婚約者ではなく候補
前方斜め上には、国王と王妃が並んで玉座にあった。
王太子を始めとするお子たちは、立ったままであるが、国王夫妻と同じ高さにいる。
少し下がったところに側近の控える段が設えてあり、宰相始め、主だった重臣が並ぶ。
最も低い床でも、コンビニ並みにピカピカ磨かれており、貴族令嬢のドレスが長いのは中身を見せないためではないか、と納得する。
前世の乙女ゲーム『花咲く乙女のトリプルガーデン』で王太子ルートを攻略した時には、こんな場面はなかったと思うのだけれど。
私は、父と王宮にいて、王族の前で礼を取っていた。
寄付の返礼とかいうやつだ。
こちらは礼を言われる側なのだけれども、相手が国王なので、お礼の言葉を頂戴してありがとうございます、みたいな感じになっている。身分制度は時に、事をややこしくする。
それに、金の話なら、次期男爵の弟を同行させるべきだった。年齢は、まだ十歳だけれど、ケネスは優秀だ。
マザコンなのが玉に瑕なだけで。
父は、私の教育を母に任せきりである。祖父から受け継いだ商売には熱心だけれども、それを足がかりに、貴族として立身出世を遂げる野望はないらしい。
それだけに、何故、今日この用向きに私を連れ出したのか、見当もつかない。
母は母で、何を勘違いしたのか、やたら浮ついていた。
昨日は、張り切ってドレスやら小物の指図をしていたけれども、たまたま父が来合わせて、この間みたいな派手な格好を避けるように言ってくれた。
パーティでの辱めが、耳に入ったのだ。街の流行でも、貴族の人事でも、父が情報を掴むのは早い。貴族としての栄達が欲しかったら、十分狙える能力はある。ひとえに、その気がないのである。
「ところでマルティナ嬢。先日のパーティでは、ウィリアムの誕生日を祝ってくださってありがとう」
急に王妃から話しかけられて、我に返った。金の話は、とっくに終わっていた。
「こちらこそ、素敵な会にご招待いただき、ありがとうございました」
簡潔に返して礼を取る。本心では、早退しようとしたら王太子に邪魔され‥‥引き留められて、うるさく‥‥細々心遣いをされた、と付け加えたいところだった。
一介の男爵令嬢に過ぎない私が、国王御一家の前で長々と喋るのも、批判の対象になる。逆に、王太子の親切に言及しなかったことで咎められる場合もあって、匙加減が難しい。
今は王妃からの言葉掛けだから、短めで良いだろう。
王妃は王太子にとって、継母に当たる。彼の生母は隣国の王女で、王太子を産んだ時に亡くなってしまった。
ゲームでは一切触れられなかったけれど、現実には色々あるのだった。
今世の母は生まれながらの貴族で、事情を知らぬ筈はないのに、そんな難しい立場の王太子へ娘を嫁がせようと本気を出していたのだから、改めて呆れる。その上、逆ハーレム狙いとか。私がヒロインだからって、調子に乗り過ぎだ。
「実は、そこで婚約者を定めようと考えておったのだが」
王が引き取った。話を短めに切り上げて正解だった。ほっとすると同時に、頭の中で警戒信号が鳴る。何故にここで婚約者の話が出る?
まさか、ヒロインを婚約者に、とか言い出すのだろうか。
ゲームシナリオでも、そんな展開はなかった。最初からヒロインと攻略対象が結ばれたら、ゲーム進行はどうなるのか。
それより、婚約となると家と家との契約だ。しかも相手は王家。簡単に破棄できない。私の体から、冷たい汗が噴き出る。
「将来国を共に背負う妃を決めるのに、一度きりのパーティでは不足かと」
いやいや。吟味した結果、アイリス公爵家からグレイス嬢を娶ることに決まった筈。ここまで十五年間。時間は十分あった。
これは、あれだ。決まりそうになると、横槍を入れる人が出る、時間泥棒の仕業だ。
文句があるなら、もっと前に言ってほしい。
こんな無駄をするから、うちのような平民を男爵にしてまで、金を吸い上げなければいけなくなるのだ。父も生まれた時には平民だった。祖父が男爵となり、跡を継ぐことで貴族になったのである。
内心で文句を連ねつつ父を盗み見ると、横目で牽制された。表情に出ていたらしい。気をつけねば。
「そこで、選び抜かれた婚約者候補と一定期間交流を持ち、その中から一人を決めることとした」
これは、追加で寄付を、という流れか。いきなり私と婚約、の話ではなかった。
脳内とはいえ、先走った恥ずかしさに顔が赤くなった気がして、私はそろそろと俯いた。物心ついた時から、母にゲームネタを日光浴のように浴びせられ続けてきたのだ。
無意識のうちに洗脳され、おかしな言動をしていることも、十分に考えられる。
「マルティナ=アプリコット、そなたも候補に選ばれた」
私は顔を上げた。喜びで頬を染めたように見えたかもしれない。王太子の完璧スマイルが、私の心配を裏書きする。密かにホゾを噛んだ。
「身に余る光栄にございます」
人生終わった、と頭の中で繰り返す私は、口を動かすことを忘れていた。代わりに答えたのは、父だった。
私の心情とは正反対の返事になってしまった。
そこからの説明は、宰相からなされた。
婚約者候補は、王太子と定期的なお茶会を催し、互いに理解を深める。
候補者に対し、課題をいくつか設定する。共通の課題によって、候補者同士を比較し、より王太子と相性の良い候補を探るほか、候補者の資質に合わせた個別の課題を課す予定。
婚約者候補同士も、交流を深める機会を与える。交流の様子も選定の参考とする。
なお、正妃として選ばれなくとも、資質によって、王宮で召し抱える可能性もある。
この説明をした宰相もまた、攻略対象だ。ただし、全ルートクリア後に開放される隠しルートである。前世の友人は、彼を含む逆ハーを達成しようとして苦心していた。
『花咲く乙女のトリプルガーデン』公式で設定された逆ハーレムルートは、通常攻略対象三人とウハウハするものだ。
何でも、四人のパーフェクト逆ハーレムを達成すると、隠し攻略キャラが現れるとかいう情報を、ネットで得たとか。
私が生きている間には、彼女から達成の話を聞けなかった。ネット情報あるあるガセネタだったかもしれない。
黒髪に緑色の瞳を持つ優秀な二十五歳は、テオデリク=プロテアという。公爵家の次男で、グレイス嬢の叔父に当たるのだ。
ここにも悪役令嬢の影が。悪役令嬢は、出番が多くて大変である。ヒロインより忙しいのではなかろうか。
帰宅後、早速報告会が開催された。主催は母、報告者は私。参加は強制である。
「王太子ルートに乗った、ことになるのかしら?」
母が言う。私に聞かれても、困る。
前世の記憶を洗いざらい喋ったとしても、そんな情報は出てこない。
「まあ、いいわ。後は、騎士団長ルートと神官長ルートのイベントを起こさないと。逆ハーとなると、忙しいわね」
「あの、お母様?」
そちらのイベントが、どういうものか、自分でクリアしなかった私は、友人の話にしか情報源がなく、ろくに覚えていない。逆ハーを狙うルート上にあるなら、恋愛関連だろう。
仮にも王太子の婚約者候補になった以上、下手を打てば、全財産を国家に没収された挙げ句、一族郎党斬首なんてことも、あり得る。
浮ついた逆ハーなんぞ、一番目指してはいけない方向である。
大体が、私が候補に入れられたのは、一つには当て馬要員、もう一つには、恩を着せて、金を引き出す算段、と思われた。宰相の説明にもあった通り、候補から外れた後、侍女やら女官やらに雇われるかもしれないのだ。
今のところ、国の財政も逼迫していない。金づると言っても、保険のようなものである。侍女に採用されたとして、私自身の価値によるものではないことは、確かだ。
そういえば、後妻に当たる現王妃が浪費家で、王が王妃に甘いと聞いた覚えがある。支払いが誰かは置いといて、保険は大切な備えだ。
浪費は、舐めていると痛い目を見る。
「さあ、マルティナ。明日は、図書館へ行って、勉強していらっしゃい」
「勉強なら、家の図書室にある蔵書で十分でしょう?」
話の流れから推して、イベント関連に決まっている。我が家の蔵書も、なかなかのコレクションらしい。何せ、母が私に王太子妃教育を施すために、たっぷり金を注ぎ込んだのだから。
家庭教師が、男爵家の図書室とは思えない充実ぶり、とうっかり漏らしたほどだ。
「最新の情報は、図書館へ行かなければ、手に入らないわよ。婚約者候補に選ばれた機会に、これまで学んだ知識を振り返って、確実に覚えなさい」
こうやって、真っ当な事も言うから、従わざるを得ないのだ。
「わかりました。明日からしばらく、図書館へ通って勉強します」
私は渋々折れた。