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稲荷の嫁入り  作者: レモンイカ
出会い
3/4

二百年後

 大きく、美しい川が有名な集落での話である。

 ある日、数名の村人が、川の上流に鮎を取りに行ったとか。上流にいる鮎は大きくて美味しい。病気の村長の息子に食べさせる為に、村の男手で探しに行ったのだ。

 するとどうだろう。一向に鮎は見つからない。待てど暮らせど針には掛からず、姿さえ見当たらない。仕方が無い、もう少し下流へ行き、小さい鮎を何匹か取っていこう、と男達は話し合い、下流へと向かった。…すると、どうだろう。下流に、見たことの無い男が2人でいる。片方は怪我をしているようで、着物を赤く染めていた。

 村の男達は、なんとなく近づいてはいけない気がして、その男2人の、はるか手前で立ち止まった。

 暫くすると、血で塗れた男は川の中へと入っていった。そしてなんと、血で塗れた男は川で身を洗うと、真っ白な髪へと変わったのである。白い髪は吉兆とも、不吉な予感ともいわれた時代だ。男達は驚いて、2人を見守った。

 そして、もっと驚いたのはここからである。

 なんと2人の男は、川から上がると、狐になって走り去ったのである。白い狐と、黒い狐になって。白い狐は神の使いで、黒い狐は吉兆とされている。男達は狐達が走り去った方向に手を合わせ、下流へは近づかないように、上流へと戻った。

 するとどうだろう。先程までは魚のさの字すら見当たらなかったのに、大きな鮎が捕れる捕れる。しかも村に戻ると、村長の息子の病気がピタリと治った。

 これはきっと、御稲荷様のおかげだと、村人達は大層喜んだ。そしてこの伝承は、百年経っても集落に伝わっているとか、いないとか。


――――――――――


 今年の秋は豊作のようで、リス達の頬袋ははち切れんばかりに膨らみ、熊も遅くから冬眠の準備を始めていた。

 黒が白に法術を習い始めて、百年程が経った。黒は飲み込みが早く、法術を習い始めて百年程で、仙狐の位を授かっていた。


「黒ぉ〜!!化け比べをしないかい?」

「却下だ。俺がお前に勝てる気が全くしないからな」

「そんな事…あるけどさぁ〜。黒は法術をスラスラ覚えていっちゃうから、僕は暇なんだよぉ〜」


 しかし未だに白が黒の先生であり、黒は白に勝つ事が出来なかった。挑んだ事は一度や二度ではないが、その度にこてんぱんにやられ、今では勝負する気力が湧かない。


「なら、お前も法術の練習をすればどうだ?」

「…。僕はいいや」

「お前、毎回そう言うよな。何か理由でもあるのか?」


 黒は、天才だった。スポンジのように法術や勉学を吸収し、自分のものにしていくに。しかし、白はもっと天才だった。天災、と言っても良いかもしれない。黒に教えるのだから、黒の3倍の理解が必要になるのに、それをいとも簡単に言葉にし、分かりやすく黒に教えた。黒が分からない所を聞いても、スラスラと答え、黒を正解へと導く。

 そして何より不可思議なのが、白は全く法術や勉学を行わない所だろう。何事も、使わなければ衰える。それなのに白の知識は、日に日に磨きがかかり、黒がわざと分からないであろう事を聞いても、戸惑うことなく答えてしまうのだ。


「理由は、有るには有るけどねぇ…。黒は知らなくていいよ」

「…。」


 チラリと、黒は白の腕を見やった。包帯を巻かれたそこは、数年経っても血が止まらず、結局止血までに数十年を要した場所だ。


「…お前が怪我をした理由に、何か関係が有るのか?」

「あると言えば有るし、無いと言えば無いね。まぁ一言だけ言っておくと、強すぎる力は誤解を招くんだよ。黒も気をつけてね」


 ああ、と、黒はなんとなく察した。百年前、白が怪我をして倒れていたとき、白は「喧嘩した」と言っていた。しかし、それは本当に喧嘩だったのだろうか?

 黒は想像した。白に敵わないのに、白に挑んだ狐がいたらどうだろう。そして黒がやられたように、白がその狐をこてんぱんにしたら。そして、そのこてんぱんにした所だけを、上位の狐が見ていたら。きっと、白が虐めたと思うに違いない。白はこんな性格だし。

 まぁこれは想像であり、あくまで黒の頭の中での出来事だ。しかし、あり得なくはない。むしろ、白が事情を話さないからあり得そう、と思ってしまう。

 怪我の事情だけでは無い。白は、極端に自分語りをしないのだ。


「…そう考えると、俺は、お前の事を全然知らないな…」

「…知りたいの?僕の事」

「ああ、知りたい。百年も一緒にいるのに、お互いの事知らないのは変だ」


 白は一瞬きょとん、とした顔をして、たった百年じゃないか、と言った。…確かに、高位の狐になればなるほど、時間の感覚は低位の狐のそれとは懸け離れていく。これは、黒と白の生きている時間の長さの問題だった。しかし、たった百年、されど百年。黒にとっては、人生の半分をこの白と過ごした事になる。なのに、白の事をあまり知らない、というのは、途轍もない違和感だろう。

 白はムッと顔を顰めた黒を見つめ、やれやれと言うようにため息をついた。


「…もしも僕の事知りたいならさ、黒の事も教えてよ」

「…俺の事…」

「僕も丁度暇をしていたからさ、こんな遊びはどうだろう?僕の質問に、1回黒が答える。次は、黒の質問に、僕が1回答える。答えられなかったら、答えられなかった方が、次の質問権を失う」

「…分かった」


 黒の事、と言われ、黒は一瞬怯んだ。そう言われてみれば、自分の事についても、あまり知らないと気がついたからだ。答えられるか、少々不安になった。

 僕から質問するね、と、白が言った。黒が頷くと、白は口を開いた。


「じゃあ、最初の質問!!黒の、好きな食べ物は?」

「…兎…だと思う。あまり、考えた事は無いが…」

「なるほどね〜!じゃあ、次は黒の番!!どんな質問でもどんと来い!!」


 なら、と、黒は怪我について聞こうとして、すこし迷った。白が答えたく無さそうな事を、聞いても良いか迷ったからだ。…だから、黒は聞いた。


「…お前の…嫌いな、食べ物…は?」


 全く違う事を聞いてしまった。白は、しどろもどろに嫌いな食べ物を聞いた黒が面白かったのだろう。あははは、と口を開けて笑った。さっさと答えろ、と、黒が小突くまで、白の笑いは止まらなかった。


「嫌いな食べ物、ねぇ…ううん…。無い、かな?大体のものは食べられるし」


 失敗した、と、黒は顔を押さえた。もっと深掘りした質問をすれば良かった…。これなら、怪我の事を聞いたほうがマシだったかもしれないとさえ思えた。

 そんな黒の様子が可笑しかったのだろう。また白は、口を開けて笑った。


「また、次は僕の番ね」


 笑いに笑って、白は言った。まだ目には、笑い過ぎたのだろう、涙を貯めていた。

 しかし、声色は、急に真剣なものへと変わっていった。


「黒。君は、仙狐になった。その力を、今後なにに使いたい?」


 急に降ってきた真剣な質問に、黒は面食らった。やはり、怪我の事を聞いておけば良かった、とまた後悔した。

 しかし、この質問に答えれば、次が有る。次に、もっと真剣な質問をしてやろう。そんな事を企んで、黒は口を開いた。

 …が、しかし、口を開いたは良いが、何を言うべきか、数秒迷った。…考えた事が無かった。仙狐になって、何がしたいかなんて。そもそも黒は、親が仙狐だった為、強くなりたかった為に仙狐を目指した。その力をどう使うかなんて、考えた事も無かった。


「…降参?」


 白が、優しい声色で聞いてきた。…が、何処か恐ろしく感じた。この質問にちゃんと答えられなければ、白は居なくなってしまいそう。そんな気がした。


「っ!!俺は…!!…この力を…」


 数秒、たっぷり迷って、目をそらして、俯いて…。黒は最後に、ポツリと言った。


「…な…長生きの為に使いたい…かな…?」

「…と、いうと?」

「…黒孤は長生き出来ないって、親に捨てられたから…。…なんとなく、この力で親を見返したい気がした…?」


 疑問形ばかりの黒の回答。それを聞いて、白は笑った。黒は顔を真っ赤にして、笑うな、と、力なく呟いた。


「いやぁ、ごめんごめん。黒が悪しき者にならないか心配だったんだけど、杞憂だったみたいだね。黒は、立派な仙狐になったよ」


 目を涙でキラキラさせて、白は笑った。…これなら、と、黒は、踏み込んだ質問をする事にした。


「…次は、俺の番な。…お前の怪我についてだ。なんで、誰にそんな怪我を負わせられたんだ?」


 笑っていた白は、急に黙り込んだ。黙り込んで、暫くして、


「こーさん!!答えられないね」


 と、笑いだした。


「…じゃあ、次の質問だ。お前、正体は何だ?」

「それもこーさん!!答えられないよ」

「…お前が何処から来たか…」

「それも無理だね。答えられないなぁ…」


 もう一度黒は、顔を押さえた。…その手があったか、と。こうすれば質問権が一生来ない変わりに、全ての問題に回答しなくていい。やはり、狐はずる賢い。…まぁ、黒も狐だが…。

 フーっと黒が威嚇すると、白はコロコロ笑いながら、ごめんごめんと呟いた。


「…いつか…。…千年後位に話すよ、きっと」

「その時は、俺もお前も天狐になっているだろうな…。どんだけ待たせるつもりだ?」

「黒が天狐になって、数百年経って…。そしたらきっと、また会えるから」

「…?また会えるも何も、俺達はこれからも一緒だろ?」


 白は、黒の言葉に目を見開き、そして、そうだったね、と、笑った。黒は、そう言うと思った、と。そんな白の様子を不審がりながらも、黒は、何も言うことが出来なかった。


――――――――――


 一方、その頃、人間の集落での話である。


「本当に、この川に、神の使いと黒孤が出たのだな?」

「はい。伝承では、確かに」


 江戸の役人とみられる数名の男と、村の案内人が川を訪れていた。江戸の役人はふぅ、と煙草の煙を吐くと、この煙草を、川へと捨てた。

 役人の手には、銃があったとか、無かったとか。


――――――――――

 質問遊びをした、数日後の事である。

 

「黒。法術の練習ばかりでは飽きるでしょう?たまには、人間に悪戯でもしに行かない?」

「却下。俺の正体はバレると不味い。即殺される。…それにお前、神の使いだろ?そんな事言って良いのか?」


 人間に化けた黒は、今日も今日とて、法術の練習に勤しんでいた。化ける事しか知らなかった孤は、今ではなんと、手から氷を生み出す事さえ出来る様になっていた。これはかなり高位の法術であり、黒の日頃の成果である。


「…ここ百年、黒の法術に付き合って、悪戯の一つも出来ていない…。…狐ってそもそも、悪戯してなんぼの生き物でしょう?」

「俺は産まれてこのかた、悪戯なんてした事無いぞ。なんだ、悪戯してなんぼって」

「それはもったいない!!悪戯がない狐生なんて、損してるよ!!」


 そんな事を言われてもなぁ、と、黒は頭を捻った。悪戯と言われても内容が思いつかないし、黒は黒孤と人間にバレれば最後、森の中にすら居場所が無くなってしまう。そんなリスクを犯す、無謀な勇気は無かった。


「具体的に、何をしようって思ったんだ?」

「聞いてくれるの!?やったぁ!!聞いたら、黒も絶対やるって言い出すよ!」


 白は、黒から少し離れた場所へと行くと、手を合わせた。変化の術を使おうとしているのだ。…そのはずだが、なぜか、ゾクリと、黒の背筋に何か良くなさそうな予感が走った。


「…お前…何に化けるつもりだ!?」


 ドロンっとコミカルな音を立てて、白は…。…絶世の美女へと変化した。

 純白の髪はヴェールの様に腰まで伸び、紅の瞳は化粧によって彩られている。微笑みかけられれば、どんな男でも骨抜きにされてしまうだろう。いつもの妖艶さに、さらに暴力的なまでの可憐さを混ぜ合わせた様な、まさに、劇物と呼ぶに相応しい美貌がそこにはあった。

 黒は暫くそれを眺めた。白の美しさに見惚れて動けなくなってしまったのかと心配する程に、黒は、穴をほがす様に白の女姿を見つめていた。そして、暫く黙っていた口を、ようやっと開いた。

 

「…お前…。…そういう趣味なのか?」

「違うけど!?…やめて!!そんな目で見ないで!!」


 変態!!きゃー、お巡りさんこいつでーす!!なんて、いつもよりワンオクターブ高い声で喚く白を、黒は、ジトッとした目で見つめていた。


「…で、悪戯とは、俺とお前で美女になり人間を誑かすって事で合ってるか?」

「流石黒!!僕の弟子なだけあるねぇ〜」

「却下だ」

「なんで!?」

「なんでも。俺はお前みたいに美女に化ける方法を知らないし、知っていたとしてもやりたくない」


 変態はお前だ、と、氷の剣で突き刺す様な声で白を突き放す黒に、白は、美女に化けたまま泣きついた。その姿はさながら、交際している男女間の喧嘩であった。


「引っ付くな、やめろ気持ち悪い!!」

「そんな事言わないで、黒もやろーよー!!ぜったい、ぜぇったい楽しいからさ!!」

「ああもう、お前を信じた俺が馬鹿だった!!」


 引っ付くのをやめるなら、今回だけ付き合ってやる!!と、黒が叫ぶと、白はすぐに離れ、黒も化けよう!と、両手を差し出した。渋々といった様子で手を掴む黒。

 

 白は、黒の手を握ったまま暫くくるくると手を回していたが、コホン、と1つ咳払いすると、ドロンっと黒を巻き込んで化けた。

 2人がいた場所に現れたのは、2人の女性だった。…が、何処か様子がおかしい。黒と白がいた場所に現れたのは、絶世の美女と、その連れ子と思われる美人な子どもだった。…しかも、女の子…。


「…何の冗談だ?今ならまだ許してやる」

「設定はね〜!遊郭から逃げ出してきた女、白雪20歳と、その連れ子小雪5歳!2人は遊郭から逃げ出し、父親を探している旅の途中!しかし路銀が底をつき、集落に助けを求めに来た!って感じ!!」

「一瞬でそこまで考えられる想像力は褒めてやろう。だがしかし、もとに戻せこの変態!!!」


 いつもより2オクターブ高そうな声で、黒は叫ぶ。足踏みをして、白を時折蹴りながら暴れるが、現在子供体型。白に対抗できるはずが無かった。

 黒は暫く抵抗していたが、無駄だと気がついた。…悪戯したいと言っていたが、その対象に、黒も含まれていたらしい…。一度は賛同してしまった身である。仕方なく、とてもとても仕方なく、今回は白のお遊びに乗ってやることにした。…というか、それ以外にもとに戻してもらう方法を知らない…。


「不本意だ。本当に、本当に…」

「こら、小雪。そんな言葉、何処で覚えたの?」

「もうごっこ遊びは始まってんのかよ…」


 長い髪を整えながら黒に微笑む白に、黒は盛大なため息をついた。


――――――――――


「小雪、足は痛くない?お母さんがおんぶしてあげようか?」

「…痛くない。何処をどう見てそう思ったんだ…」

「小雪はそんな言葉、使わないわ」

「…痛くないよー。大丈夫、お母さん(棒)」


 黒の目は、死んでいた。一方で白の目は、生き生きとしている。…まぁ実は、狐は悪戯好きな生き物な為、狐の反応として正しいのは白の方であった。

 2人は歩いて、集落へと向かっていた。白曰く、先程の白の設定に現実味を持たせる為に、人間の姿で森の中を歩いたほうが良いらしい。正直黒は興味のきの字すら無いため、真面目に取り合ってはいなかったが。


「小雪、見てちょうだい、集落があるわ。あそこで助けを求めましょう」

「…はい、お母さん…」

「小雪はもっと元気な子よ」

「白…お前、マジで戻ったら覚えとけよ…」


 狐の姿でないのに威嚇する黒に見て見ぬふりをしながら、白はヨロヨロと集落へ歩いていった。勿論、本当に立ち眩みしているわけでは無い。演技でふらついているのだ。

 そうして2人は、集落へと入っていった。


「ああ、誰か…誰か、お助けいただけませんか?」


 絶世の美女にそう言われ、立ち止まらない人はいなかった。女も男も関係なく、白の姿に見惚れ、そして、白と黒の様子に何かを悟り、心を痛めた。


「私は、白雪と申します…。遊郭から我が子と逃げ出し、この子の父親を探す旅の途中なのです。しかし、森の中で悪戯な狐に、路銀を取られてしまいました…。どなたか、お助けいただけませんか?」


 白が、白雪の姿でそう涙ぐむと、女も男も関係なく白雪に同情し、少しなら、と、自分の懐から白雪の為に路銀を出した。そして、数名の男達は、自分が白雪を苦しめた狐を懲らしめてやろうと、銃を構えて飛び出していった。


「ああ…。皆様、本当に、本当にありがとうございます…。小雪も、挨拶なさい」

「…ありがとう…」


 黒…小雪の姿も、集落の人々の心を打った。黒はぶっきらぼうに言ったつもりだったが、集落の人々には、小雪が引っ込み思案な子に見えたのだろう。

 父親を探し、旅をしている美女とその子ども。心を痛めない人はいなかった。


「折角なら、この集落に2、3日泊まればいいよ。泊まる場所が無ければ、うちへおいで」

「うちでもいいのよ!!こんな男のとこより、女同士で仲良くやりましょう!」

「もし泊まるなら、村長の家がいいんじゃないかい?」

「…でもなぁ…あの家には今、江戸の役人がいんじゃあないか」


 やんややんやと、集落の人々が話始めた。まんまと騙されている。しかも、なぜか白雪達が集落に泊まる前提の話になっている。人間って怖い。それが、黒の意見だった。

 しかし、そんな人々の声の中に、聞き捨てならない言葉があった。


「…江戸の…役人…」

「ああ、お嬢ちゃん、お母さんの心配してんのかい?優しいねぇ」

「そうさ、江戸の役人が、狐を取りにやって来ているんだよ」


 集落の人々は、小雪が、遊郭から逃げ出した白雪が掴まることを心配しているように見えたらしい。…が、黒は、そんな事を心配しているのでは無かった。

 江戸の役人…。狐を取りに…。

 黒の…小雪の顔色はどんどん悪くなり、集落の人々はとてもとても心配した。


「あら、小雪…。急に顔色が優れないわね。どうしたの?」

「…お母さん…もう、行こう…」


 江戸の役人は不味い。何故なら彼らは、最新型の銃を持っている可能性があるからだ。ここで狐だとバレてみろ。集落の人々だけならまだ逃げられたかもしれないが、江戸の役人となれば、逃げる事は…。

 それが分かっているのか、いや、分かっているはずだが、白はニッコリと笑うと、そうね、と黒に言った。


「そうね。そろそろ、村長さんとお役人様に、ご挨拶に行った方がいいわよね」

「…は?」


 黒、絶句である。逃げよう、と言ったはずだが。逃げよう、と、言ったはずだが…!?何故向かっていく事になってしまっているのか!?逃げようよ!!と、心の中で足掻いても無駄であった。

 村長はこちらです、と、案内する人にてくてくついていく白に、仕方なく黒も、てくてくついていく。顔を、真青にしながら。


 そうこうしてる内に2人は、村長の家へとたどり着いた。


「まぁまぁ、お役人様と村長さん、ご一緒だったのですね」

「…どちら様ですかな?」

「申し訳ございません。失礼致しました。私、白雪と申します。先程この集落にたどり着き、集落の人々の親切に助けられた者でございます」


 役人と村長を前にお辞儀をする白雪を、役人と村長はボォっと眺めた。仕方が無い。それ程までに、白雪は美しかった。

 小雪も小雪で少しお辞儀をして、役人を見やった。…やはり、最新型の銃を持っている。危ない。


「ご挨拶を、と思いまして、こちらに足を運びました」

「それはそれはご丁寧に…。態々、ありがとうございます」


 村長は丁寧に挨拶をする白雪を、全面的に信じたのだろう。村長も丁寧な様子で対応してくれた。

 そして、江戸の役人は…。一見すると和やかな様子で白雪を見ているが、よく見れば、というか、狐ならよく見なくても分かるレベルで気持ち悪い目をしている。白雪を、欲の捌け口に使おうとしている目だ。


「貴女の様な別嬪さん、見た事がありませんよ。しかも子持ちとは…。さぞかし、大変な人生をお送りなのでしょうなぁ」

「お役人様には負けますわ。誰かに絶対の忠誠を誓うことは、並大抵の気力では出来ませんもの」


 役人と村長の間に座りながら、白雪は微笑む。その隣に、小雪も座った。


「しかし、白雪殿。先程、集落の人々に助けられた、と仰っておりしたが、なにかあったのですか?」

「はい。実は、森の中で、狐に路銀をすられてしまいまして…。ここの人達は優しいですわね。その代わりにと、皆さんがお金を出し合ってくださったのです」

「それは何と…。村長として、誇らしい限りですなぁ…」


 村長は、本当に誇らしげに髭を擦った。

 一方、看過出来ない反応をしたのは、役人だった。


「貴女、狐に路銀をすられた、と、申しましたかな?」

「ええ。人に化けて近づいてきたのです。あれはきっと、野干ですわね」

「実は我々役人は、狐を探しているのです。…こんな話を聞いたことはございませんか?」


――黒い、狐の話を――


 さぁっと、黒の血の気が引いた。カタカタと震える手を、そっと白の手にまわす。

 当然の反応だ。目の前に、命を狙っている人間がいるのだ。しかも、最新型の銃を持った。敵うはずが無い。怖い。

 しかし、白は知ったこっちゃない、といった様子で、役人と話を進める。


「まぁ、黒孤が出ましたの?素晴らしい事ですわね。黒孤は吉兆の証。必ずや、我々に幸福をもたらすでしょう」

「いえ、それが、黒孤が現れたのは、百年程前の話でしてな。今、生きているかさえ分かりませぬ。しかし、お上からの命令でしてな。黒孤の毛皮を、是が非でも徳川一族に、と」


 それはそれは、と、白が相槌を打った。これはまるで、狸と狐の化かし合いだ、と、黒は思った。勿論、狐は白で、狸は役人だ。役人の丸々太った様子も、狸を想像させた。


「ところでお嬢さん。体調が優れない様に見えるけれど、大丈夫かい?」

「あ…。あの、えっと…」


 突然話しかけられた黒は、暫くしどろもどろに喋っていたが、すぅと息を吸うと、


「…今日は沢山歩いて、疲れたみたいです。ごめんなさい」


 と、微笑んだ。子供ながらに白雪の鱗片を見いだせるその笑みに、役人と村長は驚いた顔を見せた。


「そうね。今日は色々あったもの。小雪が疲れるのも、無理ないわ。…すみません、村長さん、お役人様。これで、失礼致しますわ」

「ええ。いつでも、この集落にお寄りなさいな。歓迎致しますよ」


 そう言って、その場はお開きとなった。白雪は小雪の震える手を取り、歩き出す。小雪の…黒の顔色はとても悪く、病人のようだった。

 

 と、小石につまずき、小雪が転んだ。

 そして、転んだ拍子に術が解けたらしく…。…小雪の頭に、可愛らしい黒い狐の耳が生えた。


「…ぁ!!!」

「…!!走るよ!!黒」


 瞬時に狐の姿に戻った白は、小雪の姿のままの黒を咥えて走り出した。足元を、パンパン、と、銃弾が掠める。…とはいえ、白は白狐。神の使いに銃を当てるつもりは無いらしく、役人達は悪態をつきながら追いかけてくる。


「御用だ御用だっ!!そこの狐、止まれ!!」


 止まれと言われて止まる馬鹿はいない。白は黒を咥えて、集落の中を走り抜け、森の中へと逃げ込んだ。


――――――――――


 森の中を走り、暫くたった頃合いだ。後を振り返ると、役人達の姿は数里先まで見当たらない。白はやっと黒を離すと、青年の姿になり、ケラケラと笑った。


「ああ、楽しかったね、黒」


 そう言う白の顔を、青年に化けた黒は、思いっきりぶん殴った。


「…この阿呆!!死ぬところだったんだぞ!!」


 黒の目には涙が溜まり、今にも泣きそうだった。それもそうか、と、やはり白は笑う。そんな白に、黒は、不気味ささえ感じた。


「大丈夫だよ、黒。君がここで死ぬ事は無い。僕がいるんだから」

「…俺は、自分が死ぬのも嫌だが、お前が傷付くのも嫌なんだよ…」

「…黒…。…黒、大丈夫だよ?本当に、大丈夫。僕は怪我なんてして無いし、黒も無事。悪戯は大成功!!これ以上緊張感溢れる遊びは無いね!!」


 くるくる飛び回る様に喜びながら、白は、黒を励まそうと精一杯だった。と、いうのも、白は、人を励ますなんて事、した事が無かった。こっちが喜んでいれば、向こうも笑う。そんな世界で生きてきたのだ。


「…なぁ、白。約束してくれ」

「…それで君が泣き止むなら、僕は何だってするよ」

「…もう、人間に悪戯するのはやめてくれ…。今回みたいな事は、心臓に悪い…」


 悪戯をした事が無い黒にとって、今回の事は刺激が強過ぎた。ふらふらと白に倒れ込みながら、黒は懇願した。目から溢れた涙が、白の着物を濡らす。


「…うん…。分かった。…ごめんね、黒…」


 倒れ込んだ黒をしっかりと抱きしめながら、白は応えた。そして、心から謝った。

 今後、悪戯はしない事。狐としての不正解を、黒は願った。なら、白は、それに応えるしか無い。

 抱きしめた温もりが逃げていかないように、白は黒を抱え込んだ。泣き声に嗚咽が交じる黒の背を撫でながら、白は…。


 残り僅かな、一緒に暮らせる日々を思った。

 

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