第2話
今年の春から高校一年生になった雪は、バス通学になった。
小学校と中学校は、家から徒歩10分の距離だったのだが、近いと芯がしょっちゅう見にくるので嫌だった。だからバス通学は、雪にとってラッキーな状況であった。
決して、芯のことが嫌いなわけではなかった。ただ雪のことばかりで、自分のことを一切考えない兄の存在が重かった。
適度な距離感が欲しかった。
雪はバスに揺られながら、親友である沢田奈美に今朝の愚痴をこぼしていた。
「たまんないんだよね。毎日毎日」
「雪の親代わりだもんね、芯さんは」
吊り革に捕まりながら、奈美が面白そうに笑った。
「花柄のエプロンをやめてほしい」
「顔はイケメンなのに、惜しいよね」
「どこが。それに卵焼きだって、何回言っても砂糖山ほどいれるし」
「激甘だよね」
「もういいかげん放っといてほしいよ」
「これで雪に彼氏でもできたら、大変そうだよね」
「そうなんだよね……」
雪は憂鬱そうに、窓の外を見つめた。
今日も無事に、雪が帰ってきますように。
正座をした芯が、手を合わせ、仏壇の父と母に頼み事をしている。
人は突然いなくなる。
両親が亡くなった時、芯はそのことを強く実感してしまった。そのせいか、あまり大きな願いを持つことはなく、いなくならないでくれたらそれだけでいいと思っている。
仏壇に手を合わせ、簡単に拭き掃除をした後、芯は手際よく洗濯機を回し、掃除機をかけた。
家事は無限ループだ。終わりがない。
だから、芯は家事をやり過ぎないように気をつけている。
一通りの家事を終え、仕事に行く準備をしている時、それに気づいた。
雪が持っていったはずのお弁当が、ローテーブルの上にポツンと残されていた。
「マジか」
芯は一瞬迷ったが、雪に届けようと、お弁当を手に取り家を出た。
雪の通う高校は、自宅から三十分程かかる場所にある。芯はスクーターに跨り、雪の高校を目指し走った。
何故一瞬迷ったかというと、雪は芯が学校に来ることを極端に嫌がるからだった。だから芯も行かないようにしていた。
特に雪が高校生になってからは、来なくていいの一点張りだったから、芯は入学式以来学校に行っていない。
しかし今日はちがう。忘れ物を届けるという使命がある。だから、行くしかないのだ。
そんな大義名分を自分の中にあれこれ並べながら、芯は学校にいる雪を見ることができると、楽しみに思っていた。
学校に着き、芯は少し緊張しながら、雪のいる教室を探した。
久しぶりに学校という場所に足を踏み入れたので気分が高揚した。懐かしかった。
階段を上り、雪の教室を見つけ、ドキドキしながらドアを開けた。生徒たちが一斉に芯の方を見た。授業中だったみたいだ。
教室の中をぐるっと見回し、すぐに雪を見つけた。
皆がこちらを向いている中、一人だけ俯いていたので、逆に目立っていた。
「授業中すんません。これが家にあったもんで」
芯は、お弁当を持っている手をあげ、生徒たちに見せつけるようにしながら、雪の席に近づいていった。
その時、教壇に立っていた教師が、慌てたように芯の前に立ち塞がった。
「失礼ですけど」
「あ、私。雪の、田所雪の、まあ兄というか、父親というか母親ともいう」
芯は冗談を言ったつもりだったが、誰一人笑わなかった。
困った芯が助けを求めるように雪の方を見ると、何故か頬が赤かった。
「雪。忘れ物を届けにきたぞ」
芯は、お弁当を雪に差し出した。
周りの生徒たちが、クスクス笑いだした。教室がざわついている。雪は、額まで赤くなっている。
「ほれ」
もう一度、芯は雪の目の前にお弁当を差し出した。しかし、雪はお弁当を受け取ってくれない。芯は困惑しながら、もう一度言った。
「ほれ、朝も食ってないんだから、しっかり食え」
それでも雪は、受け取ってくれない。目も合わせてくれない。
「兄ちゃんも店いかなきゃなんないんだから」
焦った芯は、雪の机の上にお弁当を置いた。
「いらない」
雪が怒ったように言い、机の上のお弁当を、芯の側に押し返してきた。
「食えって」
「いらない」
「食え」
「いらないって言ってるでしょ!」
見かねた教師が、芯と雪の間に割って入ってきた。
「田所君も、せっかくお兄さんが持ってきてくださったんだから」
「そうそう。せっかくお兄様が持ってきてくださったんだから」
芯がおどけたように言うと、生徒たちから笑いが起きた。
「このままじゃ授業も中断されてしまうし、たかが弁当じゃないか。受け取りなさい」
教師は、一刻も早くこの場を収めようとしたのか、そう早口で言った。
まずい。
雪は、教師が兄の地雷を踏んでしまったことに気づき、焦った。
つづく




