謎の少女ヒメーカ
「三カ月ぶりだな」
「ああ。早く会いたいよ」
地平線を森で埋め尽くす広大なアマゾンの奥地。虫や動物の鳴き声が永遠に止まることがない世界。何百万種の生命の鼓動が生態系の頂点にいる人間に恐怖心を与えている。神々が人間を拒む設計にしたかのような木々が生い茂るこの場所に小さな木造の小屋が立っていた。そこへTシャツ、ジーンズにリュックというラフな格好の二人組の男がある少女に会う為に川を下ってやってきた。一人は寝ぐせのある黒髪に堀の深い精悍な顔だち、もう一人は茶色がかった髪で長いもみあげが特徴の男だった。黒髪の男は手入れされていない無精ヒゲを手でジョリジョリなでながら、小屋の前にある小さな砂地で砂遊びをしている七歳くらいの少女に話しかけた。
「やあ」
「あっ‼ お父さん」
少女は黒髪の男を見ると裸足で駆け寄ってきて男の膝に抱き着いた。
「元気か?」
「うん」
少女は照れくさそうに上目遣いで男の顔を見た。
「石田はいるか」
「うん。中にいる」
「そうか。ここで遊んでなさい」
「はーい」
無精ひげの男は優しく少女の頭をなでた。少女はちょっと寂しそうにテテテテと砂地へ走っていった。男が小屋の入り口に目をやると若い男が立っていた。
「先生達、早かったですね。映像の準備できてます」
と石田というその若い男は言った。
「それより石田、体調は大丈夫か」
と茶髪のもみあげの男が声をかけると石田は
「はい。熱はもう下がりました。大丈夫です」
と答えた。小屋の中は無造作に電源コードが絡まったまま床に放置されており、発電機の音が響いていた。そして苔と木、そしてわずかなガソリンの匂いがしている。三人はすぐ床に置かれていたパソコンの前に座わりこんだ。
「これが先週撮影あの子の映像です」
石田がそう言ってパソコンのマウスをクリックすると映像が再生された。
「力がまた大きくなっているな」
男達の目は輝き始める。
「これなら研究が前進しそうだな」
「はい。しかしこの映像は二カ月前のものです」
「二カ月前⁉ 一番最近のものはあるか」
「はい」
石田が返事をしてマウスを握った時、外から少女の声が聞こえた。その声は何かに話しかけているような感じだった。無精ひげの男は異変を感じて外を見るとジャガーが砂場の少女を威嚇していた。
「やばい!」
少女の父親である無精ひげの男は急いで部屋を飛び出そうとした。だがその瞬間、後ろから肩を強く掴まれた。掴んだのは石田だった。
「待ってください」
「なっ! 早く助けないと」
と無精ひげの男は肩の手を振り払おうとした。
「待ってください‼大丈夫です。見ていてください」
石田は真っすぐな目で少女を見た。無精ひげの男が少女を見ると少女の髪がゆらゆらと揺れていた。すると少女の周辺の砂がゆっくり宙に浮き始めた。
「これは……!」
無精ひげの男は目を見開いた。低い姿勢をとっているジャガーは奥歯まで見えるほど口を釣り上げて少女を威嚇すると、シッポを回転させて少女に飛びかかった!
「あっ!」
と無精ひげの男が声を上げると次の瞬間、ジャガーは少女の一メートル手前で跳ね返された! ジャガーは突風に飛ばされたように地面に転がった。ジャガーは起き上がると懲りることなくもう一度少女へ飛びかかった! がジャガーは空中で動きを止めた。時間が止まったかのように宙で静止したジャガーは少女と目が合った瞬間、弾かれて地面を転がって倒れた。ジャガーはよろよろと立ち上がるとうなだれるように森へ逃げていった。
「あの年にしてはすごい成長だな……」
「ええ」
「やはり我々の星の命運はあの子にかかっている」
男達は立ち昇る砂煙に未来を見た。
「金児様、まもなく学校へ着きます」
護衛で付いているサングラスをした黒服の男の一人がそう言うと少年は桜の舞う車窓を眺めていた。
「俺は高校は行かないって言ったのによ」
かったるそうな表情で頭をグシャグシャとかいているこの少年の名前は福沢金児十五才。父親はⅠT事業で莫大な資産を築き、現在は時価総額ダントツ世界トップの多国籍複合企業フクザワホールディングスの創業者である。そして母親は元世界的な女優であり、金児はその母親に似て絶世の美少年だった。
「金児様の入学式に我々だけですか」
黒服がぼそっと言うと金児は
「あのオヤジが来るわけないだろ」
と言って目線を車窓からプロレスの雑誌に移した。金児はあの父親に雇われている付き人達に同情した。そして息子の自分も似たようなもんだと金児は思った。金児は開き直った表情をして
「お互い頑張ろうぜ」
と言うと黒服は押し黙ってしまった。シーンとした悲哀に満ちた車両は希望に満ちた学生の横をすり抜けて天品高校の校門前で静かに停車した。
「入学生のみなさん。保護者の皆さま。ご入学おめでとうございます。またご多忙中のところご臨席賜りましたご来賓の皆さま、本日は誠にありがとうございます。さてこの天品高等学校は本年でちょうど創立百周年を迎える伝統と実績のある学校でございます。文武両道を主眼とし……」
副校長の高らかな声が体育館に響き渡っている。その声に我が子の門出に感銘を受けている親達がうなずきながら真摯に受け止めている。真新しいブレザーに身を包んだ新入生達は青々と輝く高校生活に胸を膨らませていた。ただ一人を除いては。
「本校は百周年を迎えるにあたって大きな転換期を迎えることになります。今年度より天品高校はフクザワホールディングスの傘下に入ることになりました」
体育館がざわついた。あらかじめ告知してあったとはいえ世界的な企業が運営するとなるとどんな影響があるのか親達は少しの不安を抱いていた。金児は不機嫌そうに大きな舌打ちをした。
「それにつきまして新たな校長をお迎えすることになりました。ではご挨拶を」
副校長が挨拶を促すと、いかにもインテリといったフチなしメガネをかけたまだ40歳くらいの中年の男が登壇した。するとその男は生徒の方を見渡した。そして金児と目が合うとほんの軽く会釈した。金児はその会釈を無視した。
「皆さんおはようございます。この度、天品高校校長に就任いたしました山川です。校長という大任を仰せつかりましたことを大変光栄に思っております」
金児は校長に就任した山川のことについて付き人の一人に聞いていた。山川はまさに肩書コレクターとも言うべき男で超有名大学、大学院を卒業後、超有名経営コンサルタント会社で腕を振るった後にフクザワホールディングスにヘッドハンティングされた男だった。金児は育った環境のせいか、そういう男にうんざりしていたというよりそういう男が大嫌いだった。
「私、山川はこの天品高校を不動の日本一、いや世界一の学校にするべくこの学校に赴任して参りました。ご父兄の中には運営元が変わって不安にお思いの方もいらっしゃると思います。しかしご安心ください。文武両道、質実剛健、世界のリーダーを目指すという学校の理念に変更はございません。そこにフクザワホールディングスの資本が入れば、素晴らしいケミストリーが生まれるわけでありまして……」
その時だった。新校長が長々とした退屈な挨拶をしている最中に1人の生徒が高々と手を挙げた。金児だった。山川はそれに気づいて挨拶を止めた。体育館がざわつき始めた。
「あ、あの……。君、何か」
山川は金児が社長のご子息だと知っていたが、校長という立場から金児を「君」と表現した。金児はすくっと立ち上がった。そして両手をメガホンのように口の前に持っていって大声で言い放った。
「話がながぁぁぁぁい!」
体育館が一斉にざわついた。生徒達はこいつは何者なんだ⁉ という顔をした。
「こらっ! 君、座りなさいっ!」
といかにも生徒指導らしき年配の教師が金児に向かって叫んだ。金児は無言でパイプ椅子がギシギシなる勢いで座った。体育館のざわつきが収まらない中、山川はしどろもどろの挨拶を早急に終わらせて壇上から引き上げた。すると金児のとなりに座っていた男子が小声で金児に話しかけた。
「お前んち、マジで高校買収したんだな」
金児に話しかけたのは金児の幼い頃からの親友の大倉銀太だった。
「もしかしてあれじゃない? お前が高校を絶対やめれなくするためにオヤジが買収したんじゃねぇか?登校拒否しても裏工作で卒業させる気なんじゃ」
「まさか……」
金児は銀太の言葉にドキリとした。そんなことを考えたこともなかった。だが金児は頭のキレる銀太の言う事は割と信じてきた。銀太は独学でありながら数々の将棋大会で優勝したり、少し勉強しただけで数学で高得点をたたき出すほど頭のキレる男だった。
「ウチのオヤジはそんなに暇じゃねぇよ」
と金児は内心ドキドキしながら言った。銀太はどうだかね?というような表情をした。
その時、金児は銀太のその表情のずっと先に一人の女子がこちらを見ているのに気づいた。その女子は遠目からでも透き通るような白い肌と光沢のある金色の髪があまりに目立っていた。金児はバチっとその女子と目が合った。次の瞬間、その女子は口を尖らせて眉間に大きなシワを寄せた。
「こ、怖っ」
金児の入学式は大変不愉快な入学式となった。
「あっ! 福沢だ」
「きゃ。メッチャイケメン」
金児のいる一年二組の教室の前は二、三年生の女子も入り乱れて金児見たさにごった返していた。金児はその容姿と入学式でのスタンドプレーによって学校中ですでに有名になっていた。しかし金児は我関せずといった感じで机に座って退屈そうに窓の外を見ていた。
「相変わらず、モテますな金児君」
銀太は嫌みったらしく金児の肩に手を乗せて金児をちゃかした。
「あの子カワイイな」
銀太を無視して金児は窓の外の渡り廊下を歩いている女子を見ていた。
「どれどれ。あの金髪の子?あっホントだ。メチャクチャカワイイな。ハーフかな?」
と銀太はテンション高く言った。金児と銀太が窓から見ているとその美少女は二人に気付いた。宝石のような瞳で二人を見つめると親指を立ててそれを下へ向けた。そして
「ボン!」
と言って不機嫌そうに歩いて行ってしまった。
「うわ。俺たち嫌われてる。俺ああいう気が強いタイプはパス。てかお前あの子に何かした?」
「いや別に何もしてないよ。でも入学式の時も俺を睨んでたような……」
金児の目は美少女の後ろ姿を追っている。
「あっやべ。担任きたぜ」
銀太はさっと立つと自分の席へ戻っていった。金児はつぶやいた。
「でもやっぱカワイイな」
登校初日の放課後、金児は女子たちの視線に適当な会釈をしながら下駄箱の前にいた。下駄箱を開けるとそこにはピンクの手紙が入っていた。その手紙は封筒に入っておらずピンクの紙を二つ折りにされただけの物だった。金児はその手紙を開くと
「今日の放課後、第二校舎の屋上で待つ。斉藤ヒメーカ」
と記されていた。
「斉藤ヒメーカ?」
金児は少し困惑したがラブレターに少しウキウキした気持ちになった。金児は中学時代からラブレターはもらい慣れていた。だが入学初日にもらったのはこれが初めてだった。金児は少し浮かれた気分になり屋上へ行くことにした。
金児は校門まで行って迎えに来ていた付き人の黒服達に学校のカバンを預けると、ちょっと待機しておくように言って第二校舎の屋上へ向かった。天品高校には第一校舎と第二校舎があった。金児がいる一般進学組と工業系に卓越した生徒が在籍する第一校舎と全寮制のスポーツ特待生が主に在籍する第二校舎があった。第二校舎は一般進学組とは違って午後からはそれぞれの競技の練習に入る為、校舎に人の気配はほとんどなくなる。金児は静まり返った第2校舎の階段を2段飛ばしで駆け上がった。そして屋上へ出ることができるドアの前にきた。ドアが開くのか疑心を抱きながらドアノブへ手をやった。すると完全に壊れているかのようにゆるいドアノブはすぐに回った。金児はそっとドアを開くとそこには金髪が夕日に照らされてつややかになびいている一人の少女がいた。少女は手すりにもたれて薄っすらと見え始めた月を見ていた。金児はそれが今朝の不機嫌なボム少女だとすぐわかった。
「斉藤ヒメーカさん?」
金児が尋ねると美少女は金児の方を見て
「うん」
と答えた。その声は高くてとてもかわいらしい。
「手紙、下駄箱に入ってたんだけど何か俺に用?」
「うん」
ヒメーカは頷くとスタスタと金児の目の前まで歩を進めた。夕日なのか感情的なものなのか少女の頬がピンクに染まっていた。ヒメーカは優しく微笑んだ。
ドン!
金児の目に地面が垂直に映った。ヒメーカの強烈なボディブローが金児に炸裂したのだった。
「痛い? 福沢金児」
金児は何が起きたかわからなかった。ただミゾオチに何かがあたって息ができないことだけは確かだった。コンクリートの地面に頬をつけながら見上げると斉藤ヒメーカが金児を見下ろしながら微笑んでいた。金児は片膝をついて立ち上がろうとした。金児は胃と腸がのどから出そうだった。
「な、なんで……」
と金児は蚊の鳴くような声を発した。ヒメーカの右の眉毛がくねった。
「なんで? フフ。わからない?」
ヒメーカの金髪の綺麗な髪がそよ風で揺れている。
「はっきり言ってあげる……。復讐よ。私のお父さんの」
「ふ、復讐……⁉」
と金児はミゾオチを抑えながら歪んだ表情で言った。
「私のお父さんはあなたんちのフクザワホールディングスの社員だったのよ。でも……リストラされたの」
とヒメーカはうつむき気味で言った。
「あなたにはわからないだろうけど、それからお父さんは大変だったのよ。再就職先がなかなか決まらずに。今は就職して働いてるけど収入は激減。学校の入学金払うのも大変だったんだから」
ヒメーカは怒りと悲しみをミックスした表情をしていた。金児はただただ彼女の目を見ていた。
「お父さんの仕事内容はよく知らないけど、家に帰ってくるのはいつも深夜。それなのにクビだなんて。だから私はフクザワホールディングスを許せない。私がフクザワホールディングスを潰してあげてもいいけどそれじゃお父さんに迷惑がかかっちゃうわ」
ヒメーカは口をとがらせて歯がゆそうにした。
「だから私は考えたのよ。あなたにお願いをすれば済むってことにね」
ヒメーカは鋭い眼光のまま微笑んだ。
「入学式で偶然私の近くの子達が話してたのを聞いたのよ。あなたがフクザワホールディングスの社長の息子だってことをね。これはチャンスだと思ったわ」
ヒメーカの言葉を聞いて金児は嫌な予感しかしなかった。
「それでお願いってなんだ?」
金児は恐る恐る聞いた。ヒメーカは問答無用というような表情をして低い声で言った。
「お父さんをまたフクザワホールディングスで雇って」
金児は目を見開いた。話の流れから想定内と言えば想定内だったが一番言われたくない部類の要望だった。金児はすぐ目を細めて下を向いた。
「悪いけど、それはできない」
「なんで?」
とヒメーカはかぶせ気味に聞いた。
「俺にそんな力はない」
「うそよ」
「うそじゃない。俺は出来損ないの息子という事で有名」
金児はそう言うと地面に付けていた手のひらを握りしめた。
「そう言って逃げる気ね」
ヒメーカに怒りのボルテージが上がり始める。それを察知した金児は
「お前の父親の収入が下がったって言ったって両親共働きとかじゃないのかよ」
と無神経な発言をした。するとヒメーカは口をつぐんで黙ってしまった。そして
「ウチは父子家庭よ」
とぼそっと言った。
「お前、母親いないのか……」
金児がそう言うとヒメーカはつかつかと金児に歩み寄って地面に片膝をついている金児の腹を思いっきり蹴った。金児はウッと言って腹を押さえた。金児は根はとても優しい男で女子に手を上げたことはこれまで一度もなかった。だがさすがにヒメーカの今の蹴りに金児は我を忘れた。
「てめぇ……」
金児はスクっと起き上がるとヒメーカの胸ぐらをつかんだ。
「いくら可愛くても調子に乗るなよ」
金児はすごんでヒメーカの鼻先でそう言った。するとヒメーカは
「フンッ」
と鼻で笑って胸ぐらを掴んでいる金児の手首を握った。ヒメーカは男の力で胸ぐらを掴まれているのに怖気づくでもなく、金児に対してやり過ぎたという後ろめたさを表すこともなかった。金児はその態度に怒りが頂点に達しようとしていた。カッとなった金児は掴まれた腕を思いっきり振り払おうとした。だがなぜか金児の腕はビクともしなかった。金児は一瞬何が起こっているのか思考停止した。もう一度思いっきり振り払おうとしたがビクともしなかった。
「なんだ⁉ こいつは……」
金児はヒメーカに掴まれている部分に妙な違和感を感じた。そして次の瞬間、感じたことがない圧力が腕に掛かり始めた。
「ぐわぁぁぁぁ!」
金児が叫ぶとヒメーカの手が金児の腕にめり込んでいく。金児の手がヒメーカの襟から離れた。ヒメーカは金児のガチガチに力んで血管が浮き出ている腕をやわらかい粘土を扱うように軽々とひねり上げた。
「痛ってぇぇぇ!」
金児はあまりの激痛で叫んだ。必死に振り払おうとしたが、巨大な石を押している感覚だった。
……なんだ……これは……人の力じゃねぇ‼ ……金児はそう感じて冷や汗がぶわっと噴き出した。ヒメーカはさらに金児の腕をひねり上げた。するとあまりの激痛に反射的に金児は、ジャンプしてヒメーカの顔に向かって蹴りを出してしまった。金児は蹴りを出した瞬間、しまった!と思った。いくらなんでも女子を殴ったり、蹴ったりする気は毛頭なかった。だがまったく避ける仕草をしないヒメーカの顔にモロに蹴りが飛んだ。だが次の瞬間、金児の足はビタっと止まった。それは金児の意思で止めたのではなかった。体が金縛りのように止まったのだ。ヒメーカの頬に金児の靴紐だけが触れていた。
「フフッ」
ヒメーカが不敵な笑みを浮かべると、ヒメーカの金髪がゆらゆらと無重力空間にいるように浮き上がった。すると金児とヒメーカの間で大きな破裂音がした。金児は一瞬で10メートルほど吹っ飛んで、肩から地面に落ちた。
「うぅぅぅ……」
金児は頭がぼーっとして意識が飛びそうだった。
「なんだ……今のは……⁉」
金児は倒れたままヒメーカの方を見た。ヒメーカの髪とスカートがゆれているのとは違う、動いていると言った方が的を得ているような動きをしていた。金児はふらつきながら起き上がった。
「お前……何者だ?」
ヒメーカは金児を見下したような顔をした。
「別に。ただの女子」
「俺の目はごまかされねぇぞ」
「別になんでもいいじゃない。それでどうするの?お父さんをまた入社させてくれるの?」
ヒメーカは腕組をして偉そうに言った。
「おまえの父親がどんな奴かわからないし……それに本社の人事をどうこうできる力は俺にはない」
と金児は肩を手でおさえながら言った。するとヒメーカの眉間にシワが入った。
「あなたも頑固ね……。だったら何日か時間をあげるわ。知恵を絞ってお父さんが戻れるように考えて」
「だから無理だって……」
と金児が言うとヒメーカは屋上の手すりの方へ歩き出した。そして手すりを右手で掴んで金児の方を振り返って言った。
「私を本気で怒らせない方がいいわよ」
と言うとひょいっと屋上から飛び降りた!
「おっおいっ‼」
金児は体の痛みを忘れて慌てて手すりに走り寄った。すると二0メートル下の地面にフワッと着地したヒメーカの頭が見えた。そして振り返りもせずにヒメーカは普通に歩いて行った。金児は今起こったことが現実なのか把握できないでいた。
「なんだアイツは……」
夕日が落ちかけている薄暗い屋上で茫然とするしかなかった金児だった。
「や、やめろヒメーカ……やめろ! う……うわぁぁぁぁぁぁ‼」
バタンッ‼
金児はベットから落ちていた。背中が汗で濡れているのがわかった。
「くそ。一体何なんだアイツは」
その時コンコンとドアをノックする音がした。
「失礼します。金児様」
白髪をオールバックにし白ひげをきちんと整えた黒服の男が入ってきた。
「竹じいか」
「金児様そろそろ学校へ行く時間です。それと金児様宛に留守電が入っておりました」
「留守電?」
金児は嫌な予感がした。
まさか……金児の脳裏を金髪がかすめ、背中がまた汗ばんできた。
「誰から?」
「野口先生からです」
「博士から?再生してくれ」
「かしこまりました」
竹じいはそう言うとタブレット端末の画面をタッチした。シークバーが動き始める。
「坊ちゃん、野口です。例の動画の分析結果を報告したいのですがよろしかったら研究所までお越しいただきたい」
金児は博士の留守電の声がいつもより早口で気分が高揚しているように聞こえた。
「博士に金児が向かうと連絡を。それと学校には遅刻すると連絡してくれ」
「かしこまりました」
金児の乗った黒塗りの車はフクザワ中央科学研究所の前にドリフトして止まった。フクザワ中央科学研究所はフクザワホールディングスのテクノロジーの中枢で世界最高峰の科学研究機関だ。金児と黒服達はすばやく車を降りると研究所の自動ドアを抜けてエントランスのすぐ右にある応接室へ向かった。金児は
「お前たちはここでいいよ」
と黒服をドアの前で待機させて応接室のドアを開けた。
「あっ坊ちゃん!お待ちしておりました」
「オッス。博士」
そこに立っていたのはフクザワホールディングスのサイエンステクノロジー部門のトップ、野口秀三郎博士だった。金児は博士の表情をすぐ読み取った。
「その表情から察するに分析結果はあまりイイことじゃなさそうだな」
博士の表情は不安に満ちていた。しかし金児は博士の眼光に何かたぎるものを感じた。
「坊ちゃんの視点で見れば不吉かもしれません。しかし科学者としてはこれほど衝撃を受けたのは初めてです。とりあえず映像を見ましょう」
博士は応接室のモニターの画面を指でタッチすると動画が再生されはじめた。
「斉藤ヒメーカ。興味深い女子高生です」
博士は画面に引き寄せられるように凝視していた。その動画は斉藤ヒメーカが屋上から飛び降りた時の映像だった。それはあの日、外で待機していた金児の黒服が学校のトイレを借りた時にたまたまサングラスに搭載されていた超小型カメラに映っていたものだった。
「博士、それで分析結果は?」
「うーん。結果から申し上げますと一種の超能力者ということになりますかな」
「超能力⁉」
「はい。落下速度を計算しましたが地球の物理法則から大きくずれておりました。スローで着地の瞬間をご覧ください。足が着いていないのに地面が陥没しています。体全体をなにかがコーティングしており浮力のような力が働いているようです」
金児は鳥肌が立った。
「こんなことが……こいつ人間なの?」
「ウチの傘下になった天品高校の協力を得て彼女の素性を調査させましたところ、彼女の父親は以前フクザワホールディングスのアメリカの研究所に在籍しておりました」
「それは彼女から聞いた。リストラされたんだろ?」
「はい。研究プロジェクトの将来性に疑問を持った役員連中がプロジェクトの廃止を決定してプロジェクトメンバーは解散となりました。私は研究会で顔を合わせる程度でしたが優秀な人物でした。名前はイソハチ・サイートゥーナ・トンプソン。日本に移住した時に斉藤イソハチに変えたようです」
「彼女の能力と彼女の父親が関係しているのか?」
「憶測の域はでませんが斉藤はアメリカの大学の研究者時代に仲間と共に「フィーリングZ」という論文を発表しています」
「フィーリングZ⁉」
金児の博士を見る目に鋭さが増した。
「はい。人間の感覚で五感というものがあるのはご存知だと思います。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚です。それに加えて直観や霊感といった第六感と呼ばれているものがあります。斉藤の論文を読んでみましたがそれ以外にフィーリングZが存在し、それは人類本来の原始能力と記述されています」
金児はヒメーカの動画をもう一度再生して見ていた。
「人類の原始能力……。なんだそれ。意味がわかんないよ」
「簡略すると人類は実は進化してるのではなく退化しているとでもいいましょうか。おそらく人類は当初斉藤ヒメーカのような能力を持っていたのではないでしょうか」
「まさか……」
金児は動画を何度も巻き戻しながら動揺を隠し切れないでいた。博士は疑っている金児を否定するように
「誠に信じがたいことですが……しかしこんな映像を見せられては信じざるえません」
と言った。
「人類本来の原始能力か……でも斉藤イソハチはなぜその能力に気付いたんだ?」
「それはわかりません」
二人は映像を見ながら考え込んだ。そして思い出したかのように
「その後アメリカ軍が論文に興味を示したようですが、学会でマジシャンまがいだのうさんくさいだのと異端児扱いされてフィーリングZの存在はうやむやになったようですが」
「博士、斉藤イソハチ本人とそのアメリカで共に研究していた仲間の誰かとコンタクトはとれないの?」
「部下にあたらせています」
と博士は白髪の無精ひげをジョリジョリ触りながら答えた。
「そっか。それじゃ頼んだよ。何かわかったらすぐ連絡ちょうだい」
「かしこまりました。坊ちゃん」
金児は席を立って部屋を出ようとした。すると博士がそれを止めるかのように口を開いた。
「坊ちゃん、くれぐれもお気を付けください。油断したとはいえ天才空手少年と言われた坊ちゃんに攻撃を当てた少女です」
「安心してくれ博士。死にはしないよ」
その時、着信音が流れた。
「ん?電話だ」
金児が自分の小型タブレット端末『スウォーカー』を見ると銀太の顔が映し出されていた。
「ん⁉銀太?」
金児は銀太の顔をタッチした。
「もしもし」
「あっ金児!おまえ今日学校くるの?今さ、学校にガラの悪い奴がバイクで入ってきて大変なんだよ」
「え?」
「なんか金属バット持ってるぜ」
「なんだよそれ」
銀太の大きな声にウォンウォンウォンというバイクのマフラーの音が小さく混ざっていた。
「それが金髪の女子出せって大声で怒鳴ってるんだよ」
「金髪の女子⁉」
「お前がカワイイって言ってた子じゃねぇの?」
金児はウチの学校で金髪の女子はたぶんアイツだけだと思った。
「すぐ行くわ」