王女と騎士と婚約者
カン、カン、キンッ。
素人目にも、華麗な剣さばきであった。剣の動きだけで、相手を地に伏せる。
審判が正式な判定を下すと、ぱちぱち、とあちこちから拍手が上がる。勝った方の騎士は、こちらの方に視線を投げ、軽く手を挙げてみせた。ダークブロンドの髪は短く刈り上げられ、愛情のこもった表情までよく見える。
「パーシヴァル様」
隣のエスメ嬢が、頬を染める。勝者は、彼女の婚約者、パーシヴァル=アキレアだった。
騎士団の見学に招かれていた。将来の王太子妃のための勉強会、という名目らしい。
通常通り訓練風景でも見せてくれるのかと思いきや、突然の剣技大会が始まったのである。そして、パーシヴァルが優勝したところだった。
彼は、『花咲く乙女のトリプルガーデン』の、れっきとした攻略対象である。そして私はその乙女ゲームのヒロインなんだが、見ての通り、好感度低飛行中である。
今日は、婚約者候補筆頭のグレイス嬢も、当然参加している。神殿での件で嫌味でも言われるかと思ったが、全く触れられなかった。それはそれで、不気味である。
クリストファーから、告白されていたりして。王太子婚約者候補と義弟の恋。それだけで本が一冊、乙女ゲームが一つ作れそうである。その場合、私はモブか悪役だろう。
あれからどうなったのか。知りたいのはやまやまだが、明言された訳じゃなし、身分上も、聞ける立場にはない。グレイス嬢の様子から窺うことも、難しかった。
パーシヴァルは、そのままエスメ嬢とは別の方角へ導かれる。そこには、王妃と王女がいた。彼はその前に跪き、顔を伏せる。
「パーシヴァル=アキレア。そなたの勝利を讃えて、我が娘より褒美を遣わす」
王妃が宣言すると、王女に頷いてみせた。
「ありがたき幸せにございます」
「顔を上げよ」
跪いていたパーシヴァルが命に従う。その先には、エスメ嬢より更に幼い姫がいた。
ロルナ王女である。確か、六歳だった。ほぼ幼児だ。
王族だけあって、遥か年上の騎士を見下ろす様も、堂に入っている。衣装に助けられている部分もあるとは思うが。
「褒美として、近々祝いの茶会を開こう」
それは大袈裟すぎないか。どうも王妃とこの王女には、浪費の傾向がある。
「過分な褒美をお考えくださり、ありがとうございます。私は、王女殿下のそのお心遣いをいただくのみで、十分に報われました。茶会は辞退致したく存じます」
パーシヴァルの横顔は、真剣で、声も硬い。これが王太子だったら、完璧スマイルを浮かべつつ、話を有耶無耶に持っていけるのだろうが、騎士殿は真面目なのである。
「ならぬ。王族が約束したことは、違えてはならぬのだ。茶会は、開く」
王女のドレスが揺れた。地団駄でも踏んだのだろうか。おみ足の動きは、スカート部分に隠れて見えない。
「騎士アキレア。そう硬く構えずとも良い。ロルナの主催だ。ほんの内輪の会とする。気楽に参加せよ」
横から王妃が口添えした。内輪だろうが、王族に呼び出されて気楽に、とはいかない。いくら、父が元騎士団長で、兄が副団長といっても、現状パーシヴァルは伯爵家の三男坊であり、ただの騎士に過ぎない。『咲くトリ』ゲームでは将来、騎士団長に出世するけど。
「王妃陛下のご配慮、ありがたく頂戴します。それでは、婚約者のエスメ=ネモフィラ伯爵令嬢と共に参上したいと存じます」
隣のエスメが、また頬を染めた。対照的に、王女が白っぽくなったように見えた。近くに居たら、青く見えたかもしれない。
王女が何か言いかけたのを、王妃が止めた。
「では、茶会の件は、しか、と約したぞ。騎士パーシヴァル=アキレア」
「はっ。ありがたく承ります」
出席を約束させたのは、王妃だった。ロルナ王女は、頭を下げるパーシヴァルを、満足そうに見下ろした。
王妃と王女が退場した後、パーシヴァルはこちらへ駆け寄ってきた。もちろん、目当ては私ではなく、エスメ嬢である。
私、一応ヒロインなんだけれどなあ。自分で折ったフラグの効果を実感する。
「パーシヴァル様、優勝おめでとうございます。とても、素敵でしたわ」
エスメ嬢が、闘技場との仕切りから身を乗り出さんばかりにして褒め称える。王族席と違い、こちらは見学者との距離が近く、高さの差もない。
「ありがとうございます。エスメ嬢が見にきてくださると聞き、発奮しました」
見下ろすパーシヴァルは、笑顔である。親戚のお兄ちゃんが、年下の面倒を見てあげる感じ。そう。エスメ嬢は八歳である。一方、パーシヴァルは十七歳。
パーシヴァルって、ロリコンなのか? それは知らないが、婚約は家同士の政略的なものだ。
ネモフィラ家の領地は国境に接している。辺境伯とも言う。エスメ嬢はそこの長女だ。武勇の名高いアキレア家の有望株を婿に取って、守りの一助にする魂胆である。
魂胆というと悪巧みみたいだが、パーシヴァルにも利点はある。三男では、生家を継ぐ見込みはほぼゼロ。
騎士団で頭角を表しても、兄が副団長では、それ以上の出世は望み薄である。辺境伯への婿入りなら、将来は領主様の一族で安泰、武芸も活かせる。家格の釣り合いも、ちょうど良い。
『咲くトリ』パーシヴァルルートを攻略すると、エスメ嬢が私をいじめたせいでネモフィラ家ごと断罪され、一家は平民落ち。
空席となった辺境領へ、パーシヴァルが新たな伯爵として赴任し、私は辺境伯夫人として共に行く。結構エグい展開である。
キャラメルブラウンのふわふわした髪を揺らし、婚約者をぽうっと見上げる八歳のエスメ嬢が、十五歳の私をいじめる‥‥家格差を思えば不可能ではないが、想像し難い。
考えると、パーシヴァルにとって、私と結婚すること自体に、メリットがない。辺境領が手に入るのは、棚ボタ展開である。
フラグ折り以前の問題だ。単独ルートでも、ヒロインが相当頑張らないと、攻略できないのではないか。
それを言ったら、攻略対象、全員がもとより高嶺の花ではある。そこを乗り越えて結ばれるのが、乙女ゲームの醍醐味だった。
ゲームシナリオに現実を求めてはいけない。
私がヒロインとしての努力を放棄しているのに、話が何となくシナリオに沿って進んでいく。世界の基本原則にシナリオが絡んでいるのは、確定だろう。
今日のイベントは、母によれば、当然ヒロインとパーシヴァルの距離を縮めるためのものである。実際には、悪役令嬢役のエスメ嬢と婚約者の距離を縮めていた。こちらの方が、常識的な展開だ。
「この後、護身の術を教えてくださる予定でしたね」
グレイス嬢が口を挟んだ。放っておくと、婚約者同士でほのぼのと話が終わらない、と判断したようだ。同感である。
パーシヴァルとエスメ嬢が、揃って我に返る。
「案内の者を差し向けておりますので、しばしお待ちを。その間に、こちらの方でも準備をいたします」
パーシヴァルの背後から現れたのは、副団長、彼の兄である。パーシヴァルを、若干ゴリラ寄りに進化させた感じ。
「婚約者殿を気にかけるのは理解するが、義務を果たせ」
弟にかける声音は、恐ろしげである。パーシヴァルは、刃物でも当てられたみたいに首をすくめ、くるりと回れ右して去って行った。
それでも兄に隠れて、エスメ嬢へ合図を投げ置くのを忘れない。
副団長は、きっと弟を見逃してやったのだ。こちらにも、軽く会釈をすると、無駄話を一切せずに立ち去った。
「何で俺が、お前と‥‥」
護身の術講座は、室内で行われた。私たち令嬢に配慮してのことらしい。
同じく令嬢の家格に配慮して、グレイス嬢の相手は騎士団長、エスメ嬢の相手は副団長、私の相手がパーシヴァルだった。
これは、彼にエスメ嬢の相手をさせると、訓練にならない、という判断だろう。私のせいではない。
私だって、選べるものなら、大人な騎士団長に相手をしてもらいたかった。
「まず、手首を掴まれた際は‥‥」
くいっ。
「あ」
何気なく肘を曲げ、腕を動かしただけで、パーシヴァルの手が、簡単に外れてしまった。説明の通りにしただけである。他の二組も同様であった。
「まあ」
「あら」
令嬢たちも、自分のしたこととは信じられない様子である。
「よくできました。では、次に、背後から襲われた場合ですね」
最初に騎士団長と副団長が、手本を見せる。後ろから抱きつかれた時は、操り人形の糸が切れたみたいに、全身一気に脱力して腕から抜け出し、逃げる、という方法である。
これらは、とりあえず一瞬から数十秒の時間稼ぎになる。例えば、屋敷に侵入した賊と鉢合わせした時とか、外出先で護衛とはぐれてしまった時の対処法だ。
私が以前、強盗団に襲われた時のように、助けが来る当てのない場合には、相手を怒らせて命の危険が増してしまう。
王太子妃が護衛なしで動く場合があり得ないから、グレイス嬢には、これで良いのだろう。
ついでにエスメ嬢も。
個人的には、もう少し本格的に武芸を習いたい。将来、修道院に入らず、女ひとりで生活するなら必要な技能だ。弟の師匠にでも頼もうか。
ズザッ。
「あがっ」
気がつくと、パーシヴァルを倒してしまっていた。もしや、前世の護身術が出てしまったのか、それともヒロイン特権か。
場が、しいん、と静まった。一瞬、呆然としたパーシヴァルが、ものすごい形相で立ち上がった。
「おまっ」
パンパンパン。
「アプリコット嬢、お上手です」
高らかな拍手の音を響かせたのは、黒髪に緑の瞳を持つ、テオデリク=プロテア宰相であった。