断罪へのカウントダウン
「ダンスは不得手のようだな」
顔だけは完璧な王太子は、周囲に聞こえないのを良いことに、直球をかましてきた。
「殿下のフォローに期待します」
私も今更媚びる気はなく、素直に応じた。
王太子もダンスは上手い。私が、多少まごついても、どうにか格好をつけてくれる。
年齢を考えたら、凄い能力である。
ところで、婚約者内定のベリル嬢はどうしているかと見ると、テオデリクと踊っていた。華やかなドレスの間にあっても、水色の髪は目立つ。ヒロインだけに。
そして、気になるグレイス嬢は、クリストファーと踊っていた。
幸せそうなクリストファーは、どう見てもグレイス嬢に気がある。王太子がベリルと婚約したら、すかさず求婚しよう、という私の提案を、実行できるだろうか。
そんなグレイス嬢は‥‥私を睨んでいた。当然だ。彼女は、家のため、王太子の婚約者を狙っているのだから。
「ほら、また。集中せよ」
王太子に注意された。本家悪役令嬢の視線が強烈で、足元がおぼつかなくなっていた。
「失礼しました」
怖くて、もうあっちを向けない。
グレイス嬢も、クリストファーに集中して欲しい。
はっ。もしかして、悪役令嬢が攻略対象と結ばれるから、足りなくなった断罪要員を、降板したヒロインで補おうとしている?
恐ろしやシナリオの強制力。
「せめて、修道院送りに‥‥」
「それは、できない相談だな」
「え?」
水色の瞳に見つめられた。どこまで口走った?
「ステップ」
王太子は、それだけ言って、ダンスを続けた。止まる訳にはいかない。王太子に恥をかかせたら、罪状がひとつ増えてしまう。
しばらく私たちは、無言で踊った。
「マルティナ嬢は、サルビア伯と親しいようだな」
「グレイス様との関係で、話す機会が多いだけですわ」
私がクリストファーと親しい噂が流れたら、王太子妃になれなかったグレイス嬢でも、彼の求婚に応じないかも知れない。
クリストファーは根回しが得意じゃなさそうだから、本人に断られれば、即座に神殿入りするだろう。それは気の毒過ぎる。
「アキレア伯の三男にも、迫られていたようだが」
思わず王太子の顔を見つめる。営業スマイルを貼り付けていた。そうだった。こいつは腹黒だった。
「迫られてなど、おりませんわ。あちらには、エスメ様というご婚約者がおられますもの。とても仲睦まじいのですよ」
私も作り笑顔で答える。
周囲からは、私たちが楽しく踊っているように見えたようだ。
「王太子殿下と踊っているのは、どこのご令嬢かしら? 随分と親しげね」
「そうね。うちの集まりでは見かけないけれど‥‥伯爵家ではなさそうだわ」
今日の装いに、母は噛んでいない。まともな格好で参加した私は、ゲームのオープニングイベントパーティで笑い物になった令嬢とは、別人に思われている。
いずれは、バレるだろう。その前に退散したいものだ。
「テオのことは、好みなのか? 随分近くで話していた」
足を踏みつけてやろうか、と思った。
人のやることに、あれこれ難癖をつける暇があったら、さっさと婚約者を決めてしまえばいいのに。
とは言えない。
「宰相様とは、お借りした本の関係でやり取りがあっただけですわ。あの時のシルバーサーガは、五巻とも、図書室へお返しいたしました」
テオデリクが一応好みであることは、省略する。王太子に教えてやる必要はない。
「なるほど。あれも油断がならない男だが、有能で手放し難い。ところで」
水色の瞳を見開き、ぐっと顔を寄せる。美形の圧力に、頭を引いてしまう。
「もうすぐ会がお開きとなる。勝手に帰るなよ」
距離を取られた王太子は、私の腰をぐっと引き寄せ、口を耳へ寄せて低く脅しをかけた。
「両親と弟と、一緒に帰る予定です」
嘘ではない。馬車の関係で、どうしたって、そうなる。
「それは知っている。会場に留まれ、と命じたのだ」
チッ。早く帰宅できるよう、馬車へ逃げ込む作戦がバレたようだ。
「そんなことにまでいちいち命令を使ったら、言葉の重みが失せますわよ」
「必要な時は、何度でも躊躇わずに使うことが重要だ。現に、マルティナ嬢は、こっそり帰るつもりだったろう?」
その通りである。ああ、そうか。
婚約者が決定した際に、他の候補者が祝福し、遺恨がないことを示す必要があった。一応、私も候補なのだった。
「承知しました」
「よろしい」
王太子は満足して、姿勢を戻した。
踊り終わると、曲調が変わった。ダンスが終わる合図である。
辞去を止められた私は暇潰しに、軽食の並ぶテーブルへ向かう。何だかんだ、踊り続けて腹が減った。
こうしたパーティのあるある。美味しそうな食べ物が、ほとんど手付かずで残っていた。
生ハムやチーズ、サンドウィッチ、と食欲の赴くまま、摘みまくる。私の勢いに気づいた給仕がジュースを持ってきてくれた。これも、いただく。本音を言えば、温かいお茶が欲しいところだ。
綺麗に並ぶ料理の中で、クリームチーズとグリーンオリーブの載ったカナッペが、ひとつだけ皿に残っていた。よほど美味しいのだ。伸ばした手が、誰かとぶつかりそうになった。
「ごめんなさい」
「ああ、失礼」
と応じつつ、しっかりラストワンのカナッペをもぎ取ったのは、亜麻色の髪をした貴族らしい服装の人物である。二度見したのは、彼が侍女のキャシーだったからだ。
母からの情報によれば、キャシーが変装で、こちらが本来の姿という事になる。
「コガン‥‥様」
「コガン=キャシテライトです、ご令嬢」
キャシー改めコガン=キャシテライトは、私を上から下まで観察し、腰の辺りに目を止めた。食べ過ぎただろうか。先ほどよりも、コルセットがきつい気もする。
私は、腹を隠すように、腰をかがめた。
「は、初めまして。アプリコット男爵の娘、マルティナと申します」
この姿で会うのが初めてなのは、本当である。初対面の挨拶をすると、コガンは、にこりと笑った。強烈な美しさだ。思わず扇を取り出して、顔を覆う。
追加攻略キャラは、元ヒロインに眩しすぎる。
「初めまして。では、失礼しますね」
コガンはそう言って、身を翻した。
いや、ホント失礼だわ。普通、社交辞令で何か言うでしょ。
行き先を見守ると、ベリル嬢の元である。例のラストカナッペを差し出すと、彼女が嬉しそうに口へ運んだ。彼女の好物だったのか。
あの様子からすると、ベリル嬢は、コガンとキャシーの関係を知っているのだ。男に着替えを手伝わせていたのか、それとも他にも侍女がいたのか。
いたとすれば、彼女らはキャシーの正体を知っていたのか、疑問は尽きない。
ベリル嬢の側には、ウィリアム王太子もついている。ダンスも終わり、会場が落ち着いたところで、婚約発表するつもりなのだろう。
一通り食べたことだし、早く終わって、早く帰りたい。
「皆の者」
国王が口を開いた。
うん。王宮主催のパーティだから、前回も今回も列席している。いまいち影が薄いのは、現王妃のジェンマ妃が強気だとか、前王妃の死に打ちひしがれているとか、言われている。
でも、こうやって平和に暮らせるのだから、仕事はきちんとしている、と思いたい。
国王が挨拶する間に、給仕がさりげなく参加者にグラスを配る。話が終わったところで、乾杯するのだ。目出度さを盛り上げる演出である。
「‥‥こうしてブロンズ侯爵令嬢をお迎えし、このたび我が国にも喜ばしい契約が結ばれることになった」
「その前に」
王の発言を遮ったのは、王妃であった。会場がざわつく。
「重大な罪を、明らかにしなければなりません」
ざわめきが大きくなった。え、ここで断罪? 私は、ドレスの上から脚を押さえた。力を入れないと、体が震えそうだ。
「妃よ。それは、今、ここで言わねばならぬことか?」
おお。国王も言うべき時は言うのね。しかし、ジェンマ妃も引かない。
「はい。王族の言葉は値千金。私と致しましては、取り返しがつかぬことになる前に、我がフリチラリア王国の未来のため、今言わねばならないのです」
啖呵を切った。会場が静まる。
ウィリアム王太子はと見ると、こちらを睨んでいた。やっぱり断罪に違いない。
全然心当たりはないのだが。ここで逃げ出したら、即刻処刑されそう。一か八か、試してみるとしても、タイミングを見計らう必要はある。
「では、申してみよ」
あっさりと、国王の許可が出た。あそこまで言われたら、王としての権威を保つには、せいぜい許可を出したという事実を残すくらいしか手がない。