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甘い涙   作者: はる
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第5話

「もういいんじゃないかな」



 祥子が、さりげなさを装いつつも、ストレートな言葉を投げかけてきた。


 芯は返す言葉を見つけられず、黙って下を向いていた。



「そろそろ芯ちゃんも、自分の幸せを考えてもいいんじゃないかな」


「あいつが一人前になるまでは、俺の幸せなんてものはいらねーんだよ」



 頑なな芯の言葉に、今度は祥子が黙った。



「いきなり親父とお袋が事故で死んで、それから11年、俺はあいつの親代わりをしてきたんだ。今更自分の幸せなんて」


「それ、重いんじゃないかな」


「えっ」


「芯ちゃんの気持ちはわかるし、すごいなって思うけど、それって雪ちゃんが芯ちゃんの人生まで背負わされてる感じがするよ」



 芯は驚きを覚えていた。今までそんな風に考えたことがなかった。



「もっと雪ちゃんを信じてあげなよ」



 祥子の言うことは、いつも真っ当だ。でも、それを認めてしまうと、何かが変わってしまう気がして怖かった。


 顔を上げると、祥子が真っ直ぐに芯を見つめていた。その目は、とても強く、優しかった。だからなのか、芯は心の奥を打ち明けたくなった。



「俺さ、いつも卵焼きに砂糖を、これでもかこれでもかっていうぐらいいれんだよ。あいつはいつも甘いって怒るんだけどさ」



 この話を祥子にするのは初めてだった。雪を叩いてしまったことで、今日の芯は、本音を話したくなっていた。



「あいつは覚えてねーと思うけど、親父とお袋が死んでから、雪は泣いてばっかで、飯食わなくてよ」


「うん」


「俺も料理なんかしたことなかったしよ。見よう見真似で卵焼きを作ったんだけど、砂糖いれすぎちゃって甘いのなんのって」


「そうだったんだ」


「でも、あいつ食ったんだ」


「うん」


「あいつ、おいしいおいしいって。たぶん、ずっと泣き続けてたから、舌がおかしくなってたんだろうけど」


「それで、甘い卵焼き」


「ああ」


「それで、料理人」 


「単純だろ」



 祥子が何か言おうとしたその時、背後から雪の声が飛んできた。



「だから、それが重いんだよ」



 驚きながら芯が振り返ると、茂みの中から雪が出てきた。後から奈美も。芯は、今の話を雪に聞かれてしまった事に動揺していた。



「雪……と、奈美ちゃん」



 名前を呼ばれた奈美が慌てたように、「あ、あたし帰ります」と、その場を去ろうとした。行く際に、奈美が雪の耳元に囁くように言った。



「素直になんなよ」



 それだけ言うと、奈美は芯と祥子にぺこっと頭をさげ、走っていってしまった。


 その場に、一瞬気まずい空気が流れた。



「お前、何やってんだよ」



 芯は気まずさからなのか、雪を責めるような口調になってしまった。



「それに今何時だと思ってんだ。こんな時間まで、どこフラフラうろついてんだ」


「関係ないじゃん」


「雪!」



 芯は、思わず大きな声を出してしまった自分を恥じた。ちゃんと雪と話し合わないといけないと思った。



「昼間は悪かった」



 芯は素直に謝った。



「でも、にいちゃんはお前の親代わりで、お前がこーんなに小さい時からだな、お前の幸せだけを考えて」



 つい良かれと思い、いつもいらない事を言ってしまう。


 雪が傷ついたように目をふせたが、芯はそのことに全く気付かなかった。


 その時、それまで黙って見ていた祥子が、立ち上がった。そしていきなり、祥子が芯の頬を打った。


 芯は何故今、自分が殴られたのか分からなかった。芯は、驚いた顔で祥子を見た。



「しっかり目をあけてみなさい。彼女はもう充分に大人よ」



 祥子の口調は、親が子供に言うみたいに断定的であった。


 芯が雪を見た。


 そこには、幼い雪が立っていた。



「お兄ちゃん、あたしはもう五歳の小さな女の子じゃないんだよ」



 雪の言葉に、芯は衝撃を受けた。



 そうだ。雪はもう幼い子供じゃない。雪に幼い子供でいて欲しかったのは、俺だ。大人になることが怖かったのも、俺だった。


 雪を子供だと思うことで、俺の役割が続いていくような気がしていた。



 芯は自分が情けなくて、思わず笑ってしまった。雪が、鞄の中からお弁当を出しながら言った。



「あたし覚えてるよ」


「えっ」



 雪がお弁当の蓋を取った。


 中には、卵焼きが入っていた。



「甘い卵焼き」



 雪がこれまでの事を思い出しているのか、目を潤ませた。



「ずっと守られてた。お兄ちゃんに……」



 芯は顔をあげ、雪を見つめた。



「幸せになって。自分の幸せなんかどうでもいいなんて言わないで」



 雪が卵焼きを口にいれた。次の瞬間、雪の頬を涙が一粒転がり落ちた。



「甘いよ、甘すぎなんだよ」



 雪が涙を手で拭った。芯も、卵焼きを口に放り込んだ。



 甘い。甘すぎる。



 甘すぎる卵焼きを口に頬張り、芯は理解した。この卵焼きは、自分たち二人の関係のように甘すぎるのだ。


 芯は、雪がもう幼い妹ではないことを自覚した。そうしたら、なんだか泣けてきた。雪を守ることで、芯も守られてきたからだ。


 芯の頬を涙が伝っていく。そして、口の中で甘い卵焼きと合わさり、甘い涙になった。


 急に芯は心細い気持ちになり、隣にいる祥子を見た。祥子はいつも通り微笑み、大きく頷いてくれた。背中を押されたような気持ちになった。



 雪の親がわりは、もう卒業だ。



 芯は、甘い卵焼きを頬張りながら、空を見上げた。




                    つづく

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