攻略対象が助けてくれない
図書館で過ごすこと自体は、好きだ。
この『咲くトリ』世界は、西洋中世をモチーフとしている。スマホもTVもない中、趣味として、読書は大きな比率を占めている。
しかも印刷技術も普及していない設定で、本は全体に高価なのだ。
だから、図書館の本は、館内閲覧のみである。入館時に受付で名前を書いて、身分によっては保証人をつけたり、持ち物や身体検査を受けたりしなければならない。
書写は許されているが、その場合、検査や館内での行動制限が一層厳重になる。過去には、自分で写したと称して、本を破いて持ち帰ろうとした人もいたらしい。
一応、身分を問わず入れる規則にはなっているけれども、実質、貴族のための施設だった。
将来、平民に嫁ぐ事も考えていたのだけれど、図書館へ出入りできなくなったら、辛い。収入が確保できれば、一生独身でも、いいか。
しかし、逆ハーレムを達成した挙げ句、貴族令嬢としての評判を落とした結果、結婚できないパターンは、避けたい。
「貴族年鑑、領地別統計、年度決算報告‥‥まだ早すぎて、出ていないじゃないの」
手書きだから、本になるまで時間がかかるのである。どうしても最新の情報を知りたければ、それぞれ該当部署へ問い合わせるしかない。
それも、一介の男爵令嬢が、勉強のために問い合わせたところで、門前払いを食らうのがオチである。
歴史や信仰関係を学び直すならば、自邸の図書室で十分に間に合う。と思うのだが。
帰宅しても、勉強させられると思うと、帰る気がしない。
「お嬢様、本は、お決まりですか」
今日は、私の侍女、アンがお供である。胸に本を抱えてソワソワしている。閲覧個室で、一緒に読むつもりだ。
「お前、何の本を持っているの?」
「これですか。シルバーサーガシリーズの最新刊です。第三王子が、謎めいた少女と‥‥」
「わかった。決めるから、もう少しだけ待って」
シルバーサーガシリーズは、若い貴族の間で人気の小説だ。シルバー王国を舞台に、複数の主要キャラが戦ったり、陰謀に巻き込まれたりする。
明らかに、隣のアイアン王国をモデルにしているのだが、エピソードはあくまでも架空らしく、苦情が入ったという話は聞かない。作者が覆面で、誰に文句を言えばいいのか、わからないだけかもしれない。
我が家の図書室には、娯楽小説がないのである。母の仕業だ。
娯楽小説といえども、高価な本には違いない。図書館には、前世と同様、色々な本が備えてあるのだ。
ただ、貴族ならお気に入りの娯楽小説など、飾り用、読書用、とそれぞれ全巻揃えるのが標準なので、この辺りの書架には人影がない。
目指す本はなかったし、勉強する気も失せたし、アンのためにも手っ取り早く本を決めようと、手近な書架へ目を向ける。
『小さな伯爵様』、『貴族令嬢は軽やかに踊る』、『仕事にかまけすぎて離縁された騎士団長様は反省して、無理矢理嫁がされた若い後妻を溺愛します』、と背表紙を眺めるだけでも面白い。
書かれた時代が降るにつれ、流行る小説の題名が長くなる傾向にある。シルバーサーガは例外だ。
少し離れたところに、目立たない鍵付きの扉がついた別の区画があり、前にはもう一つ受付が設置してある。
中には、館内にも自由に持ち出せないような、稀覯本が所蔵されているという。入室できるのは、成人貴族男性のみである。
私は一生、見られない。
「あら、アプリコット家では、図書館で風俗を学ぶのかしら。道理で、今の流行りと、ずれている訳ね」
振り向くと、グレイス=アイリス侯爵令嬢が立っていた。
先日のパーティにおける、私の服装を揶揄している。男爵令嬢に過ぎない私は、言い返さず、礼をとる。
「ご機嫌麗しゅうございます、アイリス侯爵令嬢」
低く下げた頭の先、グレイス嬢の背後で、扉が開いた。さりげなく頭を上げると、出てきたのは、ウィリアム=フリチラリア王太子である。遠くからでも目立つ、水色の瞳が私を捉えた。挨拶すべきか?
この国では、十八歳が成人‥‥未成年なのに、あそこへ出入りしたのか。受付が踏ん張っている以上、こっそり忍び込んだとか、間違いとかではなさそうだ。
権柄ずくで無理矢理入り込んだなら、人目に立ちたくないだろう。むしろ、声を掛けたら罰せられる。
私も王太子妃になれば、あそこの蔵書を閲覧できるだろうか。いけない、いけない。本など、金を積めば買える。母の影響に屈するところだった。
「でも、思い返しても、あのような形、色合い、組み合わせのどれも、流行った覚えがありませんわ。市井の流行りですと、わたくしも把握しきれないのですけれど」
グレイス嬢は、後方の王太子に気付かず、嫌味を連ねる。私は、彼女の話に集中するふりをして、王太子から目を逸らした。視界の端から王太子が去るのを確認する。
一応ヒロインの私を、助けに来る気配なし。実のところ、あんまり困ってもいなかった。
これが仮にイベントだったとしても、恋愛フラグの心配はなさそうだ。
「義姉様。こちらにいらしたのですか。探しました。おや、君はアプリコット男爵のご令嬢だったね。名は‥‥」
クリストファー=サルビア伯爵が、やってきた。目元まで山積みの本を、両腕に抱えている。グレイス嬢のお供をしてきたようだ。
義弟とはいえ、伯爵を従僕のように使うとは、悪役令嬢らしい振る舞いだ。それでいて、見る限り、仲の良さそうな姉弟である。
逆ハー失敗したら、私が断罪されたりして。最初から恋愛を仕掛けなければ、断罪すべき罪も生まれない。
私は、シルバーブロンドの頭を目に入れないよう、顔を伏せる。
「マルティナにございます、サルビア伯爵。先般の茶会では、ご親切にお声がけくださり、ありがとうございました」
「王宮ではあるまいし、そこまで堅苦しくしなくても、咎めないよ。良かったら、この後‥‥」
「クリス。閲覧室へ行くわよ」
グレイス嬢が、クリストファーの言葉を遮った。返事も待たず、そのまま歩き始める。本を抱えた義弟が、後を追う。
私は、頭を下げたままでいた。だから、彼が私に合図を送ったとしても、見ていない。
王太子妃の筆頭候補は、悪役令嬢としても有能だ。
これで、母の目論んだ恋愛フラグも、折れただろう。
「ふふ」
思わず笑みが溢れた。
「素敵ですよね。サルビア卿」
アンが、本を一層強く抱きしめ、うっとりと目を細める。攻略対象は、他の女性からも憧れの存在だ。誰も見向きもしないキャラだったら、わざわざ攻略する必要がない。
「そうね。私たちも、閲覧室へ行きましょう」
私は、ろくに背表紙も読まず、手に触れた本を引き出した。
『貴族を訪ねて一万二千キロメートルの旅』
どこかで聞いたような題名だ。
適当に抜き出した本は、読んだら意外と楽しめた。
どこかの小国に暮らす孤児が、実は遠国の貴族の息子かもしれないと知り、ルーツを求めて旅をする話だった。
結末は置いといて、旅で訪れる先が実在の国で、それぞれの土地の気候や特産物、珍しい建造物や祭りや風習などを、詳しく書いてある。私の分かる限り、事実に即して書かれていた。
観光ガイドブックを小説にしたようなものだ。
思いがけず、地理の復習にもなった。母の言いつけに素直に従った形となったのは面白くないが、新たな知識も得られたので、良しとしよう。娯楽小説とて、馬鹿にするものではない。
「アン。そろそろ帰りましょう」
「はっ。うっかり夢中になってしまいましたわ。今日中には、読み切れそうにありません。続きはまた、今度にします」
アンは、半分ほど読み進めた本を、名残惜しそうに閉じた。
「何もなければ、すぐに来ると思うわ。しばらく図書館へ通え、とお母様が仰ったもの」
緊張しつつ閲覧個室を出たが、グレイス嬢ともクリストファーとも会わなかった。
ほっとして、本を書架へ戻す。退館手続きを終え、馬車を呼び出してもらう。
「ジョゼフ。待たせたわね。うちへやってちょうだい」
我が家の御者へ帰宅を告げると、ジョゼフが、おずおずとした顔を向けた。
「ええと。お嬢様。その前に、寄らねばならない場所がありまして」
「そうなの? わかった。私たちは、馬車の中で待てばいいのね?」
「あ、はい。多分」
ジョゼフは、急いで扉を閉めると、御者席へ飛び乗った。
馬車の使い回しというか、出先の父や母を拾うとか、ちょっとしたお使い物の受け取りぐらいなら、よくあることだった。
ジョゼフの急ぐところを見ると、頼まれ事を忘れていたとか。彼にはちょっと珍しい。失敗を取り戻すにしても、彼自身の事ではないかもしれない。
「お嬢様。明日も特に、ご予定はございませんでしたよね?」
「ええ。なかったと思うわ。しばらく図書館で勉強するように、とのことだったから」
「そうなると良いのですが。もう、謎の少女の正体が気になって仕方ないですわ。私が思うに、隣国の貴族令嬢ではないかと。何故かと申しますと‥‥」
アンは、すっかりシルバーサーガの世界に浸っている。
見覚えのある馬車とすれ違った。中に乗るのは、エスメ=ネモフィラ伯爵令嬢であった。
グレイス嬢といい、ヒロインが外出すると、悪役令嬢も出動がかかるようだ。どちらもニアミスで済んだのは、攻略対象者の好感度が低いおかげだろう。
侍女の語る小説世界を聞きつつ、窓の外を眺めると、見慣れない景色があった。
いつもの街中では、ない。両側に整然と植えられた並木道の間を、馬車が進んでいる。その足元は、石畳ではなく、土だ。
真っ先に、御者席を確認する。
ジョゼフが、馬を操っていた。他に誰も乗った様子はない。
「お嬢様? あら、ここは、どこでしょう?」
アンが現実世界に帰ってきた。
「王立公園かもしれないわね」
先代の王が建設した公園で、一般に公開されている。貴賤を問わず、国民の憩いの場として親しまれている。敷地はかなりの広さで、場所によっては逢引きというか、若干いかがわしいことに使われる場合もあるらしい。
我が家の祖父も、建設に当たって貢献した。母や家庭教師から散々聞かされた割には、勉強で忙しく、実際に足を運んだのは、数えるほどしかない。
よって、見覚えがないのである。
「お嬢様が命じられたのですか?」
「いいえ。ジョゼフが、帰宅前に寄りたい場所がある、と言っていたわ」
「旦那様か奥様のお迎えでしょうか」
「どうかしら。強盗に追われているとか、馬車を乗っ取られた感じでもなさそうね」
侍女と話す間にも、馬車は進み、やがて停車した。