ヒロインと攻略キャラがイチャコラ
キン、キン、カン。
「はい、そこまで」
フォスター先生が、声をかける。私が短剣を引くまでに、一瞬の間が空く。その隙を突いて、先生が剣先をちょこっと動かすと、私の剣が空高く飛んでいった。
「うわ! 師匠、危ないです」
離れて休憩していた、ケネスが飛び退いた地面に、短剣がグサリと突き刺さった。更に離れて待機する召使が、震え上がる。
「お二人とも、油断し過ぎです」
フォスター先生は、平然と応じる。その通りである。私たち姉弟は、揃って頭を垂れる。
初めは戸惑っていた先生も、近頃では私とケネスを同じように扱う。なかなかに厳しい師匠である。
腕立て伏せと腹筋百回、自主練も続けているけれど、思うようには上達しない。
かといって、サボれば如実に効果が現れるのだ。根気良く続けるしかない。
弟のケネスは、剣術では兄弟子となる点を気に入って、この稽古を受け入れた。
唯一反対したのは母だったが、父が金を出す、つまり許可した以上、手を出せなかった。
父は、私が説得に使った平民落ちの可能性を信じたとは思えないが、強盗に襲われた事実を考慮して、稽古を許可したのである。
「やはり、全てにおいて、反応が遅れがちです」
フォスター先生が講評する。
「特に抜剣時。総力で劣る相手に対しては、先制で如何にダメージを与えるかが、重要です。この分では、普段着や外出着で剣を振るうのは論外ですね」
「ご指導ありがとうございます。精進します」
稽古中、私は乗馬服を着用していた。実践となれば、先生が言う通り、ドレスを着た状態で戦う可能性が高い。今以上に、素早く動けるようになる必要があった。
「では、そこで抜剣練習二百回ね」
フォスター先生は、笑顔で私に課した。鬼だ。鬼教官だ。
持ち回りのお茶会の後、王宮から呼び出しがないまま、しばらく経つ。いよいよ最終審査が始まったのだろうか。
最初にロードマップを示された訳でもなく、いつまで、どこまですれば良いのか、終わりが見えない。全体に、行き当たりばったりの感じもした。
『花咲く乙女のトリプルガーデン』では、オープニングイベントで既に、グレイス=アイリス侯爵令嬢が婚約者と決まっていたのだ。実際この世界でも、正式な発表こそなくとも、下馬評で確定していた。
それがひっくり返ったのが、そもそも問題の発端だった。ゲーム的にも、私的にも。
誰かが横槍を入れたに違いない。恐らくは王妃、でなければ王妃を支持する一派である。
父が指摘したように、このまま結婚へ進めば、アイリス家が力を持ち過ぎるのも本当である。
改めて、婚約者を選定すると称してぐだぐだ仲良しクラブを開催した裏では、何か別の事が進行していたのだ。それが何か、男爵令嬢に過ぎない私には知り得ない。
そして、アイアン王国からベリル=ブロンズ侯爵令嬢が来訪したことで、表向きの口実がなくなった。あるいは、裏で事態が動いたから、彼女が来たのか。
いずれにしても、この静けさは、嵐の前触れに思われた。
呼ばれもしないのに、王宮を歩いている。
侍従が抱える本は、シルバーサーガ全五巻。
私は、細長い箱を胸に抱いていた。
借りた本を返しに来たのである。ついでに、テオデリクの羽ペンも。
面会のお伺いを立てたのだが、多忙につき、との理由で断られた。ヒロイン降ろされた感が、半端ない。何なら誰かに言付けて、とも言われたが、一介の男爵令嬢にそんな知り合いはいない。
母からは、直接渡せとのお達しである。
まずは、借りた本を返さねば、収まりが悪い。
前世の図書館と違い、期限は定められていない。そもそも、王宮外へ持ち出す前提ではないのだ。お茶会も終わり、いよいよ婚約者が定まれば、私が王宮へ出入りする機会も失われる。彼らが、私を女官に採用するという保証は、どこにもないのである。
返し損ねて持ち続けた挙げ句、横領隠匿罪など着せられたら、最悪である。
図書室の鍵を開けて、中へ入る。
お茶会の時より暗く感じる、と思ったら、棚が増えていた。寄せてあったのかも知れない。お茶会向けのテーブルを置く場所を、作らねばならなかったのだ。違って見えるのも当然だった。
そのせいで、シルバーサーガを何処へ戻すべきか、すぐに探し出せなかった。山積みの本を抱えた侍従の視線が、背中に痛い。
どうにか、それらしい空隙を見つけて、戻してもらった。多少違っているかも知れないが、侍従も異議を唱えなかったので、それで良しとした。
その後、貸出帳簿に返却を書き込むため、入り口付近へ戻った。ここが見えにくい場所なのは、前と変わらない。
私が折った羽ペンは、新しい品に交換されていた。今度は、慎重に書かねば。目の前にある、テオデリクの羽ペンが、書きやすかった事を思い出す。使いたい誘惑に耐えた。
「お嬢様は、お人好し過ぎるのですよ!」
「キャシー、声が高いわ」
争うような声がしたかと思うと、扉が開いて誰かが入ってきた。私は、羽ペンを折りそうになって、息を詰めた。
「大体、王太子が‥‥」
「キャシー!」
ベリル嬢とコガンが女装した侍女のキャシーである。私たちには気付いていない。
顔を上げると、侍従が指示を待っていた。このままやり過ごすか、追い払うか。
個人的には彼らのやり取りを聞きたいが、侍従の耳に入ると、まずい事態になるかも知れない。私は空いた手で、追い払う仕草をした。
「んえーっ、ゴホン、ゴホン」
下手な咳払いであったが、効果はてきめんだった。
二人が息を呑む音が聞こえたかと思うと、目の前にいた侍従が倒れた。私は咄嗟に貸出帳簿を閉じ、インク壺を前へ投げた。
すると、私を襲おうと身を起こしたキャシーに、ちょうどぶち当たった。
「ぐっ。貴様」
顔から黒いインクが滴るのも構わず、台に手をつくキャシー。私は帳簿を胸に引き寄せた。
「おやめなさい」
ベリル嬢の声が、凛と響いた。ぴたり、と停止するキャシーの手が、垂れたインクで染まっていく。
「しかし、お嬢様。こいつは‥‥」
「キャシー。そんな格好で暴れたら、王宮の蔵書がタダでは済まないわ」
ベリル嬢は、真っ白なハンカチーフを取り出すと、躊躇わずキャシーの顔を拭った。
呆然とするキャシー。インクの下から現れた顔は、赤黒く見えた。元の顔立ちが綺麗でも、こうなっては形無しである。
「ブロンズ侯爵令嬢、お手が」
私は、脇の棚へ帳簿をしまい、自分のハンカチーフを取り出した。ベリル嬢の手にインクが付いている。躊躇っている場合ではない。
「あら。大したことはないわ。こんなことは、しょっちゅうあるのよ」
ベリル嬢は、鷹揚に笑った。
インクまみれになることが? と突っ込むのは止めておく。キャシー、いや、コガンの目が怖い。
コガンは私の差し出すハンカチをひったくるようにして、ベリル嬢の手を拭いた。彼の無礼を私もベリル嬢も咎めなかった。彼女は、キャシーの正体をどこまで知っているのだろう?
「顔も拭いて、すぐお部屋へ戻ってください。色が肌に染み付いてしまいます。この場は、私が何とかします‥‥生きていますよね?」
私は、足元に倒れる侍従を目で指した。彼は未だ、ぴくりとも動かなかった。
「問題ない、ありません」
「キャシーは有能な護衛でもあるのよ。そんな失敗はしませんわ」
ベリル嬢が自慢する。コガンがまた頬を染めた。
「では、お戻りください。あ、ハンカチは置いて行ってください。この後、必要なので」
コガンは察して、ハンカチーフを机に置いた。