プレイヤー感覚で遊ばないで欲しい
「本日は、お招きいた‥‥」
「招待に応じてくれたのに、ドレスを汚したまま帰す訳にはいかない。あり合わせとなるが、替えの衣装を用意しよう。セドリック、マルティナ嬢が迷わないよう、付き添ってくれ」
「承知しました」
「いえ、帰」
「ご令嬢、こちらへ」
セドリックは、私の言葉を遮って、ぐいぐいとその場から離れさせた。王太子の意向を汲んでのことだ。王太子は、明らかに、私に辞去の挨拶をさせまいとした。
「人が減って、少し寂しくなったね。その分、明るい話をしようか」
背後で王太子の声がした。グレイス嬢とエスメ嬢が、早速明るい笑い声を上げた。
侍従がお側を離れて大丈夫か、との心配は、杞憂だった。ここは王宮の敷地内である。建物の中にも外にも、護衛が配置されていた。
侍女に引き渡され、有り合わせというには十分に立派なドレスに着替えた後、部屋を出ると、まだセドリックが待っていた。
「お待たせいたしました。出口までの案内は、他のお方にお願いして、殿下のお側へお戻りになってください」
一人でひっそり帰宅したいが、建物の出口まで辿り着く自信がない。王宮内を、部外者が案内なしでうろつくのも、危険だった。運が悪ければ、牢送りである。
その案内役は、誰でも出来る。王太子の側近に頼む必要はない。
「殿下から指示を受けています。私が引き続き、案内します」
王太子の命令なら、従わざるを得ない。そのまま並んで歩き出す。
「素敵なドレスを、ありがとうございました。洗濯後に、お届けします、とお伝えください」
借りたドレスは、シンプルながら、小物遣いで応用の効きそうなデザインで、大きさも、それなりに私にフィットした。
私が着てきたドレスは、応急で染み抜きを施した後、馬車に積む手配をする、と聞いた。
こうしたハプニングに備えて、一通り揃えてあるとすると、王宮の維持に金がかかるのも納得だった。
あの程度なら、そのまま着ても問題ないが、大きく破けたりした場合、被害を受けた令嬢の身分や性格によっては、用意のあるなしが国益に直結することもあるだろう。
私の言葉を聞いたセドリックが、口の端に笑みを浮かべた。オリーブ色の髪にオリーブ色の瞳、というモブキャラらしい雑な設定だが、容姿は整っている。
「普通のご令嬢は、返却など考えませんよ。しかし、お返しいただけるなら、ありがたく受け取ります。洗濯済、と添えていただければ、担当の者は、なお喜ぶでしょうね」
皮肉ではなく、真面目に応じているようだった。王太子付きの侍従が、予備の衣装管理や洗濯にまで目配りできるとは、意外である。
この世界の洗濯は重労働で、洗濯女と言えば、究極の底辺職に位置付けられていた。その先は、賃金先払いという名の身売りで、ほぼ奴隷の召使か娼婦の道が待っている。
ともかくも通常、王族やその側近が一生視界に入れることもない、空気のような存在である。
セドリックが優秀なのか、王太子の薫陶なのか。判断は難しい。
そこへ通りかかった老紳士が、こちらに道を譲ってくれた。セドリックは黙礼で返して先へ進む。私も会釈して後に続いた。
通り過ぎてから振り返ると、アザレア公爵である。
うわ。公爵様に道を譲らせてしまった。
アザレア公爵家は、建国当初からの古い家柄なのだが、代々大人しい人が継ぐという家訓でもあるみたいに、歴史的に目立った業績がない。
現当主のアザレア公も、例に漏れず、人は良さそうだ。王太子の近侍がついているからと言って、男爵令嬢にまで道を譲らなくても、と今更ながら恐縮する。
セドリックのためであって、私のせいじゃないよね?
誰もいないようでいて、思いもかけないところで、人を見かける。王宮が広い分、働く人もそれなりの数で存在するのだ。
「それから、先日の件につき、貴女のご判断に感謝する、と我が主よりお伝えします」
しばらく歩き、周囲から人気が途絶えたところで、唐突に伝言された。
「あ、はあ」
察するに、十八禁部屋お出入りの一件である。強盗団捕縛の顛末が王宮に上がり、報告書に、密会直後とされた私のお相手が、不詳として記載されていたのだろう。
お忍びの王太子は先に立ち去っており、私が口を割らない限り、取り調べた騎士団が相手を突き止めることは、不可能である。騎士団長や、近衛の一部は把握していたとしても、公式の報告書には載らなかった訳だ。
腹黒王太子も、国王には打ち明けたかもしれない。でなければ、召使候補であっても、身分を明かせない相手と密会するような女など、招待客リストから外すのが普通である。
陰謀の駒に、恋愛感情を利用する例など、いくらでも数え上げられる。
王族を害するリスクは、徹底的に排除されなければならない。
私が口を噤んだのは、喋った場合の不利益と天秤にかけた結果である。たまたま判断が当たったのは、幸運だった。
いや別に、王宮に召し抱えられたい訳じゃなくて。腹黒王太子に逆らったら、報復が怖いから。
「カンパニュラ様。それでは、こちらで失礼いたします」
見覚えのある通路で立ち止まった。あちらへ行けば、出口、こちらへ進めば、先ほどの部屋。遠くに立つ衛兵も、こちらを確認した。ここから一人で歩いても、帰宅する分には怪しまれない。
「戻られないのですか? シェフの新作を、まだご賞味なさっておられませんが」
思わず動きを止めてしまった。私の嗜好を、よく調べている。
「いずれも目を喜ばせる品で、美味しくいただきました。どうか、よろしくお伝えください」
定番の菓子でも、王宮のシェフは、時節や来客に合わせた工夫をして提供する。毎回、何を食べても新作と言えば新作である。あの気まずい場へ戻ったところで、全種類は味わい尽くせない。
早退すると思ったからこそ、王太子もセドリックに伝言を託したのだろうし。
王宮からの招待に応じ、ぶっかけイベントも受け止めた。口止めの約束を守ったことも互いに確認した。
これで、各方面への、義理は果たした。もう、帰るしかない。
「おや。お早いお帰りですね。アプリコット男爵令嬢?」
セドリックの態度を見て、急いで振り向きざまに礼を取った。下半身しか見えないが、声で見当がついていた。
テオデリク=プロテア宰相である。何でこんなところへ通りかかる? などとは聞けない身分差。
隠しルートの攻略キャラが、これまでにない至近距離にいるのに、ご尊顔を拝謁できないのは、誠に残念だ。
黒髪に緑の瞳、おん年二十五歳の美形は、前世十八歳だった記憶を持つ私にとって、攻略対象の中では、最も好みに近い相手だった。
前世ではルート開放せず、視界にも入っていなかった。
それに今世でも、セドリック以上に高嶺の花である。姓が花を表す国だ。男性を花に喩えたって良いだろう。
「本日は、ご招待をいただき、ありがとうございました。所用により、皆様より先にお暇することを、お許しください」
ドレスを洗濯しないと。私が洗うのではなく、使用人に頼むのだ。貴族って、いいよね。
「私にまで礼を言う必要は、ありません。顔を上げてください。お父上には、日頃からご助力をいただいております。よろしくお伝えください」
ああ、金づるですね。
私は、父が出した金の分だけでも拝んでやろう、と顔を上げた。
知的で大人の余裕を持った、色気のある美しさであった。それが私に微笑みかけている。うっかり本気で恋しそうである。
仮に宰相とお付き合いすると、グレイス嬢が悪役令嬢として登場する筈だ。
彼女は、彼の姪なのである。
このところ、母の機嫌は上り調子だった。
ゲーム開始以降、彼女の知るシナリオ通りに進んでいるからだ。
内実を知る私からすると、この見かけ倒しのシナリオ展開が、母の希望通りの結末に結びつくとは請け合えず、かと言って私の希望が叶う保証もなく、不安しかない。
私はヒロインに転生した分、この世界で有利な立場にあるとはいえ、望む結末は十中八九シナリオの目指すところと違う。それでいて、前世で攻略したのはメインルートだけである。手持ちの情報は少ない。
母の方は、ゲーム知識は私よりも格段に多い。逆ハーレムルートを目指せるだけのプレイ経験は持っている。
その上、ヒロインに命令できる母親に転生したことで、プレイヤーのような立ち位置を得たのだ。
母は、ある意味で特等席に座っている。高みの見物席である。
娘の私を含め、キャラクターの内面を全く顧みず、シナリオの表面だけをなぞれば満足で、結果に責任を負わない。
ヒロインに生まれついたばかりに、振り回される方は、迷惑でしかない。
「神官長ルートが、ちょっと弱いのよねえ。そろそろ、神殿に行ってみましょうか」
紅茶ぶっかけイベントから戻って間もなく、母が動き出した。やっぱり、逆ハーレムルートを目指している。
実際に動かされるのは、私なのに。
ゲームの駒でなかったとしても、貴族令嬢に自由などない。結婚か修道院の二択である。
私が前世の記憶を頼りに、それ以外の道を模索もできるだけ、運が良いかもしれない。
と言っても、なかなか思うように計画が進まないのは、自分の好きなことをする時間は少ない一方で、何をするにも時間がかかるせいである。
両親、特に母に怪しまれないよう動かなければならないのも、原因の一つだ。
逆ハールート撃沈の末、独身上等までは母の思惑に便乗しても良いとして、その後の生活設計が立たない。
手に職をつけるのは秘密裏には難しい。手持ちのスキルを活かして自活するとなると、お針子か家庭教師辺りだろうか。
神殿には、平民も出入りする。いきなり仕事の口が見つかるのは無理でも、需要を探ることはできるかもしれない。
「では近々、神殿へお参りに行きます」
母が私を使って乙女ゲームを楽しむなら、こちらもせいぜい利用させてもらおう。