第3話
「たかが弁当って?」
芯が教師の方に身体を向け、確認するように尋ねた。
「今先生、なんて仰いました?」
「受け取りなさいと」
「その前に、たかが弁当って仰ってましたよね」
「あ、はい」
「食事ってのは人間にとって、ものすごく重要な事じゃないんですか?」
「いや、私はそんな深い意味で言ったわけ――」
穴があったら入りたいって、こういう時に思うんだと雪は理解した。そんな雪の気持ちに気づくこともなく、芯はまだ一人で喋り続けている。
「食事っていうのはね、先生。ただ食えばいいってもんじゃないんですよ。いくら栄養をとっても、美味しいって思いながら食わないと、身にならないんですよ」
遂に、雪の我慢が限界に達した。
「いいかげんにしてよ!」
大きな声に驚いた芯と教師が、二人同時に雪を見た。
「食べるわよ。それで満足なんでしょ。先生の言う通りよ。たかが弁当一つで熱くならないでよね!」
その言葉が終わるか終わらない瞬間、芯の右手が雪の頬を打った。雪は信じられない思いで芯を睨みつけた。
「お兄さん落ち着いて。私はそんなつもりで言ったわけじゃないので――」
慌てている教師の言葉など、芯の耳には全く届いていなかった。それよりも、大事な妹の頬を叩いてしまった自分の右手を、信じられない思いで見つめていた。
生徒たちは、もう誰ひとり笑っていなかった。
芯はどうしていいかわからず、許しを乞うような眼差しで雪を見つめた。
「帰って」
初めて聞く、冷たい声だった。
何故こんな事になってしまったんだろう。やり直すとしたら、どこからやり直せばいいのだろう。俺はそんなことすらわかっていない。
芯は、教師や生徒たちに向かって深々と頭を下げてから、力の入らなくなった重たい足を引き摺りながら、肩を落として教室から出ていった。
いつもそうだ。
芯は、職場であるレストランの厨房で、ネギを刻みながら、先ほどの自分の行動を思い出しては後悔し続けていた。
雪のことになると、いつも俺は行き過ぎてしまう。守りたい気持ちが強すぎるのか、やりすぎてしまう。そして後になって、いつも後悔する。お決まりのパターンに嫌気がさす。
そんなことを考えながらネギを切っていたので、背後に祥子が立っていることにも気づかなかった。
「芯ちゃん、オーダー間違ってたよ」
祥子の注意に、芯は「すんません」と素直に謝った。
芯が調理師として働いているこのレストランは、幼馴染の祥子が経営していた。
両親が事故で亡くなった時、まだ雪は幼く、芯も十五歳だった。幸い持ち家だったので、住む場所は確保できた。あとは両親の生命保険があったので、なんとか暮らしていくことが出来た。
困ったのは、日々の生活であった。
両親が生きていた頃、芯は家事などひとつもしたことがなかった。だが、もうこの家にはやれる人間が自分しかいなく、生きていく為に家事をするしかなかった。
ただ、雪の為に見よう見まねでやり始めた料理が、思いの外向いていた。芯は迷うことなく、料理の道に進もうと決めた。
高校を出てすぐに、芯は調理師免許を取ろうとしたのだが、専門学校に行くお金を勿体無く感じてしまい、独学で勉強する事にした。
その場合、二年の実務経験がいると知り、芯は近所の飲食店に勤め始めた。皿洗いから始まり、一つずつ仕事を覚えていった。雪の世話をしながら、朝から晩まで働いた。雪を寝かしつけてから、教科書片手に勉強を続けた。
たぶん芯の人生の中で、一番頑張った時期であった。
そして晴れて二年後、調理師免許を取得することができた。その時まだ雪は、十歳であった。
「どうしたの?今日なんかミス多いよ」
祥子が心配そうに話しかけてきた。祥子はいつも、芯のことを気にかけてくれ助けてくれる。
「あがってからちょっと飲も」
祥子はそういうと、芯の返事を待たずに厨房から出ていった。
つづく




