えっ、誰?
「キャシーとやら。お前は、乾杯に使う酒樽に毒を入れたと告発されている。真か?」
国王直々の尋問は続く。
「毒とは知りませんでした。渡された瓶の中身を、教えられた場所にあった樽に入れただけです」
「この期に及んで、悪あがきを。毒を入れたことには違いない」
震える声で答えたメイドを、王妃が厳しく指弾した。メイドは王妃に何か言いかけたが、声にならないまま、俯いた。
「このメイドは、ウィリアム王太子と共謀したブロンズ侯爵令嬢に命ぜられ、この恐ろしき計画を実行したのです。王太子の罪は明らかです」
嵩にかかった王妃が畳み掛ける。会場も同調の空気であった。
「キャシーとやらが、樽に手を加えたことは、わかった。しかし、妃よ。其方は、この計画を事前にどこから知ったのか、説明しておらぬ」
誰かの指示で、給仕が彼らからグラスを回収し始めていた。そろそろ持ち手も限界だろう。
毒杯を持ち続ける緊張から逃れた人は、口が軽くなった。
「こんな問題を起こしたら、どのみち王太子殿下は廃嫡だな」
「王女殿下はまだお若い。王配を探す時間は、たっぷりある」
「是非、我が一族から出したいものだ」
国王の指摘は、あまり重視されていないようだった。皆の関心は、この先起こる権力バランスの変化で、いかに勝ち馬に乗るかという部分にあった。
「その御下問については、陛下、情報提供者の安全を確保するため、ここで明らかにすることはできません。しかしながら、秘密が守られる条件が整えば、陛下に明かすことは可能です」
王妃は自信たっぷりに答えると、意味ありげにベリル嬢を見た。
ベリル嬢は、痛ましげにキャシーと名乗るメイドを見つめている。
その後ろに本物のキャシー=コガンが‥‥いない。どこへ行ったのだろう? まさか、メイドと入れ替わった?
ちなみに、王太子もいないのだが。外国の貴賓を残してどこへ行ったのやら。
メイドは王妃に顔を向けていて、表情が見えない。頬が濡れている。
国王は、ため息をついた。
「王妃は提供者の安全と言うが、其方は現在、我が国を危機に晒していることを理解できないのか? せめて、そこの女が勝手にしたことを、ブロンズ侯爵令嬢になすりつけているのではない、という証拠を出せ」
尤もな話である。王妃は公の場で、王太子のついでにアイアン王国の侯爵令嬢をも糾弾したのだ。普通に戦争の口実になる。
ベリル嬢が沈黙を守っているのが、不思議なくらい。
アイアン王国は、軍事力が高い。本気で攻め込まれたら、フリチラリア王国など、簡単に捻り潰される。だからこそ、ルビー妃を迎え、その子を王太子に据えたのだ。
ジェンマ妃は、そこが面白くない訳だが、国が滅んでしまえばロルナ王女が後継者になったところで、意味がない。
国王は、もの凄くわかりやすく、メイドが勝手にやったことにしろ、と助け舟を出しているのだ。王妃の味方というより、国を救うためである。
もし、本当にベリル嬢が命じたのだとすれば、どのみち戦争は免れない。しかし、そうでない可能性が少しでも存在するなら、メイドの単独犯行にした方が、交渉の余地があると見込んだのだ。
国王、普段影が薄いけれど、ちゃんと政治をしているようだ。
「そのようなこと‥‥」
驚いたことに、王妃は国王の舟に乗らなかった。想定外の展開に戸惑う風であった。
では、どういう展開を期待していたのか。
その答えを知る前に、入り口が騒がしくなった。
「どいてください」
人をかき分けて現れたのは、パーシヴァル=アキレアだった。脇に、誰かを抱きかかえている。男の子のようだった。急に明るい場所へ出て、眩しそうに目を細める。
私も、よく見えないので、どさくさに紛れて移動する。
「何だ?」
「誰あれ?」
「平民じゃないか。何故こんなところに」
戸惑う貴族は、後に続く人物を見て、自ら道を譲った。ウィリアム王太子である。
三人は、割れる人垣の間を、玉座へ向かって進んだ。国王夫妻は、問答を中断して息子を見ている。王妃の前には、キャシーと名乗るメイドが引き据えられたままだった。
「姉ちゃん!」
突然、平民の男の子が走り出した。パーシヴァルが不意を突かれ、一瞬固まった後、追いかける。
「待て、坊主」
メイドが、押さえられた体を捻じ曲げて、声の方を見た。
「キャム!」
彼女を押さえていた兵士の手が緩んだらしい。メイドは男の子に向かって腕を広げた。そこへ、男の子が飛び込む。
「姉ちゃん!」
「キャム! 無事だったのね」
兵士は、改めてメイドを押さえつけるべきか、迷っていた。到着したパーシヴァルが何か言うと、安心したように、場を任せた。彼の後ろには、王太子がついている。
先ほど王妃が王太子の罪を告発したにも関わらず、彼の地位はまだ保たれていた。党の王妃が、彼の拘束命令を出さないせいもある。
これは、国王の冷静な対処によるところが大きい。
王太子は、メイドとその弟らしい二人を庇うように、前へ出た。国王夫妻と対峙する形になる。
「ウィリアムよ。妃の告発に対して、申し開きはあるか? この状況では、少なくとも、ブロンズ侯爵令嬢に仕えるメイドとお前は、無関係とは言えぬ」
「そうでしょうか?」
王太子の答えに、周囲の貴族が驚く。
私も驚いた。王太子が貴族を皆殺しにしようとした、という王妃の話は荒唐無稽すぎて信じ難かったが、今の姉弟涙の再会を見たら、国王の言う通りとしか思えない。
「彼は、監禁場所から脱出し、騎士団へ駆け込んだのです。私は事情を聞き、彼をここへ連れて来るよう命じただけです」
王太子は堂々と弁明した。そう言われたら、聞かざるを得ない。
「して、その事情とは?」
「それについては、事情聴取を担当した、パーシヴァル=アキレア騎士から説明するのが適当と考えます」
姉弟を慰めていたらしいパーシヴァルは、王太子の言葉を耳にして、玉座の前に跪いた。
「顔をあげよ、騎士アキレア。発言を許可する。楽にして良い」
「では」
パーシヴァルが立ち上がった。私は、エスメ嬢が人垣の前に出て、彼をうっとり眺めているのに気がついた。ついでに、ロルナ王女も。つくづく幼女にモテる男である。筋肉フェチなのに。
「彼は、ここにいるメイドの弟キャムです。彼の姉の名は、サマンサと言います」
パーシヴァルの声は、よく通った。えっ、と言ったのは、私だけではない。
王妃の顔が、青ざめている。
「そんな筈は‥‥」
「待て。まず、彼の話を聞こう」
国王が、腰を浮かした王妃を手で制した。王妃は再び腰を下ろしたが、その目はメイドを執拗に追っている。メイドの方は、王妃の視線から庇うように、弟を抱きしめていた。
会場の貴族は、固唾を飲んで推移を見守る。先ほどまで、ウィリアム王太子の上に吊るされた剣が、今度は王妃の頭上に移動しつつあった。最終的に、どちらの上に落ちるのか、予測がつかない。
「キャムは、監禁中に、姉が自分を人質に脅された挙げ句、最後に殺されると知り、逃げる決意を固めました。監禁場所や実行犯については、現在調査中です。そして、脅迫の内容については、ここにいるサマンサから聴取する予定です」
「一つ、提案があります」
王太子が、パーシヴァルの報告に被せるように発言した。国王が、頷いた。
「今ここで、サマンサに、脅迫された相手と内容を供述してもらうのは、どうでしょう? 取調室という密室、そして時間を隔てることで、書類をすり替えるなど、何らかの圧力が事実を曲げる恐れがあります」
「今、お前がメイドを脅しているじゃないの。お前に不利な証言をさせないように」
王妃が声を張り上げた。強い口調は、どこか怯えているようにも響いた。ロルナ王女が、心配そうに見上げている。
「皆様ご覧になったように、事が起きてから、私はこのメイドと言葉を交わす隙がありませんでした」
王太子は、会場を見渡しながら続ける。
「弟を誘拐して脅したのが私であったら、姉弟を決して再会させません。今、何を以て彼女を脅すと仰るのですか? むしろ、これだけ証人の揃った中で、現行犯から証言を取らせまいとする方が、怪しく思えます」