【エッセイ】心の発酵
時々、僕は心の中が腐っているんじゃないかと思うことがある。
なんというか、湿ったクロゼットの奥にしまい込んだ
古いジャケットみたいに、じっとりとした感情がそこにある。
『自分さえ良ければいい。』
恥ずかしながら、そう思う瞬間がある。
自分を大事にしてくれない人なんて、みんな消えてしまえばいいとさえ思うこともある。
そんな自分が嫌いだ。
どうしようもなく嫌になる。
けれど、それが僕だ。
腐った部分がある。
それは否定しようがない。
でもね、腐るというのは終わりじゃないんだ。
僕はそう考えることにした。
腐るということは、何かが変化する前触れだ。
たとえば発酵。
あれも一種の腐敗だ。
ただし、発酵はちゃんとした目的がある。
腐ったミルクはただ臭うだけだけど、発酵したミルクはチーズになる。
しっかりと管理され、温度が整えられ、適切な菌が加われば、腐敗は豊かな味わいに変わる。
だから僕の心の中の腐った部分も、もしかしたら発酵できるんじゃないかと思ったんだ。
そのまま放っておけば悪臭を放つ。
でも工夫すれば、誰かの役に立つものに変わるかもしれない。
結局のところ、大事なのは自分で選ぶことだ。
腐らせたままにするか、発酵させるか。
僕は発酵を選ぶ。
いや、正確に言うと、発酵しようと努力する。腐ったままで終わらせたくないから。
だから、僕は適温を探す。
僕にとっての適温と、僕にとっての添加物を。
誰かに愛されたいとか、誰かを大切にしたいとか、そんな気持ちもきっとその一部だ。
心はきっと発酵途中なんだ。