第一章 稲妻の到来
始まりを告げる季節、春。世界が色めくこの時期に、彼女は雷に乗ってやって来た。これは、そんな半年にも満たない春の間に起こった、短くも色濃い物語である。
雪が溶け、世界に春が到来した。高校生を生きる僕は、この春二年生へと進級した。クラス替えによる新しい環境と、ころころと変わる天気に翻弄される毎日。今日も、先程までの晴天が嘘のように雨が降ってきた。窓越しでも雨粒が見える。なんとなく、美しい。春はただの降水さえも美しさを感じさせる季節だ。
「きれいだ。」
横に座る彼女も窓を見つめている。僕と同じく水滴の美しさに見とれているようだ。
「執筆で疲れた目に優しい景色だね。」
次に聞こえた一文で、儚い美しさへの感動は消え去った。創作活動への集中が完全に切れた僕は、少しだけ口角を上げながら彼女に応答する。
「ははっ。物書きだなぁ。いや、もはや社畜か?」
「もっと高校生らしくなりたいもんだね。私たち。」
いつもの、創作友達である彼女との会話。友達が少ない僕にとって、この時間、この空間は大切だ。
僕は文芸部に所属し、日々創作活動に耽っている、高校生らしくない高校生だ。今日も今日とて、新しい人間関係の構築に尽力するわけでもなく、中学からの仲である彼女と二人、この部室入り浸っている。
「さて。大体いいとこまで書けたかなぁ。」
彼女は全身を猫のように伸ばしながら言った。彼女が達成感を味わったときにやる癖だ。最近の小説家のほとんどは、電子機器で執筆をする。僕らも例に漏れず、パソコンで小説を書いている。そのため、パソコン作業ばかりする会社員のような癖がついてしまっているのだ。
「原稿いい感じっすか。先生。」
「先生はやめて。なんか恥ずかしい。それよりマサト、君この後予定あるんじゃなかったっけ?時間大丈夫?」
「あ、そうだった。やばいやばい。」
「小説は時間を忘れさせるからね。何しにどこ行くの?」
彼女は液晶画面に目を向けながら、柔らかい声色で質問を投げかけた。
「買い物頼まれてるんだ。家の近くに安いスーパーがあるからそこ行くんだ。」
「そっか。君は偉いね。じゃ、部室の鍵閉め私やっとく。」
「ごめんありがと!それじゃまた明日。」
「はい。また明日。」
僕は迅速に荷物をまとめ部室を飛び出した。吹奏楽部の練習の音色を聴きながら、運動部が練習する風景を横目に廊下を小走りで駆ける。校舎を出た時には、さっきまでの雨は止んでいた。
「やっぱり。春の天気は変わりやすいね。」
そんな独り言をつぶやきながら、僕は雨上がりの世界に歩みを進めた。
「ぐぅ。重い。」
買った品物を詰め込んだエコバックは、思った以上に重かった。つい言葉が出るほどに。スーパーから家までは大体歩いて十分ほどかかる。覚悟を決める必要があるな。
「よし。行くぞ。」
重心が左右非対称な、少し不思議な歩みを進める。少しづつ着実に進んで行く。目に映る景色は、ゆっくりと移り変わっていく。
僕はこの瞬間が結構好きだ。移りゆく景色の中には、想像の起点がある。ノロノロとした歩みとは対称に、頭の中では文章が駆け巡る。
「ん?こんなとこ、あったっけ。」
景色を見つめながら歩くと、いつもの通学路と言えど知らないなにかを見つけることがある。今日の収穫は空き地だった。そういえば、景色から大きめの古い民家が無くなっている。あの家の跡地か。家の庭にあった大木だけが残されている。そういえば大きな木が有名な家だった。
元々はどんな人が使っていたのだろうか。誰かの思い出が詰め込まれているこの場所も、今ではただの大木そびえる草原。この、なんとも言えない諸行無常さ。なんとも創作意欲を掻き立てる。思考がどんどん速くなっていく。不思議と、この場から離れられない。なにかに引き止められるような、静電気に吸い寄せられような感覚に支配されていく。
いつの間にか、空き地に足を踏み入れていた。いつもアスファルトの道ばかり歩いているからか、草を踏むのは久々な感じがする。
「春は、曇天さえも美しい。」
空を見上げ、ポツリと口に出した。良いなこの一文。小説にでもぶち込むかな。いつものように物思いにふけっていたその瞬間、鈍い灰色の雲が光った。
「あっ。かみな・・・
パチン
・・・り。』
何かが弾けるような軽い音と共に、僕は白い世界に投げ出された。
『あ・・・あれ?』
視界には、永遠に続く白。音が、無い。
『なんだ?ここどこ?』
口ではこう喋っているはずなのに、何も聞こえない。
だんだんと、体のところどころに熱さを覚える。
少しづつ、蚊の羽音のようなものが聞こえてきた。
なんだ?何が起きている?
白む世界に、黒い斑点が現れ始めた。太陽を直視した後にしばらく見えるあれのような。
黒い斑点は、ゆっくりと白い世界を覆い始める。何が起こっているかを理解するよりも前に、白の世界は変貌を遂げていく。
『何が起こってる?』
ついに黒い斑点は世界を完全に覆った。それと同時に、体の熱さはその温度を高め、羽音はその音量を増した。
僕は走った。足音はおろか、荒くなるはずの呼吸音すら聞こえない世界でひたすらに走った。
一体どれだけ走っただろう。見える限り永遠に続く黒。どこまで進んでも何もない。僕は、もう元の世界には戻れないのだろうか。焦燥が僕の身体を冷却したのを感じた。
い、嫌だ。まだ、まだ死にたくない。僕の人生はこれからなのに。こんなところで、こんなところで・・・!
瞬間、無音だった世界に、けたたましい騒音が鳴り響き始めた。それと同時に、ジェットコースターに乗ったときのような、体が宙に浮く感覚を覚えた。
はあっ。
鼓膜が僕の呼吸音を捉えたとき、かつては白かった黒の世界は跡形もなく消え失せた。それと同時に、あの空き地の曇天が視界に飛び込んで来る。
「戻って・・・来た?」
元の、元の世界だ。日常を過ごしてきた空間に戻って来れた安堵感は、視界に映る寒々しい曇り空にさえ温かみを覚えさせた。
この視界から鑑みるに、どうやら僕は仰向けになっているらしい。吹き飛ばされでもしたのだろうか。一体何に?
「何が・・・何が起こった?」
仰向けのまま、僕は再度声帯を震わせた。そういえば、ちゃんと喋った言葉が自分の耳に聞こえる。いや、それに安心している場合じゃない。まだ何か起こるかもしれないし、とりあえず現状の把握をしなければ。
「いつっ。」
痛む体を起こしたとき、僕が見たのは、別世界に行く前に見た空き地とは、似ても似つかない光景。草は赤黒く焼け焦げ、大木は縦半分に割れている。それだけではない。まるで野焼きでもしたかのように、いたる所から煙が立ち上っている。
「これは・・・。」
この景色に、僕は見覚えがあった。それは小さい頃に見たニュース映像。幼い頃に目に焼き付けたせいか、その映像は時間が経った今でも鮮明に思い出すことができる。そして、そのニュースが報じていた内容は、確か・・・
「落雷・・・か?」
この仮説は、間違ってはいないはずだ。それ以外考えられない。焦げた草原も、枝分かれの数を増やした大木も、昔見た映像そのままだったから。
「じゃあ、”君”は何者なんだ?」
僕は、仮説を信じきれなかった。それは、僕が落雷を実際に経験したことがないから、というわけではない。
「ふふ。以外にびっくりしないんだね。こんにちは。乾マサトくん。」
それは、雷の落下地点であろうその場所に、少女が一人、佇んでいたからであった。