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甘い涙   作者: はる
3/6

第3話

「たかが弁当って?」



 芯が教師の方に身体を向け、確認するように尋ねた。



「今先生、なんて仰いました?」


「受け取りなさいと」


「その前に、たかが弁当って仰ってましたよね」


「あ、はい」


「食事ってのは人間にとって、ものすごく重要な事じゃないんですか?」


「いや、私はそんな深い意味で言ったわけ――」



 穴があったら入りたいって、こういう時に思うんだと雪は理解した。そんな雪の気持ちに気づくこともなく、芯はまだ一人で喋り続けている。



「食事っていうのはね、先生。ただ食えばいいってもんじゃないんですよ。いくら栄養をとっても、美味しいって思いながら食わないと、身にならないんですよ」



 遂に、雪の我慢が限界に達した。



「いいかげんにしてよ!」



 大きな声に驚いた芯と教師が、二人同時に雪を見た。



「食べるわよ。それで満足なんでしょ。先生の言う通りよ。たかが弁当一つで熱くならないでよね!」



 その言葉が終わるか終わらない瞬間、芯の右手が雪の頬を打った。雪は信じられない思いで芯を睨みつけた。



「お兄さん落ち着いて。私はそんなつもりで言ったわけじゃないので――」



 慌てている教師の言葉など、芯の耳には全く届いていなかった。それよりも、大事な妹の頬を叩いてしまった自分の右手を、信じられない思いで見つめていた。


 生徒たちは、もう誰ひとり笑っていなかった。


 芯はどうしていいかわからず、許しを乞うような眼差しで雪を見つめた。



「帰って」



 初めて聞く、冷たい声だった。



 何故こんな事になってしまったんだろう。やり直すとしたら、どこからやり直せばいいのだろう。俺はそんなことすらわかっていない。



 芯は、教師や生徒たちに向かって深々と頭を下げてから、力の入らなくなった重たい足を引き摺りながら、肩を落として教室から出ていった。




 いつもそうだ。



 芯は、職場であるレストランの厨房で、ネギを刻みながら、先ほどの自分の行動を思い出しては後悔し続けていた。


 雪のことになると、いつも俺は行き過ぎてしまう。守りたい気持ちが強すぎるのか、やりすぎてしまう。そして後になって、いつも後悔する。お決まりのパターンに嫌気がさす。


 そんなことを考えながらネギを切っていたので、背後に祥子が立っていることにも気づかなかった。



「芯ちゃん、オーダー間違ってたよ」



 祥子の注意に、芯は「すんません」と素直に謝った。


 芯が調理師として働いているこのレストランは、幼馴染の祥子が経営していた。


 両親が事故で亡くなった時、まだ雪は幼く、芯も十五歳だった。幸い持ち家だったので、住む場所は確保できた。あとは両親の生命保険があったので、なんとか暮らしていくことが出来た。


 困ったのは、日々の生活であった。


 両親が生きていた頃、芯は家事などひとつもしたことがなかった。だが、もうこの家にはやれる人間が自分しかいなく、生きていく為に家事をするしかなかった。


 ただ、雪の為に見よう見まねでやり始めた料理が、思いの外向いていた。芯は迷うことなく、料理の道に進もうと決めた。


 高校を出てすぐに、芯は調理師免許を取ろうとしたのだが、専門学校に行くお金を勿体無く感じてしまい、独学で勉強する事にした。


 その場合、二年の実務経験がいると知り、芯は近所の飲食店に勤め始めた。皿洗いから始まり、一つずつ仕事を覚えていった。雪の世話をしながら、朝から晩まで働いた。雪を寝かしつけてから、教科書片手に勉強を続けた。


 たぶん芯の人生の中で、一番頑張った時期であった。


 そして晴れて二年後、調理師免許を取得することができた。その時まだ雪は、十歳であった。



「どうしたの?今日なんかミス多いよ」



 祥子が心配そうに話しかけてきた。祥子はいつも、芯のことを気にかけてくれ助けてくれる。



「あがってからちょっと飲も」



 祥子はそういうと、芯の返事を待たずに厨房から出ていった。




                   つづく

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