バグになる準備をしよう Side ユージ
最近は口の中が痛い。
口の中に常に固形物があるというだけでも違和感があるのに、最近はガイア試験で口腔内が荒れている。
この前まで痛かった眼球はどうやら耐え切ったようだ。
白い廊下をゆっくりと歩く。床も壁も同じ素材で覆われている。環境システムが常時作動しているので、空気を純化した清気で満たされていて常に温度は26℃湿度は55%に保たれている。
国を挙げてのプロジェクト、ガイア計画に抜擢されて1年。身体改造計画は着々とすすんでいる。身体改造と並行して行われるガイア試験はかなり過酷で、内臓強化プログラムをクリアした100人のうち、ここまで残ったのは3人だ。最終試験まで1人も残らないのこともあると聞かされている、今回はどうなることやら。
ウィーン・・・
2mくらい先のゆるやかな曲線の壁が発光し、扉がひらいた。
「あ、ユージ!お疲れ。これから医局かい?」口を使った会話のため、声が耳に響く。耳の奥の振動にちょっと驚く。そうか、試験のヘッドフォンとは全く違って響くのか。
出てきたのは今回のプロジェクトの生き残り3人のうちのひとり、タカシだ。嗅覚も味覚もすぐに獲得できたエリートだ。以前の改造で口腔内は完全に整っているようだ。前回のプロジェクトでは最終チェックの肺機能検査でバツをくらったらしい。肺機能検査後、半年入院し後遺症に2年苦しんでいたというからおそろしい。検査自体に問題があったとかなかったとか。初回は見切り発車に近かったし、国もあせっているのだろう。
プロジェクト始動は2年前。13歳の誕生日を迎えると強制的に行われる内臓強化プログラムに耐えられたうちの100人ががランダムに選ばれて過酷な改造と試験にさらされる。
新しい個体はいくらでも作れるからって使い捨てすぎる。
せっかくだから、とまだ痛い口を開く。
「こんにちは。タカスィ」
口を使った発声はその都度喉がつまり、本能的にとても怖い。それでも口腔内改造が終わったおかげで発音のコツがわかってきたような気がする。
「はははっ、タカシ、な。シ。唇を動かすのに慣れてねぇのか。いーってしてみ?」
感動した。はははっというのはこの前習った笑うという行為だろう。お腹を痙攣させて喉だけで呼気をコントロールするそれはとても高度な技である。もちろんボクにはできない。
タカシは言語学を専攻しているせいか、さまざまな言い回しを得意とする。名詞だけで区切ってみたり、文末を省略したりする。ネイティブっぽくてかっこいい。
おそるおそる言われた通り、顔の下半分に力を入れ唇を引いてみる。どこかが裂けそうで怖い。
「で、歯を合わせて空気を出す」
「・・・」
「それにのせて、いって言ってみ?」
「・・・シ」
「おぉ!完璧!それそれ」
タカシは笑顔を作ったままこちらを見ている。素晴らしい。
こんなに完璧に改造後の体をコントロールできる人が落とされる肺機能検査とはどれだけ過酷なのだろう?
「ふふ、ユージ、その表情、笑ってるみたいだぞ。」
タカシが目を細める。
ボクは「シ」が清気に溶けたのに気づかずそのままの顔でいたらしい。
口で会話している世界の清気にはあらゆる言葉が溶けているのだろうか?
嬉しさが込み上げると笑顔になるらしい。そんな日がくるのだろうか?
◇◇◇◇
転移させられ、こじんまりした室内空間に降り立った。転移膜がはじけ、空気が一気にまとわりつきダイレクトに肺に入ってきた。ガイア試験のトレーニングとは全く違う。なんて力強い空気。生命力に満ち満ちている!
ここが250年前の地球!!
個別に居住しているらしく、事前情報ではここは女性一人で暮らしているそうだ。そもそも国に管理されずに一人で暮らすというのはどういう生活なのだろうか。着るものも食べるものも自分で考えるという。起きてから寝るまで途方もない計算や取捨選択を一日中絶え間なくしているのだろうか。ありえない。
部屋を見回す。目に見えるこの全てのものを、自分で選んだのか…。常に選んだものに囲まれて生きているのか…。
こちらの生命の維持がかかっているとはいえ、文字通り土足で踏み入ってしまった後ろめたさで倒れそうだ。
しかもこの居住空間、ガイアの恵をそのまま使っているではないか。剥き出しの柱や床におののいてしまった。あぁ、こんなにもガイアと共に生きているのか。勉強してきたが、それと実物は全く違う。
防御素材を通して足先からガイアの生命力が伝わってくる。
ガイアに直に触れ、ガイアの恵に囲まれ、ガイアの恵をそのまま体内に取り込み、ガイアと生きている。
今の自分は手首から先、首から上は防御素材で覆っていないので剥き出しだ。
ガイアの恵そのものの扉に触れてみた。ものすごい熱のようなオーラを感じたが、弾かれることもなく、手のひら全体で触れることができた。
受け入れられたのか!
沸き起こる歓喜の中、部屋に入り込んだ。先ほどの部屋の空気とは違う甘い香りが漂っている。
あの女性の呼気が溶けているせいだろうか。
ガイアで作られた寝具に包まれ自分で選んだものに囲まれた空間に眠る女性を見下ろす。
ガイアの生命力のオーラで発光して見える。
なんと美しい・・・
感動の衝動のまま震える手をのばし頬を指で触れてみた。
弾かれない。壊れない。壊されない。
データを信じれば、僕が触れることができる唯一の存在。
柔らかく、温かい。
すごい。指先の感覚が脳に駆け上がっていくのを感じる。
あの血を吐くような三年間が一気に報われるのを感じた。
勝手に目から水分がにじんだ。
あぁ、涙腺から出るこの水分が涙なのだな。
しかし、彼女に直接記憶の書き換えができないのは難しいな。ボクはタカシと違って話が下手だし。
嫌がられたらどうしよう。
未来人はどういう形態に進化?退化しているだろう?とあれこれ考えたのが、本作のきっかけでした。
それにしても土を踏む機会減ったなぁ。