ゲームスタート
ガーデンパーティの会場には、季節を無視して色とりどりの花が咲いていた。
『花咲く乙女のトリプルガーデン』では、私の家名がアプリコットであるように、主要登場人物の家名が全て花の名前となっている。アプリコットは杏である。果物のイメージが強いが、花が咲くから果実が実るのだ。林檎も苺も、花は咲く。
王家の家名はフリチラリア。これがそのまま王国名となる。スズランに似た形で、一本の茎に一輪ずつ咲く、可愛らしい花である。
ゲーム中、王太子のスチル場面には、紫と黄色に染め分けられた花が、背景として咲き誇る。
今いる庭にも、要所要所に株が植えられている。
王太子の誕生祝いの会であった。
王太子はおん年十五歳。ヒロインの私と同年だ。婚約者を決めるとあって、今日の誕生パーティには、王国に属する貴族の家系に生まれた、年の近い娘が軒並み招待されていた。近いと言っても、六歳から二十五歳まで幅広い。上と下の差は一世代分ある。
ゲームの冒頭、このパーティで私と王太子が、運命の出会いを果たす訳だ。
もう、母の気合いの入りようは子供心に恐怖を覚えるほどで、やりすぎて悪目立ちしている。前世の感覚でも、今世の感覚でも、このセンスはいただけない。
最悪である。もはや、直しようがない。
王宮シェフのレアデザート制覇を楽しみにしていたのに、人目に立たないよう、隠れ場所を探す羽目になった。
「お嬢様、そんな隅の方へ行かれては、王太子様とお話しできませんわよ」
メリイが追いかけてくる。今日は、いつもと違って、母の侍女が付き添ってきた。彼女が母のたわ言をどう考えているか知らないが、母の命令に忠実なことは確かだ。
「もう、挨拶を済ませたんだから、十分でしょ。義務は果たしたわ」
王太子は、営業スマイルを上手に貼り付けていた。でも、母から厳しい教育を施された私には、わかる。
あれは、笑いを堪えていた。現に、周囲の大人や、後ろに並んでいた他の子たちなどは、もっとあからさまに、堪えきれず声まで漏らしていた。
ひそひそ声も、ばっちり聞こえた。向こうは当然、私に聞かせるつもりで言っている。
「まあ、アプリコット家は、装いに費やすお時間がたっぷりございましたのね」
(金に飽かせて自滅したわね。いい気味だわ。たかが男爵家の癖に、生意気にも王太子に媚を売るからこうなるのよ)
「パーティテーブルの飾りに、あのような物があれば、さぞ賑やかになるでしょう。大変希少なピンクのお髪ですもの」
(その通り。あんな格好、恥ずかしくて、とても耐えられない。パーティの飾りにでもすれば、話の種に使えるかもね。ただでさえ、ピンク頭なんだから)
ああ、心の声が聞こえる。
上品な言葉遣いの裏で、僅かな表情筋の変化と扇などを使って、全く反対の意味を伝え合う。貴族は器用な人たちの集まりだ。
これで、招待主への挨拶という義務は済ませた。
ある意味、これも運命の出会いと言えるだろう。二度とお近づきになりたくない方向の。
考えてみたら、私にとって好都合だ。
ありがとう、お母様。
トラウマ級に恥ずかしいけれど。
大体、公平性の観点から全員招待されただけで、王太子の婚約者など、とっくに決まっているのだ。今日のパーティは、ただ体裁を整えるため開催されたにすぎない。
ゲームで悪役令嬢役を務める王太子の婚約者は、アイリス侯爵家のグレイス嬢だ。私と違って、家柄もよく、はっきりした目鼻立ちの美人で、立ち居振る舞いも完璧。髪も瞳も栗色という、常識的な色合いである。
ただ今二十歳。王太子より五つ年上である。ゲーム中では、自分と婚約者の年の差を気に病んで、結果的にヒロインを虐げることとなった。
二十歳の男が女子中学生を、と考えたら引く。でも、三十歳と三十五歳の夫婦なら普通にいるだろう。元はと言えば、婚約者の王太子がヒロインにヘラヘラ近付くのが、悪い。
今回、王太子は私を好きになることもない。私も、王太子に興味ない。
現実の対抗馬としては、ネモフィラ伯爵家の令嬢が、候補に上がっていた。このエスメ嬢は八歳で、これまた王太子とは年の差がある。彼女も、ゲームのルートによっては悪役令嬢になってしまう。
さっき、見かけたところでは、幼いながらに高貴な雰囲気を持っていた。キャラメルブラウンの髪が可憐に揺れる。私よりも、よほどヒロイン向きだ。
そういえば、ヒロインとお友達になる令嬢もいた筈だけれど、誰も来ない。先程の失態を目の当たりにして、怖気付いたのだ。
友達の誘導で、王太子ルートにハマっても困る。前向きに考えることにした。
私はメリイの注意を聞き入れず、庭の奥へと進んだ。王宮の庭は、広い。花園のほか、植木を動物の形に刈り込んだエリアや、ちょっとした迷路になっているエリア、どこかに温室もある筈だ。
パーティが終わるまで、適当な場所で時間を潰すことにする。王太子への挨拶を済ませたから、帰宅したって構わないのだが、自邸には母がいる。再び送り出されかねない。
「どこか、座れる場所がないかしら」
「こちらへどうぞ、お嬢さん」
聞き覚えのある声がした。私は、首の筋肉が急に硬くなり、そちらを向くのに時間がかかった。ギギギ、と音でも立てそうな具合だった。
通り過ぎたかったが、相手は高位貴族である。
「あ、りがとう、ございます」
植え込みから顔を出していたのは、攻略対象の一人、クリストファー=サルビアだった。早くに父を亡くしたことから、若くして公爵位を継いでいる。ゲーム上では、将来神官長になる予定。スタート時は、まだ神殿に上がっていない設定だった。
妙齢の令息が王太子の誕生祝いに招待されるのは、普通のことである。王太子の婚約者を決めるからと言って、令嬢ばかり招待するのは、やはり公平性に欠ける。選ばれるのは、一人だけなのだ。しかも仕込み済み。
貴族令嬢は通常、一度パーティに着たドレスを、他のパーティに着回すことはない。王家主催のパーティである。気合を入れて着飾ったのだ。王太子でなくとも、婚約者を連れて帰らねば割に合わない。
王太子の将来の側近候補を選ぶ意味もあって、主だった貴族の令息が招待されていた。
うちのような弱小貴族の場合、代表が祝うという名目で、招待されるのは一家に一人。今回、婚約者候補の私が出席したから、弟は来ない。彼は婚約済みでもある。
だから、クリストファーが、サルビア公爵として出席するのはわかっていた。ちなみに、彼の母親はアイリス侯爵と再婚して、グレイス嬢とは義理の姉弟になる。悪役令嬢は忙しい。王太子ルートでも、神官長ルートでも出番があるのだ。
クリストファーが出現する場所は、サルビアの茂み前と決まっている。
私は辺りを見回した。攻略対象の花ぐらいは、覚えている。スチルの背景に必ず映り込むのだ。サルビアは、ない。
思い出した。私、一応ヒロインだった。今日のガーデンパーティは、攻略ルートを決めるゲーム上最初のイベント。ならば、他の攻略キャラとも強制的に出会わされる可能性が大きい。ここは、ゲームシナリオの力が働く世界ということだ。
「迷子になっちゃった? 誰かを探しているの?」
私の内心を知る由もないクリストファーは、親切にハンカチーフをベンチへ敷き、手を差し伸べる。違和感を覚えた私は、その場に固まる。
そのセリフは、彼のものではない。
シナリオが、バグっている?
私は頭を振る。ここはゲーム世界かもしれないが、ゲームではない。私も、彼もその他の人も、それぞれに生きている。彼の言葉は、この場には合ったものだ。
「大丈夫? 疲れたみたいだね。少し座って休むといいよ」
クリストファーが、紫の瞳で私を覗き込むようにして、ベンチを勧める。
攻略対象キャラは、他の貴族と違って、下心もなく親切に振る舞っていると見えた。心根と同じように、顔立ちも美しい。シルバーブロンドの長い髪が、私のドレスに触れそうだ。
座りたい。伯爵にハンカチまで敷かせたら、もう座るのが礼儀というものだ。そして座った途端、神官長ルートいらっしゃいませ、である。
この世界はゲームではない。けれども、登場人物名をはじめとする様々な一致点、何より、ゲームイベントと同様の出来事が起こる偶然は、見過ごせない。
証明されていないことを理由に、避けることのできる災いに備えず、起こらない方に賭けるなどという浅はかな選択で、人生を捨てたくない。
私は、できるだけ丁寧にお辞儀をした。
「ご親切にありがとうございます、サルビア伯爵。しかしながら、そろそろ迎えの者も参ります。急ぎ戻らねばなりませんので、失礼致します」
ゲームなら、『断る』をポチッとすれば済むところ、現実世界は言い訳も考えなくてはならず、面倒である。
「そう。気をつけてお帰り。ところで君の名は」
私は、ほとんど走るようにして立ち去り、クリストファーの声が聞こえないふりをした。ベンチへ座らなくても、名乗りは危険だ。次のイベントにつながる可能性がある。
もう、自邸に戻ろう。
そこで私は、メリイの姿がないことに気づいた。侍女を本気で撒いてしまっていた。
一旦、会場へ戻ってみることにする。
私は、急いで来た道を戻った。人のざわめきが近づく。会場は近い。木を回り込んだところで、人とぶつかった。
「あっ。ごめんなさい」
「危ないじゃないか。怪我はなかったか?」
ああ、やってしまった。私は恐る恐る見上げた。
軍人らしく刈り上げたダークブロンドの髪に濃青の瞳で見下ろす青年は、パーシヴァル=アキレアだった。整った顔立ちの下に、服の上からでもわかる、無駄のない筋肉質の体が繋がっている。伯爵家の三男で、騎士団に所属する団長候補。攻略対象である。
そういえば、そこにセイヨウノコギリソウの特徴的な葉っぱがあった。たまたまつぼみばかりの株で、見落としてしまっていた。
私は、慌てて礼を取った。
「大変失礼致しました。怪我はありません。ご心配いただいて、ありがとうございました。それでは」
「おい。待て」
もう、メリイなんぞ探す余裕はない。私は足がドレスのスカートに隠れているのを幸い、上半身だけ澄ました形に固定して、走った。パーシヴァルの呼びかけは、周囲のくすくす笑いで掻き消えた、ことにした。ジェットスキーに乗せられたみたいに水平移動するパーティドレスの令嬢は、自分でも笑える動きだった。高速移動する幽霊みたいな。
さすがに、恋愛フラグは折れただろう。
ゲームで、私がぶつかるのは、クリストファーだった。そこから名乗り合って話が弾み、攻略ルートへ入る。この場合は、パーシヴァルルートに変わった訳だ。
私は、名乗っていない。大丈夫。