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甘い涙   作者: はる
6/6

最終話

 翌朝、芯は初めて寝坊をした。


 こんなに深い眠りは、両親が亡くなってから初めてだった。小さい物音でも起きてしまうので、朝までノンストップで眠ったのは、久しぶりだった。よく眠るとこんなに疲れが取れるものなんだと驚きを覚えた。


 芯は手を伸ばし、スマホの画面を見た。  



「やべ、寝坊した」



 身体から布団を大きく剥がし、芯は飛び起きた。


 芯がキッチンに駆け込むと、なんとそこには花柄のエプロンをつけて、朝食を作っている雪の姿があった。


 これも初めてのことだった。昨日から初めてのことが多い。


 雪が照れくさそうに言った。



「ごはんできてるから」


「お前が作ったの?」



 テーブルの上には、黒い塊が積まれている。



 あれはまさか?



「ちょっと焦げちゃったけど、味はいいんだからね」



 そう言う雪の顔は、少し不安げに見えた。



「朝ごはん食べないと頭働かねーんだぞ」



 雪が笑いながら言った。


 その台詞は俺のだぞと思いながら、芯は卵焼きを口に入れた。



 ――辛い。



「どう?」



 雪が心配そうに聞いてきたので、芯は、「辛すぎる」と、正直に伝えた。そして、お茶をゴクゴクと一気に飲み干した。


 雪はムッとした表情を浮かべながら、「辛いわけないよ」と言いながら、卵焼きを口に入れた。



「なにこれ」



 雪が顔を顰めた。そして、調味料を確認するように見た。



「……砂糖と塩、間違えたかも」



 雪もお茶をゴクゴクと一気に飲んだ。その姿があまりにも可愛らしくて、芯は笑顔になった。



「なによ」


「美味かったよ」


「嘘ばっか。必死でお茶飲んでたじゃん」


「でも、美味かった」



 辛くても甘くても、そこに確かな愛情が入っていれば、それは芯にとって美味しいに値するのだ。



「やばい、遅刻する」



 雪が、花柄のエプロンを剥がすように脱ぎ捨てた。そして、辛い卵焼きをテーブルの上に残したまま、部屋を出て行こうとした。


 ドアの前で、雪が立ち止まり、芯の方にくるっと振り向いた。



「祥子さんって、お兄ちゃんの彼女?」



 唐突に聞かれ、芯は金魚のように口をパクパクさせながら、しどろもどろで答えた。



「いや、彼女っていうか、なんていうか、俺にはもったいない人で」


「今度、祥子さん誘って、みんなで花見行こうよ」



 動揺している芯を面白そうに見ながら、雪が言った。



「えっ」


「あたしは、卓也誘うからさ」



 その言葉だけ言い残し、雪が部屋から出ていった。



「えっ?卓也って誰だ?雪、おい雪」



 出ていく雪の背中に、芯は必死で疑問を投げかけたが、すぐに気づいた。



 ――ああ、こうやって幼き妹は大人になり、自分の手元から旅立っていくのだ。



 寂しい気持ちと共に、誇らしい気持ちになった。そのうち、誇らしさだけになることもわかっていた。


 芯は、雪が脱ぎ捨てていった花柄のエプロンをつけ、お弁当を作り始めた。



 学校に届けにいったら、また怒られるんだろうな。それでも俺は、雪にお弁当を届けに行くだろう。だって雪は、俺の大切な妹だから。



 卵を溶き、スプーンいっぱいの砂糖を入れようとして、芯の手が止まった。


 そして、スプーンの中の砂糖を半分に減らし、卵焼きを焼き始めた。



 甘い卵焼きは、もう焼かない。





                   おわり

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