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イベントでもないのにやらかした

 帰宅して、冒険者向けの服に着替えてみた。着心地は、貴族の服に慣れてしまった身には、お世辞にも良いとは言えなかった。

 父に指南を認めてもらえたら、布地から選んで仕立ててもらおう、と思った。服で集中力を()がれては、たまらない。


 そして、肝心の体力測定も、試してみる。

 腕立て伏せ百回、無理だった。

 十回が限度だった。


 腹筋は、もっと無理だった。

 三回。これは、下手をすると、腰を痛めてしまう。


 弱った。しかし、やらねば。

 その日から、私は準備運動も含めて、特訓を始めた。



 という訳で、王太子の婚約者候補親睦会なる集まりに呼ばれた時には、あちこちの筋肉痛を鎮めるため、身体中に湿布を貼る状態だった。

 当日は剥がしたけれど、あの独特の香りは、私の体に染み付いてしまっていた。


 今回は、教義と信仰がテーマで、神殿が会場である。神のおわす清浄な空間を、私の体から漂う薬品臭が侵食する。こんな時に限って、屋内である。


 「何か、膏薬(こうやく)のような匂いがしませんこと?」


 顔を合わせたグレイス嬢が、真っ先に指摘した。わざとらしく、(おうぎ)を取り出し、ばたばたと(あお)いだ。


 「本当ですわ。ミントだけでしたら、爽やかで良いのですが、これは、色々と混じっておりますわね」


 エスメ嬢が同意する。こちらも扇を取り出したところを見ると、単なる嫌がらせでなく、それなりに臭うのだ。わかってはいた。嗅ぎ慣れた私の鼻につくくらいだ。


 臭気の元凶であることを認めるのは事実だから致し方ないが、せめて事情を聞いて欲しい。それらしい嘘を開陳(かいちん)するにも、相手に聴く気がなければ、無意味であった。


 「きっと、薬草園からの香りが漂ってきたのだろう。先ほど、神殿の方々が()み取っておられるのを見かけた」


 ウィリアム王太子の朗らかな声がした。参加するとは、聞いていなかった。騎士団見学の時には、不在だったのだ。残る二人の令嬢も、同じ状況らしく、慌てた様子である。


 「ま、まあ。そうでしたの。神殿の薬草園は、種類が多いと聞きましたわ」


 「さすがはグレイス嬢、よくご存知だ」


 王太子に褒められ、グレイス嬢は気を良くしたが、視線を奥へやった途端に、表情が(かげ)った。

 私も、釣られて王太子の背後を見た。


 いつものお供、セドリックの隣から、水色頭が覗いていた。


 「紹介しよう。アイアン王国からいらした、ベリル=ブロンズ侯爵令嬢だ。我が国について学ぶため、暫く王宮に滞在される。その間、この集まりにご一緒されることになった。皆、よろしく頼む」


 ベリル嬢がお辞儀をする。空気は凍っていた。特に、グレイス嬢が。

 外国人とはいえ、自分と同格の令嬢である。恐らく、年齢は王太子より年上かも知れないが、グレイス嬢よりは若い。

 しかも、王太子の生母ルビー王妃の故国出身で、近親でもなさそうだ。


 ここへ来て、突然ライバルが降臨したようなものであった。実際、ベリル嬢は追加シナリオのヒロインなのである。


 本心ではクリストファーが好きかも知れないけど、家のために王太子と結婚しろ、と命ぜられているに違いないグレイス嬢が、動揺するのは当然であった。本当に王太子が好きだとしたら、尚更である。


 エスメ嬢にはパーシヴァルという婚約者がいるが、やはりグレイス嬢と王太子が結婚する路線で諸々お付き合いしている訳で、こんな強烈な対立候補が出現したら、今後どのように動くべきか、家との相談なしに下手を打てない。


 どちらでも構わないのは、私だけであった。

 そして、凍った空気に気付かないふりを貫く王太子は、笑顔のままである。相変わらず腹黒だ。

 彼が、どちらと結婚するつもりなのかは、読み取れない。


 「ア、アイアン王国といえば、王太子殿下の亡き母君のご出身国ですわね。その節は、ご挨拶も申し上げず、失礼いたしました。アプリコット男爵家のマルティナと申します」


 凍った空気を打破すべく、私は挨拶を返した。家格的にも、私が一番に名乗る流れであった。うう、体を動かす度に、筋肉痛が‥‥。


 「あっ。図書館でお会いしましたね。その節は、ご親切にありがとうございました。またお会いできて、嬉しいですわ」


 覚えていてくれた。ヒロインだけあって、記憶力も性格も良さそうだ。


 「何だ、既に知り合いか。マルティナ嬢は、隅に置けないな」


 「偶然のことにございます」


 私に話しかけないで欲しい。王太子に、いちいち礼を取らねばならない。こちらは筋肉痛なのだ。この湿布の臭いが鼻に入らぬか。


 エスメ嬢、グレイス嬢は、このやり取りの間に持ち直し、それぞれ自己紹介をした。追加ヒロインのベリル嬢は、悪役令嬢の彼女らにも、笑顔で応対した。政治的立場以外、いじめる要素が全くない。


 母の説明にはなかったが、追加悪役令嬢も存在するかも知れない。その場合、彼女らは悪役卒業の運びになる訳だ。今のところ、それらしい人物は見当たらない。


 その後、一同揃って神殿研修を受けた。王太子も一緒である。したがって、紅茶ぶっかけみたいなイベントは起こらない。


 母も何も予告していなかった。ベリルの登場を知ってから、部屋に籠ることが増えた。

 自分でプレイしていないシナリオの内容を、懸命に思い出そうとしているらしい。


 ありがたいことだが、当てにはできない。私自身、王太子ルート以外のシナリオについて、母と同様、プレイせずにストーリーだけ聞き(かじ)った状態で、ほとんど覚えていないのだ。


 神殿では、神官による教義や建物の説明が粛々(しゅくしゅく)と行われた。

 アイアン王国でもメインの宗教は同じである。私たちと同様、周知の話を聞くことになる。


 ベリル嬢が退屈していないか、時々目をやってみたが、ヒロインの聴講態度は抜群であった。


 「この建物のモチーフとなっている彫刻の紋様は、建てた方に縁があるのですよね?」


 「その通りです。当神殿につきましては、フリチラリアの花と葉を図案化した紋様を主な装飾としております。ご承知の通り、この神殿をお建てになった王家を象徴する植物です。我が国では、建てた方の出自に関わらず、フリチラリアの紋様を用いた神殿が多く見られます」


 案内役の神官も、心なしか張り切っているようだ。

 王太子を始め、王太子妃候補であるアイリス侯爵家にネモフィラ辺境伯爵家、それから金だけはあるアプリコット男爵家の令嬢に加えて、外国からの貴賓までが、揃ってお供を引き連れて、真面目に聴講しているのだ。

 気合いも入る。


 アンも、居眠りせずに神官を見つめていて、ホッとする。侍女の質が悪いと、主人の評判に関わるのだ。

 ベリル嬢の侍女は、図書館でも会った、亜麻色の髪をした女だった。これは神官よりも主人を熱心に見つめていた。


 召使として、それはそれであり、である。

 それにしても、この侍女には何かが引っかかる。それ以前に見た覚えはないのだが。


 ここで、またもベリル嬢が質問した。


 「これまで多くの聖人様が、人々を救うため我が身を顧みず行動された歴史に、改めて感銘を受けました。ところで、聖女様は、その昔、迷える修道女を導くために現れたと文献にありますが、他にはおられないのでしょうか?」


 神官が、感心したような声を出した。


 「おお。聖女様についてもご存知とは、大変深く学ばれましたね。仰る通りです。聖女様は、現在のところ、その方のみにあられます。ですが、いつの日か、我々が必要とする時に、神がお遣わしになることでしょう」


 私も内心で驚いた。『咲くトリ』をプレイした私は、聖女の存在を知っている。クリストファールートをクリアした友人からの又聞きである。


 他でもない、ヒロインが聖女になるのである。私がクリストファーを攻略していない以上、今世に聖女は存在しない筈だ。


 文献に、過去の聖女記録があったとは初耳だった。王妃教育でも、触れないのではなかろうか。現に、グレイス嬢は記憶にないようだ。エスメ嬢は見るまでもない。


 これは、追加ヒロインが聖女になるフラグだろうか。母によれば、私の結婚相手に選ばれなかった攻略対象ならば、誰でも選べるということだ。

 クリストファールートの攻略エンドで、神官長となった彼の側に立つのは、聖女となったヒロインである。


 王太子か、神官か。彼女がどちらのルートを進むのか、まだ見えない。騎士と宰相への道も開いているのだ。私が誰も攻略していないせいで。

 それに、追加攻略キャラもいる。結局、名前も職業も教えてもらえなかった。美形しか情報がない。未プレイだから、母もうろ覚えなのだ。


 あれ?


 女装してもバレないほどの美形‥‥亜麻色の髪、と母が言っていた。


 「うぐっ」


 がばっ、と勢いよく振り向いたせいで、背筋か腰かを痛めたらしい。ただでさえ、下手な腹筋練習中である。腹筋トレーナーを雇えばよかった。そんな職種はないけれど。


 「お嬢様」


 後ろで聴講していたアンが、立ち上がる。

 失敗した。


 盛り上がっていた説明を中断され、若干迷惑そうな神官と、勝手に自滅したことを内心喜んでいるに違いないグレイス嬢にエスメ嬢、面白がっているのを隠しもしない王太子の視線が私に集まった。

 純粋に心配する風であるのは、ベリル嬢だけである。


 「し、失礼しました。緊張で、加減が悪くなったようです。少々席を外します」


 席を立つが、筋肉痛に加えて、今のダメージで、上手く歩けない。令嬢というより、老婆である。アンが、脇を支える。


 「キャシー、アプリコット嬢について差し上げなさい」


 ベリル嬢が、侍女に命じた。


 「しかし、お嬢様」


 低めの声で抵抗する侍女は、主人の視線に負けた。


 「ありがとうございます」


 私は、ベリル嬢に礼を言った。


 「お気になさらず」


 とびきりの笑顔。王太子も惚れるに違いない。

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