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発覚した瞬間

 目の前で、クレープが炎に包まれた。


 「か、火事っ! 水! 消さなきゃ」


 「(あわ)てないでちょうだい。マルティナ。これは、このようにして食べる料理なのです」


 母は、落ち着いて座ったままだった。

 私は、浮かした腰を、そろそろと椅子へ下ろした。(ひたい)にジワリと吹き出た汗を、ハンカチーフで押さえる。


 風をはらんだカーテンみたいに、ひらひらと燃えた後、炎は唐突(とうとつ)に消えた。皿の上のクレープは、まるまる無事だった。()げてもいない。

 アルコールが燃えただけだ。似たような現象を、前世で見たことがある。


 前世?


 「本当に、貴女(あなた)って子は、そそっかしいわね。そのようなことでは、来月開かれる茶会で、王太子殿下と運命の出会いをし(そこ)ねるわよ」


 「運命?」


 私は、ハンカチーフを口に当てた。動揺を、読み取られたくなかった。

 急に血の巡りが良くなったみたいに、頭の中で、生まれてこの(かた)見たことも聞いたこともない景色が、次から次へと展開し始めたのだ。目が回りそうだった。


 これは、私がこの世界へ生まれる前の人生、つまり前世の走馬灯だ。


 「そうよ。マルティナ=アプリコット。貴女は、ヒロインなんだから、もっと堂々と自信を持って振る舞えばいいの」


 向かいに座る母の言葉が、遠く聞こえる。マルティナ=アプリコットは、今世における私の名前だ。物心ついてから今に至るまでの記憶は、ちゃんと私自身のものとして覚えている。


 私は、異世界転生していた。

 前世の記憶を取り戻した今、この世界に既視感(デジャヴ)を覚えるのだ。


 マルティナ=アプリコットが、ヒロイン。

 茶会で、王太子殿下と運命の出会い。


 脳内で繰り広げられた前世の記憶には、乙女ゲームのスマホアプリが、幾つも出てきた。友達付き合いで、無料ダウンロードできるアプリゲームを次から次へと試していた。どうしても必要な時は課金したが、親の許可が必要だった。いちいち親に言うのが面倒で、クリアするより次のゲームを選んだのだ。

 だから、全ルートクリアしたゲームは、ほとんどない。


 ここは、前世で私がプレイした乙女ゲーム、『咲くトリ』の世界だ。一応クリアした覚えがあるから、思い出せたのだろう。


 私は動揺の原因を悟られないよう、必死に火の消えたクレープを見つめた。

 フランベしたクレープなんぞ、前世でだって食べたことはない。たまたまネットか何かの情報で知っただけである。

 怪しげなクレープを今世の私が警戒するのは、自然なことだろう。これで母を誤魔化せると良いが。


 前世で、日本に住む高校三年の受験生だった私は、進路のことで前世の母と喧嘩(けんか)になり、家を飛び出した先で交通事故に()って、死んだ。


 目の前にいる今世の母の言動から推測すると、現在はゲーム開始直前の15歳、ということになる。

 『花咲く乙女のトリプルガーデン』、略して『咲くトリ』。


 マルティナ=アプリコットは、このゲームのヒロインである。

 ピンクブロンドの髪とオレンジブラウンの瞳、という遺伝を無視した珍しい外見からしても、私がヒロインに転生したことは、間違いない。

 前世を思い出した今、どう考えてもこの母は、私と同じ世界からの転生者だった。


 物心ついた頃から、母は、しばしば場違いな単語を口走っていた。

 最初は素直に聞いていた私も、メイドや友達と話すうちに、母が普通と違うことに気付いた。


 お芝居の話題でもないところで、シナリオだのヒロインだのと言うのは、しょっちゅうだった。

 さっき、私が前世を思い出した時が、まさにそうである。


 その他にも、攻略キャラとか、逆ハーとか、当時の私には意味不明過ぎて逆に記憶に刻み込まれてしまった単語、断罪とか、婚約破棄とか、聞くだに恐ろしい単語、悪役令嬢なんて単語も口にしたことがある。


 そういえば、転生者? って、ズバリ聞かれたこともあった。

 当時の私には、何のことか、さっぱりわからなかった。転生者という単語も、耳慣れなくて妙に記憶に残っていた。


 自分が転生者だから、娘にそんな事を聞いた。

 前世で『咲くトリ』をプレイしていたから、私がヒロインだと気付いたのだ。

 そして、ヒロインの母に転生したのをいいことに、娘をメインルート攻略対象の王太子と、結婚させようとしている。


 新興の男爵令嬢に過ぎない私が、並み居る高位の貴族令嬢を押しのけて、将来の王妃となるシナリオは、乙女ゲームの王道である。

 前世では、私も何の疑問も持たず、普通にプレイしていた。


 しかーし。実際その世界に生きるとなると、話が違う。

 金で男爵位を買ったと陰口を叩かれるアプリコット家の娘が、よりによって次代の王が確約された王太子の嫁になる。

 あり得ない。非常識極まりない。どうかしている。

 

 それに、私は『咲くトリ』のファンでもなければ、やり込みゲーマーでもなかった。友人に勧められて、一通り遊んだだけである。

 攻略キャラに思い入れもなく、シナリオパターンを全て把握したりもしていない。何なら、攻略ルートも全部はクリアしていない。


 ただでさえ、身分不相応なお相手である。恋も憧れもない。

 ゲームシナリオ通りに動ける自信もない。

 攻略もまた、詰んでいる。


 仮に、母が攻略法を熟知しており、私がシナリオイベントを完璧にこなして、王太子と結婚できたとしよう。

 ゲームはそこで、エンディングを迎える。


 当然ながら、その後の人生の方が、長い。

 王太子との結婚生活が破綻(はたん)した時、離婚で済めば、まだマシだ。その場合、私は人里離れた修道院で終身監禁生活だろうが、そんなものは罰にもならない。


 破綻の原因によっては、罪をでっち上げられ、一族郎党処刑される可能性だってある。

 この世界がゲームシナリオに沿って進むとしても、結婚の先までは描いていない。男爵と王家の夫婦が、生涯をつつがなく過ごせるなどと、誰も保証してくれないのだ。


 権力に近寄れば近寄るほど、寿命が縮む。

 生き残るために、私は攻略フラグを折らねばならない。


 ()せても枯れてもヒロインだ。全てのフラグを折り、攻略ルートを完膚(かんぷ)なきまでに叩き潰しても、死ぬことはないだろう。


 研究家じゃあるまいし、前世ではゲーム攻略をわざと失敗したりなど、しないものだ。だからゲーム上でも、攻略が完全に失敗した時、ヒロインがどうなるのかは、不明のままである。


 大丈夫。フラグを全部折るのも大変だろうし、男爵令嬢が身分を(わきま)えて(つつ)ましく生きようとしているだけだ。死なない、多分。

 男爵令嬢が、王太子と結婚する方が、よほど暗殺の危険が高まる。


 ということは、ヒロインが美しく死ぬパターンも、絶対にないとは言い切れないのか。

 こんなことになるとわかっていたら、前世でゲーオタの話を真剣に聞いておくべきだった。今となっては遅すぎる。


 もう、そこは、この世界に15年間生きて(たくわ)えた常識で、回避しよう。

 幸いにも、母が私を王太子妃にするため、王族並みの教養を仕込んでくれた。うちは爵位が低くとも、金だけはあるのだ。


 それに、私も前世で受験生だった。暗記力や計算力は人生最高値だったと思う。そのまま転生後に引き継げたなら、きっと教養を身につける時にも、役に立ったに違いない。


 私が転生者であることは、母にも内緒である。

 親だから、娘の気持ちをわかってくれる、とか、可愛い娘の気持ちを優先してくれるだろう、などとは期待しない。

 そんな都合の良い展開にならないことは、前世の母娘関係で身を以て知っている。


 しかも今世の母は、貴族の常識を無視して、ゲームシナリオを優先する人間なのだ。

 彼女が私の考えを知ったら、邪魔をするに決まっていた。

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