹立つからよ」

ワーズは少し考え込む。

『感情的理由か』

「そういうものなの」

だからリディアは、まず“結果”を作ることにした。

東部の麦畑で発生する病害を事前に防ぐ。収穫量が増える。エヴァンズ公爵家の評価が上がる。

次は、港湾税の変更で起きる商会対立を先回りして調停する。父が王都で感謝される。

さらに次。

数年後に流行する疫病対策を魔術院へ匿名で送る。

「また当たった……」「エヴァンズ家の令嬢、未来視でも持ってるのでは……」

噂が広がる。

その隣で、ワーズは静かに本を読んでいた。

神性学論文が発表されたのは、その頃だった。

『高位存在への祈祷形式と現実改変率の相関性について』

著者名はワーズ。

当然、中身は異常だった。

王立学術院は騒然となった。

「いや待て、この古代神代語、未解読領域だぞ」「理論体系が完成しすぎている」「何者だ、このワーズという学者は」

リディアは遠い目をした。

「本人に聞いても“昔は知っていた”しか言わないのよね……」


その次のループで、戦争の火種が見つかった。

北方貴族と王家の対立。

本来なら数年後、小競り合いから内戦へ発展する。

リディアは机へ地図を広げた。

「原因は穀物流通と鉱山利権。あと北方諸侯の不満」

ワーズが横から覗き込む。

距離が近い。

「近い」

『観測している』

「その癖まだ残ってたの」

ワーズは気にせず地図を見下ろす。

『こちらを先に処理した方が効率がいい』

長い指が一点を示した。

『北方街道』

「補給路?」

『違う。信仰圏だ』

リディアは眉を寄せる。

ワーズは淡々と続けた。

『経済問題に見えるが、実際は信仰対立が根にある。北方側は中央教会の権威拡大を警戒している』

「……そんなところまで見えるの」

『人間は表層理由を好む』

結果。

戦争は起きなかった。

王家は北方教会へ譲歩し。貴族側も鉱山権益を一部放棄した。

代わりに。

王都では別の噂が広がる。

「エヴァンズ公爵家に化け物みたいな学者がいる」「未来予測を外さない銀髪の少年」「王家直属の秘匿顧問ではないか」

使用人たちの態度は、分かりやすく変わった。

「ワーズ様、お茶を」「本日は魔術院からお手紙が」「王立学術院より招聘状が届いております」

ワーズは困惑していた。

『なぜ急に対応が変わった』

「社会的地位を得たからよ」

『地位とはそんなに重要か?』

リディアは呆れた顔で見る。

「重要。ものすごく重要」

『私は以前と何も変わっていない』

「周囲はそうじゃないの」

ワーズはしばらく黙る。

それから小さく首を傾げた。

『人間社会は不合理だな』

「今さら?」

王立学術院は最終的に、ワーズへ教授職を提示した。

古代神性学および世界法則論。前例のない新設分野だった。

「前例がなさすぎて逆に通ったわね……」

『肩書きは必要か?』

「必要」

即答だった。

『私は研究だけできればいい』

「もうすっかり学者が板についてるわね……貴族社会はそういうわけにいかないの」

リディアは書類を机へ置く。

「教授職があれば、王家が後ろ盾になる。少なくとも“どこの誰とも分からない男”扱いはされなくなる」

ワーズは黙って書類を見ている。

『……それは、お前に必要なのか』

「私に?」

『お前は昔から、一人でも生きられる』

リディアは少し黙った。

窓の外を見る。

春の庭園。風に揺れる木々。

最近、ループはほとんど起きていなかった。

以前なら。失敗すれば死ねばよかった。選択を間違えればやり直せた。

けれど今は違う。

一つの時間が、真っ直ぐ続いている。

それは本来、望んでいたはずのことなのに。

時々、妙に不安になる。

「……慣れないのよ」

ワーズが静かにこちらを見る。

「ずっと、“次”がある前提で生きてたから」

間違えても。死んでも。別の世界へ行けばよかった。

けれど今は、積み重なっていく。

人間関係も。言葉も。時間も。

全部。

「だから、ちゃんと残る形にしたいの」

リディアはワーズを見る。

「あなたを、この世界に」

長い沈黙。

ワーズは静かに書類を閉じた。

『理解した』

教授就任から三ヶ月後。

王都では、新しい噂が流れていた。

「エヴァンズ公爵令嬢、ついに婚約」「相手はあのワーズ教授らしい」「王家承認済みだとか」「いや待て、あの銀髪の?」

廊下の向こうで侍女たちが騒いでいる。

リディアは頭を抱えた。

「広まるの早すぎる……」

『婚約とは秘匿するものではないのか?』

「貴族はむしろ広めるの」

『不合理だな』

「ほんとにね」

ワーズは少し考え込む。

『だが、“後ろ盾”としては成功か』

「そういう言い方やめて」

『違うのか?』

リディアはしばらく黙る。

それから、小さく笑った。

「……半分くらいは」

ワーズはその意味を考えるみたいに、静かに彼女を見ていた。


婚約発表は私の誕生日パーティーで行われることになった。0周目の時よりも屋敷は朝から騒がしかった。

祝辞。招待状。花。贈り物。使用人たちは廊下を走り回り、母は泣き、父は妙に機嫌が良かった。

「まさかお前が一番先とはなあ」

「やめてください、本当に」

リディアは疲れ切った顔で返した。

ワーズはというと、昼から王立学術院へ連行されていた。婚約報告と教授職関連の手続きらしい。

『人間は書類が多すぎる』

朝、真顔でそう言っていた。

夜。

ようやく静かになった自室で、リディアは深く息を吐いた。

窓の外には春の夜。遠くでまだ宴会の音がする。

疲れた。

色々なことがありすぎた。

何百回も死んで。何百回もやり直して。戦争を止めて。世界を書き換えて。

そして今。

明日も続く時間の中にいる。

リディアはぼんやり天井を見上げた。

その時。

ふ、と部屋の空気が変わる。

静かな水の匂い。

冷たい石の気配。

懐かしい感覚だった。

リディアがゆっくり起き上がる。

部屋の奥。

月明かりの差す窓辺に、人影が立っていた。

長い銀髪。黒い衣。見上げるほど高い背丈。

かつて神殿で見上げていた、“本来の姿”のワーズだった。

「……わ」

心臓が跳ねた。

最近はずっと少年の姿だったから、余計に。

髪が月光を反射して揺れる。

人間離れした、静かな美しさだった。

ワーズがこちらを見る。

『どうした』

「いや、その……」

言葉に詰まる。

近い。

昔と同じように距離感がおかしい。

長い髪が肩へ落ちる。視界が少し遮られる。

思わず息を止めた。

ワーズは私の顔に手を添えた。

『リディア』

「な、なにかしら」

『君と永遠を共にすると誓おう』

リディアが目を見開いている間に、ワーズはまた少し考え込み。

それから、ふと思い出したみたいに言った。

『……言い忘れていた』

低い声が、静かに落ちる。

『誕生日、おめでとう』


初投稿でした。読んでくださってありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ