ヒロインよりヒロインっぽい
強盗団が捕まったので、父から図書館通いの許可が出た。
私は、前世も今世もインドア派である。
うちの図書室の蔵書コレクションでも、十分楽しめる。何せ、男爵家の蔵書とは思えないほどの充実度だ、と王族並みの教育を依頼した家庭教師が漏らしたほどなのである。
しかし、母の方針で小説、特に娯楽系の小説が全くない。
世間で絶賛流行中であるらしい、シルバーサーガの続きを読みたい、という侍女アンの希望を叶えるため、というのが、大方の理由であった。
私は侍女の願いを聞き入れる、優しい主人である。
馬車で図書館へ送ってもらい、手続きをして入館する。
アンはシルバーサーガの並ぶ棚へ、まっしぐらだ。
「あった。良かった。お嬢様も本を、お決めになってください」
以前、読み差しになっていた最新巻をキープすると、私を急かした。
私としては、目的もなく来館したので、アンが選んだ本棚の近くで適当に漁ることにする。気になると言えば、前回王太子が出入りした、あの成人男性限定のエリアである。
通りすがりに確認したところ、今日も出入り口に門番が陣取っていた。暇そうであった。王太子が中にいたら、もう少し緊張しそうなものである。
この間、私に出入りを見られたせいで、王太子は本格的に出禁になったかもしれない。
また、好感度が下がること請け合いだ。
小説の並ぶ棚を、熱心に眺める令嬢がいた。
何と、髪が水色である。この世界で初めて見た。この国の貴族で、そんな髪の色をした人物はいない。しかし、身なりからすると、庶民とも思えなかった。
「お嬢様、早く決めてくださいよ」
アンの急かす声に、彼女が振り向いた。ばっちり目が合ってしまった。
瞳がピンクである。どう見ても、ゲームのメインキャラだ。ヒロインかもしれない。
私でさえ、ピンクブロンドの髪とオレンジがかってはいるけれど、茶色の瞳なのに。
『花咲く乙女のトリプルガーデン』に続編があったとか。まさか。そんなに人気だったか?
「あの、お聞きしても宜しくて?」
目を逸らす間もなく、可愛らしい声で問いかけられた。顔もとびきり可愛い。そして、逃げられない。
この吸引力。ヒロインとしか思えない。
私だって、一応ヒロインなのに。
「はい。何でしょうか?」
内心の葛藤を抑え、とびきり可愛らしく応じてみた。自分でも謎の対抗心である。
「お勧めの小説、こちらで最近流行りの小説をご存知でしたら、教えていただければと思いまして」
よりによって、一番苦手な分野である。アンが、遠慮がちに、空咳をした。
「最近では、シルバーサーガという小説が、流行っているようです」
思い出して、アンを見た。胸にしっかりと、最新巻を抱えている。
「あっ、それは、そうなのですね。私も知っています。他に何かあれば、と思いまして」
私は顔が赤くなるのを感じた。そして実際、赤くなったらしい。
やんわりと、無教養を指摘されたように思ったのだ。これも、母が恋愛小説を目の敵にした弊害である。
シルバーサーガは、正確には恋愛小説ではないが、流行すなわち軽薄、と母は信じている。
だから、うちの図書室に置いていないのだ。
しかし、貴族が息をするように買い求める小説すら把握しない人間が、それ以外の教養を持ち合わせていると想像してもらうのは、難しい。
「ごめんなさい。そのようなつもりでは、ありませんでしたの」
ピンクの瞳にうっすら涙を浮かべ、両手を組む水色令嬢。まるで、私がいじめたみたいではないか。後ろにいる亜麻色の髪をした娘は、彼女の侍女だろう。
侍女は、こちらを睨んでいる。私が庶民だったら、前に出て叱り飛ばす勢いである。何もしていないのに。
「こちらこそ、お役に立てなくて、ごめんなさい。司書にお尋ねになれば、お求めの本を見つけられると思いますよ。入り口付近にいる筈です」
私は問題を、さっさと他の人に預けることにした。この令嬢には、近付かない方がいい。
「ありがとうございます。早速訊いてみます」
幸いにも、水色令嬢はごねることなく、その場を離れて行った。
私は、再びトラブルに巻き込まれないよう、手近な書を取り出し、アンと個室閲覧室に篭った。
今回手に取った本は、「ポリジェンヌ物語」という題名だった。
ポリという架空の国で暮らすパン屋の娘ジェンヌが両親を失い、親戚に引き取られて苦労しつつも明るく振る舞ううちに、『良くない事』に気付く。
自分なりに『良くない事』を改善する様子を見た周囲の人々が、彼女に影響を受けて変わっていく。しまいには、聖職者や貴族をも巻き込んで、国の改革へとつながっていく、という、意外に壮大な物語だった。
王政から共和政へ移行して、よかったね、という結末なのに、よく出版が許可されたものだ。ここに本がある以上、王家も内容を把握しているだろうに。
架空の話に寛容なのは、政治に自信があるということか。こういう物を締め付けると、支配者側の首が絞まる結果になるのは、よくある話で、ストレス解消のためにも、ガス抜きは必要だ。
「まあっ、ここで終わるなんて」
シルバーサーガを読んでいたアンが、最終ページを開いたまま、嘆息した。
「次の巻も、買ってもらいたいからでしょう」
「そんな、身も蓋もないことを仰って」
「でも、まだシルバーサーガの世界に浸れる幸せは、あるのよ。話が終わってしまったら、寂しいでしょう?」
アンは、本を抱きしめて、目を見開いた。
「その通りですわ。お嬢様!」
個室から出ると、つい警戒してキョロキョロしてしまった。王太子や、グレイス嬢、水色令嬢、その誰にも会わずに馬車へ乗り込めた時には、ほっと息をついた。
「水色の髪にピンクの瞳? そんなキャラいたかしら?」
帰宅後、母に水色令嬢の心当たりを尋ねると、首を傾げられた。
私は、ゲームキャラクターではなく、貴族籍の人を訊いたつもりだった。
母だって、一応は男爵夫人である。しかも、生粋の貴族だ。食べていくのにかつかつな、小さい領地なだけで、代々領主様の家柄である。爵位は男爵。想像に違わず、祖父が金銭的援助と引き換えに貰い受けた嫁だった。
援助は、父の代に引き継がれている。きっと、弟のケネスにも引き継がれるだろう。いつか、乗っ取ったりできないものか。
いけない。発想が悪役令嬢っぽくなっている。
「では、裕福な平民の方だったのでしょう。そう言えば、名乗られませんでしたもの」
私は、話を終わらせ、とっとと立ち去った。忙しい父には、会えなかった。
母に心当たりがないからと言って、水色令嬢がモブと決まった訳ではない。あの可愛さは、絶対に、乙女ゲームと関係がある。母も転生者である。『咲くトリ』の続編まではプレイしなかったかもしれないし、続編が出る前に死んだかもしれない。
『咲くトリ』とは別のゲームということも、あり得る。運営側にすれば、世界設定だけ引き継いで、全キャラクターを一新すれば、背景を新しく作り出す手間が省けて、前後の整合性も気にせずに済む。
「マルティナ。コ○○みたいな人が、近くにいなかった?」
翌朝、母と顔を合わせるなり、前世で有名な探偵アニメキャラの名前をぶつけられ、もの凄く動揺した。母の方針で仕込まれた、王太子妃並みの教養のお陰で、表情に出さずに済んだ。人生、何が幸いするかわからない。
「その、どなたか、という方は、昨日お話しした水色の髪の令嬢の近くに、いらしたということでしょうか?」
「ええと。そうね、多分。私も、あれはちゃんとやってなくて、ネットで見ただけだから、うろ覚えなんだけど。あれって、追加ダウンロードすると、お金かかるのよね」
私は、メリイに目を向けた。母の侍女は、黙って首を振った。彼女も昨夜か今朝、母に聞かされたばかりで、まだ解釈できないのだ。
前世に関して、メリイより遥かに母と知識を共有している私でも、今の話は理解が難しかった。
まず、水色令嬢が、『咲くトリ』のキャラクターであることは間違いない。追加と言っていたからには、拡張版というか、番外編というか、追加シナリオと思えばよいだろう。
運営は、新たにゲームを出さずに、手直しで攻めてきたのだ。有料で。
そして、この追加バージョンには、もう一人、主要なキャラクターが存在する。コ何とかみたいな人、というのが、単なる外見を指すのか、年齢を指すのか、職業を指すのか、母から情報を取る必要がある。
ついでに、前世の母は、無課金プレイヤーだったらしい。お金のない社会人か、私と同じような学生だったか、これだけでは決めかねる。
プレイスタイルのせいで、追加のキャラクターについては、詳しくない、ということがわかった。
ところで、乙女ゲームで追加されて嬉しいキャラといえば、攻略対象である。だが、私が目撃した相手は、令嬢だった。知らないコ○○よりも、彼女のことが知りたい。
「お母様。水色の髪の令嬢は、最近貴族になられた方ではなかったのですよね?」
ずばり、追加キャラの情報を教えて、と訊けないのが、もどかしい。
母の逆ハー狙いに協力するつもりがないのに、同じ転生者と明かすのは、危険な賭けだ。特に、相手に母性を感じない場合には。
クリアのためには不正も厭わない、鬼畜プレイヤーかもしれないのだ。話が通じるとバレた途端、現実を無視して何をやらされるか、不安しかない。
「違うわよ。隣国から来た貴族令嬢で、追加ヒロインなのよ」
「えっ」
思わず声を上げてしまった。メリイの鋭い視線が刺さる。
同じゲームにヒロインが二人?
「それは、王太子殿下のお相手として、いらしたのでしょうか。どちらの国から?」
急いで体勢を立て直し、質問を捻り出した。まるで私が王太子妃を本気で狙っていたみたいで気恥ずかしいが、他に取り繕う問いが浮かばない。
「そう。そこも問題なのよ」
母が、興奮して手を拳に握った。
「逆ハーも達成していないのに、あの娘が出てきたら、マルティナの結婚相手を取られてしまう」
「ええと。アイリス侯爵家よりも、格式の高いご出自なのですか?」
気になる新情報を出す前に、私の問いに答えて欲しい。ヒロインが追加されたら、元のヒロインよりも、強いに決まっている。
「隣国の貴族の序列なんて、覚えていないわよ。あの娘は、マルティナと婚約していない攻略対象なら、誰でも狙える。つまり、逆ハーしていたら、その間に一番狙える相手を掻っ攫われるかもしれないのよ」
「そうですか」
私はため息と共に返事をした。誰とも結婚する気がない私には、どうでも良い情報である。