好感度が爆下がり
「何だ、何だ、お前たち?」
ジョセフが問いかけつつも、鞭を構える。馬用の物だ。武器にもならない。
たちまち馬車が取り囲まれる。平民の服に、革の部分鎧を着け、手に手に剣や棍棒、斧を持っている。盗賊だ。強盗、と言った方が正確か。
一人の男が、無言で棍棒を振り下ろし、ジョセフが昏倒した。
「きゃあああああっ!」
アンが、馬鹿でかい悲鳴を上げた。御者と話すのに、窓を開けたままだった。閉めていても、この距離なら状況は変わらなかったろう。
思った通り、強盗の視線が、こちらへ集まった。
「やっぱり、こっちが女乗りだったな。おい、中にいる奴。全員、出てこい!」
ひと気のない場所で、強盗に襲われるのは、残念ながら、王都でも珍しくない話だった。
王太子の馬車が厳重に護衛されていたせいで、こっちへお鉢が回って来たのだ。
私だって、こんな所へ来るとわかっていれば、護衛をつけた。王太子が、急に呼び出すから、悪いのだ。しかも、身バレや噂を恐れて、先に帰るとか。保身しかない。
恋愛フラグが立っていない、と確認できたのは良かったが、私が死んだら意味がないではないか。
「お、お嬢様。どうしましょう」
アンが震える声で尋ねる。この分では、先に逃げて助けを求めるのも難しそうだ。
御者は気絶している。周囲には強盗しかいない。弱った。
「おい! 早く出ろ!」
強盗の苛立った声が、馬車の中まで響く。
「こ、腰が抜けて、立てないの!」
私は、精一杯声を張り上げた。
下手に抵抗したら、殴られた弾みで殺される。しかし、抵抗しなくても、強盗にエロいことをされてしまう場合もある。厄介なことに、強盗に遭っただけで、処女を喪ったことにされる場合もあった。そうなると、貴族令嬢としては、お先真っ暗だ。
縁談が来なくなるのはともかく、悪い貴族共から、一夜のお相手認定されてしまう。こちらが断ろうが、嫌がろうが、やったもん勝ちなのだ。そして、孕っても認知されず、未婚なのに、父がわからない子供を産んだ不埒な女として更に名誉を汚されるのである。
それを避けるには、妾でも厭わず誰かに引き取って貰うか、修道院へ入れるか、国外へ出るか、いずれにしても、早急に手を打たねばならない。
要するに、人生、詰みである。
待って。私、『花咲く乙女のトリプルガーデン』ヒロインだった、筈。
ヒロイン闇堕ちルートなんて、前世でも聞いたことがない。
でも、初期イベントで全ルート無視した。
その場合、何が起こるかは、友人からも聞いていない。
私も彼女も、クリアすることばかりで、どのルートにも入らず、攻略対象の好感度を爆下げするなど、考えてもみなかった。
詰んだ(二回目)。
馬車に残って時間稼ぎをしても、助けが来る見込みがなければ、強盗を怒らせるだけである。素直に出れば、私から金目の物を奪って、馬車の中にいるアンを見逃してもらえるかもしれない。
修道院も、行ってみれば、噂に聞くより面白かったりして。
「アン。財布を出して」
「お、お嬢様?」
「早く」
アンは、のろのろと財布を出した。手が震えてうまく取り出せない。腰も抜けているようだ。
ガチャガチャ。扉が乱暴に引っ張られる。
「今、財布を出しているところ。もうちょっと待って。開けるから」
私が、窓の外へ向かって声を出すと、音が止んだ。時間稼ぎの言い訳ではない、とわかってもらえたようだ。
窓、開き放しだもの。窓の位置が高くて覗き込めなくとも、雰囲気は感じられる。
アンが、ようやく財布を引っ張り出した。私はひったくるようにして受け取ると、扉へ手をかけた。鍵を開けようとして、手が滑る。私の手は汗まみれだった。
ハンカチを出す余裕がなく、ドレスで拭いてしまう。こんな時なのに、アンが軽蔑の眼差しを投げた。
「早く開けろ。こっちで扉ごと、壊してやろうか?」
ガハハ、と下卑た笑いが起こる。また手が滑ってしまった。
「今、開けるわよ」
腹に力を入れて、声を出す。やっと鍵を開けられた。単なる掛け金である。私も、よほど緊張している。当たり前だ。強盗に襲われに行くのだから。
思い切り、扉を押し開けた。
ガンッ。
「イテッ」
扉の真ん前にいた男が、上手いこと薙ぎ倒された。私は、地面へ飛び降りた。
くっ。ストッキングしか履いていない足が、痛い。しかし、靴を履いたままだったら、足首が折れている。
「ごめんなさい。開けると予告しましたのに」
と言い訳しつつ、馬車から距離を取った。あわよくば逃げようと思ったのだけれど、周囲を見て断念した。相手が多すぎる。
ジョセフは、まだ馬車の側で気絶していた。馬も不安そうだ。蹴られなければいいのだが。
「くそっ。このアマ」
「うはははっ。間抜けだな」
「そんなところに張り付いているからだ」
扉に当たった男が、恨めしそうに起き上がる間、仲間は腹を抱えて笑っていた。
と、黒い影が差した瞬間に、二人倒れた。
「何だ? グエッ」
「誰だ? ブボッ」
「くそっ」
残りの男たちが、動揺して辺りを見回す間に、次々と倒された。
「きゃあああああっ!」
アンが、また悲鳴を上げた。どさっ、と音がした。気絶したようだ。
私は、その場から動かなかった。
馬上から冷ややかに私を見下ろすのは、パーシヴァル=アキレアだった。
「お怪我はありませんか」
パーシヴァルは、馬から降りると、儀礼的に手を差し伸べた。
やる気がないのは、明らかだった。完全にセリフ棒読み。立ち位置も、手を載せるには、少々距離がある。
「御者が殴られました。私と侍女は無事です。助けていただき、ありがとうございます」
私は、一歩引いて礼を言った。
これで手を取ったら、恋愛フラグが立つ気がした。ヒロインの危機に駆けつける攻略対象なんて、イベントそのものだ。
「おまっ。こっちに居たのか。おわっ。何だ、この惨状は?」
また騎士が来た。どうやら、見回り中に、パーシヴァルが危機を察して先に駆けつけたようだ。とりあえず、命は助かった。
私は、そっと、隠し持った靴を履いた。
「まだ死んでいない。全員、縛って連れて行く。御者は、被害者だそうだ。縛らなくていいぞ」
まだ、生きているんだ。私には、強盗が即死に見えていた。
「ほぼ、死にかけているぞ。あああ。五人もいるのか。こりゃ、当分帰れない。ネモフィラ嬢とのデートはキャンセルだな。それで、機嫌が悪いのか」
「おい」
氷のような表情と声に気づいた同僚は、ぴたりと口を閉じて手を動かした。パーシヴァルも一緒になって、強盗を縛り上げる。
私はジョセフを助けに行った。御者は、周囲の慌ただしい気配に、ようやく意識を取り戻した。
「お、お嬢様。ご無事で」
「騎士団の方々が助けに来てくださったの。動けそう?」
ジョセフは、頭を押さえた。髪の乱れた感じからして、出血したみたいだ。
「うう。まあ、何とかお屋敷までは」
「良かった。私たち、これから聴取を受けに騎士団本部まで行かなければならないわ。手当してもらった方が、いいわね」
私は、声を顰めた。
「ここに呼び出した相手の正体は、秘密にするのよ」
言われなくとも、わかっているとは思うが。
ジョセフは、頭痛もするだろうに、ガクガクと頭を上下に振った。そんなに振ったら、騎士団に着く前に倒れてしまう。私は、落ちていた帽子を拾い、ハンカチをジョセフの頭に当て、帽子で押さえるようにして被せた。
御者席まで誘導してやる。主従逆転の図である。
「お、嬢さまあ」
馬車の中から、アンの声がした。忘れていた。彼女にも口止めしなければ。
扉まで戻って、はた、と困る。入り口が高すぎて、足を上げられない。これは、嗜みを無視しても、という意味だ。馬車の床に両手をついて、勢いで片足を載せる方法を使うには、ドレスが邪魔だった。
頭を怪我したジョセフの手を、煩わせたくない。
アンが、中から手を差し伸べる。ありがたいけれど、全然、距離が届かない。
ドレスをたくしあげようとした、私の足が、宙に浮いた。みるみるアンの手が近くなる。
侍女の手を掴み、無事に馬車の中へ着地した。
「あ、ありがとうございます」
振り向いて目に入ったのは、ダークブロンドの髪。
パーシヴァルが、私を持ち上げてくれたのだった。
「これから本部で、聴取に協力してもらう必要がありますので」
早く帰りたい、と濃青の瞳に書いてある。こんな人気のない場所へ、護衛も連れずに逢引きした馬鹿な男爵令嬢のせい、とも書いてある。
「承知しました。御者が頭部に怪我を負っております。お取調べの前に、手当をしていただければ、と思います」
「了解」
扉が閉められた。私は、窓を閉め、内鍵をガッチリかけた。そこへ、わらわらと騎士たちが駆けつけた。出遅れた騎士の誰かが、応援を呼んだらしい。強盗退治には間に合わなかったが、荷運び程度には役に立つ。
「逞しくて、素敵な方ですわね。将来、騎士団長様に出世なさるかも。王太子様にも騎士様にも迫られるなんて、ロマンチックですわ」
アンの発言が怖い。私と同じ体験をしたのに、本気でそう信じるのも怖いが、この世界の神に、シナリオに沿ったセリフを喋らされているとしたら、それはそれで怖い。
「王太子殿下もアキレア様も、私に好意をお持ちではないわ。あまりに事実からかけ離れた話を広めれば、不敬で罪に問われるわよ」
牢屋入りを仄めかすと、アンは黙った。
どうやらパーシヴァルは、エスメ=ネモフィラ伯爵令嬢と、勤務後にデートする約束があったようだ。シナリオ通り、あの茶会の後で、婚約したのである。
デートを潰した相手に、好意を持つことは、ない。
王太子だって、人気のない場所へ呼び出して、他言しないよう脅したのだ。しかも彼の場合、私が弱みを握って王家を脅す、と思い込んでいる。
脅迫をしてくる相手に、好意を持つことは、ない。私は脅すつもりはなかったけれど、当人が信じていれば、同じことである。
せめて、攻略対象の恋愛フラグを叩き折った、と前向きに捉えよう。