真実はごつい
私は、侍女二人に抱えられ、礼拝堂を出た。
柱に囲まれた廊下にも、木製の長椅子が据えられていた。貴族向けの休憩所もあるのだが、通常施錠されている。わざわざ神官を呼びに行ってもらうのは、憚られた。
「そこのベンチへ座らせて」
二人がかりで、腰を下ろすことができた。しばらく休んだぐらいで治るとも思えないが、馬車まで歩ければ、後は何とでもなる。私はもう、帰宅するつもりであった。
「では、私はこれで失礼します」
ベリル嬢の侍女が、礼を言う隙も与えず、素っ気なく向きを変える。
「あの、コ○○くん」
うっかり、頭の中にあった呼び名を口にしてしまった。固まったのは、私とアンだけでなく、亜麻色の髪の侍女も、である。
「おまっ」
もの凄い勢いで振り向いた顔を見て、確信した。この侍女は、男の変装だ。
抱きかかえられた時、腕の力や触れた体の感触が、反対側につくアンと全然違っていたのである。ほっそりとした顔立ちだけ見れば、女としか思えない。
「私の名前は、キャシーです。アプリコット男爵令嬢」
向き直った時には、侍女は立ち直っていた。側にアンがいなかったら、怖い目に遭っていたかもしれない。一瞬垣間見えた表情に、殺気を感じた。
「うっかりしたわ」
もしかして、本名がコ何とかなのだろうか。今の反応からして、あり得る。
いや、ゲームのメインキャラに、メジャーな別作者のキャラを被せてくるのは、コンプラ的にまずいのではなかろうか。見た目が被っていなければ、ただの人名で押し通せるとでも思ったとか。
でも、ただ名前だけを同じにする意味が、わからない。間違えて買わせよう、という運営の作戦‥‥。
誰も間違えないと思う。謎である。
「これは、アプリコット男爵令嬢。どうしましたか。具合が悪いのでしょうか?」
聞き覚えのある声に顔を向けると、クリストファーがいた。
「ええ、少し体を傷めまして。それで」
まだ湿布が臭うだろうか。攻略する気はなくとも、私だって乙女心は持っている。
キャシーとアンに連れてきてもらった、と説明するつもりで振り向くと、二人とも姿を消していた。
キャシーは礼拝堂へ戻ったのだろう。アンは、というと、気を遣って離れた場所にいた。いつの間に。
「一緒にお聴きになられれば、良かったのに」
クリストファーは、貴族の装いであった。つまりは、神殿入りしていない。ゲーム的には、私が攻略していないから、ということになるのだが、実際のところは、どうなのだろう?
「神官になる手続きでいらしたのですか?」
「いいえ。義姉様の付き添いで」
サルビア伯爵って、暇なのか? 領地を持っていた筈だけれど。
そういえば、領地を家令に任せきりにして、王都で社交三昧な貴族の話を聞いたことがあった。税率を上げたり、横領されたり、色々問題が起きやすいと思うのだが、大丈夫か?
「どうぞ、おかけください」
他人様の領地を心配する義理はない。伯爵様を立たせておくのも失礼と思い、隣に座れるよう、体をずらす。
う、筋肉痛が。
「ありがとうございます」
素直に座るクリストファー。こういうところは、好きである。
彼は、顔を半ば覆う長いシルバーブロンドの髪を、さりげなく背中に流し、こちらを向いた。
イケメン至近距離は、心臓に悪い。うっかり動くと、またどこかの筋肉を傷めそうである。
「そ、そう言えば、先日王宮で茶会に呼ばれまして」
動揺を隠そうと、とにかく口を開く。出てきた話題は、パーシヴァルの優勝ご褒美会だった。
「義姉様から聞きました。王家のバラ園へ行かれたとか」
クリストファーが、沈んだ調子で応じる。まずい話題だったろうか。ここで急に話題を切り替えるのも、不自然である。
「王太子殿下から、皆様に薔薇をいただきまして、貴重な体験となりました」
「あれは、皆さんに配られたものでしたか」
クリストファーの調子が、やや上向いた。
「ええと。全員ではなくて、アイリス様と、ネモフィラ様と、私に」
「そうですか」
クリストファーの体から、力が抜けたように思った。安心したような感じだ。何かわからないが、良かった。
「神にお仕えしたい気持ちは、本心です。でも、義姉様に反対されると、決意が揺らいでしまって‥‥情けないですね」
「今すぐに神殿入りしなくても、神様は待ってくださいますよ。永遠の命と広い御心をお持ちなのですもの。今の居場所を捨てて後悔することのないよう、よく見極めることが肝心です」
ロルナ王女がパーシヴァルと結婚することになったら、王太子はエスメ嬢と婚約するかもしれないのだ。クリストファーの思いが成就する可能性は、まだある。王族に関わる微妙な問題だけに、口にできないのが、もどかしい。
「ありがとう。私の情けない姿を見せても、あなたはいつも変わらず接してくれるのですね。マルティナ嬢とお呼びしても、よろしいですか? 私のことは、クリスと呼んでください」
ご冗談を。グレイス嬢に、睨み殺される。
「そんな、恐れ多い‥‥私の方は、何と呼んでくださっても結構です‥‥では、クリストファー様で如何でしょうかね?」
クリストファ―が、ふんわりと笑った。ゲームスチルで、背景に花が生えてきそうな具合だ。
まさか、恋愛フラグは立っていない筈。しかし、クリストファーに好意を向けられていることは、認めざるを得ない。
これは、愚痴相手としての好感度だ。間違いない。
「おや。大分具合が良くなったようだね。神殿特製の薬草茶を一緒にいただくことは出来そうだ。良かったら、サルビア伯爵もご参加を」
(そんなところで、男漁りをする元気があったら、さっさと戻れ。そこの伯爵も共に晒してやろうか)
音もなく開く扉のせいで、一行が出てきたことに気付かなかった。
王太子が、満面の笑みで私を見つめていた。その目の奥は、笑っていない。相変わらず腹黒なことである。
顔を見る前から、副音声が聞こえてきた。
そして、後ろからは、グレイス嬢とエスメ嬢が、刺すような視線を送っていたのだった。
「お元気そうで、良かったですわ」
ベリル嬢が、屈託ない笑みを浮かべて、私にトドメを刺した。追加ヒロインは、純粋が過ぎる。
神殿での様子を母に報告したのは、アンである。
「クリスのイベントだったのね。神殿だもの。当然そう来るべきだったわ。追加ヒロインが出てきたから、焦ってパニクっちゃった」
呼び出されて、茶菓を供されている。久々に、母の『咲くトリ』講釈を聞いた。
筋肉痛は、和らいでいる。筋トレを続けて、体が慣れてきたのではないか、と思う。腹筋百回には、まだ届かない。
フォスター先生には、課題ができるようになるまで、指導を待ってもらった。先生は、立ち消えになると思っているようだが、私は父から許可を貰って、予算を獲得しているのだ。
「初めて名前を呼ばれた時のクリスの顔、素敵だったでしょう? いきなり愛称で呼ばなかったのも、正解よ。さすがヒロイン。わかっているわねえ」
「そうですか」
単なる顔見知りの伯爵様を、男爵令嬢が愛称で呼べる訳なかろう。
母は、上機嫌だった。アンの地獄耳には、恐れ入る。あんな遠くに居て、聞こえていたとは、油断のならないことだ。
「ところで、奇跡はいつ起こすのかしら? 逆ハールートでは、そのイベントはやらないのだったっけ?」
私に聞かれても、困る。本当に知らないのだ。
「奇跡、ですか?」
ヒロインが聖女認定される理由を覚えていなかったのだが、どうやら奇跡を起こすらしい。魔法のないこの世界で、どんな奇跡を起こすのだろう。
「大丈夫よ。多分、ないわ。それに、することになったとしても、仕込みとか不要だから」
仕込みが必要なら、奇跡ではなく、詐欺である。
「でね、キャシーって名乗る侍女、あれ攻略キャラだけど、追加ヒロインのベリルにしか落とせないの。だって、本来なら、彼女が登場する時点で、あなたは誰かと結婚している筈だからね。クリストファーとは、結婚じゃないけど」
私は、側に控えるメリイを見る。母専属の侍女である。『咲くトリ』本編シナリオについては、転生者である私よりも把握している。
彼女は私と目を合わせ、首を振った。メリイでも、追加シナリオまでは、まだ追いきれないようだ。
前世の記憶を持つ私には、母の言う意味が理解できた。彼を攻略する必要はない、と言いたいのだ。
もとより、そのつもりはない。しかし、転生者であることを母に隠したい私は、反応に困ったふりをして、菓子を摘む。
近頃、巷で評判の、マカロンにクリームを挟んだ進化型マカロンである。
母のアイデア、というか、前世の記憶、を元にして、父が生産販売まで道のりをつけ、売り出したのだ。
溶けにくいクリームや、それを挟むマカロンに工夫があり、偽物が出回っても、ブランドの確固たる地位を保っている。溶けにくいと言っても、鮮度が命のクリームだから貴族向けで、またも我が家に、大金が転がり込んでくるのであった。
母のパクリアイデアを、この中世風世界で形に仕上げる父は、天才かもしれない。男爵という貴族の枠組みに嵌め込むのが、勿体ないように思う。なまじ爵位があるから、地位だけ高い貴族に貶められたりするのだ。
「ベリルって、ベリル=ブロンズだったわよね?」
菓子を黙々と食べていると、母が唐突に尋ねてきた。
「ブロンズ侯爵令嬢と仰っていました」
「それで、ウィルの母親が、ルビー=アイアンでしょ。コガンの姓は、確かゴールドだったと思うのよね。父親が高位貴族だから」
「どなたですか?」
思わず聞き返してしまった。王太子を愛称呼びは、もうスルーすることにして、コ○○みたいって、名前が似ているという意味だったのか! 見つかる訳がなかった。まるで違う方面を探していた。
「ほら、キャシーとか言う侍女。本当は男なの。アイアン王国って、宝石とかの名前を好むでしょ。ベリルだって、翡翠だし。キャシーって宝石はないから、偽名ね。石だったらあるかもしれないけど。本名は、コガン=ゴールド‥‥むう。しっくりこない。母方の姓で紹介されていたのかしら。あれだけダジャレみたいで、思い出すのに時間がかかっちゃった。タイガーアイって意味なのよね」
タイガーアイ、虎目、虎眼、コガン。なるほど、ははっ。
そういえば、キャシーっぽい名前で、キャシテライトっていう鉱物があった。地理か化学か地学か歴史、どこで聞いたか、忘れてしまった。前世受験生は、知識量が半端ない。