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戦線

 朝食の席は、異様なほど静かだった。


 俺の小さな家には、四人で囲むには少し窮屈な丸テーブルしかない。そこにレイナ、リリス、ユアが当然のように座っている。昨日の夜、勝手に忍び込んできた三人だ。普通なら叱責して帰らせるべきなのに、俺は結局、固いパンを四人分に切り分けていた。


 レイナは姿勢よく椅子に座り、黙々とスープを口に運んでいる。リリスは焼き直したパンを頬張りながら、時折こちらの顔色を盗み見る。ユアは俺の皿にだけ、やけに丁寧に蜂蜜を塗ったパンを置いた。


「司令官、どうぞ。体力を戻すには甘いものが必要です」


「ありがとう。でも俺だけ多くないか」


「多いです」


「認めるな」


 リリスがむっと頬を膨らませる。


「あたしも塗ったのに。ユアが『司令官にはこちらのほうが滋養があります』って取り替えた」


「リリスのものは蜂蜜が多すぎました。司令官のお身体に負担です」


「ユアのも大概だぞ」


 俺がそう言うと、ユアは少しだけ曇った顔をした。


「……司令官に、わたしの用意したものを食べていただけないのですか?」


 その声があまりにも寂しそうで、俺は無言でパンをかじった。


 甘い。


 朝から脳が痺れるほど甘い。


「美味しい」


 そう言うと、ユアの表情が花みたいにほどけた。聖女という肩書きにふさわしい清らかな笑顔なのに、その奥で何かが満たされていく気配がして、俺は微妙に背筋を伸ばした。


 レイナが静かに口を開く。


「司令官。本日の東の森掃討戦ですが、出撃予定は昼過ぎです。私は一度、騎士団宿舎へ戻り装備を整えます」


「あたしも兵舎で弾薬を補充してくる。昨日の夜は銃を置いてきたから」


「窓から侵入する時に銃を持ってこなかったのは褒めるべきなのか?」


「褒めて」


「褒めない」


 ユアは両手を胸の前で重ねた。


「わたしは聖堂へ戻り、聖水と祈祷布を準備します。司令官のために、最も清いものを選んでまいりますね」


「部隊のために選んでくれ」


「もちろんです。司令官の部隊ですから」


 結局、俺中心から離れない。


 三人はそれぞれの住処へ戻っていった。レイナは騎士団宿舎へ、リリスは魔導銃兵の兵舎へ、ユアは白い尖塔の聖堂へ。玄関先で見送ると、三人とも何度も振り返った。まるで俺が目を離した瞬間に消えるとでも思っているみたいだった。


 家に一人残されると、急に静けさが戻ってきた。


 俺は食器を洗い、机に地図を広げる。東の森の掃討戦。貴族たちは俺の案を飲んだが、それは納得ではない。失敗すれば、責任は全てこちらに押しつけられる。


 いや、失敗など許されない。


 村へ魔獣が流れれば、死ぬのは戦えない人たちだ。かつての俺みたいに、部屋の隅で世界を怖がっているだけの誰かもいるかもしれない。その誰かを、俺は見捨てたくなかった。


 昼前、軍務局へ向かうと、空気が妙にざわついていた。


 廊下の奥、作戦室の前で、数人の貴族が声を潜めて話している。俺の姿を見つけると、彼らはわざとらしく笑みを浮かべた。


「司令官殿。いや、今日もお元気そうで」


 レイナたちが後ろにいるからか、彼らはそう呼んだ。


 リリスの眉がぴくりと動く。レイナの視線が冷たくなる。ユアは微笑んでいるが、笑っているのは口元だけだ。


「何か変更が?」


 俺が尋ねると、貴族の一人が書類を差し出した。


「南の村から避難が間に合わないとの報告が来た。ならば、君の案は危険すぎる。やはり中央突破で早期殲滅を狙うべきだ」


 紙面に目を通した瞬間、違和感があった。


 報告時刻が古い。避難が間に合わないのではなく、避難開始が遅れているだけだ。街道を使えば昼過ぎには移動できる。だが、中央突破に切り替えれば、魔獣は確実に南へ散る。


 これは無能ではない。


 俺を失敗させるための変更だ。


 胃が冷えた。


 レイナが一歩前に出る。


「司令官への妨害と判断してよろしいですか」


「物騒なことを言うな、騎士殿。我々は民を案じているだけだ」


 リリスが銃帯に触れた。


「民を案じてる顔じゃないよね。司令官が困る顔を見たいだけの顔」


「無礼な」


 ユアが穏やかに微笑む。


「司令官を苦しめる嘘は、魂を濁らせます。悔い改めますか?」


 貴族たちの顔が引きつった。


 俺は三人を手で制した。怒ってくれるのは嬉しい。だが、ここで感情を爆発させれば、相手の思う壺だ。


「避難は間に合います」


 俺は地図を広げ、村から西門までの距離を指でなぞった。


「騎士団の馬車を使わなくていい。商人ギルドの荷馬車を徴発します。魔導銃兵の予備弾薬は半分だけ前線へ、残りの荷台を民間人用に空ける。聖堂の結界布を街道に張れば、魔獣は近づけない。ユア、可能か?」


「はい。司令官の道なら、わたしが清めます」


「リリス、予備弾薬が半分でも戦えるか」


「あたしなら平気。足りなきゃ奪って撃つ」


「奪う相手は魔獣だけにしろ」


「努力する」


「レイナ、南翼の騎士を二隊減らして、避難誘導へ回せるか」


「可能です。私が代わりに穴を埋めます」


 即答だった。


 貴族たちは黙った。盤面が組み替えられていくのを、ただ見ているしかない顔だった。


 俺は深く息を吸った。


「作戦は変更しません。民は逃がす。魔獣も討つ。どちらか一つではなく、両方取ります」


「理想論だ」


「理想を捨てるには、まだ手が残っています」


 声は震えなかった。


 そのことに、自分で少し驚いた。


 出撃前、俺たちは城壁の上に立った。東の森は遠く、黒い影の塊みたいに見える。風は湿っていて、魔力の匂いがした。


 レイナが俺の外套の襟を直す。


「司令官。今日は囮になることを禁じます」


「最初からなる気はない」


「信じたいですが、あなたは自分の価値を低く見積もる悪癖があります」


 リリスが俺の手の甲を指でつついた。


「危なくなったら通信切らないでよ。司令官が黙ると、あたし、ほんとに何するか分かんないから」


「分かった。切らない」


 ユアは俺の胸元に小さな祈祷布を結んだ。


「これは守りの祝福です。外さないでください。外したら、わたしが泣きます」


「泣かれるのは困るな」


「では、ずっと身につけてください」


 それぞれ違う形で、俺を縛ってくる。


 重い。けれど、その重さは鎖というより、命綱に近かった。


 俺は通信石を握り、東の森を見据えた。


 剣は振れない。銃も撃てない。魔法もろくに使えない。


 それでも、俺には盤面が見える。


「全員、配置につけ」


 三人の気配が変わった。


 甘さも、不安も、重すぎる感情も、その一瞬だけ戦闘の鋭さへ変わる。


「これより東の森掃討戦を開始する」


 俺は息を吐き、震えそうになる指を握り込んだ。


「誰も死なせない。俺の命令を聞け」


 通信の向こうで、三人の声が重なった。


「了解、司令官」


 その声を背に、俺は盤面へ最初の一手を置いた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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