舞台が整っていく
パーシヴァルが大声を上げそうになり、慌てて言葉を呑み込んだ。足元が疎かになる。またも、二人で危ういダンスを披露してしまった。これで二回目である。できれば、これ以上目立ちたくない。
「おまっ‥‥アプリコット嬢は、できるのか?」
腰に回った手が、力を増した。無意識に、背筋を確かめている。
「はい。フォスター先生から教えを受ける条件でしたので」
腕立て伏せ百回の方は、伏せておいた。腹筋も、今では百五十回ぐらいは普通にできる。
言わずとも、パーシヴァルには、十分通じた。
伸ばした私の二の腕に目を走らせ、徐々に腕を曲げようとした。上腕二頭筋を確認したいのだ。
いくら興味があっても、ダンス中に力瘤を見るのは無茶である。
「アキレア様、腕がちょっと‥‥」
「ああ、済まない」
パーシヴァルは腕を元の位置に戻したが、そこからどことなく上の空に感じられた。私は、これ以上人目を引かないよう、彼に合わせて踊った。
曲が終わると、互いに礼をする。普通は、そこで次の相手へ向かうのだが、パーシヴァルは私を見据えたままだった。
「マルティナ嬢、腕を曲げて見せて貰えないか」
「ここで、ですか? 無理です」
即答した。考えるまでもない。筋肉コンテストじゃあるまいし。王宮のパーティである。
ところが、パーシヴァルは狭く解釈したようだ。あちこち見回す。
「ここでなければ、良いのか? では‥‥」
よほどの筋肉フェチらしい。私は、少しずつ後じさりを始めた。
「パーシヴァル様」
エスメ嬢が、ケネスに連れられて戻ってきた。助かった。
「ご婚約者様をお返しします。ありがとうございました」
パーシヴァルは、彼女の声で、我に返ったようだった。
「こちらこそ、姉君をありがとう」
なおも何か言い残したそうだったが、王宮の侍従に呼び止められて、そのままになった。エスメ嬢が、頼もしそうに婚約者の顔を見上げている。
「名前呼び、されていたわねえ」
扇の羽が首筋を撫で、耳元に声がした。振り向くまでもなく、母であった。
「ケネスと区別するためでしょう」
その弟は、父に連れられて、他の貴族の元へ赴くところだった。アプリコット家の跡継ぎとして、挨拶回りをするようだ。
「グレイス様から、本日、何か新たな発表がある、という噂をお聞きしました」
給仕から飲み物を貰い、喉を潤す。母も同じ物を飲んだ。父から、酒を禁じられたようだ。酔っ払っての失言を、危ぶんだのだろう。本人も、そこは理解して父の言いつけに従っている。
「婚約かしらねえ。逆ハーエンドの後で、プレイヤーは結婚スチルを確定できるのだけど、そこで選んじゃうと、隠しルートが開かないのよね。でも、もう追加に入っているってことは‥‥もしかして、マルティナ」
バレたか? 逆ハーレムが失敗した、というか、失敗するよう仕向けたことが、バレてしまった?
「隠しルートと追加を含めた逆ハーってことかしら? そういうエンディングは、ネットでも見た覚えがないわ」
追加シナリオ未プレイの母には、生前見たネットの記憶が情報源である。
「とにかく、未見のスチル再現場面が出てくるってことよね。楽しみ」
未見なのに再現とは矛盾も甚だしい。ともかく、母が楽観的で助かった。
「アプリコット男爵夫人。ご令嬢をダンスにお誘いしてもよろしいでしょうか?」
落ち着いた声音の方を向いた母が、卒倒しかけた。
「ああっ。あ、はい。もちろんでございますわ。どうぞ、娘をよろしくお願いします‥‥素敵」
「では、お許しが出ましたので。ご令嬢、お手をどうぞ」
こちらに麗しい微笑みを向けるのは、黒髪を靡かせたテオデリク=プロテア宰相であった。母が、テオ、とか口走らなくて、本当に良かった。
「先日は、羽ペンを貸してくださり、ありがとうございました。なかなかお返しする機会がなく、今日も持参したのですが‥‥」
返す場所を間違えると、他の貴族から賄賂と誤解されそうで、御者のジョゼフに預かってもらっている。
「差し上げますよ。同じ物を、他にも持っておりますから」
「でも、あれは高価な品でしょう?」
テオデリクは、攻略対象の中でも最年長だけあって、ダンスも上手いが、身のこなしが優雅である。私が、うっかり見惚れて、足元が疎かになったことも気付かないほど、さりげなく導いてくれる。
攻略対象の中から、結婚相手を選ばなければならないなら、見た感じでは、テオデリクが良い。男爵家から嫁ぐのは、乙女ゲームでもない限り、無理があると思うが。
それに、宰相夫人も、王太子妃ほどではないにせよ、かなりの難行だ。
「マルティナ嬢は、筆圧が高い。あれをお使いになって、お気に召したら、出入りの商人を紹介します」
「ありがたく、いただきます」
テオデリクのアイテムよりも、商売の伝手が欲しい。我が家はまだ、プロテア侯爵家に食い込んでいないのだ。
「良いですねえ。その感性は、外交向きだと思うのですが‥‥順番があって、残念です」
直接プロテア家と取引する道は、遠そうだ。しかし、出入りの商人と繋がりが出来れば、間接的に関わることもできる。テオデリクに商売の才能を評価されて、私は嬉しくなった。
「ところで、お父上とは、近頃お話しされましたか?」
「はい。舞踏会用のドレスの件で少々」
それ以来、顔は見ても、まともに話す機会はなかった気がする。
私の姿を映す緑色の瞳が、きらりと光る。
「なるほど。惜しいことです」
「父は商売も手掛けていて、多忙の身なのです」
だから、私も用がある時しか、話さない。
「そのようですね。私も含め、宮仕えはままならぬものです」
宰相ほどの地位にあっても? と思ったが、地位が高いからこそ、些事も増えるということはある。私のような弱小貴族令嬢にまで、気を遣うとか。
私の機嫌を損ねたって、父の判断には影響しないと思うが、宰相として失敗は許されない。
何せ、うちは金だけはある。
テオデリクとのダンスも終わりに近付くと、ウィリアム王太子がこちらを窺っていることに気付いた。まさか、こっちへ来るつもりだろうか。
嫌な予感がする。
演奏された曲目を考えると、そろそろ舞踏会も終盤だ。あと、一、二曲といったところである。
お開き後、馬車が混まないうちに、さっさと帰りたかったのだが。
父の姿を探すと、うまい具合に母とケネスと一家揃っている。
「マルティナ嬢、よそ見はいけませんよ」
テオデリクが、耳元で囁いた。イケボである。
ふぁさっ、と黒髪が触れるほど、近かった。当たった首筋がむず痒い。
おまけに、ダンス巧者のテオデリクは、踊りながら私を家族から遠ざけて、どんどん王太子の方へ寄って行った。
逆らえない。絶対、わざとだ。
婚約者でもないのに、最後に王太子と組まされるとしたら、逃がさないためである。
断罪しか思い当たらない。いや、罪を犯した覚えは全くないのだけれど。
ヒロインを降りただけで、断罪キャラにされるのは、罪が重すぎる。
しかし私は、ここが乙女ゲームの世界であることも、知っている。
しがない男爵令嬢が、王太子や宰相まで手玉にとって、ウハウハ逆ハーレムを作り上げることが許される世界である。やらなかったけど。
やってみたら、本当に成立したのだろうか?
今更である。たとえ時が戻っても、逆ハーレムを作る気はしない。
断罪は、やってもいない事まで罪にされる。もしかして、逆ハーレム作りを咎められるとか?
段々と、笑顔を張り付けるのが難しくなる。
「では、あのペンを、是非お使いくださいね」
テオデリクは、最後の最後まで、手を離さなかった。
そして、バッチリ王太子と目が合ってしまう。
「アプリコット男爵令嬢」
「はい」
呼ばれてしまった。無視したら不敬に当たる。終わった。